窓から見る校庭では、あちこちに春の気配を感じる。
クリスマスに彼氏がいないって嘆いていたのが、つい昨日の事みたい。
(早いなあ…)
小牧と一緒の委員になって、もう半年が経つ。
大好きで大好きで、1人でいる時なんて悶えちゃうぐらい好きなのに、私はあいつに憎まれ口ばっかり叩いている。
委員決めのハズレくじは相手が小牧だったから、私にとってはもう大当たり中の大当たりだった。
(なのに…)
もっと仲良くなりたかったのに結局ケンカばっかりで、あっという間に3月になってしまった。
3年ではクラスが変わるから、一緒のクラスでいられるのはあと数日になってしまうかも知れない。
(何にもできなかったなあ…)
自分のヘタレっぷりが情けない。
明日の卒業式の準備のために、2年の委員である私たちは2人で放課後残る事になっていた。
「眩しいだろ、ここ」
嫌そうな顔で、教室に入って来た、あいつが小牧。
「外が気になるんだもん」
ヤツの姿を見ただけでドキドキしちゃって、私は窓の外に目をやった。
「遅いじゃん〜、もう半分終わったよ」
明日3年生がつける花を、クラス毎に委員が作らないといけないのだ。
「わりーわりー、岩倉に本借りてた」
机に置いた小牧のカバンから、派手な色の漫画雑誌が見える。
「どーせ、エロい漫画回してるんでしょー」
「うるせーな。いいだろ」
「もーマジ、男子最悪〜」
私は作業を続けた。
「しかし、みみっちい作業だな〜、オレここ貼るから細かいとこは田原がやって」
「もー、しょうがないなあ〜」
そんな事を言いつつも、こうやって教室に2人きりっていうのはドキドキする。
委員がホントに小牧で良かった。
他の男子だったら、委員が嫌で嫌でしょうがなかったかも。
2人の仕事だから、ホントに相手によって変わる。
(小牧は…)
小牧はどうなのかな。
私と一緒で…、もしかして嫌でしょうがなかったりして。
(はあ…)
2人でいる嬉しさ半分、マイナス思考半分で、複雑な気持ち。
そしてそれ以上に、今日でこうして2人で過ごす放課後も、もしかしたら最後なんじゃないかっていう、焦り。
「オレたちも、高校生活があと1年しか無いなんて、なんか実感無いよな」
ほとんど私が作ってた花の一部を、糊付けしながら小牧は言った。
「そうだね…」
私は素直に頷いた。
(高校生活2年間…、楽しかったけど)
小牧が『彼』だったら、もっと楽しかっただろうなって思った。
ううん、楽しかった、なんて言葉じゃ言いきれないぐらいだと思う。
2人で委員ができるのは嬉しかったけど、だからこそ余計に素直になれなかったというのはある。
もし告白して玉砕したら、その後のこの委員は辛すぎる。
「これ終わったら、全部?」
黙々と作業してた小牧が言う。
「うん」
私は彼の茶色い髪を見ていた。
ちゃんと形を作ってたけど、柔らかそうな髪。
下を向いた睫毛が長いな…。
「田原、あのさ」
「何っ?」
急に名前を言われてビビる。
「さっき岩倉達とも話してたんだけどさ、やっぱ女子って手が小さいのかな」
「は?」
「いや、ちょっと岩倉が言う事も信じられなくて」
「??」
話しが呑み込めない。
「ちょっと、手の大きさ比べさして」
「えー」
「こんなの田原じゃねーと試せないし。な?」
「う…」
『田原じゃないと』とか、そう言われると、なぜか嬉しい。
「何?こうすればいいの?」
私は手をパーの形にして、小牧の顔の前に出した。
丁度手のひらを合わせるみたいにして、小牧が私の手の前に自分の手のひらを近付ける。
近付けただけで、残念ながらペタっと触ったりはしない。
「おお、マジで女子って手が小さいじゃん!思ってた以上に!」
(彼女いないんだよね…)
小牧の発言で、しみじみそう感じる。
(チャンスじゃないの?)
好きな人と今、2人きりで、それに彼に彼女もいない。
委員だってもう終わる。
(こ、これは告白のチャンス…?)
「こ…」
名前を言おうとして、口ごもってしまう。
(今、言う???)
思いつきみたいな告白。
だけど、その方が勢いづいていいのかも。
(ああーん、どうしよう)
自分の広げた手から、小牧の方へ視線を映したその時。
「えっ!!」
引っ張られるみたいに、小牧の手のひらに、私の手のひらがくっつく。
「んん?」
小牧も不思議そうに私を見た。
その顔が赤い。
(私から、触りに行っちゃった???)
「ご、ごめん!」
そう思って、手を離そうとして慌てて引っ込めた。でも。
「いたたっ!」
「いって〜〜!」
小牧の力で、私は引っ張られる。
離れようとして力を入れていた私が、勢い余って机の方にドっとよろけた。
「何?何よ?あんた何かしたんでしょう?!!」
「なんもしてねーよ、何だよ、お前こそ…」
―― 手が離れない。
鏡に手を合わせたみたいな格好で、私たちの手のひらがしっかりとくっついていた。
「絶対なんかしたんでしょう?何?何これー?」
私はパニくって、無理に彼の手から自分の手を剥がそうとした。
「いてーよ、ちょっと、お前マジで引っ張るなよ」
小牧が本気で痛がっていたし、私も手についた接着剤を無理やり剥がすみたいに痛かった。
「なんで?なんで?」
「わかんねーよ。お前、手に瞬間接着剤でもつけてた?」
「つけてないよ。あんたの方こそ、糊いじってたじゃん」
「…これ?」
小牧は空いてる方の右手で、液体糊を持ち上げる。
(そんなんじゃこんなにつかないか…)
「そうだ、手!手を洗ってみない?とりあえず!」
私は立ち上がった。
勢い余って、小牧を引っ張ってしまう。
彼の胸かお腹が、机にガンと当たった。
「いてて…お前、急に動くなよ」
「ごめん」
「でも洗うってのはいいかも。とりあえず、洗面所に行こう」
手のひら同士でくっついていたから、肘を曲げて変な格好で移動した。怪しい儀式みたい。
おまけに小牧の背が高いから、この変な姿勢が辛そう。
「とりあえず、やってみよう!」
廊下の角、水道の蛇口をひねって、手を濡らす。
「冷てえ〜」
「ちょっと、ガマンしてよ」
どんなに水をかけても、手のひら同士がくっついて、ビクともしない。
洗うために伸ばした手に無理があって、結構しんどかった。
そして改めて、…こんな近くで結構密着してる事実に気付く。
(ヤダ〜、どうしよう…)
緊急事態なのに、私はすごくドキドキしてくる。
「なあ、やべーよ。オレ。マジヤバイ。どうしよう。田原」
「何っ?」
この状態で、小牧がもしかしたら色っぽい気持ちになっちゃったのかも、なんて淡い願望を抱いた。
「オレ、さっきからトイレ我慢しててさー、もうヤベー。水触ったら寒くて余計にトイレ行きたくなってきた!どうしよう!」
「ええっ?ええ〜〜〜〜〜っ」
困った。
でもホントにトイレに行きたかったら、小牧が可哀想。
(それって、…どっち?)
大好きだったけど、さすがにあっちをされるのは辛い。
「やべー、ションベン漏れそう!」
「分かった!分かったから!」
男子トイレに入るのが嫌で、
結局、小牧を女子トイレに入らせた。
誰もいない放課後。
だけど誰かが来ないかって、すごく緊張する。
小牧を個室に入れさせて、手だけ出すようにして私は外に出てた。
幸い手のひらがくっついてたから、結構距離が稼げた。
意外に何事も無かったように、彼のトイレを済ます事ができた。
「あー、わりーな!スッキリ!」
「…良かったね」
「意外と普通にできたな」
「……」
まさかこんな事になるなんて。
「手、洗わせてよ。って言うか、洗って!」
水を流して、改めて手を洗う。
「剥がれねーかな」
小牧が石鹸をつけて、2人の手の間に右手を入れようとする。
ヌルヌルした感じと、小牧の手の感触に、私はフラフラしそうなぐらいドキドキしてしまう。
「ダメだな…とりあえず、1回教室戻って休もう」
「うん……」
教室に戻って、散らかった机の上をお互いの片手で片付ける。
机の上で手を合わせたまま、私たちはしばらく呆けていた。
「疲れたね…」
「ああ…」
小牧もうなづく。
時間にして、まだそう経っていない。
だけどめちゃくちゃ疲れた。
(このまま離れなかったらどうしよう…)
困る。困るけど…ちょっと嬉しい。
すっごい困るけど。でもやっぱり嬉しい。
そもそもこうなっている今だって、あまりに非現実的でピンときてなかった。
「おお?」
「何っ?」
「指だけちょっと動かせるようになったぞ!」
「え?ホント?」
さっきは指までピッタリ貼りついていて、パーの形から動かなかったのに、指先がちょっと動くようになっていた。
「だんだん剥がせるんじゃね?」
「どうかな…」
指が動くと、小牧の手を触ってるっていう実感が高まる。
「あっ…、痛っ…!」
「ごめん」
剥がそうとして引っ張られて、また手のひらが痛くなる。
「無理やり剥がしたら、皮膚がビリって破けそうじゃない?」
「それ、こええ」
触れてる手の感触が緩んで、急に柔らかくなった気がした。
(小牧が、近い…)
こんな近いのって初めてだった。
さっきもドキドキしてたけど、今、猛烈にドキドキしてる。
放課後、今、このまま時間が止まればいいのにって、真剣に思った。
小牧が指を動かして、ふいに私の手をギュっと握った。
「あんっ…」
ドキドキしてたせいで、思わず変な声が出てしまう。
一瞬で、顔面から火が出そうに赤面してしまう。
それは小牧も同じだった。
「わりっ、田原っ」
それに反応して、反射的に小牧が手を引っ込める。
「ああっ!」
結構な勢いで私は急に引っ張られて、思わずイスから前のめりにコケてしまう。
「田原っ…」
コケる私をかばおうとして、小牧が手を伸ばしたのか引っ込めたのか、分からないけれど、2人でイスから転がり落ちた。
窓際にいたから、壁によりかかるみたいな姿勢で床に尻もちをついた。
小牧は私に引っ張られて、今、猛烈に近い。
「………」
「…………」
言葉に詰まる。
近すぎて、胸が苦しい。
それに、この体勢は…。
「これって、壁ドンってやつ?」
小牧が真顔で言うから、こっちも返答に困る。
こんなベタベタなシチュエーションで、とってつけたみたいにドキドキしてる自分が悲しい。
恥ずかしすぎて、彼の顔が見れない。
「田原」
「……」
顔を上げた時、キスされた。
(あ、柔らかい……)
そう感じる余裕が持てるぐらい、結構な時間、しっかりキスされたと思う。
唇が離れる。
「な、なんで……?」
最初に出たのは、その言葉だった。
(なんで、小牧が私にキスしたの?)
普通に手をギュっと握られて、壁に押しつけられてた。
「なあ、……オレと付き合わない?」
「……?!」
驚いて見上げた、小牧の顔は、照れてるみたいな…でも真剣な。
(こんな顔、するんだ…)
その表情を見て、私は愛しいって、ホントに強く思った。
「……うん」
私は小さく頷いた。
まさかこんな日が来るとは。
信じられなくて、嘘でしょって疑念が頭をグルグル回っていたけれど、それ以上に息がかかるぐらい近い小牧が目の前にいるから…。
「!」
小さく、またキスされた。
もうこれ以上されたら、心臓がヤバイ。
体の力が抜けちゃう。
「……あ」
知らずにグっと力が入ってたお互いの手だったけれど、私の力が緩んだら、ストンと手が落ちた。
「離れた」
「うん」
小牧も私もお互いに自分の手をじっと見た。
別に、普段と何も違わない。
触ってみても、汗ばんでたけど、ベトベトしてるとかそういうんじゃない。
ただ彼の体温が移ったみたいに、すごく熱かった。
「なんだったんだろ…」
私は言った。
「うん…。お前、大丈夫か?」
小牧は立ち上がり、私の腕を掴んで起こしてくれた。
教室を後にして、2人で廊下を歩く。
「こんな話、誰も信じないよね」
「ああ…。オレだって信じられないし」
風が強くて、開いた窓から外の空気がワっと入ってくる。
「今日、風すごいね」
「春だからな」
小牧は私をじっと見てた。
そんな風にされると、恥ずかしくてたまらない。
「手、つないで帰る?」
小牧が手を伸ばす。
「えっ…」
さっきのさっきなのに?って私は思った。
「またくっついちゃうかもよ?」
嬉しくて困って私は言ったけど、自分じゃないみたいに甘える口調に自分でビックリする。
「いーじゃん、くっついても」
彼の言葉に弾かれるみたいに、私は小牧の手を取る。
その手を握り返して、小牧は私をグイっと引っ張った。
彼がニヤニヤしてたから、私もつられて笑顔になる。
春は、不思議だ。