● 短編・ショート ●

●● 桜 ●●

   

桜の木が見えるこの部屋が好きだと、彼は言った。
春になれば、きっと満開の花を臨めただろう。
その時を待たずして、叔父様は亡くなった。


私がここに来たのは、1年前。
お屋敷から中庭を見ると、あちこちで緑が芽吹いていた。
その時の私は、花の時期が終わった桜の存在には気が付かなかった。

「こんにちは、よろしくお願いします」
私は控えめに挨拶した。
「こちらこそよろしく。何だか申し訳ないね」
叔父はとても紳士的な動作で、静かに微笑みかけてくれた。

初めて会うわけではない。
だけど随分久しぶりだったし、こうして近くで彼をよく見たことはなかった。
50歳を過ぎているということだった。
髪には少し白髪が混じっていたけれど、彼は年齢よりもずっと若い感じがする。
私がここへ来た日も、きれいなシャツをパリっと着こなしていた。
叔父は、私から見ると随分大人に見えた。
私は17だった。

病気がちだった私は、本ばかり読んで過ごしていた。
時間は沢山あったから、色々なジャンルの本を読んだ。
だから頭の中ばっかり、同年代の子よりもませてしまったのかも知れない。
休んだ後の学校では、同じクラスの子達に違和感を感じた。
違和感を感じたのは私の方だけではなくて、教室の中でもいつの間にか私は孤立していた。
だんだんと、人の輪の中に入ることができなくなってきた。
体調が悪くて学校を休むたびに、再び登校するのがイヤになった。
そしてまた休んでしまう。
そうこうしているうちに、私は完全に不登校になってしまった。
家に引きこもり、一人時間を持て余している時に、母親から言われた。
叔父の面倒を見てくれないか、と。


普段の叔父様は、体が悪いようには全く見えなかった。
むしろ元気そうで、私よりもずっと 気力が充実していると感じた。
彼は先代の財を受け継ぎ、この大きなお屋敷で一人で暮らしている。
家業も一人で一手に引き受けて、ここまで大変忙しく過ごしてきたらしい。
実際に彼の家に住んでみると、叔父様の多忙さに驚いた。
引きこもりの私とは全く違っていた。
彼は『エネルギーのある人』だった。

様々な人が出入りするこの家。
そして来客のない時は、大概叔父様は外出していた。

ある時珍しくこのお屋敷で、私と叔父様は二人きりになった。
窓越しに射す優しい昼間の光の中、ゆっくりと時間が流れる。
私は少し緊張した。
「…香澄ちゃんは、学校に行かないと聞いているが」
私の入れたコーヒーを飲みながら、叔父様は言った。
「はい」
大体の事情は母から聞いているのだろう。
「……若いのに、今やらなきゃいけないことが沢山あるだろう」
叔父様は苦笑する。
「今しかできないこともあるだろう」
そう言われても、私も困る。
天井までガラスが張ってある窓際に置かれたテーブルセット。
私は斜めに叔父様を見る位置に座り、白地に青い柄の入ったオークラのカップに手を伸ばした。
「………」
返す言葉がない。
叔父様からは、時々説教めいた事を言われた。
それは常に正論で、…私が返答に困ると叔父様はさりげなく話をそらしてくれた。
「時間があって羨ましいよ」
窓の外に顔を向けながら、更に遠い目をする叔父様。
「………」
彼の時間が、もうあまり長くないことは知っていた。
そして叔父様自身も、その事をよく分かっていた。
ますます私は答えに困ってしまう。

確かに、私には時間がある。
そして、彼には時間がない。


私は毎日きちんと朝早く起きて、朝食の準備をし、洗濯をする。
10時を過ぎる頃には、庭の手入れをするために人が来る。
週に3度は、外から家政婦が来てこの家の掃除をしてくれた。
それ以外の日は夕食の準備を私がする。
そうは言っても叔父様は外食が多くて、私は一人で食事をすることが多かった。

規則正しい生活は、私には新鮮だった。
ただ自分の部屋に閉じこもっていただけの日々を思い出す。
こんな私の中にも「何かやりたい」という漠然とした渇望があるんだろう。
周りと打ち解けられない、そんな現実のせいでそれを自分の中にしまいこんでいるだけなのかも知れない。

「何もかもが、中途半端だ」

叔父様は苦しげに言った。
一瞬、自分の事を言われたのかと思ってドキっとする。
「………」
辛そうな叔父様の表情を見て、私は焦る。
「どうかされましたか?具合が悪いのですか?」
慌てて側による私に、叔父様の表情が緩む。
「いや、…大丈夫」

彼が病気なのだということを、時々思い知る。
それは叔父様の体調からというのではなく、彼の言動からそれを感じ取った。



叔父様と暮らして、半年が過ぎた。
最近になると、時折苦しそうな顔を見せることがあった。
私は本当に心配になる。
「…大丈夫ですか?」
「……大丈夫だよ」
叔父様は私の言葉にいつも優しく答えてくださる。
彼の目を覗き込むと、心なしか潤んでいた。
「……本当に?」
「ああ」
そう言って私の両肩を軽く叩いた。

彼に男性を感じることもある。
いつだって叔父様の目は生命力に溢れていて、明日を過ごすやる気に満ちていた。
会社を経営し、部下を引っ張り、目的に向かって邁進し続けた人生。
女性遍歴も鮮やかなものに違いなかった。

「叔父様は、どうして独身でいらっしゃるの?」
いつか私が聞いた時、彼はこう答えた。
「一人に決められなかったからさ」
叔父様は悪戯っぽく笑う。
その笑顔は魅力的だったし、こんなに年齢が違うのに子どもっぽい無邪気さを感じる。

不思議な方だ。
叔父様の立ち居振舞いは、周りの空気を変える。
こんな大人になりたいと、私は思う。
懸命に生きようとする姿に、私は胸を打たれる。
私はまるで光を見るように、叔父様を眩しく感じていた。



二人きりでいる時間、次第に私は彼を意識するようになっていた。
「ボクもすこしは自分の事をするよ」
そう言って叔父様は自分の食器をさげる。
「いいんですよ……叔父様はゆっくりしていらして」
私は手を伸ばした。

叔父様と手が触れる。

「あ……」
ドキドキしてしまう。
思わず手を引っ込めそうになって、慌てて食器を掴んだ。
「………」
叔父様も、私のおかしな様子を察したに違いない。
「そちらで休んでいてくださいね…」
私はキッチンへ急ぐ。
こんな時、自分の子どもっぽさが恥ずかしくなる。
もっと大人だったら良かったのに。
叔父様に釣り合うぐらいに。

立ち上がった時の叔父様のすらりとした体つきが好きだ。
恵まれた身長、痩せた肩。
私を気遣ってくれる仕草。
寂しそうに遠くを見る目も、愛しく思う。
叔父様の心細さが、時折痛いほど伝わってくる事がある。
そんな時何も言えず、何も伝えられない自分がもどかしかった。
私にできる事と言えば、ただ少し離れて側にいて見守るだけだった。


しばらくしたある日、叔父様は私に何も連絡を入れずに帰って来なかった。
それまでは必ず、遅くなる時は連絡をくれていた。
私は胸騒ぎがして、ベッドに入りながらも全く眠れない夜を過ごした。
朝早く、リビングへ降りていくと白いソファーに黒い人影を見た。
「!」
一瞬ドキっとしたが、そこにいたのは叔父様だった。
ソファーに倒れていた。

「叔父様!叔父様!」

私は叫んでいた。
不安で、どうしたらいいのか分からなくてパニックになる。
「しっかりして!叔父様!叔父様っ!」
ひたすらに叔父様の肩を揺さぶった。
「うぅー……」
叔父様はゆっくりと目を開けた。
「叔父様………」
『生きている』と分かって、ほっとして、私は力が抜ける。
それでも倒れていたという事実が、また私を不安にさせた。
「大丈夫ですか!……救急車、呼びましょうか…っ」
「いや……」
叔父様は自分で体を起こした。
「……すまない、ここで眠ってしまったようだ」
「眠って……」
今度こそ本当に、私は力が抜けた。

仕事が片付かなかったから、会社で徹夜したのだという。
叔父様は自分のベッドに入ると、それからまた倒れこむように眠ってしまった。
ひたすらに眠りつづけている彼が心配で、私は何度も彼の部屋に様子を伺いに行った。
汗をかいている時は、タオルで顔をぬぐった。
寝息が静かな時は、側に行って呼吸を確認した。
空気を入れ替えるために、時々窓を開けた。
叔父様の部屋からは、中庭の大きな木がよく見えた。

「桜……」

今は秋だったけれど、この部屋から見える春の風景を私は想像した。
きっと美しいに違いなかった。


叔父様が目覚めた時は、もう夜になっていた。
私は彼のベッドの横で、つっぷして眠ってしまっていた。
「……」
気配で顔を上げると、叔父様は私を見ていた。
「ついていてくれたのか」
叔父様の優しい目。
「………心配で」
私はやっとそれだけ言うと、涙が零れてしまう。

「………ありがとう」

叔父様の手が、私の髪に触れる。
切なかった。
涙が止まらない。
「叔父様……」
「…?」
私は真直ぐに叔父様を見つめた。
毎日が薄氷を踏むような脆さで過ぎていた。
どうか、いなくなったりしないで。
私の側にいて欲しい。
こんな風に。

「…叔父様が、好きです」

「香澄…」
叔父様は少し驚かれた。
「……よく、やりたいことを見つけろ、やれるうちにしておけと…おっしゃられてましたよね」
私は胸が潰れそうになる。
触れたいと思う手が、ここにあるうちに。

私は叔父様に手を伸ばした。
「…抱いて欲しいのです…」
「………」

うまく気持ちを伝えなければと、思った。
だけど言葉は必要がなかった。
――― 私たちは、結ばれた。



そうなってしまってからの毎日は、驚くほど早く流れた。
私は叔父様の寝室で眠るようになった。
彼の手も体も、…私の全てと溶け合ってしまえばいいと思う。
「あぁ……」
私はベッドの上で四つん這いになり、彼の指で愛撫を受ける。
「うぅっ…」
どうしても恥ずかしくて、声を我慢してしまう。
それでも漏れてしまう音。
叔父様が指を引き抜くと、トロリと愛液が自分から垂れるのが分かる。

「ああ……」

叔父様は巧みで、私をあっという間に駄目にさせる。
また指が入ってきた。
「うぅん…あぁ…」
私の奥の方で、叔父様の指が動いている。
その動きはだんだんと強く、早くなっていく。
くちゅくちゅと、その動きに合わせて私から音が出る。

「ああ、…あ、…あぁんっ……駄目です、…叔父様っ…」

私はシーツを握り締めた。
叔父様の指が、私の性感を捉える。
あっという間に連れて行かれてしまう高み。
一瞬真っ白になって、そして私は叔父様のされるがままに体を裏返される。

「香澄」

それは彼から出る魔法の言葉。
私はどんな要求でも、きっと呑んでしまうに違いない。
叔父様は私の足を持ち上げる。そして私に自分で足を持つように促した。
私は叔父様の望むとおりに、足を持って自らを開く。

「香澄、…見ていて」
「…はい」
私は自分の開かれたそこを見た。
叔父様のものが私の入り口に当てられる。
「あ、はぁ……」
私はため息が出てしまう。
ゆっくりと、叔父様の肉の塊が私の中へ刺し込まれる。
私の肉を割って。

「ああ、ん……っ」

しっかりと彼のものを飲み込んでしまった時、私は目を閉じた。
動かさなくても、もう感じていた。
「目を開けて」
「………」
私は再び目を開ける。
自分の手で、自らの両足をしっかりと開いている私。
叔父様が動き始める。

「あっ、あっ、…あっ…、あぁっ…」

叔父様の大きなペニスが、私のそこに出たり入ったりする。
そのたびに私から溢れた愛液で、彼のものが淫靡に光る。
「ああ……あぁっ……」
いやらしい自分の姿に興奮する。
「香澄……」
叔父様は私の腰をさらに持ち上げる。
そしてゆっくりと私の内部へ、彼自らの腰を入れていく。
「あぁ…、叔父様……」
「うん……」
叔父様は息をついた。
更にゆっくりと…回すように結合しながら、私を愛撫していく。
「…はぁ、…ああっ…」

時間をかけて解かれていく。
私は次第に分からなくなっていく。
ただ、溢れているのを感じた。
それもひどく……まるで壊れた蛇口のように。
そして私の性感も放たれていく。

「あぁ、…気持ち、いいです…あぁ…叔父様……」

私は目を閉じて、ただひたすらに叔父様の動きを受け止める。
ゆっくりと腰を回される。
その動きは、私から理性を奪う。
「もっと、……あぁ、あっ…あぁっ……」
暴れそうになる上半身が、叔父様にしっかりと抱きとめられる。
ぎゅっと動けないほど強く抱かれているのに、繋がっている部分はゆっくりと優しく突かれていた。
「あぁ、あぁ……あぁんっ……」

ゆっくりと、ゆっくりと高められていく。
感覚が麻痺してしまう。
足が痺れる。
叔父様の優しい動きの中にも、彼の持つ激しさを感じた。
柔らかくされているのに、芯のある強さ。
下半身が溶けそうになる、そして背中へと何かが抜ける。
「あぁぁんっ……叔父様っ…」
体中が、彼にコントロールされていた。

いっそ壊れてしまえばいい。
私の命ごと弾けてしまえばいい…。


何度も体を重ねた。
叔父様の命を削っているのではないのかと不安に思うこともあった。
「あ、…今朝は早いのですね…」
私が朝食の準備をしていると、珍しく叔父様がキッチンへ入ってきた。
黒いシャツに、黒いズボン姿。上質な服地。
何気ない普段の姿だというのに、私はまた彼に大人の魅力を感じてしまう。
「香澄こそ、毎朝早起きだな」
「……いえ…」
肉体関係を持った後、こうして普通に会話をするのが恥ずかしくなった。
叔父様は私の全てを知っていた。
それはとてつもなく嬉しいことなのだけれど。

「香澄……」

ふいに叔父様に後ろから抱きしめられる。
「叔父様…」
「しばらくこうしていて」
「………」
切なかった。
その切なさは私の体を貫いて、甘美な期待感へ変わっていく。
溺れたかった。
溺れてしまえば、忘れられるとも思った。
忘れたくないのに。

「……」
叔父様の腕が私の腰に回る。
そしてゆっくりと私のスェットのパンツを下着ごと下ろしていく。
「叔父様……」
お尻を撫でた手が、ゆっくりと私の溝に添って足の間に伸びる。
「う、うぅんっ……」
いつでも濡れている私は、叔父様の指を簡単に滑らせてしまう。

「はあ、…はぁ…」

私は食事の準備の途中で、水も出しっ放しだった。
「叔父様、…こんなところで……」
口ではそう言いながらも、私は逃げるつもりもなく彼にされるがままだった。
「くっ…うんっ……」
叔父様の指で、何度も何度もその場所を撫でられる。
はしたなく汚してしまう自分自身がとても恥ずかしく、そして更なる興奮を高めてしまう。

「あぁあぁっ……!」

人工的な感触が、私のそこに当てられたのを感じた。
叔父様の指ではない、体温を持たない玩具。
時折行為の最中に、それは使われていた。
叔父様はそれを扱うのがとても上手で、私は何度もそれで絶頂を迎えていた。
「んっ、…あぁっ!」
私の間に、それは差し込まれていく。
「んあぁぁぁっ……」
私は流し台の縁を掴んだ。

スイッチが入る。
作りものの動きが、叔父様の手によって生かされていく。
「駄目……、叔父様っ…」
「…駄目になっても、いいんだ…」
玩具を持つ叔父様の手が、私の足の間でゆっくりと上下する。
「あぁ……く、うぅんっ…」
「香澄の声が聞きたい…」
叔父様は私を焦らすようにゆっくりと玩具を引き抜いては、時間をかけてまた挿入した。
私の内部は自然では感じることのない動きで責められる。
「あぁっ…、あっ…だ、駄目です……立っていられません…」
姿勢を変えると叔父様は、片手でしっかりと私の腰を支えた。

「聞かせてくれ…」

叔父様は玩具を、強く私へと突きたてた。
しっかりと差し込まれたそれは、私の奥で激しく首を振った。

「あぁっ!あっ、あぁっ!あぁんっ!…あぁっ、叔父様っ……!」

私は絶頂を迎え、床に崩れ落ちた。
そんな状態の私の右足を、叔父様は掴んで持ち上げる。
彼はもう一方の腕で、まだ私に入っている玩具をゆっくりと引いた。
「う、……うあ……」
玩具が抜けた時、ドロリと愛液が落ちる。
叔父様はその様子を見てから、また私の入り口へとそれを押し当てる。
「はあ、はぁっ…」
達した直後に不安定に足を持ち上げられて、私の足はガクガクと震えていた。
「ん、んあぁっ…」
再びゆっくりと玩具が刺し込まれる。
まるで欲しがっているかのように、私のそこはそれを飲み込んでしまう。

何度も何度も、真っ白になる。
一度イク程度では、いつも許されなかった。
私は叔父様の乾きを、潤していたのかもしれない。
叔父様は、命を確かめていたのかもしれない。


広いお屋敷は、とても冷えていた。
それでも寝室は暖房がよく効いていて、冬の夜だというのに裸でいても暖かかった。
「今まで、突っ走ってきて…」
私は叔父様の胸に抱かれながら、黙って彼の言葉を聞いた。
「『終わり』が来ることなんて、考えたこともなかった」
「……」
叔父様の首筋に頬を当て、ただ温もりだけを感じていた。
「『卒業』とか、『ゴール』とか……人生自体には、そんなものなんてあるわけがない」
「……ええ…」
私は頷いた。
「終わりの日が分かる人生なんて普通は有り得なくて、その日から逆算して計画を立てるなんていうことはできないだろう」
「そうですね……」
私は確かに彼の体温を感じている。
叔父様はこうして私の目の前にいて、温かいのに。
「何もかも、中途半端だ……」
私の肩を抱く叔父様の手に、少し力が入る。

「中途半端……」
自分のことを考えた。
私は、何かを始めてもいない。
やりかけの事すらなくって、中途半端以前の状態だ。

「『人生』って、何だと思う?香澄」

「えっ?」
叔父様からの唐突な問いかけに、私は戸惑った。
そんな事を、こんな私に聞いてくるなんて。
「えぇと……」
それでも考えた。
叔父様を失望させたくなかった。


「……私は、叔父様に会えて良かったです」

「……ん…」
少し戸惑いながら、叔父様は私を見つめてきた。
「…『繋がり』…、……結局はそういうことなんだと、思います」
的外れな答えだと、自分でも思った。
それでも言葉にしながら、私は頷いた。

叔父様の存在が、私を助けている。
大事なことを、叔父様には幾つも気付かされた。
それだけで、充分意味がある気がした。

「私は今まで…そういうことが分かりませんでしたから…」

人との関わりも、全く無意味なものだと感じていた。
ただ過ぎて、時間を潰していくだけの日々が続いていくのが私の人生だと思っていた。
叔父様に会うまでは。
私は今、とても時間が欲しかった。
そして時間が惜しい。
私は叔父様を見た。

「……そうか」
叔父様はそう言って、微笑んだ。
「何かをやり遂げなくてはならない、…そんなことばかり考えていたよ」
私は叔父様に抱きしめられた。

体温を感じ合って眠った。
―― 私は、本当にこの一瞬のためだけに自分が生まれてきたのではないかと思った。
この時が、ずっと続いて欲しかった。





今、このお屋敷には私の家族が住んでいる。
叔父様の最期の一言を、私は母から聞いた。


『香澄が側にいてくれて良かった―――』


誰かの感情に入り込まないように、他の誰かから影響を受けないように…私は心を閉ざして過ごしていた。
叔父様は私を変えた。
『想う』という感情の素晴らしさ。
誰かに気持ちを揺さぶられ、そしてまた誰かの気持ちを揺さぶり返す事は、決して悪いことじゃないことに気付いた。
私はずっと避けていた。
無くすものなんてなかった筈なのに、何を怖れていたのか。

中庭から、かつては叔父様が生活されていた部屋を見上げる。
あの部屋は、まだ彼が生きていた頃のままだった。

髪を束ねたうなじに、春の風が過ぎた。
桜の花びらが、雪が舞うように降ってくる。

受けとめようと、私は手を伸ばした。


―――― この家を、出ようと思う。
『時間が欲しい』が口癖だった、彼の言葉が胸に染みた。
桜越しに見上げた空はどこまでも澄んで青くて、桃色の花びらが白く透けていた。


もう一度、叔父様に会いたい。
1分でも、10秒でもいいから。
少し顔を見るだけでいいから。
…声だけでもいいから。
だけどそれは決して叶わない。

もう、彼はどこにもいない。


桜の雨が、涙みたいに見えた。
その景色はいつしか滲んで、私は目を閉じた。


 

ラブで抱きしめよう
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