奇跡の青

22・可愛い人

   

考えないように、考えないようにしようって、そう思って眠りについた。
敦志に言えたおかげで、昨晩よりは少し気が楽だった。

次の日は土曜日で、一緒に病院に行こうって敦志と約束してた。

――― ポーン

「あら、敦志くん、こんなに早く?」
私より先、母親が玄関に出た。
病院へ行く前に少し話がしたいって言って、敦志はうちへ来たのだ。
「おはようございます。おばさん」
敦志は丁寧に挨拶してる。
真面目そうだし実際に真面目で賢い敦志への、うちの親の評価はかなり良かった。
「あ、敦志……。とにかく、上がって」
「おう…。じゃあ、おじゃまします」

お互いの親に、二人が付き合っているのは既にバレていた。
敦志のお母さんに知られた手前、うちの母に黙っているわけにはいかなかったからだ。
「すぐ出るから、飲み物とかいいから」
私は母親にそう言って、敦志の紺のジャンバーを押しながら自分の部屋に向かった。

「敦志、あのね……さっき…」
ドアを閉めてすぐに敦志に言いかけると、彼は私の言葉にかぶせてきた。
「果凛」
その声に力が入っていて、私は思わずひるんだ。
「えっ……」
「オレ、考えたんだけど」
敦志は私の机に寄りかかって、こっちを見ずに行った。
私はまだドアの近くで立ったままだ。


「果凛と結婚してもいいと思ってる」


(ええっ……!)
あまりに唐突で重大なその一言に、私は一瞬固まった。
「マジで」
敦志は続けて言った。
こんなに大事なことを言ってるのに、私の方を見ていない。

「あ、あのさ…、敦志っ……」
「……………」

敦志がこの部屋に入ってから初めて私を見た。
暖房が効いた私の部屋で、まだ上着を着たままだった。
私は彼の様子があまりに真剣で、一瞬どう答えていいものだろうか迷う。

「ご……」
私は一呼吸おいた。


「ごめん、……生理、来た」

何だかものすごく申し訳ないような気分になって、私は小声になる。
「えっ、……うそ、マジ?」
敦志がデカイ声を出して、そして今度は彼が固まった。
私は、すぐに言おうと思ってたのに。
「うん……今さっき、トイレ行ったら……来てた……ごめん」
「なーーーんだ、そうかよ……」
敦志は肩をガックリ落として、そして困りながら笑顔を浮べた。
「なんだよ、……そうか……」
私のイスを引っ張って、敦志は腰を下ろした。
彼がオレンジのイスに座ってるっていうのが、すごく似合わない。
そのままイスを回転させて、敦志は机に突っ伏した。

「お騒がせして、ごめん…」
私は敦志に近付く。
机に伏せてる彼を見つつ、いつも敦志が座ってるベッドの方へ私は座る。
「はあ……マジで、力抜けた…」
彼は伏せたまま、回した手で頭の後ろを掻いた。

「ごめーん……」

そう言いつつも、実は私もすごくホっとしていた。
ホントにどうしようって…さっきのさっきまで思ってて、妊娠してないことが分かって本当に安心した。
ここ数日の頭の色んなグルグルが、一瞬にして消えてくれた。
(敦志……)
私は思いっきりの笑顔になってしまう。

「好きーーーー、敦志ーーーーー」

私はまだ突っ伏してる彼の後ろに回って、背中から抱きついた。
「もー、すーごーく、好きーーー。大好きーーー」
「…………」
彼の前に回った私の手を、敦志は握ってくれた。
「あー、もう、すっげー心配した……」
「あははは、ごめーん」
「お前、笑えないって」
敦志は体を起こす。私は彼に後ろから抱きついたままでいた。

「で、結婚してくれんの?」
「は?」
敦志が私の方に振り向こうとする。
私は彼の体から手を離した。
「さっき、言ってくれたじゃん」

「…………」
敦志は急に思い出して、みるみる真っ赤になってく。
彼は本気で照れるとき結構顔に出て、私はそんなところが大好きなのだ。
私はニコニコして、敦志を見つめた。
「……そんなこと、言ったか?」
(ぷっ……)
敦志の言葉に、私は噴出しそうになるのを堪えた。
何か突っ込んでやろうかと思ったけれど、あえて何も言わないで彼の様子を見る。

「…………」
「…………」

チラっと私の様子を覗う敦志。
私は彼の反応が面白くて爆笑しそうなのを堪えて、笑顔を返した。
「言ったよな……」
彼は眼鏡を外してため息をつくと、また机の方に向いた。

(可愛いなぁ、敦志……)
男の子の可愛いところって、超好きだって思った。
カッコいいところとか、強いところとか、そんなところは勿論好きだけど、敦志は普段『可愛い』とは程遠いキャラだから、こういう一面を見ると何だかすごくグっときてしまう。
敦志は結構そういうギャップが絶妙で、私はいつもドキドキさせられてばかりだ。

「敦志」
「…うん」

頷くと立ち上がって、敦志はベッドに座ってる私の隣に来た。

「…………」

唇が重なる。
なんでこう優しいキスができるんだろう、って、敦志に触れるといつも思ってしまう。
柔らかいキス。
感触に味覚があれば、絶対に甘いと思う。
(んん……)
そっと首筋に触れてくる敦志の指に、私はゾクゾクする。
(ああ……)
時間と体力の続く限り、ずうっとこうしてキスしていたいって思ってしまう。
何度もキスしてるのに、私はまたすごくドキドキしてくる。
敦志と付き合ってみて、ドキドキするのは心臓だけじゃないってことが分かった。
今、指先も、耳の後ろも、太腿も足の先も、ドキドキしているのを感じる。

「はぁ……」
ゆっくりと敦志に抱きしめられる。
私も彼に腕を回した。
「愛してる、敦志……」
「うん…」
私の髪を、敦志の手が撫でる。


「ありがと……敦志」

「ん?」
至近距離のまま、敦志は私の顔を覗き込んだ。
「…あんな風に言ってくれるなんて、……すっごい嬉しかった」
「あ、……ああ…」
また少し照れたみたいで、敦志は目をそらした。

「できちゃってたら、ホントに結婚してくれてたのかな?」
妊娠してないってわかればもう気楽なもので、私はニヤニヤして言った。
「……さあ、どうだろうな」
逆に敦志はムっとして、私から体を離した。
「………」
私は敦志を見つめた。
横顔に、大人になった彼を感じる。
小さい頃からよく知っているあっちゃんの面影は、もうほとんどなかった。


「…なんか、オレ、もう父親気分になってたよ」
ものすごく不機嫌な表情のまま、ビックリするほどカワイイ声で敦志は言った。

(ああ、…すっごく、好き……)

胸が一杯になってくる。
「…………」
何にも言えないまま、私は敦志に抱きつく。
敦志の暖かい腕のせいで、心の壁の鍵を外されたみたいに想いがこみ上げてくる。


ちょっと泣けてきた私を、敦志はすごく優しく抱きしめてくれた。
ほんとにすごく優しかった。
ほんとにすごく優しすぎて、余計に泣けてしまった。



どれくらい抱きしめられていたんだろう。

「…ホントに結婚できたらいいなぁ」
落ち着いてきて、私は敦志にくっつきながら言った。
「……そうだな」
ポソっと言う彼の言葉に、また心がグっとなる。
(あー、もう、嬉しいなぁ……)
くっつき足りなくって、私は敦志の膝の上に乗った。

「あー、もう、できてたら良かったかな?」
「お前も、適当なこと言うなよ」
敦志は苦笑した。
「じゃあいずれ結婚するとしてー、とりあえずー、婚約?」
自分でも適当だなぁと思いながらも、私は調子に乗って言った。

「………いいのかよ、お前は」

敦志は真面目な顔になって、私を見つめてきた。
この、目が…またすごーく好きなんだ。
(あーもう、ドキドキするってば…)
私は大きく頷いた。

「じゃあ、指輪買おう!!婚約指輪っ♪」
立ち上がって、私は部屋の真ん中で跳ねた。
「バーカ、婚約指輪って給料の3ヶ月分とかだろ?どこにあんだよそんな金」
呆れた様子で、敦志は私のベッドに深く座りなおした。
「そっか、…言われてみれば、そうだよね」

「じゃあ、下見♪今日は下見に行こう!!」

「下見って……お前…」
「いいから、いいから」
私は渋る敦志の手を引っ張った。
「今日はデートだね♪」
今朝起きたときはすごく暗い気分だったのが、もう、ウソみたいだ。
「………」
敦志も同じことを考えてるようだった。


「まあ、…しょうがねーな」
引っ張られていた敦志が、逆に私の肩に手を回してくる。

「……好き♪」
私は背伸びして、敦志にキスした。
「オレも好きだよ」
敦志はそう言って、キスを返してくれる。

いちゃいちゃしたまま完全に二人の世界に入った状態で部屋を出ると、廊下でいきなり母親と鉢合わせた。
その時の敦志の反応が、すごく可愛くて、やっぱり私は彼が大好き。


私に対して無愛想だった前の敦志、でも本当はあの頃からだって彼は何も変わっていなかったんだろう。
子どもの頃からの、あっちゃん。
今、目の前で恥ずかしそうに困った笑顔の彼。

私が手を伸ばすと、自分の背中に隠すようにギュっと握り返してくれる。
今、私を温かくしてくれる彼の全部、
全部がきっと奇跡で、だけど運命なんじゃないかなって。
敦志を見詰めながら、こっそり思った。


〜奇跡の青〜(2007/9/3完結・2017ちょっと加筆)

 

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