昨晩、果凛の珍しく暗い声を聞いたときから、何だか胸がザワついていた。
『話があるから……』
まさか突然振られるなんてことはないだろうと思いつつも、オレはドキドキしてた。
いつもキョロキョロとして明るかったり沈んだり忙しいヤツだから、唐突に心変わりするってのも、もしかしたらあるかも知れない。
(いや、さすがにそれはないよな…)
果凛のうちに向かう道を歩きながら、オレは首を振った。
(何なんだよ…)
昨日オレが聞いたときも、電話じゃあ言いにくいの一点張りだった。
「うっす」
果凛の家の玄関に入る。
「うん……。あ、入ってー」
オレを見上げた果凛の目にも、緊張が見て取れた。
(………)
オレも緊張してくる。
果凛の後について、彼女の部屋に入った。
平日の昼間、彼女の両親は仕事でいない。
「………」
果凛はオレと目を合わせようとせず、自分のオレンジ色のイスを引いて座る。
大きな水玉模様が入った派手なカバーがしてあるベッドに、オレは腰を下ろした。
「………」
果凛は黙っている。
やっぱり、様子がおかしい。
「なあ、……どうした?何かあったのか?」
オレにしては優しい口調で言ったつもりだ。
「………」
果凛は下を向いてしまう。
髪が顔にかかって、オレから果凛の表情が見えなくなる。
「どうした?」
オレが腰を上げかけたその時、果凛が口を開いた。
「敦志……どうしよ……」
「あたし、妊娠したかもしんない」
全く予想していなかったその一言に、オレはすぐに反応できなかった。
(妊娠……妊娠、って…)
確かにこの前、果凛と生で、した。
だけど中に出していない自信はあった。
(でも、そういうことってあるらしいし……)
「妊娠、…って」
オレはあまりに動揺して、言葉に詰ってしまった。
思わず立ち上がって、果凛の方へ一歩踏み出す。
「マジか?」
「わかんないけど…」
顔を上げてオレを見た果凛の目には、涙が溜まっていた。
不安そうなその顔を見て、なぜかオレはこんな状況なのに『可愛い』と思ってしまう。
「…………」
返す言葉がなかった。
(妊娠、って……マジか???)
オレはたいしたスペースもない果凛の部屋をウロウロして、またベッドに座りなおした。
「どうしよー……敦志」
「と、とりあえず」
泣きそうな果凛を落ち着かせたかったのに、オレ自身が挙動不審だ。
「調べたり、したのか?」
「……してない。怖くて」
果凛の大きな目から涙がボトっと落ちた。
「泣くなよ……」
「ごめん…」
そう言って果凛はもっと泣いてしまう。
「おいおい……」
オレは果凛に近付いて、背中に腕を回してギュっとした。
(妊娠かよ……)
果凛を抱きしめて改めて気付いたが、オレの動悸はすごく激しかった。
彼女から告げられたことに現実感が持てないまま、ただひたすらに動揺していた。
だけどオレがこんなんじゃダメだ。
「とりあえず、どうなのか確かめに病院行こう。…一緒に」
「……敦志…」
果凛がオレの肩にすがってくる。
きっとすごく心細かったんだろう。
オレはその後果凛にどう接したのか何を言ったのか、よく覚えていない。
話を聞いて、早々に自分の部屋に帰って来ていた。
(妊娠……)
オレが社会人なら、迷わず結婚だ。
しかし今、まだオレは高校生で、来月からは大学に行く予定だ。
とても果凛を養える立場には、なれない。
今更大学に行かない、なんてとても両親に言えそうもない。
それもこの理由で。無理だろ。
親に叱られるとかそんなことはどうでも良かったが、受験勉強をしつつ何となく設計してた自分の将来の計画が確実に狂うのは確かだ。
(果凛……)
色々考えていくと、きっとあいつもこんな風に色々考えてすごく悩んだんじゃないかって思う。
「ごめんな……」
ふと口をついて出た一言に、自分で驚いてしまう。
こんな思いをさせたことに対して『ごめん』なのか、軽率に妊娠させてしまったかもしれないことに対して『ごめん』なのか、…もし妊娠していたのなら、それを前向きに受けとめられないオレの無責任さに『ごめん』なのか…。
(全部、だ)
考えれば考えるほど、今は果凛と子どもを育てて生きていく選択ができない自分がいた。
「ごめん、……果凛」
今、この瞬間だって、彼女がどんな気持ちでいるのか想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
それなのに、オレは『産まないでくれ』なんて事を、果凛に言えるのか。
「果凛……」
胸が痛い。
もし妊娠していたら、その事実を今のオレはきっと受け入れられないだろう。
だけどその選択をしようとする理性の真裏で、果凛のことをどうしようもなく愛しく思う気持ちが倍増していく。
(すっげー、好きなのに……)
自分が情けなかった。
現実に持っているものを捨てて、果凛に『産んでくれ』と言えそうもない自分が情けなかった。
果凛を悲しませるのは辛い。
そして、もしかしてできてしまった果凛の中にあるオレの血を分けた命を、殺してしまうなんて想像もしたくなかった。
相反する思いが、オレの中で渦を巻く。
どうしていいのか分からないまま、頭が痛くなるほど考えに考えているうちに、オレはいつの間にか眠っていた。
――― 夢を見た。
果凛とオレが、すげー笑ってた。
二人の間には柔らかい命があって、そしてそれをオレはすごく愛しいと感じていた。
その空間は夢の中なのに、気が遠くなるぐらいに、幸福感で満たされてた。
眩しすぎた夢から目が覚めた時、現実に返ったオレは驚いた。
枕をグショグショに濡らす程、涙が出ていた。