君の香り、僕の事情

●● 1 ●●

   
「はあ、はあ…」
「深雪くん、どこー?深雪くーん!」

香我深雪(かが みゆき)は、ダッシュで中庭を抜けて渡り廊下に入ろうとしていた。
告白をしてくる子なら、まだいい。
やっかいなのは、友達のためにひと肌脱ごうとしてくるおせっかいな女子だ。
(あいつら、スゲーしつこい…)
話した事の無い女の子から深雪は追いかけられていた。
男の足で真剣に走って、深雪は逃げる。
(ああ、もう超ウゼー…、何なんだよ)

「うわっ」
渡り廊下に入り、巻いたと思った瞬間、歩いていた生徒に勢いよくドンとぶつかってしまう。
幸い深雪がすぐに手を伸ばし、当たってしまった子は間一髪のところで倒れずに済んだ。
「ごめん、ごめん…大丈夫だった?」


「痛ぁ…」
見知らぬ男子に急にぶつかられて、危うくまともに転ぶところだった。
今週末は試合だと言うのに、こんなところでケガをしては大変だ。
(もう、危ないなあ…)
亜麻野茉莉(あまの まつり)は顔を上げた。
視線に飛び込んできたのは、驚く程の色気を持つ、美男子。
(うわ、すごいイケメン!!)
深雪の見た目に一瞬完全に気をとられたが、すぐに我に返る。

「危ないなあ!こんなところでダッシュなんかしたらダメじゃん!」

女子からキャーキャー言われる事はあっても、まともに怒鳴られる事など深雪には経験が無かった。
完全に面食らったが、それでも自分が悪いのは確かな事なので彼は素直に詫びる事にする。
「ごめん、ホントに…どっか打ったりしてない?大丈夫?」
かなりの衝撃だったはずだった。
深雪は無意識にギュっと腕を回し、見知らぬ女子を完全に抱きしめる形になっていた。
そっと力を抜いて、彼女の様子を見る。

「大丈夫、でもホントに気をつけなよ。普通の女の子ならすっとんじゃうよ」
ショートカットのその子は毅然としてそう言い、深雪から離れた。
女子にしては背が高い。部活に行くのだろう、Tシャツと半パンのジャージ姿だった。
深雪も彼女を掴んでいた手を完全に離した。
「うん…ホントにごめん。あ……あれ?」
「どうしたの?そっちこそ、大丈夫?どこか当たった?」
更に身長のある深雪を、彼女は心配そうな顔で覗きこんでくる。

「大丈夫だけど…、君、何か香水とかつけてる?」
「え?つけてないけど」
茉莉はきょとんとしている。
「そう?何かこの辺の匂いかな、すごいいい匂いする。分かんない?」

深雪の言葉に、茉莉は周りを見渡して首をかしげた。
「別に何も…?香水みたいな匂いがするのは、あなたじゃないの?」
深雪に抱きとめられた時、確かに良い匂いがした。
それは男性用の制汗剤みたいな匂いで、男の爽やかな香りだった。
(イケメンは、匂いまで良いんだなあ…)
茉莉は関心したが、ここで時間を取っている暇は無い事を思い出す。自分も急いでいたのだ。

「じゃあ、私急ぐから!」
「あ…。ホントにごめんな」
「気にしないで!大丈夫だから!そっちこそ気をつけてね!」
日焼けした顔に、白い歯を見せて茉莉は去った。

(すげー爽やかな子だな…)

普段自分の周りには全くいないタイプの彼女。
深雪はその筋肉質な彼女の後ろ姿を見送る。
(ああいう女の子の方がいいかもな…)
化粧とか、美容とか。身を飾るためのグッズとか。そういう物ばかりに気を取られている女子とは真逆のタイプ。
(それにしても…)
彼女の側で感じた匂い。
甘い花のような、柑橘の果物のような、色々な良い匂いが混ざってるような、今までに嗅いだ事のない匂い。
彼女が行ってしまった後、その場にもうその香りは無かった。
(やっぱり、あの子の匂いだよな…)
「う…」

「いてぇ」
気が付くと、深雪は痛い程勃起していた。
「なんだこれ…」
意志とは関係の無い体の反応に、深雪は戸惑った。
仕方なく、遠回りをしながらゆっくりと教室へ戻って行った。



「さっきさ、茉莉、4組のイケメンと渡り廊下で抱き合ってなかった?」
2人1組でストレッチをしながら、茉莉はつかさに言われた。
「抱き合ってないよ。ぶつかってこられただけ。見てたの?」
「うん、見ちゃった」
つかさは茉莉の背中に手を当て、力を込めて押した。
「相変わらず、柔らかいね。まつり」
つかさと茉莉は2年3組だった。
「4組って、あの子の事知ってるの?」
一通り茉莉が伸ばしきると、今度はつかさに交代する。
10月の校庭。
まだ日差しは強くて、少し動くだけで汗ばんでくる。
「有名だよ〜、女子が『みゆきくん』って言って大騒ぎしてるの、よく見かけるよ」
「へー、『みゆき』って言うんだ」
「名前が女みたいだから、覚えてた」
つかさが体を伸ばしながら言う。
「そうだね…」
茉莉は彼の事を思い出す。

170近い身長の自分が見上げる事ができるほど、背が高かった。
顔が整っていて、それ以上にすごかったのは彼の表情の色気だ。
(あれじゃあ、モテるよね…)
男子が嫌いというわけではないが、部活中心の生活をしている茉莉にとって、男子は興味の対象になっていなかった。
そして自分自身を女らしくみせる事に対しても、今の茉莉にはただ面倒くさいだけだ。
ただひたすらに、ソフトボールに夢中だった。
現在茉莉のいる高校は、全国大会に出る事もある強豪校である。
茉莉は授業以外のほとんどの時間を、ソフトをするために費やしていた。



「深雪くん、昨日逃げたでしょう?」
「ああ…」
廊下でとうとう掴まってしまう。
昨日は気付かなかったが、追いかけて来ていた女子は3年だった。
「ヒドイよね、呼んでるだけで逃げるなんて。信じらんない」
気の強そうな3年女子が言う。
「何の用っすか」
あくまでも愛想よく深雪は答えた。
「今度、うちのクラスの女子何人かと、夕方カラオケでも行かない?」
「それ、合コンですか」
「まあそうかな」
3年女子はあくまで『誘ってやってる』という態度だった。
「オイ、樹生。ちょっと来いよ」
深雪は同じクラスの男子を呼んだ。
「先輩がオレらのクラスと合コンしてくれるんだってよ。お前仕切ってくれよ」
「おお〜任せろ!オレ、額田樹生って言います。ヨロシク!」
「えっ、…ちょっと」
樹生は今時珍しい超肉食系で、仕切りのプロだ。
3年女子は彼のペースに乗せられて、離れられなくなっていた。
「オレは行かねーから、お前らで楽しんでくれよ!」
「ちょっと!深雪くん!」
深雪はおかしくてたまらないというように笑って、その場を去った。

教室にいるとまた誰かに捕まりそうなので、深雪は自分のクラスから離れる。

(あれ……)

昨日嗅いだ、あの香りがした。
隣のクラスへ入っていく、ショートカットの後ろ姿を見る。
(昨日の子じゃん…)
やはり彼女の匂いだと確信した。
ずっと嗅いでいたくなるような、甘い香り。

「うわ、嘘だろ!」

思わず声に出してしまい、そばにいた男子生徒たちが怪訝そうに深雪を見る。
深雪は慌てて男子トイレに向かう。
(なんだよ……、なんでだよ)
彼は昨日のように、また勃ってしまった。
 

ラブで抱きしめよう
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