君の香り、僕の事情 |
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昼休みは教室の窓際の席で、友人たちと固まって深雪は昼食をとる。 男子が窓側、女子が廊下側というエリア分けが自然にできている。 今日は同じ4組の樹生と、3組の友人2人と一緒だ。 「この前の合コン、結構盛り上がったぜ」 3組の順平が言う。ツンとした短い髪に、あごヒゲを薄く生やしている。派手に見える男だ。 「それはそうだろ、樹生がいるんだから」 先日、深雪に声をかけてきた3年女子と樹生たちは結局合コンしたのだ。勿論深雪は参加していない。 「いつもみゆきには感謝だぜ〜」 大きな声で樹生は言った。 「みゆきも来れば良かったのに」 この中で一番背が低く、どちらかと言えば可愛いキャラの総一郎が、食べたパンのゴミを袋に戻しながら言う。 「やだよ、面倒くせー」 深雪はため息をついた。 今は2年の10月なので、高校に入ってから1年半ちょっと。 その間、深雪は彼女を作っていない。 中学の時に自分が原因で女子たちが酷く揉めて、そんな醜い争いを間近で見て、同級生や同じ学校の女子と関わる事が心底嫌になっていた。 遊ぶのは、女子大生や他校の子。 その場だけだったり、適当に都合のいい時に会ったり。 特定の女性と付き合う事は全く考えていなかった。 「3組にさ、ショートカットの、色が黒くて背が高い子いるだろ?」 深雪から女子の話が出るのはかなり珍しい事だった。 順平は驚いて、深雪を凝視しながらも答える。 「…亜麻野かな。ソフト部の」 「ああ、ソフト部って感じだったかも」 深雪は友人たちの視線に、そこで気付く。 「みゆきが女の話なんて珍しいじゃーん。何?気になんの?」 順平はニヤニヤして身を乗り出した。 下衆い視線に、深雪はちょっと順平を睨んだ。 「この前廊下で思い切りぶつかって」 「ん?向こうが?」 「違う、…オレが。それもかなりの勢いで…。逃げてたんだよ、3年女子から、この前樹生たちが合コンした人。逃げてたのはお前らが合コンする前な」 「何だよ、みゆき。マジで全力で逃げてたのかよ。どんだけ嫌がってんの」 樹生は大笑いした。 深雪は樹生の反応を流す。 「うるせーな。んで、オレその後どうなったか気になって…」 気になっていたのは事実だった。 しかし深雪が気になっていたのはぶつかった事に対してではなく、彼女自身の事だ。 「亜麻野、全然いつも通りだったけど?そう言えばあの子、スポーツ推薦で高校入った子だよ」 総一郎が穏やかに答える。 「よく知ってるじゃん」 順平が言った。 「オレ、亜麻野と同中だし、中3の時同じクラスだし。あの子すげー運動神経良くて、ソフトもすげー上手くてカッコ良かったし。結構有名人だよ」 「総一郎、何中だっけ?」 「K中」 「ふーん」 K中は深雪の行っていた中学の隣の学区にある。 女の子がスポーツ推薦で入ったという事が、深雪には意外だった。 (どんな顔してたっけ…) 彼女の事が気になるのに、漠然としたイメージしか自分の中に残っていない。 強烈に覚えているのは、匂い。 花のような、それでいて美味しそうな香り。 (なんで、あの匂いを嗅ぐとオレあんな事になっちゃうんだろう…) 興奮するというのとはまた違っていた。 体が勝手にそうなる、というだけだ。 (気になるよなあ…) 自分の体の事も気になる。 そして、彼女自身の事も気になる。 気付けば、彼女の事ばかり深雪は考えていた。 ソフト部がナイター設備の整ったグランドを使えるのは、週2だけだ。 週3で野球部が使用している。 大会で勝ち残っている時だけ、ソフト部が優先で使う事ができるが、設備自体を作った寄付金を野球部の方が多く出しているらしいという理由で、普段は野球部がメインで使う事になっていた。 「暗くなると、練習時間が短くなって嫌だよねー」 「でもこの前、うちの近所で不審者出たんだって。あんまり遅くなると怖いかもね。っても私はチャリだから関係ないけど」 茉莉は練習着の入った重たいバッグを、左肩にかけ直す。 「じゃあね、つかさ」 茉莉は電車を降りる。 「まつり、帰り気をつけなよ」 「大丈夫だって」 電車の窓越しに、茉莉はつかさに手を振る。 駐輪場から自転車を出し、バッグを荷台へ乗せる。 (ああ…、夜は寒くなってきたなあ…) 10月も終わろうとしていた。 冷えた風を頬に受けて、茉莉はペダルをこぐ足に更に力を込めた。 (あの子、いるかな…) 窓際の席の深雪は、数学の授業中、3組の体育の授業を見ていた。 探すまでもなく、背の高いショートカットはすぐ分かる。 目立つ子だった。 今まで全く知らなかったのが嘘のようだった。 改めて、学校の女子に全く興味が無かった事に深雪は気付いた。 (スタイル、めちゃくちゃいいじゃん) 足首までのジャージの女子がほとんどの中、運動部の子が何人か膝までのジャージを履いている。 その中でも彼女の膝下は、シュっと長く引き締まっていた。 (顔、もっとよく見てみたい) 3階から見下ろす校庭は眩しくて、そしてやはり遠かった。 窓を見ていた視線を教科書に戻し、ヤル気の出ないまま深雪はシャーペンをいじる。 (話しかけるにしたって、オレ、あの子と何も接点が無いしな…) 全然知らない女子から声をかけられて、今度どこどこへ行きませんかと誘われる事が、深雪はこれまでに何度もあった。 その度に鬱陶しく思い、笑顔でバッサリと断ってきた。 どんな子が自分に声をかけてきたかとか、ほとんど覚えていない。 (今思えば、ああいう子たちも必死にオレとの接点を求めていたのかも知れない…) 突然声をかけて、大した良い印象も残せずに、玉砕する。 自分もそうなるのかと思うと、深雪は躊躇してしまう。 朝、昼、放課後と部活動に行ってしまう彼女は、見かける事すら困難だった。 昼休み、深雪が廊下でダラダラしていると、始業のチャイムのギリギリ前に茉莉はダッシュで教室へ戻って行った。 (予鈴、とっくに鳴ってるんだけど…) 深雪と茉莉の学校での行動パターンは全く違っていた。 (今まで気づかないはずだぜ…) 何とかもう1回だけでも話せないか、深雪は考えていた。 「うわ、やっべー…」 深雪は焦って小走りで学校へ向かう。 ビデオを明け方まで見てしまい、起きて家を出たものの間に合うか間に合わないかギリギリの時間になってしまった。 (完全に間に合わなければ、あきらめもつくのに…) 全力でダッシュする気にもなれず、微妙に遅刻ぐらいの時間に階段を上がる。 前に、ショートカットの彼女がいた。 「間に合うの?」 思わず深雪は声をかけてしまう。 「あ…。みゆきくん」 不意に名前を呼ばれて、深雪は階段を上る足を止めた。 「えっと…遅刻?」 深雪は聞いた。 遅刻にしては余裕の彼女が不思議だった。 カバンを持っていない。 「ちょっとケガしちゃって。保健室行ってた」 先日と変わらない快活さで、茉莉は深雪へ微笑んだ。 「ケガしたんだ…?」 深雪は彼女の膝にガーゼがテープで留められているのを見た。 「大した事ないよ。大丈夫」 笑顔と一緒に、香る。 (ああ、やっぱりすげーいい匂い…) 深雪は茉莉の手を取って、教室と反対の方へ向かった。 「えっ?…何っ…?何っ…」 戸惑う茉莉にお構いなしに、深雪が彼女を屋上へ連れてきた。 「あ、ごめん、足痛くなかった?」 「足は大丈夫だけど、…じゅ、授業は??」 「授業…。もう遅刻だろ。途中で入るのも気まずいし」 入口の横に回り、日陰に深雪は腰を下ろす。 状況についていけず、立ったまま腕を引っ張られた茉莉はバランスを崩し、思わず深雪の手を握ってしまう。 深雪はそんな茉莉を見て、微笑んだ。 「付き合ってよ」 「えっ???」 茉莉の顔面は一瞬にして赤くなってしまう。 「授業のサボリ」 「ああ、授業ね…」 誤解してしまった自分がすごく恥ずかしくなり、茉莉はさらに赤くなってしまう。 深雪の手をほどいて、素直に彼の隣に座った。 深雪はその一連の茉莉の行動を見て思う。 (なんだ、めちゃくちゃ可愛い子じゃん…) 「オレの事、知ってた?」 『みゆきくん』と呼ばれた事が、深雪はすごく気になっていた。 「ああ…。この前ぶつかったの、友達が見てて『みゆきくん』って言ってたから」 まだ顔を赤らめたまま、それでも茉莉はできるだけ平常心で答える。 「そうか…。あの後、何も無かった?ケガとかしてなかった?」 「全然なにもなかったよ」 「今のケガは大丈夫?」 「大丈夫。派手に擦りむいただけで。打撲とかひねったりとかしてないし」 茉莉は朝練でスライディングして、結構広範囲に膝を擦りむいてしまった。 普段ならサポーターをしているのに、こういう時に限って何もしていなかった。 (私、普通にしゃべってるんですけど……) ほとんど知らない、モテ系男子が自分の隣にいる。 さっきは『付き合って』を大きく勘違いしてしまい、思い出してまた茉莉は顔が赤くなってしまう。 (もう、恥ずかしいなあ……) 「亜麻野さん、って言うんだ」 「えっ」 突然名前を言われて、茉莉は驚いてしまう。 「『まり』って言うの?下の名前」 「ううん。『まつり』って読むの」 深雪が自分の名前を知っている事に、茉莉は戸惑う。 (なんでフルネーム知ってるんだろ…) 「い、言いにくくない?『あまのまつり』って。何か『ま』が多くて」 「あまのまつり…、うん。確かに言いにくい」 深雪は笑った。 茉莉は、深雪の口から出る自分の名前の響きに、なぜかドキドキしてしまう。 「オレの方がヤだよ。香我深雪だぜ。小学生の時は女とか言ってからかわれるし、『かがみ・ゆき』とか言われるし、一部からは『かがみゆ萌え〜』とか言われてるしさ」 「何それ、面白い」 『かがみゆ萌え』に反応して、思わず茉莉は爆笑してしまった。 「ははは…、ごめん……、ちょっとツボに…」 隣で笑う茉莉を見て、深雪はなぜかすごく嬉しくなってくる。 お互い全然知らなくて、初めてまともに話をしたのに、こんなにもすんなり会話ができている。 (なんだ、この感じ……) 笑っている茉莉が、ずっと隣にいればいいのにと、深雪は本気で思った。 「オレさ…」 「ん?」 笑いが治まってきた茉莉は、唇に両手を当てたまま深雪を見た。 「あれからずっと、亜麻野さんとしゃべってみたいなって思ってたんだ」 「……そ、そうなの?」 茉莉は自分の頬がまた赤くなっていくのが分かった。 口を押さえていた手が、自然に頬へ行ってしまう。 「な…なんでかな?」 自分とは関係の無い世界にいそうなモテ系男子が、そんな事を思っているなんて茉莉は不思議だった。 「なんでかな、自分でも分かんねえ」 深雪は膝に手を伸ばし、体を丸めた。 「………」 「………」 考えてみれば普段、茉莉はほとんど男子と会話をしない。 野球部の男子に文句を言いに行くとか、用事があって話すとか。 空いた時間もダッシュで部活へ行くので、教室でダラダラ雑談をしている事もない。 (こういう時、なんて言ったらいいんだろう…) (なんで、私、みゆきくんと2人でここにいるんだろう…) 屋上から見える空はまさに秋晴れで、空の青はどこまでも続いていた。 気持ちの良い風が、屋上を通ってゆく。 深雪の整髪料の爽やかな匂いが、茉莉にも感じられる。 「みゆきくん、いい匂いするね」 「は?」 深雪の反応に、つい言ってしまった茉莉は焦ってしまう。 「え、いや、なんか…。ご、ごめん、気持ち悪い事言ったよね、私」 「いや、別に気持ち悪くないけど…」 茉莉の台詞に、深雪の動悸が激しくなる。 (オレが思ってる事、言われた…) さっきから隣にいる茉莉の匂いを感じて、深雪はずっとドキドキしていた。 体の反応は、もちろんそうだった。 それは深雪自身ではどうにもならなくて、そうなっている事を考えないようするしかなかった。 (いい匂いするのは、そっちだって…) 『何か』の匂いじゃなくて、『彼女』の匂いなんだろうと、深雪は隣にいて確信した。 そしてその匂いは、なぜか自分を猛反応させる。 そしてそれを差し引いても、深雪は茉莉にドキドキしてしまったのだと思う。 「あのさ」 「……」 さっきの発言で彼に引かれてしまったのではないかと思った茉莉は、深雪の言葉の続きを構える。 彼に好かれなくても、嫌われたくないと茉莉は思った。 「今度、どっか行こうよ」 「えっ…」 「2人で」 午前の日差しが、屋上の影を濃く短くする。 コンクリートの眩しい照り返しが、そのまま空へと吸い込まれていく。 (これって、現実…?) スライディングして倒れて、そのまま頭でも打ったんじゃないかと茉莉は思う。 膝のガーゼを見て現実だと分かる。 そしてまた深雪を見て、夢なんじゃないかと思った。 |
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