君の香り、僕の事情

●● 3 ●●

   

「ねえ、みゆきくんって…どんな人?」
茉莉は教室に戻ると、すぐにつかさのところへ行った。
「え、どうしたの?…まつり、足大丈夫だった?」
「あ、ああ、…足、大丈夫だったけど」
足の怪我の事なんて、すっかり忘れていた。
「どうしたの?いきなり。みゆきくんがどうかしたの?何かあったの?」
つかさは髪をツインテールにしている。可愛らしい感じというよりは、実用性を重視した結び方だ。彼女は茉莉を観察するようにじっと見た。

「な、何も無いけど。何となく」
1限目をサボった上に、戻った早々深雪の事を聞くなんておかしいと、つかさの怪訝な表情を見て茉莉はハっとした。
「あんまり知らないんだよね、みゆきくんの事って」
つかさは茉莉に対して深く追求せず、会話を続けた。
茉莉はつかさのこういうところが好きだ。
「そうだよね…」
茉莉は頷いた。
つかさも茉莉と同様、部活中心で生活している。
2人とも学校の噂にはあまり興味が無いのだ。
「今度、石毛に聞いてみるよ。あの子イケメンリサーチすごいから」
「うん……」
「もしかして、茉莉。みゆきくんの事が好きになった?」
(えっ!)
そんな風に思っていなかったので、茉莉は慌てて否定する。
「違う違う!なんかちょっと話す機会があって…あんまり男子と話した事ないしさ。モテてそうなのに、話しやすかったし…」
「話しやすいから余計にモテるんじゃないの?」
つかさが真っ白な歯を見せて笑う。
「そうか、そうだよね。はあ…何か別世界」
深雪がモテている、という事に茉莉は納得する。

(多分、女の子なんて普通に誘っちゃうんだろうなあ…)

自分よりも可愛くて一緒にいて楽しい女の子なんて、深雪には沢山いるだろうと茉莉は思う。
(なんで、誘われたんだろう?)
それが不思議でたまらない。
(何なんだろう…怪しいなあ…)
深雪に対して一瞬そう考えたが、さっき一緒にいた彼に悪意は感じられなかった。
それどころか、茉莉が最初に彼にイメージしていたよりも、ずっと普通の男の子っていう感じだった。
(まあ、言ってみただけなんだろうな…)
イケメンとちょっと喋れてラッキー、ぐらいに思う事にした。



休み時間、深雪は自分の席で携帯を見ていた。
前の席では樹生がマンガを読んでいる。
(さっきは話せてラッキーだったけど、連絡先も知らねえんだよな…)
自分でもよく分からないこのモヤモヤした気持ちを、悪友たちに話す気にはなれなかった。
(…ああ、めんどくせーけど…)
深雪は立ち上がった。
「みゆきどこ行くの?」
樹生が雑誌から目を離し、顔を上げる。
「ちょっと3組に」
樹生を残して深雪は教室を出た。

「総一郎!」
廊下から教室の総一郎を呼ぶ。
「あ、みゆきくんだ」
「いつ見てもカッコいい〜〜♪」
教室の女子が、早速深雪を見つけて噂を始める。
すぐに総一郎が来た。
「何?みゆき。教科書でも忘れた?課題はやってないよ」
「あのさ、こっそり亜麻野さん呼んできてくれねえ?順平とかに言うとうるせーから、静かに呼んできて」
深雪は小声で言った。
「ああ……」
何となく察した総一郎は特に詮索もせず、すぐに教室へ戻る。

深雪は廊下で待った。
自分がこうして立っているだけで、誰かしらの視線を感じる。
それは彼にとって猛烈に鬱陶しい事で、嫌で仕方がない。
特に今はそうだった。
「みゆきくん…?」
教室から茉莉が出てくる。
スラっとしていて、ショートカットが茉莉の小さな顔をさらに小顔に見せた。

「さっきはサボリに付き合ってくれて、ありがとう」
「うん…」

ただ男子と廊下で話すだけだと言うのに、茉莉は緊張してくる。
(なんか、この人…普通じゃないよ…)
さっきから色んな人の視線を感じた。

深雪もそれを感じて、声を低くする。
「あのさ、連絡先教えて」
「えっ…」
茉莉はビックリして、思わず顔を上げた。
深雪との距離が思いのほか近くて、さらに驚いてしまう。
「連絡できないじゃん。これオレの番号。あとで送って」
深雪は茉莉に、小さい紙を渡した。
「それじゃ」
両手をポケットに戻して、深雪はすぐに茉莉に背を向けた。


(さっきの話、一緒に出かけるって本気だったのかな…)
茉莉は隣の教室へ戻る深雪を見ていた。
背がすごく高くて、細い。それでも肩幅はしっかりある。
後姿だけなのに、カッコいい男なんだろうと期待させるその背中。
(顔が近くて、ドキドキしちゃった…)
深雪の声や表情を思い出して、茉莉はさらにドキドキした。


(あー……、すげーいい匂いだった…)
自分の席に戻り、深雪はため息をつく。
(何なんだ、あれ…)
強烈に香るわけじゃない。
近付いて、少し感じる程度だった。
それでもその香りは、深雪の感覚にグイグイ入ってくる。
(今、近かったしな…)
「あー、まじヤベぇ…」
携帯を手に、茉莉から連絡が来ないかとじっと見つめた。


「携帯ばっかり見てんの、珍しいじゃん。何かあんの?」
樹生が残り少なくなったポテトをつまみながら、深雪に言った。
深雪と樹生、順平の3人は学校帰りにファストフード店で寄り道をしていた。
「別に」
深雪は答えたが、学校にいる時からずっと茉莉のメールを待っていた。
「いいよな、総一郎は彼女とラブラブで」
順平も樹生も、深雪も彼女がいない。
3人とも特定の相手と、全く続かないのだ。
「順平も1人に決めればいいんじゃね」
深雪はドリンクを手にする。
「無理、無理。順平もオレも、深雪も。女の子は好きだけどさ、女って基本的に色々とめんどくさいじゃん」
樹生は賢い男だ。
順平も樹生も、パっと見は人をちょっと怖がらせるような容姿だった。
樹生は顔が濃くて、髪にゆるいパーマをかけてスタイルを崩している。
順平は対照的にシュっとしたタイプだが、ヒゲと目つきのせいでガラが悪い。
総一郎はその中でも一番ソフトな可愛いタイプで、背が低い分、人から警戒されにくい。
4人揃うと、学校でもかなり目立っていた。
深雪は普通に女子から騒がれていたが、樹生や順平には迫力があって表だってそういう事は無かった。
しかし彼らに想いを寄せる女子は沢山いたのだ。

(こねーな……)

茉莉からメールが来たのは夜だった。
『遅くなってごめんなさい。電話番号は090×××…です。
これからもよろしくお願いします』
「事務的っ」
それだけの内容に、深雪は思わず吹き出してしまった。
(そう言えばオレ、女に自分から携帯番号とか教えたの初めてかも)
深雪は迷う事なく、その番号に電話をかけた。


茉莉は風呂上りで、ベッドに入る直前だった。
朝の早い生活をしているため、通常9時半にはもう寝ている。
家を朝の6時に出て、ランニングしながら学校へ向かうのが日課だ。
部活漬けの1日で、夜には一刻も早く寝たいのだ。
「あれ、珍しい」
電話が鳴っている。
部活のメンバーとの連絡は大抵ラインだったので、通話は珍しかった。
「うそ……」
”かがみゆき”と、名前が表示されている。
連絡をしなければと思いつつも迷って、深雪につい先程メールしたのだった。
茉莉は慌てて電話を取る。

『もしもし』


「あ、香我だけど…。今電話して大丈夫?」
(やべー、オレなんか緊張してるんですけど…)
『大丈夫…。あ、メール遅くなってごめん』
電話の向こうから落ち着いた声がする。
(こんな声なんだな…)
まともに喋ったのは今日初めてだった。
直接聞くよりも電話の彼女の声は低い。
「いや、ちゃんと携番教えてくれて、ありがとう」
すごくまともな人みたいな発言をしていると、深雪は思う。
自分らしくないテンションに、自分でも相当戸惑っていた。

『どうしたの?何か用事……?』

(うわ、オレ警戒されてるんじゃねえ?)
明らかに怪訝な茉莉の言葉で、衝動的に電話をかけてしまった事を深雪は一瞬後悔した。
「いや、学校だと全然話せないし…。今日オレが言った事、覚えてる?」
『覚えてるけど…。えっと…、どの部分?』
「……2人でどっか行こうってとこ」
(鈍い子なのかな?…もしかして天然?)
深雪はベッドに背をつけて座っていた。
そのまま体を倒し、床に寝転がる。
「いつ空いてる…?亜麻野さんは」
『私…、えっと…』

(あれ?…オレ今日断られてたっけ?)
茉莉の間が長いので、実は今朝誘いを断られてたのに気づかなかったんじゃないかと深雪は焦る。
(うわ、そしたらオレ痛過ぎるな)
「あのさ…」
『あの』
深雪が言いかけるとのと同時に、茉莉も声を出した。
『毎日ほとんど部活で…、今週はずっと部活だし』
「土、日、どっちかは?」
『日曜はS高と練習試合で、土曜は練習だし…』
「来週は?」
『月、火もダメだし…うーんと…』
茉莉は困っている。
『……あの、2人で会うっていうの…断ってるわけじゃないんだけど』
「うん」
(ホントに忙しいんだろうなあ…)
自分の知らないジャンルの女子に、こうして執着している自分がおかしい。
普通に過ごしていたら全く接点のない女の子。
接点を持とうとしてるのに、なかなか都合も合わない。
『雨の日だと部活が無い時もあるんだけど…』

「いいよ。無理しないで」
『えっ……』
「亜麻野さんの都合のいい時に、いつでもいいから連絡してよ。オレ合わせるから。急でいいから」
『でも、それじゃみゆきくんに悪い…』
「いいよ、いいよ。誘ってるのオレだし。オレ待ってるよ、いつでも」
(こんな言い方って…)
何か告白みたいじゃんと、深雪は思う。


深雪と電話を切った後、茉莉は自分の手が少し震えているのに気付いた。
(大きな試合の前だって震えないのに)
自分の手を見て戸惑ってしまう。
(深雪くん、いい声だったな…)
茉莉はため息をついた。
(待っててくれるって言ってた…)
今朝初めてまともに話したばかりの深雪が、自分へこんな風に言ってくれるのは本当に不思議だった。
(なんでなんだろう…)
「やっぱりイケメンの気まぐれなんだろうな…」
携帯の番号を教えた直後にかかってきた電話。
色んな女の子にこんな風にしているのかも知れない。
それでも、話した感じの深雪は、悪い男には思えなかった。
(別に付き合ってとか言われてるわけじゃないし)
断ろうと思えば断る事もできた。
何言ってるのと言って、冗談にして流す事もできた。
(それでもそうしなかった…)

茉莉は部活ばかりで、クラスの女子たちのように彼氏が欲しいとか、そういう男子関連の事は全く考えていなかった。
深雪に対してもそうだった。
(でも、みゆきくんって何だか仲良くなれそうな気がする)
正直、相性の良さを感じていた。
話してみて合わないと生理的に感じるのと、真逆の感覚。
(まあ、いいか……。もう寝ようっと)
ベッドに入ると、携帯がまた鳴った。
深雪からのラインだった。
『昼休みとか、練習あるの?』
『ある時と無い時があるよ』
茉莉はそう送った。
『何曜日とか決まってる?』
『水・金は無いよ』
『分かった じゃーおやすみ』
(『おやすみ』…って)
嬉しいものなんだなと、茉莉は思う。
『おやすみなさい』

昨日まで何の関係も無かった深雪と、こうやってドキドキしながら今ラインをしている。
(何なんだろう、これ……)
茉莉は目を閉じる。
(でも何か幸せ…)
胸にある甘い感覚に気付かないふりをして、茉莉は眠りに落ちた。



水曜日の4限目が終わり、昼休みが始まってすぐに深雪は茉莉のクラスへ行った。
「亜麻野さん!」

教室のドアに、深雪が立っていた。
「みゆき君だ…」
「うそ、みゆき君だよ!亜麻野さんって…呼んだよね」
近くの女子が茉莉を見る。
「えっ……」
(みゆきくん…)
深雪は教室に入ってくる。
「おう、どうした?みゆき」
普通に順平は深雪に声をかけた。
深雪はチラっと順平に視線を返すと、真っ直ぐに茉莉へ向かっていく。
女子がザワついていた。

「亜麻野さん、お昼一緒に食べない?」
「えっ…?えっ…?」
突然の事で、茉莉は戸惑う。
実際に教室で見る深雪のハイスペックさと女子のざわめきに、茉莉は深雪の人気を実感する。
「いいよな、順平」
近くにいた順平に深雪は言った。
「あ?い…、いいけど。何?何?」
茉莉以上に、順平が驚いていた。
そばにいたつかさも、茉莉と深雪を見比べて今にも何か言いそうだった。
「お友達もおいでよ、4組で食べよう」
深雪の言動にその場にいた全員が驚愕し、その勢いに誰もつっこめないまま、順平たちと茉莉たちは彼の後について行く。

「なんだよ、深雪、急にいなくなったからトイレだと思ってたら、女子連れてきたの!」
樹生のテンションが上がる。
3組で注目され、4組に入り更に視線が集まる。
「いーじゃん、いーじゃん。人数多い方が楽しいし。おいでよ!」
樹生は立って、机を移動し始める。
「えーと、誰だっけ?」
樹生はツインテールにしたつかさを指さして、屈託ない笑顔を見せる。
「大垣です…」

茉莉についてきたつかさは、茉莉以上に困惑していた。
「じゃあ、大垣さんはこっちこっち!大垣さん、名前は?」
「つかさ…」
「つかさはオレの横な!」
(ええっ…?)
つかさは眉をひそめて樹生を見た。
(初対面で呼び捨て?!おまけにガラが悪すぎるよ!)
樹生はそんなつかさの視線も気にせず、強引に自分の横につかさを座らせた。
その前に、順平。順平の隣で樹生の前に総一郎が座った。
(まつり〜…何これ〜)
つかさは茉莉に目で訴える。
茉莉はつかさの横にいたが、1つの机をシェアする状態で深雪と向かい合っていた。
「えっ……、えっと……みゆきくん?こ、これは…」
「亜麻野さん、なかなか時間が無いから、昼休み一緒にどうかなーと思って」
涼しい顔でそういう深雪の事を、茉莉は読めなかった。
こんな行動に出られるとは思わなかったのだ。
さっき教室で名前を呼ばれた時、まさか深雪の友人と一緒にランチの誘いだったなんて、まさか思うわけがない。

同じクラスの総一郎と順平は、もっと戸惑っていた。
深雪が自分からこういう行動をとった事が無い上、これはあまりに唐突過ぎる。
「えー、何あの集団…」
「なんで3組の子が深雪くんといるの…?」
あまりにも注目を集めていた。
大抵の事に動じない順平も、状況が飲めずに焦る。
「みゆき、どうした?……亜麻野たちとランチなんて、聞いてねーぞ」
「ごめん…」
なぜかつかさが謝ってしまう。
「いや、大垣の事責めてるんじゃなくて…」
順平は慌ててつかさに言った。
「いーじゃん、可愛い子とランチできるなんて、すげーラッキー!」
樹生はニコニコしてつかさを見る。
強面とその笑顔のギャップで、大体の女子は樹生に好感を持ち、許してしまう。
「……どうも」
『可愛い』という言葉を普段言われないつかさは、何となくお礼みたいな返事をした。
「オレ、額田樹生!樹生でいいから!」
「お前の軽さ、たまに尊敬するぜオレ…」
順平はあきれた。

「ちょっと、唐突じゃない…?これ」
小さい声で茉莉は深雪に言った。
「ダメだった?」
深雪は困ったような表情を見せる。
(そういう顔…)
茉莉は深雪の外見の良さを、改めて感じた。
「ダメじゃないけど」
普通の男子がしたら引くような事も、深雪がするとプラスの感情を起こす。
何気ない仕草や表情も、ただ深雪だというだけで、とても魅力的に見える。
(すごい男子力だ……)
茉莉はしみじみ思う。
そんな深雪が、自分を引っ張っているのがやっぱり謎だ。

樹生のおかげで、戸惑っていたつかさや順平たちもどんどんうち解けて行った。
昼休みが終わる頃には、元からの友達のようになっていた。
ソフトボールをいつから始めたとか、茉莉と総一郎が中学で同じクラスだった頃の話等で、会話が途切れる事は無かった。

時折茉莉が前を見ると、深雪はゆっくり目を合わせてきた。
ふと気づくと、深雪が自分を見ている時もあった。
(みゆきくん…)
樹生たちの会話が盛り上がる中、 茉莉は静かな深雪の側で、ひたすらドキドキしていた。

 

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