ラバーズ(Lovers) |
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「あたし、帰るところがないの。……なんなら、別に…してもいいよ」 そう言ってボクを見上げた彼女の目がどうしようもなく悲しげで、ボクの方が泣きそうになった。 漫画喫茶でのアルバイトが終わり、ほとんど終電に近い電車でボクは家路を急ぐ。 駅は深夜だというのに、たむろしている若者やタクシーを待つ人で結構ザワザワしていた。 横断歩道を渡ったところに、自転車置き場がある。 青信号が変わりそうなので急いで渡ろうとしたその時に、ボクの目の前を金色の髪が通り過ぎた。 (えっ……) 横断歩道の途中、ボクの目の前で女の子が倒れた。 「ちょっと、……き、君っ…」 顔を上げると、青信号が点滅している。 ボクは大急ぎで彼女を引っ張り上げると、小走りに向こう側へと渡った。 「きみ、だ、…だい、…大丈夫?」 深夜の緊急事態にボクの呂律は上手く回らない。 ボクの腕の中でグッタリしている女の子は、薄く目を開けて言った。 「お……おなか空いた……」 ――― 今、ボクの部屋で、有り得ない事が起こっている。 ボクがコンビニで買ったパンやおにぎりを、ボクの前で女の子がガツガツ食べていた。 部屋にはボクと彼女の二人きりだ。 彼女は何も言わずにしばらく食べ続けると、次第に落ち着いてきたようだ。 「ああ、…生き返った…」 彼女は大きくため息をつくと、自分の食べていたものをじっと見つめた。 胸の辺りまである髪は茶髪というよりはほとんど金髪で、色の白い顔はすっぴんで、そしてとても疲れているようだった。 どう見ても、普通の学生には見えない。 (水商売かなんかなんだろうか……く、薬とか、やってたりして…) ボクは大変な女の子を家に上げてしまったんじゃないかと思って、だんだんとビビってくる。 「ごちそうさまでした」 そう言ってボクを見て、今日初めて彼女は微笑んだ。 (うっ……) その笑顔を見て、ボクの胸はギュンときた。 この瞬間まで気がつかなかったのが信じられないほど、彼女は可愛い顔をしていた。 多分眉毛があれば、もっともっと可愛くなるだろう。 「ご飯食べさせてもらって悪いんだけど、…今日泊めてくれないかな」 彼女は、じっとボクを見た。 目力があって、ボクはその目に引き込まれてしまう。 「と、泊まるって……こんなところに?」 ボクは部屋を見回した。 信じられないほど散らかっていた。 見たDVDや、聴いてるCDがごちゃごちゃに転がっていたし、DVDの中には人に見せるには恥ずかしすぎるものもあった。 捨てていないゴミが、部屋の隅から真ん中の方へその場所を広げていた。 改めて自分の普段の生活を反省する。 「道路で寝ろ、って?」 「いやいや、……そんな…こんなとこで、良ければ」 時計は、深夜の2時になろうとしていた。 夏だとは言え、こんな時間に女の子を外へ追い出せるワケなかった。 「ここで、充分だよ?」 彼女は一瞬だけ笑顔を見せると、すぐに真顔に戻った。 「あたし、帰るところがないの。……なんなら、別に…してもいいよ」 そう言ってボクを見上げた彼女の目は、どうしようもなく悲しげだった。 そんな事を平然と言ってのけるなんて、ボクは勝手に色々想像して妙に切なくなってしまった。 「いやいや、そんなつもりは……」 元よりボクは感情移入しやすいタイプだ。 それに自分でも自分のヘタレさには自信がある。 ここで彼女を押し倒すような度胸があれば、今までこんな人生を送っていなかったはずだ。 「じゃあ、シャワー貸して。……借りるね」 まごまごしているボクを尻目に、彼女は立ち上がってユニットバスへのドアを開けて入ってしまった。 すぐにシャワーの水音が聞こえてくる。 (あ…) 確か風呂場も壮絶に汚かった気がして、ボクはまた一人勝手に自己嫌悪になった。 彼女がシャワーを浴びている束の間、ボクは慌てて部屋を片付ける。 元々がすごく散らかっていたから、多少まとめるぐらいではあまり変わらなかったが、それでも人が通れるスペースぐらいは作ることができた。 だが、ボクのオタク趣味までは隠すことはできなかった。 ゲームやアニメキャラのフィギアをしまう場所は思いつかなかった。 「ねえー、タオル貸してくれないかなぁ」 「ああ、…は、はいっ」 妙にビクつきながら、ボクはドアの間からタオルを彼女に渡した。 「……………あっ」 思わずボクは声をあげてしまった。 彼女はタオル1枚の姿で、バスルームから出てきたのだ。 ボクは生身の女の子のこんな姿なんて見たことがなくて、それだけで逃げ出したくなるぐらいすごく緊張してしまう。 「寝させて……」 そう言うと、彼女は倒れこむようにボクのベッドへと沈んだ。 「……」 「…………」 彼女は、一瞬にして眠ってしまったみたいだ。 ボクに背中を向けて眠る彼女。 その肩はもちろん裸で、呼吸とともに体が動くのが、妙に艶かしく思える。 とりあえず、手を伸ばしてタオルケットをかけた。 「どうしよう…」 ボクはかなり困って、そして結局パソコンへ向かった。 [イザナミ:おう、遅いじゃん。もう寝ようかと思ってたとこだよ] [YUKINO:明日が日曜じゃなければ、落ちてました] チャット仲間の文字が、ボクを安心させる。 これがボクにとってのリアル日常だった。 【Y島:なんとなんとなんと、今女の子が部屋にいるであります!】 ボクはやっと興奮して、文字を入力した。 『であります』は今ボクの中でマイブームになっているゲームの台詞だ。 [イザナミ:ウソだろー??とうとう幻覚まで見たか(´,_ゝ`)] [YUKINO:リアルですか?……まさかリアルでってことはないですよね?] 【Y島:それがまさかの現実で!】 U ネットの中で下らないやりとりをしばらくしているうちに、ボクはだんだんと落ち着いてきた。 (ホントに現実、なんだよなぁ……) キーを打つ手を止め ふとベッドへと目をやると、彼女が寝返りをうつところだった。 「うぅぅ〜〜ん……」 色っぽい声を出しながら、こちらへと体を向ける彼女…… 「あ゙あ゙っ!」 思わず大声を出してしまった。 彼女がこちらへ向いた時、タオルとタオルケットが一緒に肌蹴たのだ。 「胸が胸が胸が……」 ……彼女の胸が。ぽろん、と。 【Y島:申し訳ないが、今日はもう逝くであります!】 狭い部屋の中、ボクは2メートルぐらい離れて、彼女の姿を鑑賞した。 彼女の裸の上半身は、この世のものとは思えないほど美しかった。 …今、ボクの部屋には普段には有り得ない事が起こっている。 妄想みたいなこの空間で、ボクに現実感を持たせてくれたのは、ボクの肉体的な興奮だけだった。 結局ボクは彼女に近付くことなく、ただひたすらに眠れない一夜を過ごした。 |
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