ラバーズ(Lovers)

☆☆ 2 ☆☆

   

どうしてこんなところで眠っているんだろう。
「うう……体が痛い…」
匂いとか、…いつもと違う部屋の感じで、昨晩のことを思い出した。
目が覚めたら、彼女はいなかった。

「……!」

バカみたいに、まっ平らのタオルケットをはがしたりトイレへ駆け込んでみたりしたが、彼女はいなかった。
「………うそ…」
昨晩のことは、夢だったんだろうか。
慢年欲求不満なボクが見た、幻想だったんだろうか。

…机の上にあったメモに気がつくまで、10分ぐらい経っていたと思う。

『ちょっと出てくるネ。また戻ってくるから』

「ああ…」
そのメモを見て、ボクはなぜかホッとする。
どういう形であれ一夜をともにした彼女が、ボクに何も言わずにフェードアウトするなんて寂しすぎる。
「ちょっと、片付けるか……」
とりあえずボクはシャワーを浴び、部屋に散乱した色んな物体をまとめることにした。


昨日までよりも少しだけ片付いた部屋に一人で、時間は正午を回ろうとしていた。
狭い部屋だから、机に向かう以外にいる場所はベッドしかない。
昨晩あまり眠れていなかったから、ボクは横になっているうちにウトウトしてしまった。

どれぐらい眠っていたんだろう。

ふっと目を開けると、黒い髪の可愛い女の子がボクの前にいた。

「!!」

本当に幻覚かと思って、ボクは大慌てで飛び起きた。
「おはよー。よく寝てたねえ。部屋、片付けたの?」
「…………」
目の悪いボクは、目を細めて彼女をよく見た。
そこにいるのは多分昨日の彼女だったけど、…本当に彼女なんだろうか。
確か、昨晩の彼女は金髪で、スッピンの顔色は本当に悪くて…

「髪型、変えてきた」
彼女はそう言って笑った。
金髪はほとんど黒色の髪に変わり、少し短くなっていた。
化粧もしっかりしていて、今日は眉毛がちゃんとある。
顔色もだいぶ良くなったようだ。
(か、可愛い……)
例えるなら小動物…それから、天使。
目がクリクリしていて小柄で華奢なその容姿は、ボクが想像する『女の子』のイメージそのものだった。
(昨日は、上半身裸を……)
「うっ…」
ボクは思わず鼻を抑えた。
「どうしたの?」
彼女はますますじっとボクを見ている。
部屋の真ん中の少ないスペースに、ちょこんと座っていた。
「な、なんでもない………」
ボクは彼女の視線から逃れるように、思わずベッドから降りた。

「髪型、変?」

「いやいや、変じゃないです」

「なんで敬語?」
彼女は軽く笑う。
「いや…なんとなく……」
ボクは普段女の子と話す機会なんてなくて、そして可愛い女の子と話す機会なんて全くなくて、いちいち彼女への態度が挙動不審になってしまう。

「あたし、杏菜。あなたは?」
「ボクは…筧(カケイ)優哉…」

そう言えば彼女の名前を、今、初めて聞いた。

「優哉。お腹すいた。それに買い物もしたいし。付き合ってよ」


ボクらはとりあえず近くのファーストフード店に入った。
彼女はハンバーガーを3個注文し、それにサイドメニューまで何点かつけて更にコーラのLを頼んでいた。
昨晩と同様、彼女はボクの目の前でよく食べた。
「よく、食べるね……」
ボクは思わず言ってしまった。
「うん。食べるの大好き」
彼女はコーラを飲みながらニコニコする。
昨日は金髪で眉毛がなくて、もろにヤンキーみたいだった彼女は、今日は別人のように普通の女の子になっていた。
「優哉って、あんまりしゃべらないね」
「……そ、そう?」
確かにそうだ、とボクは心の内では納得しながらも、曖昧に頷いた。
「まあいいけど。このあとデパートに行こ♪」


ボクは彼女にガッツリと腕を組まれ、ほとんど引っ張られながら百貨店に連れられて行った。
たいして身長が高くもないボクの肩の下に、ビッタリと頭をくっつけて歩き回る彼女。
ただでさえ女の子に免疫のないボクは、それだけで耐えられないほどの緊張感を味わっていた。
「あ、あの服可愛い〜〜♪」
彼女はボクを店内に引きずり込む。
百貨店の洋品店で買い物なんてしないというのに、女物の店内でボクはますます落ち着かない。

「ちょっと試着してみるね。ちゃんとそこにいてね」

念を押して試着室に入っていく彼女の後姿を見送って、ボクは店内で小さくなっていた。
(待てよ…)
このまま彼女が洋服を買うとして、もしかしたら会計をするのはボクだったりして。
(そんなあ…)
そんな財力は勿論ボクにはない。
試しに近くの服に手を伸ばし、タグの値段を確認する。
「うっ!」
値段を見てビックリだ。
ボクの1ヶ月分の食費ぐらいは軽くある。
一枚の服で。

アワアワしていると、彼女が試着室から出てきた。
「どうおー?可愛いでしょー?」
「あ…」
淡い水色のノースリーブのワンピースは膝丈で、裾が丸く仕上がっている。
小柄な彼女にすごく似合っていて、あらためて可愛い子なんだなと思う。
しばらく見とれていると、彼女の方からの視線に気付いた。
「えへへー」
そう言って照れたようにニコリと笑う彼女に、ボクは心ごと持っていかれたような気がした。
女の子に慣れていないボクがまともに接した、初めての女の子だったからかも知れない。


「随分、買ったね……」
服や靴が入った沢山の買い物袋を、ボクは持たされて歩いていた。
持たされて…というか、「持つ」と言ったのはボクの方なんだけど。
彼女は本当に沢山買い物をしたと思う。
結局、支払いは彼女が自分のカードで済ませていた。
「服が何にもないからね」
彼女のその台詞に「?」と思いつつも、ボクは歩くのが早い彼女について行くのに必死でその疑問も流れて行ってしまう。

荷物があまりにも多いので、一旦ボクの家に寄って荷物を置いてまた外出することになる。
「泊めてくれたお礼に、奢るよー」
ニコニコする彼女がボクを連れて行った先は、焼肉屋だった。

こんな風に肉を大量に食べるのは、どれぐらい久しぶりのことなんだろう。

彼女はここでも沢山注文し、目の前に並べられた肉をどんどん焼いていく。
いい匂いがすぐ鼻の先に立ち込めて、ボクは俄然食欲をそそられてくる。
初めのうちは少し遠慮していたボクも、いつのまにか彼女のペースに釣られてしっかりとご馳走になっていた。
「優哉、普段は何してるの?」
「……学生」
「ふぅーん。大学生なんて、頭いいんだね」
「いや、別によくはないけど……」
「だけど、優哉の部屋には難しそうな本が沢山あったよ」
手を伸ばして、彼女は網の上の肉を裏返した。
「………」
あのゴチャゴチャした部屋で、ボクのパーソナルな持ち物を何気なくチェックされていたなんて、ボクは恥ずかしくなる。

「優哉は何歳なの?」
「…21歳………君は?」
「20歳。優哉の方が上だね」
彼女はボクを見て笑顔になる。

「ふうん……」
本人がそう言うんなら、まあそういう事にしておくか。
彼女はもっと若く見えたけれど、ハタチと言われればそんな気もした。
ふと、さっきの疑問が思い起こされてくる。
「…服、……ボクの部屋に置いてあるけど……」
「ああ、焼肉屋に持ってきたら、匂いがついちゃうじゃない?」
彼女は大盛りのご飯を、パクパク食べながら言った。
「そ、そうだね……」
その先のうまい言葉が見付からなくて、それ以上聞くことができなかった。


久しぶりに豪華な食事を密かに思い切り満喫して、ボクは彼女とボクの部屋に戻った。
「あ、コンビニ寄って〜〜」
ボクが返事を返す前に、彼女はボクを引っ張って店へと入って行った。
相変わらず、ボクの腕に腕を巻きつけて彼女は歩いている。
昼間からそうされているが、ボクは全くこの状況に慣れない。

(こ、こ、これじゃ付き合ってる二人、みたいじゃないか……)

そんな状態を、結構嬉しいと思ってしまう自分が情けない。
彼女は可愛かったけれど、ボクはといえばイケメンとは対極にあるキャラだと思う。
それに、汗かきなボクは今日は余計に汗をかいていて、こんなボクにくっついていて彼女はイヤじゃないんだろうか。
…彼女の何もかもが不思議で仕方がない。
「お菓子も買っちゃおう〜っと♪」
ふと立ち寄ったコンビニで、彼女は大量に買い物をしている。
(今日も、自分の家に帰らないつもりなのかな……)
ずっと懸念していたことが、本当になりそうな気がしていた。

部屋に着いた。
ボクはとうとう口に出した。
「あ、…あのさ、…君は、…帰らないの?」
帰ると言われて、今日限りで会えなくなるのも寂しいと思っていた。
だけどこのまま、また一晩を過ごされるのもどうかなとも思っていた。
ボクの心配なんて全然気にも留めずに、彼女はあっさりと言った。

「うん。しばらくいさせてね」

(しばらく??)
「…………あぁ、あ、あの、あのさ」
「駄目?」

ボクを上目で見る彼女の目が、急に悲しそうに見えてボクは焦る。
「だ、駄目じゃないけど……その…き、君は…」
「あたしなら、心配しないで。ねえ、テレビ見ようよ」
彼女はリモコンを探し、部屋をウロウロして見回す。
「これ」
ボクは机のPCのキーボードの横に置いてあったリモコンを渡した。
彼女はテレビを点けた。
静かだった部屋に、他人の声が流れる。
「…………」

話をそらされてしまった。
『心配しないで』って自分から言うなんて、逆に心配だなあとボクは思う。
それでも彼女に強く問い詰める勇気もなくて、いつの間にかまた彼女のペースになってしまった。
『しばらく』…って…ボクの頭は混乱した。
だけど今、確かなのは、また今夜も彼女がここにいるって事だ。


ボクは普段は結構夜更かしをしている。
夜はパソコンやゲームや勉強をしたりして、眠さ限界のところでいつも眠っていた。
言うまでもなく勿論、いつも一人の夜を過ごしていた。

…………夜。
それがこんなに重たい意味を持つなんて。


「あーー疲れちゃった」
彼女はまた当たり前のようにシャワーを浴びに行く。
一人部屋に残されたボクは、昨晩よりもずっとずっと緊張していた。
(……………)
こんな風に女の子と二人で過ごす、という経験がボクにはない。
勿論、…彼女をどうこうしようとするつもりなんてない。
だが何気ない態度で接する度量も、ボクは持ち合わせていなかった。
昼間から彼女とずっと一緒にいて、ボク的には既にいっぱいいっぱいになっていたというのに。
(どうしたら、いいのかなあ…)

ガチャ

彼女が風呂場を出てくる音に、ボクはビクっとしてしまう。
おそるおそる顔を上げると、彼女は昨日のように裸ではなく、ちゃんとパジャマを着ていた。
(うっ………)
「おっ先〜〜♪」
彼女はタオルで髪をふきながら、冷蔵庫のドアを開けた。

「ボ、ボクもシャワーっ……」
飲み物を手にした彼女を追い越し、ボクは大急ぎで風呂場に入った。


―――素顔で濡れている髪に、パジャマ。

…………ヤバイ、もろにツボった。


何かを期待せずにはいられなくて、ボクは頭からシャワーを浴びた。
どんな顔をして部屋に戻っていいのか分からず、なかなか風呂場から出られなかった。

「………」
さすがにいつまでもそうしているワケにもいかず、勇気を出して部屋に戻る。
テレビの音が聞こえた。
恐る恐る部屋を見ると、既に彼女はベッドに入っていた。
「………」
そっと近付いて、彼女の顔を覗いた。

眠っている。
子どもみたいな顔で。ぐっすりと。

その顔がすごくすごく可愛くて、ボクは胸が詰る。

「ハア〜〜〜」
ボクは力が抜けるのと同時に、別のところに力が入っていくのを感じる。
「ったく、……何なんだ?」
この状況が本当に自分の身に起こっているというのが、未だに信じがたくてボクは何度も彼女を見た。
(ホントに、ベッドに、いるんだよな……)
玄関を入って風呂場とキッチンを抜けた入り口の脇に、今日彼女が買った買い物袋が沢山置いてある。
(…現実だよな…)
彼女のことは全て謎だったが、この状況に戸惑うあまりにそれを追求するところまで頭が回らない。
今のボクに重要なのは、今夜をどうやって乗り切るかだ。

「………」
ベッドの脇に立ちつくしていたボクは、改めて彼女を見た。
小さい顔。真っ白な肌。
昨日より幼く見えるのは前髪があるからだと、ボクは今更気付く。
それにしても、童顔だ。
(か、か、か、…可愛い……)
他に誰も部屋にいないというのに、部屋を見回してボクはそれを確認してしまう。
(ち、ちょっとだけ…)
ボクは恐る恐るベッドに腰を下ろした。
そのまま、静かに、彼女に添い寝をしてみる。

(…………)

やばいぐらい興奮してきた。
心臓がドキドキする。
ボクの心臓がこんなに働いているのは、生まれて初めてのことじゃないだろうか。

「うう〜ん…」
小さな声を出しながら、彼女が寝返りをうった。
ボクはその声にビクっとして、慌てて彼女に背を向けた。
「ハア……」
余りにドキドキして、ボクはため息が漏れる。

「!!!」

再び寝返りをうった彼女の体が、ボクの背中に密着する。
シングルベッドだから、二人で横になっている時点でギュウギュウだった。
「ん〜〜」
彼女の腕が、ボクの体に回された。
「………」

――― 心肺停止しそうだ。

眠っている彼女の腕はずっしり重くて、ボクは起こしてしまいそうで身動きがとれなくなる。

ボクは完全に固まって、その場から動けなくなった。
背中に感じる彼女の柔らかさが、ボクをどうにかしてしまいそうだった。
(どうしよう……)
ドキドキして、ドキドキして、あまりにドキドキして、全身を固くしながらボクは少し震えてしまった。


どうしていいか分からないまま、もの凄いスローペースで時間だけが流れていく。
結局ほとんど眠れないまま、気がつくと窓の外は明るくなっていた。

 

ラブで抱きしめよう
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