聞きたいことは沢山あった。
だけどボクが言いたいことは……結局、会いたくて、好きで、ってことだけだった。
杏菜の姉が用意したという弁護士から開放され、やっと部屋にたどりついたボクらには言葉なんて必要なかった。
会いたくて会いたくて、きっともうダメなんだという現実が全く受け入れられなくて、
ボクはズルズル杏菜への思いを引きずっていた。
最近では、もうこのまま引きずり続けてどんどん年を取ってしまうっていうのも悪くないんじゃないかな、とすら思っていた。
杏菜のことをボクの中から否定することだけは、絶対してはいけないと悟った。
たとえ彼女が側にいなくても、もしかしたらもう二度と会えなくても、ボクのこれからは杏菜に支えられ続けていくだろう。
ボクの中の杏菜は大切な存在だ。これからもずっと。
そして思い焦がれていた彼女が、今ボクの目の前にいる。
「優哉………」
久しぶりの彼女は相変わらず積極的で、こんな時だってボクは杏菜のペースだ。
あっという間に服を脱いだ杏菜に、モタモタしているボクは逆に脱がされてしまう。
「んん……」
ひたすらにキスをした。
彼女の存在を確かめたくて、手を伸ばして感触を確かめる。
肌と肌が触れ合う温かさ。
唇の艶かさや、杏菜の腕の柔らかさ…どれも確かな現実なのに、ドキドキが頭のてっぺんまで響いてピンとこない。
杏菜を抱くときはいつもそうだ。
『夢』を抱いているみたいだった。
抱いてるときだけじゃない、彼女と過ごしていた時間全てが、ボクにとっては『夢』だった。
夢を確かめ、夢を触る、夢じゃないと実感できるのが、唯一、自分の中に残る想いだ。
彼女の中にボクがいる。
「ああ……」
思わずため息が漏れてしまう。
「あぁっ…優哉……」
薄目を開けてボクを見つめてくる杏菜。
その表情を見るだけで、ボクの体の中心に一気に熱が集まる。
(だめだ……)
ボクは体が欲するまま、抗わずに果てた。
着替えて、時々杏菜と一緒に行っていたファミリーレストランに入った。
タクシーの中での爆発的な欲情はだいぶ治まって、今はさっきよりも落ちついた気持ちで杏菜を見ることができる。
「ここも久しぶり……」
杏菜が懐かしそうに周りを見渡す。
ボクは彼女の残像を求めるように、ここにも何度も来ていた。
もしかしたら会えるかもしれないという一分の望みを胸に、ボクは彼女と過ごした色々な場所に一人でまわった。
「………」
改めて感慨深くなる。
キョロキョロするたびに、杏菜のやわらかい髪が揺れる。
外が寒いのにここは暖かくて、彼女の頬は真っ赤だ。
(やっぱり……カワイイなあ…)
ボクはしみじみと杏菜を見つめた。
目が合うと、彼女もニコニコと笑い返してくれる。
どこにでもあるファミレス。
何気ない日常。
彼女がいるだけで全てが変わる。
(好きだ……)
胸の奥からジーンとこみ上げる。
だけどその気持ちを、もう隠さなくてもいいんだ。
「優哉」
「ん?」
食事も終わって、フリードリンクで2杯目のコーヒーを持って席についたところだった。
「本当に、ごめんね……色々」
「ううん、杏菜とまた一緒にいられるだけで、ボクはすごく嬉しい」
こんな言葉がスラスラと出てしまうようになった自分に驚いてしまう。
だけど、それが嘘偽りのない気持ちで、実際それ以外の言葉が考えつかなかった。
「……ありがと」
すねる様な仕草を見せる彼女。
いつも強気そうなのに、時々折れてしまいそうな弱さがある。
そんなところも、ボクにとっては魅力だった。
「こんな風にしていられるのも、姉さんのおかげかも……」
「あのお姉さん?」
昼間に会った怖い感じを思い出す。
「あの人、父と並ぶぐらいの強欲で」
「……」
「うちって、兄弟が多いんだ…。あの人は本妻の娘なんだけど」
(ってことは、一夫多妻って事……?)
現代の日本で、それは……と思ったけれど、あの家なら頷けた。
「あの人って、邪魔者は排除して、自分に利益のある人間を側に置きたいっていうのがハッキリしてるのよね」
「ふうん……」
「私は結局逃げて役に立たなかったから、…もう邪魔でしかなかったみたい」
「なんで……」
ずっと気になっていた事だった。
「なんで、……何から逃げて来たの?」
聞きたいことは沢山あった。
杏菜の事、ボクは知らないことが多すぎる。
というか、ほとんど何も知らなかった。
「……結婚させられそうになって…、もの凄くイヤなジジイと」
「………そんなベタな」
思わず口をついて出てしまう。
「そうだよね」
杏菜は笑った。
「だけど本当にイヤだったの。だって一生だよ?
一生好きでもない…っていうか大嫌いな親父にさ…ヤラれちゃうんだよ?」
口調はヘラヘラしていたけれど、杏菜の目は笑っていなかった。
「処女だったのに……まあ、結局逃げても同じ様な目にあうんだけど…」
「………」
出会った時の自暴自棄だった杏菜を思い出す。
『別に、してもいいよ』
と言った言葉、乾いた悲しげな瞳が浮かんだ。
あの時とは、随分風貌も表情も変わったなと改めて思う。
ボクの目の前でフラフラと倒れこんだ女の子。
暗い道、横断歩道の太いボーダーの背景に、金色の髪と細い腕。
今でもハッキリと思い出せる。
彼女の変化を、改めて思い知った。
「誰も私の幸せなんて、望んでなかった。家族はそれぞれが自分の得ばっかり考えてて」
「杏菜…」
「とりあえず家を出たけど、家を出たって何も変わらなかった」
「……」
「私を利用しようとする人しかいなかった…」
「ボ、ボクは違うよ!」
思わず声を張ってしまった。
「うん、分かってる…」
杏菜の表情が緩む。
ボクを見つめる瞳は温かで、最初の頃に感じた空虚さはなかった。
強い目で、警戒するようにこちらをグっと見る、あの感じは今ではほとんどない。
今日会った『姉さん』にそれを感じたけど、そう考えれば彼女も杏菜と同じような気持ちを抱えているのかも知れない。
「ボクは杏菜の幸せを望むよ」
「………」
「ぜ、ぜ……絶対、杏菜の幸せを…望むよ…」
『君を幸せにする!』と言い切れないところがボクのヘタレさだ。
おまけに小声になってるし。
「……………」
杏菜はうつむくと、泣いてしまった。
今すぐ彼女の横に行って、ギュっと抱きしめたかった。
だけどここはファミレスで、ただでさえダメなボクは公然と行動できなかった。
彼女が落ち着くのを待って、ボクたちは店を出た。
静かな部屋に、古いエアコンが暖気を出す音が響く。
ベッドに二人で腰掛けた。
「………」
杏菜と出会ってから起こった出来事、ボクはそれをここで一人で何度も心で反芻した。
忘れたいと思った時もあった。
それでも忘れられなくて忘れたくなくて、何度もこの場所で、持て余してしまう杏菜への想いを引き裂かれるような気持ちで握り締めた。
部屋に目をやるとフィギュアの並んだ棚の前に、杏菜が送ってきたダンボールが積まれている。
彼女がここにいる事を、じわじわと実感する。
「ごめん、泣いたりして…」
そういう杏菜の息はまだ泣いたままだった。
再会してからの彼女は泣いてばかりだったけれど、そんな風にボクに心を開いてくれてるのも嬉しかった。
守りたい、と心の底から思う。
ボクも『男』なんだ。
彼女のためになら、ボクでも強くなれる。
杏菜がボクに強さをくれた。
何もできないボクだけど、彼女への想いが全ての原動力になる。
「ボクは、ずーっと杏菜の事が好きだよ」
「……」
「もし杏菜がボクをキライになっても、もし世界中が杏菜をキライになっても、…ボクは杏菜の事が好きだ」
「優哉…」
「それだけは、絶対、約束できる」
ボクは自分の言葉に頷いた。
「………」
杏菜が涙のいっぱい溜まった大きな目でボクを見た。
「じゃあ、」
彼女の声が震える。
「じゃあ、私はずっと幸せでいられるね」
音を立てて花が開くような笑顔で、杏菜は大粒の涙を零した。
それが神々しいぐらい美しくて、ボクはまた彼女に光を見た。
「絶対に…」
ボクは杏菜の背中に手を回した。
髪の甘い匂い、華奢な腰。
震えるように息をする、杏菜。
小さな彼女を、もっと強く抱きしめた。
この腕の中にあるのは、何よりも大切なもの。
何と引き換えてでもいいと思っていた、欲しくてたまらなかったもの。
ボクの未来、そのものだ。
〜LOVERS(ラバーズ)〜終わり