ラブで抱きしめよう

9☆ センター試験

   
年が明けた。
元旦には近所のマイナーな神社に涼子ちゃんと二人で行った。
涼子ちゃんは真剣に合格祈願してくれて、
オレはますます自分へのプレッシャーを高めた。
とりあえず、絶対合格したい。
で、この生活から開放されて、
で、涼子ちゃんと会えなかった去年の分まで、今年は一緒にいるんだ。
去年20歳になった涼子ちゃんは本当にホントに美しかった。
これがオレの彼女だと思うと凄く誇らしい反面、やっぱり凄く心配だっていうのが本音だ。

涼子ちゃんの成人式の日は、さすがにセンター試験前だから会えない。
だから月末に、改めて約束したんだ。
涼子ちゃんは、成人式なんて行かないって言ってた。
なんとなくオレはほっとする。
着物なんかで式典なんて出られたら、いてもたってもいられなくなってしまうから。
だけど着物姿の涼子ちゃんって、すごく見てみたい。


「おー…あとちょっとだな。しんどいぜ」
須賀が冬の模試の結果を見て言う。
「ホントにいよいよって感じだな」
来週に迫ったセンター試験で、予備校の教室も心なしか緊張感が高まっていた。
「藤田くん、会場どこ?」
堀内がオレに聞いてきた。
「K大」
「うそ!私も…!会場で会えちゃったりしてね」
「そしたら激励してくれよー……もうホントマジで。堀内の方がオレよりも成績いいんだから」
オレは笑って答えたが、マジの部分は本気だった。


センター試験の前日、涼子ちゃんから電話がかかってきた。
『あー、太郎くん?どぅお〜?』
「うーん頑張るしかないよ。もう、今更ジタバタしても、な…」
涼子ちゃんの声の後ろで、賑やかな音が聞こえる。
「涼子ちゃん、外?」
『うん、…バイトの人たちとゴハン食べてるとこ…』
そういえば声色もいつもと違う気がする。
「飲んでる?」
『ちょっとだけね…。でも太郎くんの事がどうしても気になって』
いいなあ学生は…。と、オレは本気で思った。
涼子ちゃんの今の状況と、このオレの状況の違い。
特に明日に試験を控えてオレは少しナーバスになってた。
「んじゃ、切るよ。…電話ありがとな」
オレの声はそっけなかったかもしれない。
『うん、…またね、…太郎くん、ホント頑張ってね』
(頑張るさ…)
オレは思いながら電話を切った。

切った後で、ちょっと冷たかったかなと思った。
ただ、ほんの少しだけど、涼子ちゃんの後ろの喧騒に、
嫉妬にも近いような苛立ちを感じてしまった。
せっかく涼子ちゃんが電話くれたのに。

オレは何となくモヤモヤする。
もう一度涼子ちゃんにリダイアルしたけど、もう電波が繋がらなかった。

その日の夜中、涼子ちゃんからメールが来た。
『太郎くん頑張ってね、応援してるよ』
涼子ちゃんらしい可愛い言葉が並んでいた。
彼女がオレを気遣ってくれること、オレはそれに少し甘えていた。
もっと彼女を甘えさせてあげられるような男になりたい、とオレは思う。
それにはもっと時間が必要だった。


センター試験当日になり、試験の時間はあっという間に過ぎる。
駅は凄い人だった。
とりあえずオレはほっとして、昨日の分まで涼子ちゃんと話したかった。
今から会えるなら、これから涼子ちゃんを誘おう。
携帯を開いて、涼子ちゃんの短縮番号を押そうとしたその時、

「藤田くん?」

声の方を見ると、堀内がいた。
「あぁ……堀内?」
ホームの人ごみを分けて、彼女が近付いてくる。
「やだー。ホントに会っちゃうなんて!ウソみたい…」
堀内は本当に嬉しそうにしていた。
試験が終って気が抜けていたせいもあるかもしれない。
オレも堀内の顔を見て、少し安心した。
受験生同士、当事者でないと分からない苦労ってある。
オレは携帯を閉じた。

「どうだった?」
先に聞いてきたのは堀内の方だった。
「あー…、まあまあかな」
オレは答えた。
「まあまあって事は、悪くなかったって事だよね。良かったねぇ」
堀内は笑顔で言ってくる。
その顔を見ると、彼女も結構試験はできたんだろう。
「堀内は、良さそうだな」
「うーん。それこそ、まあまあだよ」
二人で笑ってしまう。
「今この場で笑い合えるなんて、余裕だよなオレ達」
大きな失敗しないで良かったと、つくづく思う。
「結果見るまでは、分からないけどね」
堀内が答えた。
オレは小柄な彼女を見て言った。
「どっかで、お茶してく?」
「うん」
堀内はさっきよりもずっと嬉しそうに答えた。


オレはほっとして腹が減った来たので、二人でファミレスに入った。
「小百合…あの、須賀くんと付き合ってる子、…」
「あぁ?」
「小百合が言ってたよ。ラブラブなんだって」
堀内はホットでロイヤルミルクティーだけを頼んでた。
紅茶を牛乳風味にするっていうの、凄くオンナ的な発想だなっていつも思う。
オレはパスタにアイスコーヒーを頼んだ。
「”ラブラブ”ねぇ…」
須賀は女と付き合いだすと、途端に口が堅くなる。
新しく彼女にしたF女の子の事も、今ではほとんど話題に出さない。
「藤田くんのとこも……ラブラブ?」
上目遣いで堀内が聞いてくる。
『ラブラブ』っていう表現もオンナ的で、男のオレは口に出すのも結構恥ずかしい。
まして自分の事となると尚更だ。
「まあ……そんなとこかな」
適当に答えておく。
堀内の表情が曇る。
この会話の展開、絶対読めてたはずなのに。
なんか自虐的な質問だよな、ってオレは思う。

「藤田くんは、W大受けるんでしょ?」
「あぁ……堀内も受けるんだよな」
「うん。…でも藤田くんと受ける学部が違うね」
「オレは色々だし…二部も受けようかなと思ってるし」
「ふーん…。私も付属の推薦蹴ったし、ホント受験頑張らなきゃ」
ちょっとしんみりする。
「だけど、もうすぐだし」
オレは気を取り直して言った。堀内が答える。
「そうだね…ねえ、たまにさ、体動かしたくならない?
バスケとか、猛烈に恋しくなったりしない?」
「すっごいしたくなるよ…。半年ちょっと前までは現役だったのになぁ…」
オレはため息をついた。
「藤田くんのバスケしてるとこ、見てみたかったな…」
そう言う堀内の真っ直ぐな視線から、オレは思わず目を反らしてしまった。


店を出る頃には、真っ暗になっていた。
「寒いな…。夜は……」
オレは着てたジャンバーの前を閉じた。
駅まで向かう道、彼女の歩みが凄く遅い。
女心がわからないオレでも、堀内の気持ちはさすがに分かる。

「堀内、…オレさぁ…」
言いかけたとき、言葉を遮られる。
「ねぇっ、……ねぇっ、…藤田くんっ…」
ひっくり返りそうな声で、堀内が言った。
「な、……何っ?」
オレまでヘンな声になってしまった。
「あのさ、…あのねっ、…あの、……その…」
「……なに?」
堀内が完全に立ち止まる。
駅まではあと少し。
街は年明けの雰囲気をまだ残していて、慌しく行き交う人で溢れていた。
「あのねっ!」
急に堀内がオレの手を握る。
オレはすっごいビックリしてしまう。

「お願いっ……。あ、……あたしを、…抱いてっ」

「はぁっ?!」
歩道は人が流れていた。
こんな目立つ所で、こんな大それた告白されて、…オレは正直困った。
「ちょっ…、ちょっと堀内!」
オレはそのまま彼女の手を引っ張って、近くのオフィスビルの入り口の方へ寄った。
(何言ってるんだよ、突然…)
オレの本音だ。
「あのなぁ、オレ達は受験生だろ?」
諭すように、オレは下を向いている堀内に言った。
(そういう問題じゃないな…)
言った後に、オレは思った。
少し屈み込んで堀内の顔を見ると、彼女はこれ以上はムリっていうぐらい真っ赤になっていた。おまけに泣きそう。
(そんな事言われても、……マジで困るって)
堀内はきっと本気で言ってきてるんだろう。
何を言っても傷つけてしまいそうで、オレは言葉を選ぶのに苦労した。

「…オレら、付き合ってるワケじゃないだろ?」
「………」
黙って堀内は頷く。
近寄ると、真っ黒な髪はいい匂いがする。
「そういうのって、…ちゃんと、好きなヤツとする事だよ」
自分でもまずい事言ったと思った。すぐに堀内が言葉を返してくる。
「あたし、…藤田くんが好きだもん」
(そんなハッキリと言い切られても……)
もう仕方がなかった。

「オレ、……付き合ってる彼女の事、最高に好きだし…
堀内とそういう風になるの、ムリだよ」

堀内は泣いていた。
泣かれても、オレは困る。
「分かってるもん。でも、いいんだもん」
そんな言い方されたって、オレは困る。
堀内は、初めてハッキリとオレを見て言った。
「お願い、……今日だけで、いいの…。
藤田くんのことが好きで……勉強も、手につかないの…
諦めるから、…一度だけ……お願い…」
そんなこと言われても、オレは困るって。
だけど断る言葉が思いつかない。
こんな時、もっと文系的に賢かったらと思う。
須賀みたいに場数を踏んでいればと、思う。

「オレ、彼女の事が好きなんだよ」

オレはそう言うしかなかった。
堀内は可哀想になるぐらい悲しい目でオレを見た。
「分かってるよ…」
小さな声で言った。
「……今日、まさか会えるなんて思わなかった……
運命かもって……思わずにいられなかった……」
堀内の瞳からボロボロ涙が出てくる。
ドラマを見てるみたいに、なんだかオレまで切ない感情が移ってくる。

「お願い、今日だけでいいの…絶対、ちゃんと忘れるから……」
(って、絶対堀内、処女だろ?)
「そんな事、軽々しく言っていいのか?…堀内、そんな事したことあるの?」
寒いのに、オレは手に汗をかいていた。
堀内がオレを見上げる。
「ないよ!……だから、…余計に……藤田くんがいいのっ…
藤田くんと、…初めてがしたいのっ……」
堀内、凄いこと言ってるよなって、オレは思った。
「そんな事言われてもさ……」
彼女の勢いに、オレはしどろもどろになってきた。
堀内が体育会系っていうの、この押しの強さでちょっと理解できる。
「お願い〜……、このままじゃ、……あたしダメになりそうなの。
藤田くんのことばっかり考えて、…受験なのに……
お願いっ、……藤田くんっ……無茶言ってるのは、分かってる…」
オレはこんなにハッキリと女の子に誘われた事もなかったし、 ここまで粘られたこともなかった。

何度かやりとりを繰り返し、オレも断る言葉のネタが尽きてくる。
堀内は真剣で、おまけに今日は凄く意思が強い。
絶対引く気がないっていうの、ヒシヒシと伝わってくる。

…って、そういう問題じゃない。
オレがハッキリと断れば(というか断ってるつもりなんだが)済む事だ。
毅然として。


しばらく涼子ちゃんとセックスしていなかった。
受験勉強で、ストレスが溜まっていた。
とりあえずセンター試験が終った。
オレの目の前には堀内がいて、凄い勢いでオレに迫ってきてる。
堀内のこと、恋愛対象として考えた事はなかった。
だけど、キライな子じゃない。
そして、今目の前で真剣にオレを見る泣いた顔の彼女は、
正直すっごく可愛かった。

 

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