年が明けた。
元旦には近所のマイナーな神社に涼子ちゃんと二人で行った。
涼子ちゃんは真剣に合格祈願してくれて、
オレはますます自分へのプレッシャーを高めた。
とりあえず、絶対合格したい。
で、この生活から開放されて、
で、涼子ちゃんと会えなかった去年の分まで、今年は一緒にいるんだ。
去年20歳になった涼子ちゃんは本当にホントに美しかった。
これがオレの彼女だと思うと凄く誇らしい反面、やっぱり凄く心配だっていうのが本音だ。
涼子ちゃんの成人式の日は、さすがにセンター試験前だから会えない。
だから月末に、改めて約束したんだ。
涼子ちゃんは、成人式なんて行かないって言ってた。
なんとなくオレはほっとする。
着物なんかで式典なんて出られたら、いてもたってもいられなくなってしまうから。
だけど着物姿の涼子ちゃんって、すごく見てみたい。
「おー…あとちょっとだな。しんどいぜ」
須賀が冬の模試の結果を見て言う。
「ホントにいよいよって感じだな」
来週に迫ったセンター試験で、予備校の教室も心なしか緊張感が高まっていた。
「藤田くん、会場どこ?」
堀内がオレに聞いてきた。
「K大」
「うそ!私も…!会場で会えちゃったりしてね」
「そしたら激励してくれよー……もうホントマジで。堀内の方がオレよりも成績いいんだから」
オレは笑って答えたが、マジの部分は本気だった。
センター試験の前日、涼子ちゃんから電話がかかってきた。
『あー、太郎くん?どぅお〜?』
「うーん頑張るしかないよ。もう、今更ジタバタしても、な…」
涼子ちゃんの声の後ろで、賑やかな音が聞こえる。
「涼子ちゃん、外?」
『うん、…バイトの人たちとゴハン食べてるとこ…』
そういえば声色もいつもと違う気がする。
「飲んでる?」
『ちょっとだけね…。でも太郎くんの事がどうしても気になって』
いいなあ学生は…。と、オレは本気で思った。
涼子ちゃんの今の状況と、このオレの状況の違い。
特に明日に試験を控えてオレは少しナーバスになってた。
「んじゃ、切るよ。…電話ありがとな」
オレの声はそっけなかったかもしれない。
『うん、…またね、…太郎くん、ホント頑張ってね』
(頑張るさ…)
オレは思いながら電話を切った。
切った後で、ちょっと冷たかったかなと思った。
ただ、ほんの少しだけど、涼子ちゃんの後ろの喧騒に、
嫉妬にも近いような苛立ちを感じてしまった。
せっかく涼子ちゃんが電話くれたのに。
オレは何となくモヤモヤする。
もう一度涼子ちゃんにリダイアルしたけど、もう電波が繋がらなかった。
その日の夜中、涼子ちゃんからメールが来た。
『太郎くん頑張ってね、応援してるよ』
涼子ちゃんらしい可愛い言葉が並んでいた。
彼女がオレを気遣ってくれること、オレはそれに少し甘えていた。
もっと彼女を甘えさせてあげられるような男になりたい、とオレは思う。
それにはもっと時間が必要だった。
センター試験当日になり、試験の時間はあっという間に過ぎる。
駅は凄い人だった。
とりあえずオレはほっとして、昨日の分まで涼子ちゃんと話したかった。
今から会えるなら、これから涼子ちゃんを誘おう。
携帯を開いて、涼子ちゃんの短縮番号を押そうとしたその時、
「藤田くん?」
声の方を見ると、堀内がいた。
「あぁ……堀内?」
ホームの人ごみを分けて、彼女が近付いてくる。
「やだー。ホントに会っちゃうなんて!ウソみたい…」
堀内は本当に嬉しそうにしていた。
試験が終って気が抜けていたせいもあるかもしれない。
オレも堀内の顔を見て、少し安心した。
受験生同士、当事者でないと分からない苦労ってある。
オレは携帯を閉じた。
「どうだった?」
先に聞いてきたのは堀内の方だった。
「あー…、まあまあかな」
オレは答えた。
「まあまあって事は、悪くなかったって事だよね。良かったねぇ」
堀内は笑顔で言ってくる。
その顔を見ると、彼女も結構試験はできたんだろう。
「堀内は、良さそうだな」
「うーん。それこそ、まあまあだよ」
二人で笑ってしまう。
「今この場で笑い合えるなんて、余裕だよなオレ達」
大きな失敗しないで良かったと、つくづく思う。
「結果見るまでは、分からないけどね」
堀内が答えた。
オレは小柄な彼女を見て言った。
「どっかで、お茶してく?」
「うん」
堀内はさっきよりもずっと嬉しそうに答えた。
オレはほっとして腹が減った来たので、二人でファミレスに入った。
「小百合…あの、須賀くんと付き合ってる子、…」
「あぁ?」
「小百合が言ってたよ。ラブラブなんだって」
堀内はホットでロイヤルミルクティーだけを頼んでた。
紅茶を牛乳風味にするっていうの、凄くオンナ的な発想だなっていつも思う。
オレはパスタにアイスコーヒーを頼んだ。
「”ラブラブ”ねぇ…」
須賀は女と付き合いだすと、途端に口が堅くなる。
新しく彼女にしたF女の子の事も、今ではほとんど話題に出さない。
「藤田くんのとこも……ラブラブ?」
上目遣いで堀内が聞いてくる。
『ラブラブ』っていう表現もオンナ的で、男のオレは口に出すのも結構恥ずかしい。
まして自分の事となると尚更だ。
「まあ……そんなとこかな」
適当に答えておく。
堀内の表情が曇る。
この会話の展開、絶対読めてたはずなのに。
なんか自虐的な質問だよな、ってオレは思う。
「藤田くんは、W大受けるんでしょ?」
「あぁ……堀内も受けるんだよな」
「うん。…でも藤田くんと受ける学部が違うね」
「オレは色々だし…二部も受けようかなと思ってるし」
「ふーん…。私も付属の推薦蹴ったし、ホント受験頑張らなきゃ」
ちょっとしんみりする。
「だけど、もうすぐだし」
オレは気を取り直して言った。堀内が答える。
「そうだね…ねえ、たまにさ、体動かしたくならない?
バスケとか、猛烈に恋しくなったりしない?」
「すっごいしたくなるよ…。半年ちょっと前までは現役だったのになぁ…」
オレはため息をついた。
「藤田くんのバスケしてるとこ、見てみたかったな…」
そう言う堀内の真っ直ぐな視線から、オレは思わず目を反らしてしまった。
店を出る頃には、真っ暗になっていた。
「寒いな…。夜は……」
オレは着てたジャンバーの前を閉じた。
駅まで向かう道、彼女の歩みが凄く遅い。
女心がわからないオレでも、堀内の気持ちはさすがに分かる。
「堀内、…オレさぁ…」
言いかけたとき、言葉を遮られる。
「ねぇっ、……ねぇっ、…藤田くんっ…」
ひっくり返りそうな声で、堀内が言った。
「な、……何っ?」
オレまでヘンな声になってしまった。
「あのさ、…あのねっ、…あの、……その…」
「……なに?」
堀内が完全に立ち止まる。
駅まではあと少し。
街は年明けの雰囲気をまだ残していて、慌しく行き交う人で溢れていた。
「あのねっ!」
急に堀内がオレの手を握る。
オレはすっごいビックリしてしまう。
「お願いっ……。あ、……あたしを、…抱いてっ」
「はぁっ?!」
歩道は人が流れていた。
こんな目立つ所で、こんな大それた告白されて、…オレは正直困った。
「ちょっ…、ちょっと堀内!」
オレはそのまま彼女の手を引っ張って、近くのオフィスビルの入り口の方へ寄った。
(何言ってるんだよ、突然…)
オレの本音だ。
「あのなぁ、オレ達は受験生だろ?」
諭すように、オレは下を向いている堀内に言った。
(そういう問題じゃないな…)
言った後に、オレは思った。
少し屈み込んで堀内の顔を見ると、彼女はこれ以上はムリっていうぐらい真っ赤になっていた。おまけに泣きそう。
(そんな事言われても、……マジで困るって)
堀内はきっと本気で言ってきてるんだろう。
何を言っても傷つけてしまいそうで、オレは言葉を選ぶのに苦労した。
「…オレら、付き合ってるワケじゃないだろ?」
「………」
黙って堀内は頷く。
近寄ると、真っ黒な髪はいい匂いがする。
「そういうのって、…ちゃんと、好きなヤツとする事だよ」
自分でもまずい事言ったと思った。すぐに堀内が言葉を返してくる。
「あたし、…藤田くんが好きだもん」
(そんなハッキリと言い切られても……)
もう仕方がなかった。
「オレ、……付き合ってる彼女の事、最高に好きだし…
堀内とそういう風になるの、ムリだよ」
堀内は泣いていた。
泣かれても、オレは困る。
「分かってるもん。でも、いいんだもん」
そんな言い方されたって、オレは困る。
堀内は、初めてハッキリとオレを見て言った。
「お願い、……今日だけで、いいの…。
藤田くんのことが好きで……勉強も、手につかないの…
諦めるから、…一度だけ……お願い…」
そんなこと言われても、オレは困るって。
だけど断る言葉が思いつかない。
こんな時、もっと文系的に賢かったらと思う。
須賀みたいに場数を踏んでいればと、思う。
「オレ、彼女の事が好きなんだよ」
オレはそう言うしかなかった。
堀内は可哀想になるぐらい悲しい目でオレを見た。
「分かってるよ…」
小さな声で言った。
「……今日、まさか会えるなんて思わなかった……
運命かもって……思わずにいられなかった……」
堀内の瞳からボロボロ涙が出てくる。
ドラマを見てるみたいに、なんだかオレまで切ない感情が移ってくる。
「お願い、今日だけでいいの…絶対、ちゃんと忘れるから……」
(って、絶対堀内、処女だろ?)
「そんな事、軽々しく言っていいのか?…堀内、そんな事したことあるの?」
寒いのに、オレは手に汗をかいていた。
堀内がオレを見上げる。
「ないよ!……だから、…余計に……藤田くんがいいのっ…
藤田くんと、…初めてがしたいのっ……」
堀内、凄いこと言ってるよなって、オレは思った。
「そんな事言われてもさ……」
彼女の勢いに、オレはしどろもどろになってきた。
堀内が体育会系っていうの、この押しの強さでちょっと理解できる。
「お願い〜……、このままじゃ、……あたしダメになりそうなの。
藤田くんのことばっかり考えて、…受験なのに……
お願いっ、……藤田くんっ……無茶言ってるのは、分かってる…」
オレはこんなにハッキリと女の子に誘われた事もなかったし、
ここまで粘られたこともなかった。
何度かやりとりを繰り返し、オレも断る言葉のネタが尽きてくる。
堀内は真剣で、おまけに今日は凄く意思が強い。
絶対引く気がないっていうの、ヒシヒシと伝わってくる。
…って、そういう問題じゃない。
オレがハッキリと断れば(というか断ってるつもりなんだが)済む事だ。
毅然として。
しばらく涼子ちゃんとセックスしていなかった。
受験勉強で、ストレスが溜まっていた。
とりあえずセンター試験が終った。
オレの目の前には堀内がいて、凄い勢いでオレに迫ってきてる。
堀内のこと、恋愛対象として考えた事はなかった。
だけど、キライな子じゃない。
そして、今目の前で真剣にオレを見る泣いた顔の彼女は、
正直すっごく可愛かった。