「詩音、お前ってホントエッチなヤツだな。もう、ここ、ぐっしょ濡れ」
「やぁんっ…セイちゃん……、ち、違うもんっ……」
二人の他には誰もいない大きな家の広いリビング。
7月に入ってから急激に暑さを増した外の陽射しも、冷房を効かせカーテンを閉めている薄暗いこの部屋までは入ってこない。
部屋の真ん中に置かれたソファーの上で、足を広げて座るセイちゃんに後ろから抱きしめられるような格好で、私もまた足を開いて座っていた。
というか、開かされて…?
私の両足はそれぞれセイちゃんの足に乗っていた。
後ろから回されたセイちゃんの手は、私のパンツの中に入っている。
「『違う』って、……こんななのに?」
クチャ、クチャ、クチャッ…
セイちゃんはわざと音を立てる。
「ち、違う、もんっ……、あっ、やんっ…」
本当は、すごく濡らしちゃっていること…分かってた。
セイちゃんの細くて長い指は、いつも私をすぐにダメにしてしまう。
……私とセイちゃん……どうして、こんな事になっちゃったんだろう。
私とセイちゃんは、渡り廊下で繋がった家に住んでいる。
紛らわしいので、住所は少し変えていた。
セイちゃんの家は、3丁目5番地。
うちは、3丁目5番地の2。
セイちゃんちと私の家の関係を簡単に説明すると、雇い主と使用人、だ。
私が生まれる前から、私の両親はセイちゃんの両親の元、住み込みの使用人として働いていた。
『使用人』と言っても、母親は主に家政婦のような掃除洗濯を主としていて、父親は元々シェフだったため料理を担当していた。父はおおまかに夕飯の支度をすると、夜には外のレストランに働きに行ってしまうので、その後は母が引き継いでこの家の仕事をした。
母は某有名料理店に勤務していたほど、ソムリエとしての実力を持ち、そしてその店で父と出会ったという。
セイちゃんのお父さん……堀尾氏ともそのお店で知り合ったようだった。
店の経営に名前を貸していた父は、当時知人に騙されて多額の借金を背負ってしまう。
取り立てや様々なトラブルから、堀尾氏は両親をかくまい、守ってくれたらしい。
その出来事以来、今のように使用人として私たちはこの家の離れに住むようになったのだと、母から聞いた。
――― 私とセイちゃん、小さい頃は本当に仲良しだった。
私たちは、同じ敷地内で姉弟のように育てられた。
堀尾のお父様は今と変わらず当時も仕事がとても忙しかったようで、堀尾のお母様、そして私の両親と、セイちゃんと私の5人は本当の家族のように仲良く暮らしていた。
セイちゃんは弱虫の泣き虫で、私はよくセイちゃんにちょっかいを出しては両親に怒られていたっけ。
セイちゃんのお母様は、私たちが5歳の時に亡くなった。
元々心臓が悪く床に伏される日も多かったのだが、真冬の寒い夜中、急に体調を崩してそのまま帰らぬ人となってしまったのだ。
セイちゃんはすごく泣いてた。
そして私もセイちゃんと同じぐらい、泣いた。
お母様が亡くなってからは、セイちゃんは私のベッドで一緒に眠るようになった。
セイちゃんは本当の家族みたいだった。
私とセイちゃんは毎日一緒に起き、遊び、ごはんを食べて、そしてまた一緒に眠った。
セイちゃんと共に暮らす日々は、私にとってごく当たり前の日常になっていた。
けれど小学校3年生の時にセイちゃんと同じクラスになった時、突然、私はセイちゃんはこう宣言された。
「オレ、もう自分の部屋で寝るから」
それだけなら、良かった。
セイちゃんは続けてこう言った。
「詩音…オレの家に住んでること、誰にも言うなよ。それから学校で、オレにもう話しかけるな」
私はショックだった。
セイちゃんの何が変わって、私の何が変わって、
どうしてセイちゃんがそんな事を急に言うのか、私は全く分からなかった。
ただ、その日を境に、本当にセイちゃんは私と話さなくなってしまったのだ。
(そんなに嫌われるような事、詩音、何かしちゃったのかな…)
セイちゃんの冷たい態度に、私は毎晩のように泣いた。
泣いても泣いても、どんなに日にちが経っても、変わってしまったセイちゃんはそのままで、私も次第にセイちゃんを忘れようと思うようになった。
同じ敷地内に住んでいるのに、食事の時も私とセイちゃんは別の部屋で、顔を合わせることもなくなっていく。
出かける時はセイちゃんは正門から、私は裏門から家を出た。
堀尾家はすごく大きな家だったから、裏門と正門ではまるで違う方へ出る。
いつからか私はセイちゃんと暮らしていることも、あまり意識しないようになっていた。
離れにはちゃんとお風呂が付いていたし、キッチンだって母屋と比べると随分小さかったけれど一応設備されていたから、私は母屋に近付かずに1日を終えることができた。
(セイちゃん……まだ起きてるんだ)
セイちゃんの部屋の明かりを見て、そう思うことはよくあった。
母屋と離れはL字型になっていて、それぞれの2階の角部屋にある私たちの部屋は窓越しに見える。
私は、セイちゃんが今日どんな服を着て学校へ行ったのかも知らない。
それはすごく寂しかったけれど、私はできるだけ考えないようにした。
時折、私の夢に出てくるセイちゃんはすごく優しくて、そんな朝は必ず泣いてしまった。
セイちゃんは高学年からアメリカンスクールへ転校してしまい、私はそのまま地元の小学校を卒業した。
そして私も、中学校からは地元の名門校に行く事になる。
私は小さい頃からの親友・ゆかりちゃんと離れるのがイヤだったのだけれど、日ごろからお世話になっている堀尾氏の強い薦めで、仕方なくそこへ通うことにした。
その学校の大学は共学なのだが、付属校の中学と高校は男子部と女子部に分かれている。
その男子校の方に、セイちゃんも中学から通うことになっていた。
同じ系列の学校と言っても校舎は別棟だったし、セイちゃんと私は、また別々に過ごす日々が続いた。
――― だけど、二度目の大きな転機が来てしまう。
私の母親が亡くなってしまったのだ。
それもまた、冬の寒い日に。
歩道を歩いていた母に、凍結した道路からスリップした車が突っ込んで来たのだ。
あまりにも突然のことに、私は途方に暮れた。
久しぶりに顔を合わせたセイちゃんにも何の反応も示せないぐらい、呆然として現実を受け入れられないでいた。
ショックが大きすぎて信じられなくて、お葬式でも泣けなかった。
母がもうこの世にいないという事実を、どうしても認められなかった。
私の時間は止まったままなのに数日が経ち、父も普段の生活に戻っていく。
私の周りでは今までと変わらない日常が再開される。
ただ、母がいないだけで。
その事実はあまりにも私にとって大きかった。
「詩音、…悪いんだけど、ここ、任せてもいいか?」
大きなパーティーが入り、父はどうしても早く家を出なければいけないという。
堀尾家の食事を私に任せて、父は家を出て行った。
遅く帰ってくる堀尾のお父様は食べないので、実際にはセイちゃん一人分の食事だけだ。
大体の用意を既に父はしておいてくれていて、私が実際にするのはそれを温めて適当に盛り付けるぐらいの簡単な作業。
使用人の家という立場上、私ばかりが何もしないわけにもいかず、仕方なく私は準備を始める。
「お……」
後ろから声がする。
久しぶりの、セイちゃんだった。
「今日、お父さん早くから出ちゃったから……。私がやるね」
覇気のない声だったと思う。
セイちゃんの顔もろくに見ずに、そして関心も持てずに、私は背を向けたままそう言った。
端にあるイスを持ってきて、広々としたキッチンの真ん中に配置された四角い調理台の隅に、セイちゃんは座った。
特に会話も交わさずに、私は黙々と用意をした。
『もう話しかけるな』
という言葉が、急に思い出されてきて私の中にまた違った悲しさが甦る。
(セイちゃんは覚えてるのかなあ…)
「詩音」
ビクン。
突然名前を呼ばれて、私は驚いて一瞬体が跳ねてしまった。
「おばさんのこと……」
「えっ……」
母のことを言われ、私は戸惑った。
「……オレも、すげえ悲しい」
「セイちゃん…」
見ると、セイちゃんは懸命に涙を堪えていた。
自分のお母さんが死んで、(私はセイちゃんのことはもう分からなかったけど)本当の母親のように慕っていた私の母が亡くなって、セイちゃんにとっては母親が二度死んだようなものなのだろう。
セイちゃんは見ているこっちが辛くなるぐらい、体中悲しみに溢れていた。
母のお葬式のときも後も、私とセイちゃんはまともに話をしていなかった。
「泣かないで……」
私は思わずセイちゃんに歩み寄った。
「詩音」
セイちゃんは顔を上げて、グっと私を睨むように見た。
その気配の強さに圧倒されて、私はその場に立ちすくんでしまう。
「オレは、……お前の気持ちが、痛いほど分かる…」
セイちゃんは立ち上がった。
「セイちゃ……」
私はセイちゃんに抱きしめられた。
「涙が出てなくても……、お前の中身がすげえ泣いているのが分かる…」
「セイちゃん……」
意外な言葉にびっくりするのと同時に、なんだか自分の心にヒビが入ってそこから堪えていた何かが溢れ出してくる。
「詩音………、辛いよ……」
私を抱きしめるセイちゃんの腕に、ギュっと力が入る。
「セイちゃん……ううっ、……う、うわぁんっ……」
私はセイちゃんの腕の中で、号泣してしまった。
母が死んでから、初めての涙だった。
それから嘘みたいに、セイちゃんと私の間にあったわだかまりは一気に溶けていった。
「どうして、『話しかけるな』なんて、あの時言ったの?」
二人きりで食事をするリビング。
ずっと思っていたそのことを、ある日私はセイちゃんに聞いてみた。
「……たぶん、その頃色んなヤツに、お前のことひやかされてたからだと思う…」
「でもっ……私は傷付いたんだよ?すごく……」
「…わーるかったな」
セイちゃんは薄い唇を尖らせて、すねるみたいに言った。
(セイちゃん、だいぶ男っぽくなったなあ……)
久しぶりのセイちゃんの、大人っぽくなったその姿に、私はただただ感動してしまう。
「なんだよ、…ボーっと見てんなよ」
セイちゃんは手を伸ばして、私の鼻先を指でピシっとした。
「ああーっ、痛いっ!ひ、ひどいっ…セイちゃんっ!」
私の反応を見て、セイちゃんは意地悪に笑うと自分の部屋へ戻った。
私はセイちゃんとまた話せるようになって、母への悲しみも次第に癒えていった。
それはきっとセイちゃんも同じだったんだと思う。
セイちゃんと一緒にいることは、私にとって大事で、きっとセイちゃんもそうに違いなかった。
また姉弟みたい(逆?)な感じで、私とセイちゃんは会えば下らないことを言い合って、お互いを突っつき合っていた。
不思議な事にセイちゃんのことは好きだったけれど、その気持ちは幼い頃のものとあまり変わらない。
それはセイちゃんもそうらしく、私のことは全然女の子として扱ってはくれなかった。
そして以前のように仲良くなっても、セイちゃんの家に私が住み込みでいる事は他の友人には内緒のままでいようとお互いに約束した。
私は全然知らなかったのだけれど、セイちゃんはすごく女子部の方で人気があるらしい。
ファンクラブみたいなのまであって、同じクラスの女子がセイちゃんを帰り道に待ち伏せする計画を教室の隅で立ててるのを目撃してしまった。
そんな子たちに、実際には離れてるけど一緒に住んでるのがバレたら…と考えると怖くなってくる。
結局…私とセイちゃんは、外では今までどおり他人としてふるまう事で意見が一致した。
高校に入ってからは、女子部と男子部の校舎が更に近付いて、食堂は共有のスペースになって行事も合同でやる機会がぐっと増えた。
セイちゃんは男子部の中でもイケメンの上にお金持ちという事で、女子の間ですぐに有名人になってた。
「あっ……!堀尾くんだ!……きゃあっ!」
食堂でセイちゃんを見つけた女子たちが騒いでる。
「征爾くんって、一緒にいるお友達も素敵よねぇ……」
セイちゃんを含む何名かの男子の集団を見て、女子たちが密かに色めき立ってた。
細身の体に、無造作に長い前髪。
ふと周りを見回す目つきは鋭いのに甘くて、そしてどこか陰がある。
とりまきに言わせると、そこがたまらなくいいんだとか。
(はあ……すごいなあ、セイちゃん)
皆のアイドルになってるセイちゃん。
いつの間にか私なんかの手の届かない存在になってしまってる。
(でも、元から違うかぁ……)
私は溜息をついた。
セイちゃんはあの堀尾家の正当な後継ぎで、私はその家の使用人の娘。
もひとつ言うと、母亡き今、私は週末には堀尾家の家事手伝いをする身分。
(そうなのよね……)
この中学だって高校だって、学費のほとんどを堀尾家が出してくれている。
堀尾のお父様が私のことを娘のように扱ってくれているから、私はここへ通うことができているのだ。
『堀尾家との関係を言うな』と言っていたセイちゃんの言葉の意味が、高校生になってみてしみじみと身に染みた。
この学園に通う女の子たちの家は皆裕福で、私がただの使用人だと知れば軽蔑するようなタイプの子ももちろんいる。
その上、……よりによって雇い主が学園のアイドル、堀尾征爾の家だなんて。
普通に学園生活を送るためにも、私はセイちゃんの事は口に出すまいと心に決めていた。
高校に入ってからセイちゃんは友達をよく家に連れてきていたけれど、そんな時はセイちゃんからメールが来て、私は自分の部屋から出ないように気をつけた。
すごくモテるという評判どおり、色んな女の子を連れ込んでるのを何となく悟るときもあった。
だけど私の堀尾家の生活は至って平穏で、母屋を避けていた以前よりもずっと快適に過ごせるようになっていた。
セイちゃんとの関係も、至って良好だった。
高校生活も無事もなく順調に1年が経ち、4月になって私たちは2年に進級した。
私の運命を大きく変える第3の転機がもうすぐ来るなんて、その時は考えもしていなかった。