ベイビィ☆アイラブユー

ドキドキ編 ☆☆ 2 ☆☆

   

リビングから続いているサンルームの、縦型の白いブラインドを私は開いていく。
ゴールデンウィークも過ぎて内門沿いに植えられた桜の木も色を変え、新しい緑色が庭中に眩しい。
サンルームの窓のすぐ外では、先日庭師に手入れされたばかりの芝生がキラキラとしていた。
この場所は明るいし庭がよく見渡せて、この家の中でも私の一番好きな場所だ。

「よう、早いな」

「おはよう、セイちゃん」

振り向くと、寝起き頭でスエット姿のセイちゃんが立っていた。
こんな姿、学校のセイちゃんファン達が見たらどう思うだろう。
「オヤジ、もう出たの?」
「ゴルフだって……今日、陽射し強そうなのにね」
「アイツはゴルフバカだから」
そう言いながらセイちゃんはキッチンへと消えていく。
私はリビングの窓を開けて回る。
まだ母が生きていた頃に全体を白っぽく改装したこの部屋。
サンルームからの光を受けてリビングも明るさを戻す。

キッチンからペットボトルを持って出てきたセイちゃんは、私をじっと見ていた。
頭がボサボサでも、元がカッコいいセイちゃんはやっぱりカッコよかった。
「なぁに?」
「詩音もだいぶ女っぽくなったじゃん」
セイちゃんはニヤニヤしながら、私を上から下まで見た。
「えっ?えっ?えっ?」
突然そんなことを言われて、私は何と答えていいのか分からない。

「どうせお前、処女だろ?なんならオレがもらってやってもいいぜ?」

「ええっ……」
(そんなっ、そんなっ)
「なあ、一回ぐらい、やらせろよ」
(ハっ!)
セイちゃんが思いのほか近付いていて、私はビュンと一歩下がる。

「ヤダヤダヤダッ!!セイちゃんのバカ!バカ!バカ!」

私は廊下で繋がった自分の家へ向かって、バタバタと走り去った。


自分の部屋に戻っても、心臓のバクバクは収まらなかった。
(えっ、ええっ……なんでセイちゃん、急にあんなこと……)
今まで、そんなセクハラみたいなこと言った事なんてないのに。
おまけにあんなことを言った時のセイちゃんの目つきが何だかエッチで、それは私が見たことのない表情だった。
「やらせろよ、…って」
(もうー!もうっ!セイちゃんのバカバカバカバカ!不良!)
土曜日の朝から、私の出鼻は挫かれた。
「はあ……もうっ…」
母が亡くなってから雇いの家政婦さんが平日に何日か来てくれていたけれど、土日は主に私が堀尾家の家事をしていた。
「あーあ……もう、セイちゃん、どういうつもり?」
堀尾家の洗濯機も回しっ放しだ。
私は渋々母屋に戻り、セイちゃんの顔を見ないように注意して動いた。


確かに私は処女だった。
セイちゃんはそれなりに経験があるんだろうなってことは、何となく分かってる。
だけどだけど、(一応)一つ屋根の下に住んでいるからって私に迫ってくるなんて!


次の日。
「昨日の…冗談だよ、詩音」
「ハっ!」
庭の隅でパパが作っている家庭菜園に水をあげていた。
セイちゃんが真後ろに来ていることに、私は全く気が付かなかった。
「面白いな、お前の反応」
「やっ!からかわないでよぅ!…そういう冗談は苦手です!」
「はははは」
意地悪な子どもみたいに無邪気に、セイちゃんは笑った。
「そういう事だから、真に受けてオレを避けないように」
ポンポンと私の肩を叩くと、鼻歌交じりで家に戻っていった。
一人残された私は、セイちゃんが叩いていった肩を触って溜息をつく。
「ひどいなぁ…もう」
私、セイちゃんには最近なんだか遊ばれてる気がする。


月曜が来て、私はいつものようにセイちゃんとは違う方向から学校へ通う。
教室に入り席に着くと、クラスメートの会話が耳に入ってくる。
「週末、オペラ鑑賞に行ってきたわ」
「まあ!私はお天気が良かったから彼氏と蓼科までドライブしたの」
例によっての自慢合戦。
だけどそれに悪意がないところが、本当のセレブ予備軍なんだろうなと私は思う。
お嬢様学校に入って今年で5年にもなるのに、私はどうもここの雰囲気に馴染めなかった。
私にとってクラスのお友達は皆その場しのぎで、学年が変わってしまうと廊下で挨拶するぐらいになってしまう。
結局、私にとって友達と言えるのは小学校時代からのゆかりちゃんだけだった。

「詩音ちゃん、今度うちに遊びに来ない?」
だから個人的なこんなお誘いは、本当に珍しい事だった。
「う、…うん……」
私は曖昧に返事をした。
夕方から仕事に出てしまう父が家を出る前に、私はいつも帰宅している。
堀尾のおじ様は外食が多いから実際にはセイちゃんだけだったのだけれど、父は手を抜くのを嫌っていた。
「いつだったら都合いいかな?」
そう言って、萌花(ほのか)ちゃんはミルキーな笑顔を私に向けてくる。
「うーんと、じゃあ、水曜日くらい…?」
水曜なら、家政婦の伊藤さんが来ている。
「じゃあ、今週の水曜日にね!わあ!詩音ちゃんが来てくれるなんて楽しみだなあ!」
「私も」
萌花ちゃんにつられて私も笑顔になった。
彼女はおっとりとしていて、いつもフワンとした雰囲気だ。
何をするにもペースがゆっくりで、それが私ととても合う。
私は萌花ちゃんといると何だか落ち着いた。



「うわあ…素敵なおうち」

予想どおり、萌花ちゃんはお嬢さまだった。
おそらくアンティークであろう家具たちは、いかにも高級に見えた。
棚の上には生花が美しく活けられていて、あちこちにお洒落に縁取られた鏡が置いてある。
「いいなあ……こういうのも」
堀尾家は男所帯なので、今のインテリアは現代的でシンプルにまとまっている。
こういう女の子っぽい感じには憧れてしまう。
壁に沢山飾られている写真に、自然と目がいった。
「うちね、4人姉妹なの」
「わあ、似てるねー…。いいなあ、家族が多いと…」
「でも、女4人集まるとうるさいよー。詩音ちゃんのところは?」
「うちは、父と二人なんだ…」
「そっか……あ、そこに座ってね」
上品な花柄の、フカフカしたソファーに私は腰を下ろした。
(もしセイちゃんがいなかったら、ホントにすごく寂しかっただろうな…)
あんなセイちゃんだけど、いてくれて良かったっていつも思っていた。

「うわぁ、このカップ素敵!」
萌花ちゃんがテーブルに置いたコーヒーカップを見て、思わず言ってしまった。
澄んだ緑色に白い花が散りばめられ、金で縁取られた美しい陶器だった。
「そうでしょ?…すごいね詩音ちゃん!これヘレンドのカップですごい高いんだって!
私なんて全然気がつかないで使ってて……よくママに怒られるんだ」
「へー…私も全然分からないよ。でもこれはすごく綺麗」
私はそーっとカップに手を伸ばす。
高級食器は堀尾家にも沢山あって、よく洗い物を任される私はいつも緊張していた。
「あ…」
ドアの隙間から、隣の部屋が見えた。
「……ピアノ?」
グランドピアノの端だ。それもとても大きいようだ。
「そう。母と姉が時々弾くけど……。私は全然苦手で」
萌花ちゃんが立ち上がる。
私はそれについて行った。

「詩音ちゃん、ピアノ弾けるの?」
「うーん……習ってるわけじゃないんだ。うちにあるのは電子ピアノだし」
ママは家にある電子ピアノをよく弾いていた。
私も母に習って当時は弾いていたけれど、最近はヘッドフォンをして気が向いた時にするぐらいだった。
目の前にあるグランドピアノは鏡のように部屋を映し美しく輝いて見えた。
「弾いてみる?詩音ちゃん」
「えっ……いいの!」
こんな立派なピアノ、近くで見たことだってないのに……。



午前の授業が終わるチャイムが鳴った。
「外で一緒に食べよ♪」
萌花ちゃんに誘われるまま、廊下の外に敷かれた人工芝のスペースに私たちは腰を下ろした。

「詩音ちゃんのお弁当って、いつもすーごい美味しそうよね!」
「パパがイタリアンレストランに勤めてて……」
「えー!そうなんだ!いいなあ!」
萌花ちゃんは本当に感心しているみたいに見えた。
今日の萌花ちゃんは、フワフワしたくせっ毛を耳の横で上げて後ろで一つに束ねている。
小さい顔がますます小顔に見えて可愛い。
「昨日はビックリしちゃった」
フォークを持った彼女は、ニコニコして私を見た。
「えっ?何に?」
「詩音ちゃん、すごーくピアノが上手くて」
「……だからぁ…上手くないってば…。習ってないし……」
「えー、でも〜…何て言うか、音がいいって言うの?…音質が違うって言うか…」
先日萌花ちゃんの家でピアノを弾いたら、彼女にひどく絶賛されたんだった。
私自身、人前でピアノなんて弾いたのは初めてだったし、趣味で時々してるぐらいだから上手いわけなんてなかった。
それでも憧れのグランドピアノに触れて、私自身感動しながら鍵盤を叩いた。
「才能って、やっぱりあるんだなあって思った……。うちのお姉ちゃん、かわいそうー。
先生に付いて必死で練習してるのに〜〜」
萌花ちゃんはやんわりと言いながらも、お姉さんを想像して笑っていた。

「今度、詩音ちゃんちにも行きたいな」
「えっ?!」

(うち……?)
萌花ちゃんは、完全に私もお嬢だと勘違いしている。
本当に私が住んでいる家に来たら、あまりの狭さと質素さに驚くだろう。

(どうしよう……)



久しぶりに触れた鍵盤がなんだか懐かしくて、自分の家のリビングにある電子ピアノをヘッドフォンをせずに弾いてみた。
(どうしようかなあ……萌花ちゃんのこと…)
先日テレビで見たフィギアスケートの曲を、順番に弾いていく。
(こんな質素なところで、絶対ビックリするよね…)
ドアが開いた音で、私は驚いて手を止めた。

「セイちゃん……」
「……」

セイちゃんはまだ制服で、キッチンとリビングを繋ぐ小さなカウンターの所に立っていた。
学校で会話を交わすことがないから、セイちゃんの制服姿は新鮮に見える。
「ビックリした……沙織さんがいるのかと思った」
「ああ……」
私は電子ピアノを見て納得する。
ママは音を出してよく弾いていた。私はいつもヘッドフォンをつけている。
「オレよくわかんないけど、…沙織さんが弾いてるのとソックリだった」
「…ホント?……弾き方、ママから習ったからかな?」
「うん……マジで似てた」
セイちゃんはなぜか照れてる。
自分でサオリストとか言っちゃうぐらい、うちのママのことが好きだったらしい。

「ここに来るの、……久しぶり」
セイちゃんはキョロキョロと辺りを見回した。
「そうだねえ……子どもの時以来?」
私は毎日セイちゃんのいる母屋に行くのに、セイちゃんがこちらに来ることはなかった。
「あんまり覚えてないけど、……こんなだったっけ?」
「だいぶ変わったと思うよー。でもママが死んでからは ほとんどいじってないよ」
「そっか…」
セイちゃんは所在なさそうに、カウンターの隅でずっと立ったままだ。

「おなか空いちゃった?もうゴハンにしようか?」
私は電源を切り、ピアノの蓋を閉める。
「うん……。オレ、シャワー浴びてから下に行くから」

セイちゃんとは不思議な関係だと思う。
全くの他人なのに、小さい頃から一緒に住んでいて家族みたいな気持ちもある。
弟みたいな、お兄さんみたいな…だけど友達、みたいな…。
学校でのセイちゃんはアイドル状態で、女の子からすごく人気があった。
そんなセイちゃんと、今廊下を一緒に歩いている。
そしてこれから私は、二人で一緒に食べる夕飯の準備をするのだ。


8人は座れる長方形の大きなテーブルの角を挟んで、私とセイちゃんは斜め方向に少し離れて座る。
パパがいれば私の隣、おじ様がいれば向かい側にと、位置取りが決まっていた。
「………」
私は思い切って言ってみる。
「セイちゃん…、えっと、えーっと…あのぉ、お、お願いがあって…」



「ふーん、大体のことは分かった。要するにうちを貸して欲しいんだろ?」

リビングに場所を変え、セイちゃんは黒い皮のソファーにほとんど寝転がるようにどっかりと座っていた。
目の前の大画面テレビでは、小さな音でニュースが流れている。
「頼まれてやらないことも、ないけど?」
私の方を見ると、セイちゃんはニヤっとした。


「ヤダヤダぁ!……絶対いやぁ!!」

私は半泣きになってたと思う。
頼みを聞く代わりにセイちゃんが私に出した条件、それは『せめて上半身だけでも触らせろ』だった。
……せっかくお友達になれそうな萌花ちゃんに幻滅されたくない。
だけど、セイちゃんに弄ばれるのも……。
私は頭をブルブル振った。
「ああん!ヤダヤダ!やっぱり絶対だめぇえっ!」
「くっ、…くっ、くっ」
堪えられないといった顔をして、セイちゃんは前髪をかきあげた。
「…セイちゃん…?」

「詩音からかうのって、スゲー面白れぇ」

「セイちゃん………」
からかわれてるっていうのに気付くのに、数秒かかってしまった。
「もう!ヒドイよ!セイちゃん!……詩音がそういう話苦手なの知ってるくせに!」
私は憤慨してセイちゃんに近付いた。
セイちゃんはするっと脇をすり抜けて、ソファーから立ち上がってしまう。

「分かったよ、頼まれてやるって。……バカ詩音」

「バカって……」
「この前、オレに散々言っただろ」
そう言ってセイちゃんは私の髪をクシャっとすると、リビングから出て行ってしまった。
(もう……セイちゃんのバカバカ!)




セイちゃんは家政婦の伊藤さんにもお願いしてくれて、萌花ちゃんは何の疑いもなく堀尾家でのひと時を満喫して帰ってくれた。
(とりあえず、一安心……)
「セイちゃん、ありがとう」
自分の分の夕食の食器を片付けながら、私は改めてセイちゃんに言った。
セイちゃんは気を使ってくれて、晩御飯を外食してくれたのだ。
淹れたてのコーヒーをロールストランドの青いマグカップに注いで、セイちゃんはキッチンの四角いテーブルに簡易イスを引いて座った。
コーヒーの香ばしい香りがキッチン中に広がる。

「別にいいけどさ……詩音、約束忘れてないよね?」

「約束……?」

食器洗い機に伸ばしていた手が止まる。
(も、もしかして……あのこと?)
急にドキドキしてくる。
振り返って見たセイちゃんの視線がちょっと真剣で、私は固まってしまった。
 

 

ラブで抱きしめよう
著作権は柚子熊にあります。全ての無断転載を固く禁じます。
Copyrightc 2005-2017YUZUKUMA all rights reserved.
アクセスカウンター