二人の嬉しい週末は、あっという間に過ぎた。
『ごめんね、今週も忙しくなりそうなの…』
嬉しいはずの桃子からの電話を、相当にガッカリした気持ちで柚琉は聞いた。
(しょうがないよな……。桃ちゃん、社会人なんだし)
週末に会ってるのだからいいだろうと自分に言い聞かせても、彼女に会いたい気持ちは抑えられなかった。
柚琉はバイトから自宅に帰るとすぐにシャワーを浴び、普段から比べるとかなり早めにベッドに入った。
一人の夜が、やけに寂しいと思う。
これまで誰かと付き合っても、そんな風に感じたことはなかった。
(桃ちゃんは、オレにとって、…本当に特別なのかもな)
柚琉は漠然とした不安を感じる。
自分と桃子の環境の違いが、二人の間に距離を作りはしないかと気が気ではなかった。
専門学校の授業中も、桃子のことばかり考えていた。
(ああ、会いてーなあ……。今日も会えないんだよなあ…)
何となく携帯を見ると、高校の同級生だった公太からメールが入っていた。
『久しぶりに遊ばねえ?』
(…ヒマだし、…行くか)
柚琉はこそこそとメールを返した。
携帯を閉じ少しだけ講師の方を見て、柚琉はまたぼんやりと彼女のことを考えた。
「おお!久しぶり!最近めっきり付き合い悪いじゃんかよ」
久しぶりに会った公太は髪をすっきりと短くしていた。
「………こんにちは」
公太の彼女の愛百合が、柚琉の様子を覗うようにじっと見てくる。
「二人とも!ホント久しぶり!」
そんな様子を尻目に、柚琉は明るく挨拶をした。
「今日、ここに行こうぜ。クラブなんだけど、タダで入場できるチケット貰ってさ」
ダボついたパンツにスタジャンをだらしなく着た公太が、先を歩いた。
愛百合がその隣にぴったりとくっつき、そのすぐ後ろを柚琉は歩いた。
「ほんじゃ、とりあえず食おうぜ!」
暗い店内、フロアの後ろの席を陣取った。
時間が早いせいで、店はまだ空いている。
やたらに縦に長いメニューを、公太は開いた。
「えーと……何頼むかな…」
このメンバーが集まると、柚琉は自然に若菜のことを思い出してしまう。
(あいつ、元気かな……)
「柚琉先輩はー、もう新しい彼女さんできたんですよね?」
いきなり愛百合から突っ込まれて、柚琉は一瞬どう答えていいのか迷う。
「あ…、ああ。まあ」
とりあえず頷くと、愛百合はニッコリと笑顔を見せてくる。
「柚琉さんなら、すぐに彼女できますよねー…モテますもんねー…」
悪気がないのは分かっていても、彼女の言葉は柚琉の心に刺さった。
「あ、あのさ…………、ああ、オレアルコールは止めろよ」
公太の持っているメニューを指差すと、再び愛百合に向かって言った。
「あいつ、元気?」
「あいつって、…若菜のことですよね?」
(そうに決まってるだろう)
女って結構意地悪だよな、と柚琉は思う。
「若菜はー、柚琉さんと別れてから、かなーり落ち込んでましたよー」
「そうか……」
「今でも柚琉さんがその気なら、いつでも復活できると思いますよー?」
「…………」
(いや、復活する気ないから)
若菜の友人である愛百合に、ハッキリとそう言うのもためらわれた。
「若菜可愛いから、すごいモテますからねー…。引き止めるなら今ですよー?」
「………オレ、……悪いけどその気ないから…」
苦笑いをして柚琉は仕方なく言った。
「そうですかー?あの若菜を振って付き合う彼女って、どんな人なんだろー?ねえ、公太」
愛百合は隣の公太の腕を掴んだ。
「知らねーよ、オレ、会ったことないし」
開いたメニューに両肘を乗せて、公太はチラっと柚琉を見た。
(そういえば、桃ちゃんとオレの友達って、…会ったことないな)
若菜と付き合っていた時は、二人きりで会うのと同じぐらいの回数を友人たちと共に過ごしていた。
(桃ちゃんの友達とも、…オレって会ったことないよな)
柚琉はふと気付いた。
いつもべったりと二人きりで過ごしてばかりで、お互いの持つそれぞれの世界に触れることがほとんどない。
共通の知人といえば、アルバイト先の佐藤やその関係者ぐらいだ。
柚琉は佐藤に、桃子と付き合っていることを話していなかった。
佐藤は若菜のこともよく知っていたし、桃子とも仕事上の関係で自分よりも前から知り合っている。
何となく、佐藤に桃子のことを言い出すきっかけを逃していた。
それでも久しぶりの友人とのひと時は楽しく、リラックスしたまま時間がどんどん過ぎていった。
気付けば店内はライブタイムに合わせて混雑してきて、立ったままテーブルで飲んでいる人も増えていた。
「あーー!愛百合じゃん!」
柚琉の後ろから声がかかる。
「あんたも来てたんだー」
答える愛百合の視線の先を追いかけて、無意識に柚琉は振り返った。
「えっ…!……青木先輩??」
こちらを見ていた少女が、柚琉の顔を見て驚いている。
(誰だっけ……?オレの知り合いだっけ????)
「青木先輩も来てたんですか!うわあ!久しぶりぃ……こんなとこで会えるなんて〜!」
強く髪を巻いて、フェイクファーの上着に、見えそうなぐらい短い デニムのスカートを履いた派手な子を、柚琉は注視したが、誰だったかが思い出せない。
「ええ……っと、…ごめん、……知り合いだっけ??」
柚琉の一言で、少女の表情が一瞬にして曇る。
「梨香ですよー、高嶺梨香!若菜と1年の時よく一緒にいましたよー…」
梨香はすぐに笑顔を作って、柚琉に愛想を振り撒いた。
愛百合はその様子を笑いを堪えながら見ていた。
柚琉がトイレに立ち、席に戻ろうとすると途中で梨香に呼び止められた。
「愛百合たち、今日これからどうするんですか?」
「…どうすんのかな?分かんないけど」
(こんな派手な子、若菜と一緒にいたっけ…?)
柚琉はしみじみと梨香を見たが、全く思い出せないままだった。
「青木先輩はこれからどうするんですか?」
「オレー?帰るけど……」
「じゃあちょっとだけ、ちょっとだけ、梨香とお話しませんか?」
梨香は目の前で手を合わせ、困ったように眉をひそめて言った。
「うーん……」
強引に手を引かれ、柚琉はスタンディング用のテーブルに連れて行かれた。
「どうぞどうぞ」
ドリンクを2つ手にした梨香がすぐに戻ってきて、柚琉に1つを差し出した。
何も考えずに、柚琉はぐっと半分ほど飲んでしまう。
「うっ……」
「どうかしましたか?梨香が持ってきたコレ、まずかった?」
「いや、美味しいけど……お酒だったら、オレヤバイから」
「お酒じゃないですよー…梨香、未成年だしぃー、…ふふふ」
キラキラと笑顔を柚琉に向けながら、一方的に梨香は喋り続けた。
柚琉は梨香が何を話しているのか、すぐに分からなくなってしまった。
「愛百合〜〜♪」
上機嫌で梨香が公太のテーブルへと戻ってきた。
「何よ、……柚琉さんはどうしたのよ?」
「青木先輩は向こうにいるよ。…先輩、これから梨香と飲みなおすから♪」
「飲む……、って、アイツ全然飲めない筈だけど?」
公太が驚いて、柚琉を探そうとフロアへ目を向けた。
嬉しそうに梨香は答える。
「ホントにーー?大丈夫みたいだよー?それに、先輩が誘ってくれたんだぁ」
「………」
(ホントかよ)
愛百合は梨香の言葉が全く信じられない。
「じゃあ、青木先輩は梨香とフェードアウトしまーす♪」
大きく手を振ると上機嫌のまま、愛百合はさっさとフロアへと消えてしまった。
「公太…」
公太と二人きりになった愛百合は体を寄せて、小声で言った。
「あたし、……ヤーな感じするんだけどー…」
「オレも…柚琉が飲みに行くなんて話、聞いたことないぜ?」
「梨香って、結構ウソつきっていうか、ホラ吹きっていうか……学校でもあんまり評判よくないんだよね…」
「……マジかよ……大丈夫かよ、柚琉…」
「ねえ、心配なんだけどー…」
薄暗い店内で、二人は顔を見合わせた。
愛百合と公太は急いで店を出たが、もう柚琉と梨香の姿はなかった。
照明が一番明るいままの部屋で、柚琉はベッドに倒れこむとすぐに眠ってしまった。
「青木せんぱーい、…柚琉せんぱーい♪」
苦しそうな顔で寝ている柚琉を、梨香は揺さぶった。
「1杯で眠っちゃうなんて……ウソでしょ〜〜?」
愛百合たちと会った店でウソをついて強引に1杯飲ませ、柚琉をラブホテルへ連れ込んでいた。
女と二人きりになって何もしてこない男がいるとは思わなかったので、梨香は彼と二人きりになってしまえば何とかなると思っていたのだ。
「ダメ〜〜…!寝ちゃだめ!あ、お、き、先輩っ!」
「うう…」
柚琉がうめき声をあげる。
「ハッ!」
梨香は彼が目を覚ますのを期待して、顔を近づけて待つ。
「桃ちゃん………」
(ももちゃん…??)
(飼い犬…??)
若菜と別れたことは聞いていた。
1年の時は若菜と一緒に「青木先輩がかっこいい」と言っていたのに、気付くと若菜と彼が付き合っていた。
当時、梨香も柚琉のことがかなり好きだったので、それは彼女なりにショックだった。
そして今日、柚琉が自分のことを全く思い出してくれないことも。
(もしかして、女…?ももちゃん、って…誰…?)
柚琉のGパンに入っている携帯が震えた。
会社を出たところで、桃子は柚琉にメールをした。
(柚琉、何してるのかなあ……)
思ったより早く仕事が片付き、連絡がつけば会えるかもしれないと期待しつつ、電車に乗り込んだ。
(早く週末にならないかなあ…)
家に着いてからも、何度か桃子はメールを打った。
こんなに返信が返ってこないのは珍しい。
(お風呂でも入ってるのかな…?)
(友達と遊びに行ってるのかもね……)
柚琉だって自分の時間があるだろうと思いながらも、深夜になってしまい今日はもう会えないと諦めなければいけないのが寂しかった。
「明日も早いし、もう寝よう……」
おやすみを言うために携帯を手にすると、メールが入ってきた。
(柚琉…)
やっぱり嬉しくなって、桃子は笑顔で携帯を開いた。
―― 差出人は、柚琉だった。
タイトルも本文もないそのメールに添付された写真を見て、桃子は一瞬何が何だか分からなくなる。
写真に写っていたのは、確かに柚琉だった。