好きという気持ちだけで全てうまくいけばいいのに

●● 15 ●●

   

「青木先輩、起きてくださいよぉ!」
「う、うぅーん……」

体が重かった。
飲んだ夜の次の朝は、いつもこんな感じだ。
柚琉は目を開けた。

「早く、起きてください〜。学校遅刻しちゃいますぅ〜」

目の前にいたのは、見慣れない少女。
「お、オレ?!……なんでこんなとこに???」
慌てて起き上がり、柚琉は更に驚いてしまう。
そこはどうみてもラブホテルの一室で、そして自分はパンツだけ履いていて裸だった。
「………オレ、…ゆうべ……??」
柚琉は頭を振った。
全く思い出せなかった。
「は、や、く、…とにかく、着替えてここ出ましょうよ」
確か、“梨香”だった。
彼女は既に着替えていて、ベッドの縁に膝をついて柚琉を急かしている。
「…そうだな……とにかく、出よう」
柚琉はベッドから出て、大急ぎで身支度を整えた。


(なんでオレがホテルなんかに……?)
高額なホテル代をカードで支払いながら、柚琉は懸命に思い出そうとしたが、全く記憶がなかった。
(オレ、なんで裸だったんだ……?)
チラリと彼女を見ると、嬉しそうな顔で柚琉を見つめ返してくる。
(まさか……まさか??)
「あ、…あのさあ、…昨日の夜……」
「えー?もしかして青木先輩覚えてないとか??」
「ああ、……ごめん、全然……なんであそこにいたのかも…」
7時を過ぎたばかりのまだラッシュではない朝の駅で、柚琉はほとんど知らない女の子と一緒にいる。
この手のことが今までなかったわけではないが、そういう時には柚琉は飲酒はしなかったし、意識がないなんていうこともなかった。
「まさか、オレ……君と…」
梨香は朝の景色には全く似合わない派手な服装で、いかにもこの時間が夜の続きだということを柚琉は思い知る。
「センパーイ、私たち、ラブホテルにいたんですよー?」
そう言って梨香は意味深に笑った。

(ウソだろ……そんな事って…??)

電車に乗り、梨香と別れてからもずっと柚琉は昨晩のことを思い出そうとした。
(そもそも、…飲んだ状態で、オレそんな事できるわけないって)
それでも目覚めた時、裸だった。
(……そういう事して、全く覚えてないなんて……ありえないだろ)
彼女に何もしていないとほとんど確信をもっていたが、ラブホテルまで行ったことさえ覚えていない自分に少し不安を感じた。
(ありえないだろう……)
考えても分からなかった。
梨香とはメアドを交換したわけでもなかったし、彼女の方からこれからの事をどうこう言われたりもしなかった。
「………」
携帯をポケットに入れていることを急に思い出し、柚琉は開いた。
「………なんだよ…?」
昨晩、桃子から何通かメールが入っていた。
それが全て開封済みになっている。
(あいつ、…携帯いじったのか?)
柚琉は気分が悪くなる。
今朝の自分の状態といい、携帯を他人に勝手に触られたことといい、自分をとりまくもの全てにモヤモヤとしたイヤな気配を感じた。
(桃ちゃんに、メールをしよう…)
柚琉は桃子にメールを打った。



桃子はほとんど眠れなかった。
昨晩遅くに、携帯に届いた写真。
裸の柚琉が、裸の女の子に腕を回していた。
女の子の顔はハッキリとはわからなかったが、男の子の方は確かに柚琉だった。
(確かに、……柚琉だった)
何度か凝視した後、桃子は動揺してその写真をすぐに削除した。
それでも自分の中に残像はクッキリと刻まれ、思い出したくないのに目を閉じるとその映像が浮かんできた。
(……どういうこと……?)
昨晩、彼と連絡がとれなかった。
嫌な動悸が、ずっと治まらない。
朝になり時間が来て、桃子は仕方なく出社の準備をする。
今、柚琉にメールをする気になれなかった。
携帯電話を開く気にもなれなかった。
(……なんだか、怖い……)
そう思いながら家を出ようとしたその時に、柚琉からのメールが入ってきた。



パタパタと上履きを鳴らしながら、急ぎ足で愛百合は梨香のいるクラスに向かった。
「梨香ーー」
いつもギリギリに来る彼女が登校している事を期待せず、愛百合は梨香の教室を覗き込んだ。
「ああ、愛百合〜〜」
意外にも梨香は既に来ていて、廊下側の席で鏡を見ていた。
愛百合は彼女の席まで歩いて行った。
「昨日、あの後どうしたの?」
「どうって……。行ったよー。青木先輩と」
梨香は顔を上げず、鏡を見てマスカラをたっぷりつけた睫毛をいじっていた。
愛百合はそんな梨香の様子に少し苛立ってくる。
「行った、って……ど、どこによ?」
「えーっと〜、ラブホ〜〜?今日は家に帰ってから学校来たから、朝早くて最悪〜〜」
そう言って梨香は上目づかいで愛百合を見上げた。
「ラ………」
(ウソでしょう??柚琉さんってそんな人だった?)
もっと聞いて欲しそうな梨香の姿にウンザリして、愛百合は教室を出た。


(結局、最後まで私のことを思い出してくれなかった……)
梨香はみじめな気持ちで一杯だった。
1年の時、梨香は若菜と一緒に柚琉のことを追いかけていた。
学校で柚琉と話すときはいつも若菜と二人でいたのに、結局柚琉は若菜の事しか見ていなかったのだ。
(全然、覚えてないなんて……)
柚琉とした会話や彼と一緒にいた少しの時間、それらが彼の中では無かった事になっていることがショックだった。
(ヒドイよ、青木先輩)
若菜と一緒にいた頃、近くに来る男子は皆若菜を見ていた。
それは本当に常時そうで、梨香はいつも寂しくてたまらなかった。
若菜に追いつこう近付こうと、無意識にこれまで懸命だったような気がする。
それでも、それは無駄な努力だったということを、現実的に思い知った。
(桃子、って……今の彼女なんだろうな)
柚琉と若菜が別れたということを聞いた時、梨香は正直胸がすっとした。
あの若菜が振られた事を、いい気味とさえ思った。
(青木先輩も、振られちゃえばいいのに)
携帯で盗み見た桃子と柚琉とのやりとり、それにもうんざりした。
「はあーあ、廊下側は寒いしぃ〜〜」
短いスカートから出た太腿を、梨香は両手で撫でた。



すぐにメールを返す気になれず、桃子は会社で自席に着くと携帯をデスクに置き、しばらく考えていた。
何事もなかったような彼からのメール。
(どういうことなの……?)
胸のつかえは益々ひどくなり、疑問符ばかりで頭の中が一杯になる。
(柚琉が送ったんじゃ、ないの…?)
あの写真を彼が送ったのではないのであれば……
(あの、女の子が……)
きっとそうなのだろうと思った。
(だけどそうならば、……もっと最悪…)
仕事の電話も書類の作成も、全てが上の空になってしまう。
カバンを持って桃子は外へ出た。


取引先へ向かうまでの遊歩道のベンチに、桃子は座った。
寒い日で、通行人は桃子を気にかけずに誰しもが早足で過ぎていく。
かじかんでいるのか緊張しているのか、おそらく両方の理由で桃子の指先は震えた。
柚琉へと、電話をかける。
呼び出し音が長く感じた。
思わず目を伏せてしまう。

『…桃ちゃん?珍しいね、この時間に電話って』
小さい声だったが普通の様子で、柚琉の声が携帯の向こうから聞こえる。
「今、大丈夫?」
震えそうになる声を抑えて、桃子は言った。
『うん。授業中なんだけど……課題だったから、教室出てきたから。ちょっとなら大丈夫だよ』
彼の声の響きは相変わらず優しかった。
(このまま……)
送られてきたあの写真の事を黙っていれば、柚琉とはいつもどおり何事もなかったように付き合っていける気がした。
「あの……」
桃子は言葉に詰る。
喉の奥から、声が出てこない。
『どうした?……桃ちゃん』

柚琉が言ってくれる『桃ちゃん』という響きが好きだと、こんな時に桃子は痛感する。
彼のことが好きだと思えば思うほど、昨晩のことが自分の心に大きな波紋を作る。
「……今日は……」
『うん』
「今日は、…早く終わらせるから……うちに、来てくれる?」
『ホント?やったあ、久しぶりに平日に会えるね』
嬉しそうな柚琉は、いつもとちっとも変わらなかった。
「じゃあ……。授業中ごめんね」
『全然!すっげー嬉しいし!じゃあ、今日は楽しみにしてる!』
彼の明るい声が響いて、桃子の心はどうしてだか痛い。

(昨日のことは、夢だったんじゃ……)
もう一度携帯を見てみる。
写真は削除したが、メールの受信履歴は残っていた。
(夢なんかじゃ、ない…)
何かがパリパリと乾いた音を立てて、自分の中で崩れていくような気がした。
(夢だったら、いいのに……)
普段と変わらない明るくて優しい彼と対称的に、桃子は暗く沈みそうだった。


仕事が手につく状況ではなかった。
会社を出る時も特に連絡はせず、桃子は自宅へと向かった。
ドキドキしながら、明かりの点いた自分の部屋のドアに鍵を指し開く。
「あれ?桃ちゃん!連絡してくれたら駅まで迎えに行ったのに!」
驚いた顔で柚琉が立ち上がって桃子を出迎える。
部屋はすっかりくつろいだ様子で、彼がここにいる安心感が桃子の肌身に染みた。
「ただいま……」
桃子はできるだけ笑顔のつもりで言った。
「……どうした?元気ない…?ここのところ忙しそうだったし、仕事で疲れちゃった?」
「うん……そうかもね」
(彼にはバレてしまう)
それが嬉しくもあり、そして今日は少し辛くもあった。

桃子は真直ぐに彼を見つめることができなかった。
「桃ちゃん……会いたかった〜〜…オレ、今日1日ワクワクしてた」
柚琉の腕が桃子を抱き寄せる。
いつもならその背中にギュっと手を回すのだが、今日の桃子はそれができない。
「柚琉……」
彼の胸に顔を埋めて目を閉じた時、昨晩送られてきた写真がフラッシュバックする。
切なくて、クラクラしてくる。
柚琉から溢れてくる明るさが、自分の影をますます濃くしていく気がした。
「えっと……着替える。柚琉は座っててね」

桃子はコートとジャケットを脱いで掛け、仕事のスカートのまま柚琉から少し離れて座った。
その距離が、いつもより微妙に開いていた。
久しぶりに桃子に会って浮かれていた柚琉も、桃子の普段と違う様子に戸惑ってくる。

「どうしたの…?何か、今日…ホントに元気ないよ」
柚琉は本当に心配して桃子に声をかけた。
「……柚琉……」
桃子は昨晩のことを言うべきか迷っていた。
自分の胸の中だけに収めてしまえばいいと、本当は思っていた。
それでも暗く塗られたその部分を抑えることができず、あからさまに態度に出てしまう自分が情けなかった。
今にも泣き出してしまいそうだった。

「どうした?桃ちゃん……何かあった?」

柚琉が手を伸ばしてくる。
「……!」
一瞬身を固くして、桃子は体を引いた。

「桃ちゃん……?」
「あ……」
その行動に驚いたのは、柚琉よりも桃子本人だった。
「……どうした?」
柚琉は手を自分の膝に置いて、桃子に向き座り直した。
「柚琉……」
桃子の目に涙が浮かんでくる。
昨晩の写真を消さなければ良かったと、桃子は後悔した。
そうすれば、ただその写真を彼に見せるだけで済んだのにと思う。

「昨日……、柚琉、何してた?」
「えっ?」

柚琉の顔色が変わった。
その変化に、あの写真が昨晩の現実だったんだろうと桃子は確信する。
「メールでね……」
「………うん」
「……写真が送られてきたの、柚琉の携帯から…」
下を向いて柚琉を見ずに桃子は言った。

「………写真???」

柚琉は一瞬何のことだか分からなかったが、『昨晩、携帯で、写真』というキーワードだけで漠然と察しがついた。
「携帯……」
改めて自分のポケットから携帯を出すと、画像データの一覧を見た。
昨晩撮られたものはなかった。
メールの送信履歴を見ても、昨晩は桃子に宛てたものはない。
柚琉は桃子を見て、言った。
「オレの携帯の中には、写真ってないんだけど……。桃ちゃんにメールを送った履歴も…」
「そうなの……?」
桃子も柚琉を見る。

柚琉はドキドキしていた。
昨晩、自分は梨香といた。
全く覚えていなかったが、確かに彼女といたのだ。
携帯をいじられた形跡があった。
梨香が何か写真を撮り、桃子に送り、その痕跡を全て消したと考えるのが妥当だろう。

「写真って」
「……柚琉が、女の子と映ってた……………裸で」

(やべえ……)
柚琉は軽くパニックになった。
(あいつ、そんなことしてたのか……)
桃子に何と言っていいのか、すぐに言葉が出てこなかった。
しばらくお互いに沈黙してしまう。

「オ、……オレ、昨日、久しぶりと友達と会ってさ」
「………」
桃子は黙って柚琉を見ていた。
その目はとても悲しげで、柚琉はそんな目で見つめられるのが辛くてたまらなかった。
「…し、知らないうちに飲まされたみたいでさ、…いたずらで、送られたんだと思う」
「……悪戯で?」
「オレ、……全然記憶がないんだよ…。桃ちゃんも知ってると思うけど、オレ異常に酒が弱いじゃん…」
「………」
桃子は明らかに怪訝そうだった。
「桃ちゃんが思ってるような、そういうこと……それは絶対ないって、言い切れる」
「………ない、って……?」
「絶対ないって!……マジで、オレ……今、桃ちゃんだけがすげえ好きなのに、そんなことしねえよ」
「………」

柚琉の言うように、そういうことはなかったのかも知れないと、桃子は思う。
それでも裸で抱き合うような状況下で、したかしなかったかという事は大きな問題ではないような気もした。
(確かなのは、柚琉が裸で、裸の女の子の側で一晩過ごしたって事……)
柚琉を見たら、桃子は泣けてきた。

(桃ちゃん……)
桃子の涙で、改めて自分のしてしまった事の重大さに柚琉は気付く。
「ごめん……ごめん。オレがしっかりしてないから……」
姿勢を変えて、柚琉は桃子に近づこうとした。
「………」
桃子は今度は自分の意志で、体を引いた。

「……何もなかった、って……信じたいよ…」
「桃ちゃん…」

「柚琉……」
しゃくりあげそうになるのを、桃子は懸命に堪えた。
「ごめん、今夜は……もう帰って…」
「桃ちゃん、オレ……」
桃子は柚琉の言葉を遮った。

「お願い、帰って」


涙しながらもいつになく強い口調の桃子の態度に、柚琉はどうすることもできずに家を出るしかなかった。
「あああっ!」
帰る道すがら、柚琉は思わず頭を抱えて叫んだ。
(オレ、何やってんだよ……)
昨日の自分にひたすら後悔しても、もう遅かった。
(桃ちゃん、泣かせた……)
泣いた桃子に、何も言えず何もできなかった自分が情けなかった。
沸々と、梨香に対する怒りも今更ながらに込み上げてくる。
(あいつ……何てことすんだよ)
自分の中にある様々な感情が、渦を巻いて自分自身を責めた。

「桃ちゃん……ごめん……」
こうして何度謝っても、桃子に届かないのがもどかしくてたまらなかった。

 

ラブで抱きしめよう
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