好きという気持ちだけで全てうまくいけばいいのに

●● 19 ●●

   

柚琉のことを吹っ切ろうとして、桃子は仕事に集中した。
「桃子、どうしたの?まだ帰らないの?」
同僚の智沙に、帰り際に声をかけられた。
「あっ……うん」
桃子は、キーボードへ伸ばしていた腕を止める。
そのディスプレイを智沙は覗き込んだ。
「えーー?月報作ってんの?月末にまとめてすればいいじゃん」
「でもー…、ほら、年末でバタバタすると思うし…」
この仕事を今日わざわざやらなくてもいいという事実を指摘されて、桃子は少し困ってしまう。
「お腹すいちゃった、……もう終わらせて何か食べて帰ろうよ」
智沙は桃子のバッグで背中を叩いた。
「うん…」
気分転換になるしいいかなと思い、ファイルを閉じると桃子はパソコンの電源を落とした。

街はこの季節、忘年会などで人がごった返している。
それを避けるように街には出ず、会社のすぐ近くの落ち着いた店を選んだ。
「ああー、外は寒いのに、店の中は暑いねえ」
脱いだコートをたたんで隣の席に置きながら、智沙は店内を見回す。
夜景が臨める窓際には、派手すぎず上品なクリスマスの飾りが何点か置いてあった。
「そうだねぇ…。会社も、昼間すっごく暑いでしょ。全然エコじゃないよね」
桃子も笑って答える。

他愛もない話をしながら、二人は少し飲んだ。

「23日に、…彼がうちの両親に挨拶に来ることになった」
智沙が恥ずかしそうに打ち明けた。
「えっ、ほんとに??」
全く予想していなかったその告白に、桃子は驚いて一瞬動作が止まってしまう。
「うん……。何か急にそういうことに」
「いつ、結婚するの?…式は?」
「まだ全然決めてないんだ…。とりあえず、そういう約束だけ。来年の夏ぐらいにしようかなあ…」
嬉しそうに智沙は窓の外に目をやった。
毎日通勤で通っている通りなのに、夜にはまた違った景色に見える。
「そっかあ……おめでとう…!良かったね!」
桃子は笑顔でメニューを手にすると、そこそこの金額のワインを店員に頼んだ。
「今日はおごるし!ちょっと、色々聞かせてよ!」
さっきまで心は沈んでいたのに、友人のめでたい話がまるで自分のことのように嬉しかった。


「智沙もとうとう人妻かあ……。結婚って、どんな感じなんだろう〜…」
ワインが半分空いた頃だった。
酔ってきて、桃子は思わず素直な気持ちを口にしてしまう。
そんな桃子を、智沙はじっと見る。
「ねえねえ…。…桃子は、どうなの?」
「えっ?私?」
「だって瀬野主任と別れてさ……その後、なんかあったでしょ?」
お酒が回ってきた智沙も頬は赤かったが、まだまだしっかりしていた。
その鋭い突っ込みに、桃子はドキドキして一気に酔いが覚めてしまう。
「う、うん……じ、じ、実は…」
雅人と別れてから、柚琉と付き合いそして別れたことを、簡潔に説明した。

「うっそー……、ええー18歳〜〜〜?」
桃子の告白にも智沙は疑心暗鬼の様子だった。
「うん…」
(18じゃなくて、もう19歳なんだっけ……)
そう心の中で訂正して、柚琉と約束した誕生日の事を思い出して桃子の胸は痛んだ。
「桃子って、そういう趣味だったっけ?年下とか、興味あったっけ???」
「…ないよ……。だから、瀬野さんと付き合ってたんじゃん」
雅人のことを思い出しても、柚琉のことを考えても、桃子は切なくなった。

「なんか……怖くなっちゃって」
「ん?なんで?」
不思議そうに智沙が問いただす。
桃子は口に出すのを一瞬迷ったが、やはり言うことにした。
「年下の子に、本気になるのが…」
深刻な桃子の様子を見て、智沙もしばらく考えてから答える。
「18じゃあ、……桃子がそういう気持ちになるのも、しょうがないよね」
グラスを手にとりピンク色のワインを一口飲むと、また言葉を続けた。
「私だって今回彼が結婚を決めてくれて、正直すごくほっとしたもん……」
「智沙……」
以前、社内で智沙と結婚について『焦る』といった話をしていたのを、桃子は思い出す。

「10代なんて、まだまだこれから恋愛すると思うしさ…、
これからスタートする恋愛を、何年か先に突然リセットされる可能性があるかもしれないって思うと…。
やっぱ怖いと思うよ。…私たち、幾歳になってんの、ってさ…」

智沙が言ったことは、柚琉と別れを決めた時の桃子の考えそのものだった。
「そうだよね……」
桃子は溜息をついた。

(それでも……)
柚琉と離れて2週間以上経つというのに、彼のことを想わない日はなかった。
(雅人と別れたことにしたって……)
自分の中で、やっと自覚し始めた事があった。

(私自身がしっかりしなかったら……きっと誰に出会ったって、幸せになれるわけなんてない…)

目の前の、こうしているだけでも幸福感を感じさせる智沙を見て、桃子はハッキリと悟った。
――― 自分を変えたかった。




昼間の工芸室は暖房がよく効いていて、生徒たちは好きな場所に散ってそれぞれの作業をしていた。
「ねえ、梨香が柚琉さんのこと、ハメたらしいよ」
「えっ…?」
若菜は愛百合の口から柚琉の名前が出てきた事、そして『梨香が』という事に驚く。
「何よハメたって…、ねえ、どういうこと…?」
手を止めて、若菜は愛百合を見た。
美術の選択授業で陶芸を取っている二人は、教室の端で黙々と作業していた。

「…若菜に言うのもどうかなあと思うんだけど…。なんか、梨香が許せなくて」
ジャージを着て髪を二つに分けて束ねている愛百合は、泥のついた掌をさけて腕で顔を拭く。
「何?何?何のこと?」
若菜は彼女の言っている意味が分からない。
柚琉の名前を聞いただけで、もうドキドキしていた。

「柚琉さん……新しい彼女と別れたんだって」

「……」
柚琉に彼女ができたという事は、愛百合や公太の雰囲気から悟れた。
「すごい落ち込んでるらしいんだけど……。なんか、梨香にハメられたせいらしいって公太が言ってた」
「梨香に…?なんで…?」
若菜はいつも自分に対抗心剥き出しの梨香を思い出し、心の隅でイラっとくる。
「なんかさー…」

愛百合の話を聞いて、若菜は怒りで体の血が逆流する思いだった。


「ちょっと!」

若菜は梨香のいるクラスに入ると、真直ぐに彼女の席に向かった。
「なーに?若菜」
梨香はお弁当を手にして、これからクラスの友人と昼食をとろうとしているところだった。
「ちょっと!ランチなんてしてる場合じゃないって!来てよ!」
血相を変えて怒鳴る若菜の態度に尋常でない殺気を感じて、梨香は渋々若菜の後について教室を出た。

廊下の隅、出窓になっている際まで、若菜は梨香の袖の長いセーターの先を引っ張っていった。
「ちょ…、何よ?いきなりぃ…引っ張らないでよぉ、伸びちゃうじゃん」
「あんたねえ……」
手を離して、若菜は梨香を睨んだ。
「……何よ?」
伸びた茶色い髪の先をくるくると手に巻きつけて、梨香は若菜の視線から逃げるようにそっぽを向く。

「柚琉に、何したの?」

「はあ?」
『柚琉』と聞いて、梨香は若菜の言いたい事がすぐにピンときた。
「なーにぃ?……別に何もしてないけどぉ?」
半笑いを浮べて、髪を弄ったまま若菜を見上げる。
梨香よりも背の高い若菜は、頭を下げて厳しい顔を梨香に向けた。
「何も…って、そんなわけないでしょ?じゃあなんで柚琉が彼女と別れてんのよ!」

「ええー?青木先輩、別れたんだ???」

(あの、『桃子』って女と、……別れたんだ…へー…いいザマー)
梨香は心の中でほくそ笑んだ。
若菜は梨香の表情の変化を敏感に察知した。
「あんたが柚琉の彼女に写メ送ったからでしょ??」
「えーー、何のことー?」
堪えられなくなって、梨香は完全に笑顔になってしまう。
そんな彼女の様子が、若菜は憎たらしくてたまらなくなる。
「あんたね!あたしの事が気に入らないってだけならまだしも、何で柚琉の生活まで引っ掻き回すのよ!」
「若菜……」
梨香は真顔になって、若菜を見る。
そして、冷めた声で言った。

「何、いい子ぶってんの?…あんたこそ、もう青木先輩と何の関係もないんじゃないの?」

「……!」
若菜は梨香の言葉に一瞬たじろいでしまう。
うんざりした様子で、梨香は声を荒げた。
「バッカじゃないの?…何で青木さんに振られたあんたなんかに、こんな風に私が言われなくちゃなんないのよっ」
「……あたしはっ…」
『振られたあんたなんか』という一言が、若菜の胸にチクンと刺さった。
梨香は早口で若菜の言葉に自分の言葉をかぶせた。

「青木先輩とホテルに行ったけど、何であんたにその事を説教されなきゃいけないわけ?」
梨香が飲んだ柚琉とホテルに行った事、柚琉の彼女に携帯で写真を送った事、それが原因で彼女と別れて、柚琉がひどく落ち込んでいるという事…おおまかな話は愛百合から聞いていた。
それら全てを、梨香が意図的に仕組んだことは目に見えていた。
柚琉がお酒に弱いことを、若菜はよく分かっていたからだ。
「飲んだ柚琉が、そんなことできるワケないじゃん!
大体、柚琉の彼女に写真送るって、…あんたどういう神経してんのよ!柚琉に謝んなよ!
…ちゃんとホントのこと話しなよ!」
「ふふん」
若菜の言葉を、梨香は鼻で笑って返した。
「あたしそんな事してないしぃー?マジ大きなお世話なんだけどー?」
梨香はセーターの袖を絡ませながら、いまや腕を組んで若菜を睨みつけていた。
「それよりさあーやっぱり青木さんって結構軽い人なんだねぇー、超見た目どおりって感じ?」

「……梨香…」
「ちょうどいいんじゃない?青木先輩がフリーになれば、若菜だってより戻せるかもしれないもんねぇ。
良かったじゃーん。いつかあたしに感謝するかもよー」
バカにしたように、梨香は笑った。
若菜の手があがる。

パシッ……

「あんたって、ほんとサイテー」
梨香を見下ろしながら、低い声で若菜は言った。
「ちょっと、…何すんのよ!」
思い切り叩かれた頬を抑えて、梨香は叫ぶ。
(なんで、こんな女に……)
若菜は泣きたい気分になった。
「お願いだから……もう、あたしにも、…あたしの周りの人とも、関わんないで…」


自分の教室に戻った時、若菜は怒りで手が震えていた。
若菜の帰りを待っていた愛百合が、心配してすぐに走ってきた。
「確信犯だ……あいつ」
「何?確信犯って?」
愛百合はきょとんとして、言った。 
「分かっててやってる、ってことだよ……。ああ、あいつ、ムカつくーーー」
自分の事も柚琉の事も、バカにされたのが許せなかった。
(あんな女のやった事で、柚琉が落ち込んでるなんて……)
彼を傷つけた梨香が憎い。
(柚琉…)
若菜は両手の拳をギュっと握りしめた。
(だけど、……あたしにできることは何もない…)



それから数日後。
クリスマスの街は賑わっていて、柚琉がバイトをしている店も朝から晩まで客が途絶えることはなかった。
「お疲れっす!」
テナントの百貨店は閉店時間を迎え、柚琉は佐藤や他のバイトに挨拶をして早々に店を出た。
公太からメールが入っていて、高校時代の他の仲間も来るから夕飯を食べようとの誘いがあった。
(あいつら、クリスマスなのに律儀だな…)
自分に気を使っているのかもしれない、と柚琉は思った。
それが分かるからこそ、そんな気分でもなかったがこの誘いを断るわけにはいかなかった。

公太が予約していた店は、6人がけのテーブルが幾つも並ぶような広々としたフロアで、クリスマスだというのにグループ客で賑わっていた。
二人で静かな時間を過ごす、というのとは対極にある雰囲気だった。
「うーおー、今枝〜〜。久しぶりじゃん」
「柚琉、お前痩せたじゃんーー」
「そうかー?」
しばらく男3人で食事をした。
公太に電話がかかってきて、それに答えた後、彼が言った。
「彼女のいないお前たちには悪いけど、これからここに愛百合が合流するから」
「て、別にいいけどよ、…お前こそ、愛百合ちゃんに悪くないの?クリスマスなのに二人じゃなくって」
柚琉は公太に気を遣って言った。
「いいっていいって…昨日も一緒だったし。もう、すぐ来るよ」

公太の言うとおり、すぐに愛百合の姿が入り口に見えた。
その後ろにいる背の高い女子に、柚琉の視線が止まる。

「若菜……」
「!」
共通の友人がいるから、いつか会ってしまう機会があるとは思っていた。
「……柚琉…」
驚いている若菜を見て、柚琉は公太に言った。
「オレ、ここにいていいのかよ」
「いいよ」
ピシャリと若菜が言った。
「柚琉がイヤじゃなければ」

それぞれに挨拶をしつつ、5人は席に着いた。
さすがに若菜と柚琉はあからさまに会話はしなかったが、それでも和んだ状態で5人のひと時を過ごす事ができた。

しばらくそこで話をした後、愛百合と公太は一緒に、そしてそれぞれは散り散りに別れた。


「若菜」
青いマフラーを巻いた長い髪の後姿を、柚琉は呼び止める。
「途中まで一緒に行こう。遅いし」
「うん……」
駅から駅へと繋がる地下の長い通路で、二人は並んで歩いた。
「………」
「髪型、変えたんだね」
ポソっと若菜は言った。
柚琉は彼女の黒い髪を見る。
以前は綺麗な茶色に染めていた髪が、今は落ち着いた感じにサラサラと流れていた。
「若菜もな……。なんだか、オレ達おんなじような事してるな」
「………そうだね…」
若菜は苦笑した。

クリスマスの夜、9時を過ぎていたということもあって、いつもよりもカップルの割合が高かった。
柚琉と若菜も、普通に見れば恋人同士に見えたに違いなかった。

先日、公太から若菜の事を、柚琉は聞いていた。
柚琉を心配して、梨香のところへ行ったらしいと。
「………」
しばらく黙ったまま歩いて、そして柚琉が口を開いた。
「聞いたよ、……あの梨香って子に、詰め寄ったんだって?」
若菜がハっとして柚琉の方を見る。
「ああ……う、うん…。だってあいつ、スゲー、ムカつくから」
その時のことを思い出して、若菜はムっとした顔になる。
「そうか…。悪かったな……なんか」
申し訳無さそうにしながら、柚琉は言葉を選ぶ。

「梨香の態度見たらさ、絶対柚琉がハメられたって確信したよ…!ほんっと、あいつ最低」
若菜が強い調子で言う。
そんな彼女を優しい目で見ながら、柚琉は静かに答えた。

「だけどさ……、多分…。結局、オレが悪かったんだよ。オレに隙があったのが悪いんだよ」

「柚琉……」
しゅんとした感じの彼の様子に、若菜は何と言っていいのか分からなくなる。
「もういいよ、その事は」
柔らかい声で柚琉は言った。

「………」
愛百合が言った、柚琉が相当落ち込んでいるっていうのは本当だと若菜は思う。
先ほど5人で一緒にいた時でも、彼が以前の 抜けた明るさがない事が気になった。
(本当に、『彼女』のこと好きだったんだ…)
柚琉を目の前にしてそう実感して、若菜の心は沈んだ。

「オレってバカだよな」
「?」
何のことだか分からなくて、若菜は柚琉へと振り返った。

「若菜に対してだってさ、……後で気付いたけど、オレ…もっと気遣ってやれたはずだしさ」

(そんな風に言われると…辛いんだけど)
突然別れを切り出されて、悲しくて仕方がなかったあの時。
当時はわけも分からなかったし、柚琉に腹が立ってムカついてたまらなかった。
だが 若菜の中で、彼を好きな気持ちはあまり変わっていない。
今でも、彼の落ち込んでる姿を見るとなぜか若菜まで悲しくなってしまう。
そしてそんな柚琉に優しい言葉をかけられると、若菜は益々切なくなった。

「柚琉は、……もう、あたしと付き合ってた頃の柚琉じゃなくなったね」
「そうか?」
「うん……変わった…」
(優しくなったよ……)
柚琉を見る目が、潤んでくる。
(なんで、あたしと付き合ってた時に……そうじゃなかったのかなあ…)

「変わった、かなあ……自分じゃあ分かんね」
柚琉は通路の先を見た。
絶対に変わったと思うのは、若菜の気持ちが、あの頃よりも鮮明に見えるようになったという事だ。
今の柚琉は、恋する人間の感情が痛いぐらいよく分かった。
それが分からずに、恋人を作っていた(若菜と付き合っていた)自分が酷いなと今更に思う。
当時の自分は、全然思いやりがなかった。

「知らない人みたいに見えるよ」
若菜が笑顔を作った。
「…………」
「柚琉、大人っぽくなった……。別れてから、まだあんまり経ってないのに」
精一杯の態度で接してくれる若菜を見て、柚琉は胸が痛んだ。
「若菜……」
「なによ」

「ごめん……ありがとな」


自分と付き合っていた頃には見せないそんな柚琉の言葉や表情が、若菜の胸に刺さった。
改札口まで送ってくれた柚琉と別れてから、若菜は振り向かずにホームまで早足で歩いた。
唇を噛む。
しっかりと前を見ていないと、涙が溢れそうだった。
「絶対……」
若菜は思わずマフラーの中でつぶやいていた。

(絶対に、柚琉が後悔するような、いい女になってやるんだから…)

立ち止まり、若菜は顔を上げた。



クリスマスの夜、まさかこんな風に過ごすとは思っていなかった。
3ヶ月前の自分なら、若菜と当たり前のようにこの夜を過ごしていると想像していたはずだ。
1ヶ月前の自分なら、桃子との幸福な一夜を過ごす事を願っていた。
「あー…」
夜の混んだ電車の車内は、空気まで普段よりもどことなく賑やかで浮かれていた。
ソワソワした景色の中、柚琉だけが止まり、陰を放っているようだった。
(桃ちゃん……)
若菜にあんな風に言われても、柚琉は自分の中の桃子の存在を強く感じるばかりだった。
クリスマスを別々に過ごしている事で、余計に自分の中の想いが増大していく気がした。

(今頃、何してる……?)

桃子の住む駅に、電車が入っていく。
少し前まで、今とは全く逆の気持ちで降り立った場所。
ここに着くといつも柚琉は落ち着かなくなる。
キョロキョロと周りを見渡して、桃子がいないか、どうしても探してしまう。
(桃ちゃん…)
電車のドアが閉まる直前に、柚琉はホームへと降りた。
今、桃子が本当にここにいないのか、確かめるために。

人々は改札へと抜ける降り口に集まっていく。
いつもならホームでしばらくぼうっとしてしまうのだが、今日は柚琉も一緒に降りていった。
改札の方を見回しても、桃子らしい人物はいなかった。
(……こんなタイミングで、会えるわけないのに)
ゆっくりと歩いてホームに戻り、ベンチに座って次の電車を待った。

何をするでもなく、ただ携帯を握り締めていた。
時折冷たい風が吹き抜ける暗いホームに、次の電車が到着するアナウンスが流れた。

(はあ……)

電車が見えてくる。
風圧で更に強い冬の風が、柚琉の黒い髪の間に、冷たく通り過ぎていく。
「もう、行かなきゃな……」
立ち上がり歩きながら、柚琉は短いメールを打った。



考えないように考えないようにしようといくら思っていても、桃子はどうしても柚琉のことが頭から離れなかった。
仕方なく、今夜は柚琉を忘れようとするのを、あきらめることにした。
(クリスマスだもんね…)
車内の窓は熱気で真っ白に曇っていた。
(柚琉は、…何をして今夜を過ごしてるのかな…)
手を伸ばして窓に指を伝わせると、黒い筋の先微かに外の景色が見える。
(……私のこと、…思い出したりしてるんだろうか…)

駅に到着する直前のアナウンスが、聞こえる。
電車の中、車両にいる人の間を掻き分けて桃子はドアの方へと急いだ。

「あっ」
ドアが開いた途端、後ろの誰かから桃子は強く押され、勢いよくホームへ飛び出した。
(寒ーーい……)
熱気の中から突然外に放り出されて、桃子は思わず身震いをする。
ホームへと、大勢の人が降りていた。

彼と何度も一緒にいたこの場所。
彼と過ごした所、全ての場所で、柚琉の存在を強く意識してしまう。

(柚琉……)


(柚琉?)

一瞬、会いたい願望が見せた幻かと思った。
彼の黒いジャンバーの背中を見たような気がした。
桃子は思わずその方向へと走った。
(柚琉??)
ホームを歩く人が多くて、桃子はその背中を見失ってしまう。

閉まるドアに注意を促すアナウンスの声が、ホームに響く。
桃子は一歩電車から離れると、またその背中を探した。

「あっ」
ホームから電車へと乗っていった黒いジャンバーの男性の背中が、柚琉にそっくりだと思った。

その時、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。
一瞬そちらに気をとられ目を離した隙に、その人物は車内の人に紛れてしまった。

「まさか………バカね」

後姿しか見えなかった。
彼のように見えた。
どんな人込みの中にいても、今の自分は柚琉を見つけられる気がした。
黒いジャンバーは確かに彼のものにそっくりで、背格好も背中の感じも、彼にしか見えなかった。
だが、髪の色が違っていた。
桃子の知る柚琉よりも、短くて黒い髪だった。

「はあ……柚琉のわけないのに……」


思わず追いかけようとしてしまった。
自分から別れたはずなのに。
彼を見つけたと思った途端、体は夢中で彼を追いかけてしまった。
「はあ……」
先ほどからポケットに手を入れたままだった。
無意識にギュっと握り締めていた携帯電話を取り出し、開いた。
「…………嘘」

メールのその一言が、桃子の心を掴んで壊してしまいそうだった。


『メリークリスマス  桃ちゃん』

――― 柚琉からだった。


その晩も次の日も、その次の日も。
何度も何度も携帯を見ては、その言葉を胸の中で繰り返した。
メールの文字を見るたびに、柚琉の優しい声が心の中に響いた。



しかし、結局 桃子は柚琉にメールを返信できなかった。

 

ラブで抱きしめよう
著作権は柚子熊にあります。全ての無断転載を固く禁じます。
Copyrightc 2005-2017YUZUKUMA all rights reserved.
アクセスカウンター