二人で中庭に出て、30分ほど経った。
「ごめん、ありがとう……もう多分平気」
柚琉はゆっくりと、桃子の膝から起き上がってくる。
「大丈夫…?」
「うん、もう大丈夫」
そう答える彼の顔は、先ほどとは随分顔色も違っていた。
「調子戻ってきたら、すげーハラ減ってきた。なんか食べに行こうよ」
濃い緑色をした長袖のジャンバーを直しながら、柚琉は立ち上がった。
一歩踏み出した彼が、桃子へと手を伸ばす。
「行こう」
ごく自然な仕草で、桃子の手を取って柚琉は歩き出した。
「…………」
桃子は特別な反応をすることもなく、素直に彼に従って歩いた。
会ってまだ間もない年下の男の子に手を引かれているというのに、何故か拒否もせずついて行っている自分が変だなと思いながらも、桃子は彼にされるがままでいた。
(ここで過剰にイヤがったりするのも、大人げないかも知れないし…)
繋いだ手の感触の自然さに戸惑う自分に、心の中で桃子は理由をつけた。
すぐ近くにあるチェーン店のレストランに、連れられるまま桃子は入った。
「桃ちゃんも、おなか減らない?」
「うん、……そう言えば」
展示会が終わってから、軽いおやつ以外のものを口にしていなかった。
柚琉がセットに単品を追加するのを見ながら、桃子も一緒に食事をオーダーする。
改めて向き合った彼を、桃子はじっと観察した。
打ち上げが始まったばかりの時、本当に具合が悪そうだった柚琉は、今では普段どおりに元気そうだ。
明るい髪、今風の服装。
(若いなあ、ホント……)
桃子はしみじみ思いながら、自分から柚琉に聞いてみた。
「ねえ、青木君って何歳なの?」
「だから柚琉でいいって。『青木君』っていうの、何か上から目線っぽいし」
「……そんなことないと思うんだけど」
『上から目線』と言われて、桃子は何だか困ってしまう。
元々販売店のバイトの子だし、無意識にそういう態度になってしまってもおかしくはなかったからだ。
「オレ、もうすぐ19」
柚琉は笑顔で答えた。
(10代……っていうか、まだ18歳か……若いなぁ…)
若いとは思っていたが、まだ高校を出たぐらいの年齢と聞いて桃子は驚いてしまう。
「桃ちゃんは、いくつ?」
「……私、26」
口に出してみて、8歳も違うのかと改めて思う。
「うっそ、若く見えるね。オレのちょっと上ぐらいかなーと思ってた」
柚琉は驚いた様子で、桃子をマジマジと見た。
桃子はそんな視線に落ち着かない気分になり、すぐに言葉を返す。
「普段は、何してるの…?」
「Web系の専門学校生。オレ、そっち系に進みたいんだ」
両手を真直ぐに伸ばして、柚琉は首を回した。
(やりたい事が、もう決まってるんだ…)
桃子は少し感心した。
「すごいね、もう将来の事考えてるんだ」
「ええ、普通じゃね?桃ちゃんだって、今の仕事がやりたくて会社に入ったんでしょ?」
「そう言えば、そうだけど……」
柚琉の言葉に、桃子はドキっとした。
もしかしたら、自分は目の前の8コ下の男の子より、何も考えないでここまで来てしまったのかもしれないと思い、少し焦る。
「桃ちゃんは、彼氏、いるよね」
「えっ……」
唐突な振りに、桃子は一瞬答えに迷う。
「うん、…いるけど」
「けど、って何だよ」
そう言う柚琉の真直ぐな笑顔を見て、桃子は変にドキドキしてしまう。
『ときめき』というのとは違っていた。
普段、仕事をしていて接することがないタイプの彼。
あまりにストレートな言葉は、言い方だけじゃなかった。
柚琉の言葉が、今の桃子の心に妙に刺さってくる。
「…いるんだけど…」
「何、上手くいってないの?」
茶化すわけでもなく、柚琉は優しい目だった。
眩しいほど明るい笑顔をする彼の、移り変わる表情は客観的に見ても魅力的だなと桃子は思った。
「最近、…上手くいってる恋愛、っていうのがよく分からないんだ…」
桃子は思わず本音を漏らしてしまう。
「ああ……」
柚琉はしばらく考えてから、真面目に言った。
「確かに『上手くいってる』って、どういう状態なんだろうなって、思うよな」
「そういうの、あんまり考えないようにしてたのかも…」
思うのとほぼ同時に、言葉にしている自分に桃子は驚いた。
(なに、素直に言ってるのよ、私……)
どうしてだか、桃子にとって柚琉は話し易かった。
「そう改めて考えてみると、オレだって上手くいってるのかどうか微妙ー」
やっぱり彼女いるよね、と桃子は納得してそして安心する。
(でも彼女がいるのに、私にああいう態度って…軽いな…)
それでも柚琉のキャラなら許されてしまうのかも知れないと思う。
携帯が鳴った。
柚琉は慌ててズボンから電話を出して、机の上に置く。
桃子は聞いた。
「メール?」
「うん、そう」
机に置かれた携帯を見て、柚琉は薄くため息をつく。
そうこうしているうちに、注文した料理が運ばれてきた。
しばらく他愛もない話を続けていると、柚琉の携帯が光る。
「………」
柚琉はただチラっと携帯に目をやるだけで、黙々と食事を続けた。
ほんの数秒後、また電話が光った。
「メール、見たら?彼女じゃないの?」
「ああ、うん。……」
柚琉は渋っている。
「いいよ、私に気を使わなくても……返信すれば?」
「…いっつもさー、即レスしないとさ…、連投で来るんだよな……なんだかさー…」
仕方ない、といった様子で柚琉は携帯を開いて指先を動かす。
「桃ちゃん、後でメアド教えてな」
彼が手にした電話の裏側には、彼女と撮ったらしいプリクラが隙間なく貼られていた。
「なんっていうかさ、…頻繁に会って、会うとベタベタして、会わない間は やたらにメールして、
……だからってすげー好きかどうかっていうと、また別、って気がするんだよな」
「ふうん……」
桃子は柚琉のため息が移ったように、息を吐いた。
頻繁に会うというのを聞いて、桃子は彼の付き合い方を羨ましく思う。
「うちの場合は、柚琉と逆だな……」
「逆?」
携帯を見ていた柚琉は、上目で桃子を見た。
桃子は無意識に彼を名前で呼んでいた。
「うん…。あんまり会ってない。……これで『付き合ってる』のかなっていつも思ってるかも……」
「なんで?遠恋なの?」
「違うよ。同じ会社だし」
「会いたいって、言わないの?」
柚琉の素直な問いかけに、桃子は胸が痛くなる。
「…………」
いつからか『会いたい』という言葉を、封印していた。
そして同時に、会いたいという気持ちに向き合うことを避けるようになっていた。
「…会いたかったらさ、メールとかしたらいいじゃん。携帯あるんだし」
答えに困る桃子に、普通に笑顔の柚琉の表情は優しかった。
いつの間にか、桃子は彼に気を許してしまう。
「…だって、なかなか会えないんだもん。仕事、忙しいし…」
「それでも近くに住んでたら、全く会えないなんて事ないだろ?」
「でも……」
「要するに、会う気の問題だろ」
(………)
柚琉の言うとおりだと思った。
桃子は目から鱗が落ちるような気持ちになる。
(『会う気の問題』、って……ホントにその通りだな……)
結局、話が長くなって、夜も遅くなってしまった。
「すっげー縁があるんじゃね?」
二人は同じ沿線で、帰宅方向が一緒だった。
柚琉は桃子を、彼女の家まで送った。
「今日はホントにありがとう、桃ちゃん」
「ううん、……送ってくれて、こちらこそどうもありがとう」
「気が向いたら、電話して」
マンションの下で、二人は別れた。
会って2回目だというのに、素直に色々話してしまった自分に桃子は改めて驚いた。
それは柚琉も同じ気持ちだった。