好きという気持ちだけで全てうまくいけばいいのに

●● 4 ●●

   

「あれ、桃子…今日機嫌いい?」
「えっ……?そう…?」
「今日、デートでしょー?」

同僚の智沙の指摘に、桃子は無意識のうちに態度に出ていたことを恥ずかしく思った。

昨晩、柚琉と別れてから、桃子は思い切って雅人にメールをしてみた。
意外にも、雅人からの返事はすぐに帰ってきた。
(なぁんだ、……タイミングが合えば、すぐに返事してくれるじゃない…)
柚琉の言ったとおりだと思った。
今の桃子には、アクションを起こすことが何よりも欠けている気がした。

『さっそくだけど、明日なら都合がいいな』

雅人からの返事を受けて、桃子は朝から落ち着かなかった。
今日なら、少し素直になれるような気がしていた。

フリルのある白いシャツに薄いピンク色のスカートを履いてきた。
少し女っぽすぎる感じもしたが、上からジャケットを着ると一気に働く雰囲気になる。

(あーあ、早く仕事が終わらないかな……)

柚琉の明るさに影響されて、桃子の心は先日までと比べて随分と晴れやかだった。


「じゃあ、お先に失礼します!」
笑顔で見送ってくれる智沙に軽く手を振りながら、桃子は急いで退社する。
途中、百貨店のトイレに寄って入念にメイクを直した。

待ち合わせの場所に、5分前に到着する。
ここは書店の入り口で、目の前を大勢の人が通り過ぎていく。
何だかいつもよりも、ワクワクしていた。
(雅人、早く来ないかなぁ……)
そう思っていたとき、バッグの中の携帯が鳴った。
一瞬イヤな予感がして、桃子は手探りで電話を探す。
雅人は几帳面な性格で、めったに遅刻はしない。
遅れてくるときは必ず連絡をしてくる。
恐る恐る携帯を開くと、やはり雅人からメールが入っていた。

『ごめん、仕事が伸びて終わる目途が立たない。
今日の予定はキャンセルさせてくれ。
本当にごめん』

「ああ……」
なんとなく、やっぱり、といった気がして、桃子は大きくため息をついて壁に持たれた。
「しょうがないか…仕事だもんね…」
仕方がないと強く自分に言いきかせたが、このキャンセルは桃子には痛かった。
(しょうがない…しょうがないよ……)

雅人だって会いたいと思ってくれてるかもしれない。
雅人だってがっかりしているかもしれない。

自分にとって前向きにとらえるために、思いつく限りいい方向に考えようとした。


「はーあぁ……」

桃子はなかなか家へと足が向かなかった。
デパートで洋服や化粧品を見て、閉店までブラブラした。
(おなか空いた……)
都会の真ん中で、一人でディナーを取る気力は出なかった。
とりあえずファーストフード店に入り、桃子は時間を潰した。

雅人から、あのメールの後、連絡はまだ入っていない。
携帯を見ていると、今朝から浮かれていた自分がバカみたいに思えてくる。
(柚琉……)
桃子はふと、あの明るい笑顔を思い出した。
(会いたいな…あのコに…)
寂しいと思うと、なぜか真っ先に柚琉の顔が浮かんだ。
(なんだか、安心するんだよね…あのコといると)
不思議な感覚だと桃子は思う。
あまり、他人に対してそういった心許せる気配を感じることはなかった。

(相性がいいのかなぁ…)
桃子は柚琉のメアドを呼び出して、メールを打った。



「誰だよ、その変な着メロ!」
いち早く着信音に気付いた公太が、大声を出した。
「ああ、オレオレ……」
柚琉がズボンのポケットに手を入れる。
「その着メロ、不評だって言ってんのに〜」
隣にいた若菜が、柚琉にべったりとくっついた。
「ねえー、カラオケでも行く?もう帰る?」
若菜の前に座った愛百合が、時計を見ながら言った。
「どうするー?柚琉たちは…」

公太たちの話を適当に聞き流しながら、柚琉は携帯を開いた。
『今、何してる?』
(桃ちゃん!)
桃子のメールを見て、なぜだか柚琉はテンションがグっと上がってくる。
「ちょっと、電話してくる」
「えー?だれにー??」
若菜の言葉を無視して柚琉は立ち上がると、足早に店を出た。

雑居ビルの廊下、店のうるさい音が聞こえないぐらいに離れたところで柚琉は桃子に電話をかけた。
呼び出し音が鳴ると同時に、すぐに電話が繋がる。

「あっ、…桃ちゃん?オレ」
『えっ、…柚琉?』

桃子の慌てた声を聞いて、電話をかけたらまずかったのかと思い柚琉は少し焦った。
「桃ちゃんこそ、何してんの?今、電話してて大丈夫?」
『うん…大丈夫。…今さ、新宿にいるんだ』
「うっそ、オレ渋谷。…で、何してんの?」
桃子が近くにいることが分かって、柚琉は何故か浮き足立つ。
『…何も。家に帰ろうかなって思ってたとこ』

「マジで?じゃあ、一緒に帰ろうぜ!!行くから場所教えてよ!」

『えっ…、え、じゃあ、えっと……』
桃子の明らかに戸惑っている気配を気にもかけずに、柚琉は強引に約束をした。

「わりー、オレ、急用で帰るわ」
柚琉は席に戻ると、座らずに立ったままで言った。
財布から適当に千円札を何枚か出す。
「ええー!!ちょっと、送ってくれないのー?」
相当ムっとした様子の若菜が気になったが、柚琉は言葉を続けた。
「なんか、バイト先で…オレのミスでキヨ先輩がトラブってるらしくて。悪い!急ぐし!またな!」
「えー?こんな時間にー??…ちょっと、柚琉ー!」
(今日は公太たちと、一緒に帰れよ)
ゴチャゴチャ言っている若菜の声を背にして、柚琉は急いでその場を去った。


「………」
彼のペースで電話を切られ、桃子は呆然としていた。
(来てくれる、なんて…)
それでも何故だか、胸が熱くなる。
(…嬉しいかも……)
柚琉のフットワークの軽さに感心しながら、桃子は店を出た。

(10時頃には着く、って言ってたけど…)
桃子は時計を見た。
もう5分前だった。
(そんなに早く着くわけないよね……)
それじゃスーパーマンだ、と桃子は思う。
あんなに明るいスーパーマンがいたら可愛いなと、想像して少しおかしくなってくる。

(本当に10時に着いたら……)

自分にとっての本当の運命の人なのかも知れない、と桃子はほとんど冗談で軽く心の中で賭けてみる。


「桃ちゃんっ!」

「………………柚琉…」

桃子は慌てて時計を見た。
9時59分だった。

(ウソ……)

「何、そんなに驚いてんの?…オレ、何か変?」
柚琉が息をはずませながら、手を広げて自分の服を見た。
「ううん、…早いなって、思って……」
「うん、ちょうどのタイミングで電車が来た」
「そうなんだ……」
(なんだか、すごいな…)
桃子は改めて柚琉に感心してしまう。

「柚琉、忙しくなかった?何してたの?」
「仲間とメシ食ってからダラダラしてた……桃ちゃんは?」
「私…?」
桃子は一瞬答えに迷った。
「仕事…」
自分のウソに、思わず小さな声になってしまう。
「そうかー。大変だな!お疲れっ!」
そう言って柚琉は明るい笑顔になって桃子を見た。

(あー…なんだか癒される…)

桃子は柚琉の顔を見て、何故か本当にホっとしてしまう。
「遅いし、……帰ろうか」
時計を見ながら桃子は改札口の方へ足を向けた。
柚琉も横に並んでついて来る。

10時過ぎの新宿駅は、まだまだ人が大勢いた。
足早に家路へ向かう人もいれば、飲んで来たのか立ち止まって話をしている人もいる。
――― ドン!
サラリーマンがすれ違いざま、桃子の肩に勢いよくぶつかってきた。
酔っ払っているようで、振り返って桃子を上から下まで見るとニヤっと笑った。

「……何だよアイツ」

柚琉は桃子の手を取って、ホームへと向かう階段を下りた。
「桃ちゃん、今日の服装可愛いから、ちょっと目立つよ」
「えっ……そうかな?」
当たり前のように自分の手を握る柚琉に、既に桃子は不思議と抵抗がなくなっていた。
それどころか、そうされることで少し安心してしまう。
「デートする服みたいだぜ?可愛い格好で仕事してるんだな」
(…今日は、デートだったんだよね…)
桃子は心の中で苦笑した。
ホームへ着くと、すぐに電車が入ってくる。
柚琉は笑った。
「ほんっと、今日はタイミングいいな」


電車に乗っている間も、駅を降りてからも、柚琉は桃子の手を握っていた。
柚琉は、普段自分が接してい仲間達とは違う雰囲気を、桃子に感じる。
今付き合っている若菜は、まだ高校3年生だった。
(年上、っていうのも………全然いいかも)
そんな風に今まで全く考えていなかった柚琉は、新鮮は想いで桃子を見つめた。
「さすがに寒くなってきたな」
外の空気は既に冬を感じさせる。
「柚琉、手、すごくあったかいね」
「う……、ちょっと、汗っぽいだろ?」
柚琉はさっきから自分の手汗が気になりつつも、彼女の手を離すのが惜しくて握ったままでいた。
「…そうかもね」
そう言って桃子は笑った。

(最初に会ったときから思ってたけど、…やっぱ、好みだ…
それに何だか一緒にいると自然でいられるんだよな…)

彼氏に一歩引いてしまうという桃子を、柚琉は可愛いと思った。
柚琉が今付き合っている彼女とは、そういうところが全く違っていた。

携帯は完全無音なマナーモードにしてある。
(若菜、怒って何度もメールしてるだろうな…)
想像して、柚琉は少しウンザリした。
若菜は顔もスタイルも抜群に良かった。
付き合ったばかりの頃、若菜が自分の彼女という事は柚琉にとって自慢だった。
しかし最近は他人の評価なんて、どうでもいい気がする。


「一緒に帰れてよかった……ありがとう。急に呼び出したのに」
桃子は本当に感謝して言った。
さっきまでモヤモヤとしていた心の中が、柚琉の顔を見て今ではすっかり晴れている。
柚琉が繋いでくれた手の温かさも、桃子はとても心地よく感じた。
(今夜、会えて良かった……)
「…それじゃあ、……またね」
桃子は柚琉へと顔を上げた。


「…………」


頬、唇のギリギリ横に、柚琉の唇が触れた。
桃子は一瞬何をされたか分からなかった。
(……ええ…?)

桃子から離れた柚琉から、明るい笑顔が零れる。
「オレもすっげー嬉しかった!またメールする!じゃあ!」
そう言うとすぐに背を向けて、小走りで柚琉は去っていった。


「うそ………」
(キスされた……)
しばらく固まっていた桃子は、ハっと我に返った。
(唇じゃ、なかったけど…)
慌てて部屋の鍵を開けて、急いでドアを閉める。
寒さと緊張で、手が冷たかった。

「うそぉ……」

靴を脱いで、ワンルームの部屋の灯りを点けた。
(うそでしょ……)
カバンを落として、思わずその場に座り込んでしまう。

(私、……すごいドキドキしてる…)

ブルルル……
「!」
携帯電話の着信音で、驚いて桃子は思わず飛び上がってしまった。
「あ、……雅人…」
桃子は動揺を隠すのに、必死で普通の声を出した。
雅人は約束をキャンセルしたのを詫びてきたが、桃子の心の中は柚琉にされたキスで舞い上がっていた。

 

ラブで抱きしめよう
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