好きという気持ちだけで全てうまくいけばいいのに

●● 8 ●●

   

柚琉の気持ちは晴れないままだった。
今日の天気と同じぐらい、どんよりと曇っているような気がした。

「急に、寒くなってきたねーー。ねえ、どっかで休む?」
若菜が柚琉に擦り寄ってくる。
誘っていると分かったが、彼女が制服なのが今日は気になった。
いつもなら、若菜がどんな格好をしていようと、時間があると大概セックスをしていた。
「んんーーー、っていうか、サ店いかねえ?マジ寒い」
柚琉は曖昧に濁して、若菜の背中を押すように近くのカフェに入った。

注文をしてしばらくすると、外のネオンが目立つようになってくる。
「あっという間に暗くなるな…」
柚琉は頼んだココアに手をつけないまま、ただ窓の外を見ていた。
真っ赤なジャンバーを脱がずに、ただ襟元を触った。
茶色の髪が映えて、暗くなりがちな冬の街でも柚琉の存在はひときわ明るい。
若菜はあからさまに元気のない柚琉に、ただため息をついた。
「最近……柚琉、変だよ」
「………」
柚琉はやっと視線を若菜に向けた。
長い髪を冬でも艶々にしている若菜の美しさは、後姿だけではなかった。
びっしりと生えた睫毛をさらにマスカラで増やした瞳は、思わず見入ってしまうほどの目力がある。
(やっぱ、カワイイよな…)
それに、今日の若菜は柚琉に優しかった。
(ホントは悪いヤツじゃないってことも、分かってる…)
柚琉は頭をかかえながら、席に沈み込む。

「…何?具合でも悪いの?…大丈夫?」
「何でもねえ…。……なあ、若菜」
腕を伸ばした柚琉は座りなおして、姿勢を正した。
「何?」
若菜の表情が曇る。



「…気になる子が、いて」

「えっ?」
突然の桃子の告白に、雅人は一瞬意味が分からなかった。
桃子の様子は真剣で、冗談でそんなことを言っている雰囲気ではない。

「……気になる子?」
『子』と表現している事が、雅人には引っ掛かった。
「…会社のヤツか?」
雅人の言葉に、桃子は首を振った。
「違う……」
緊張して、桃子の手が冷たくなる。
雅人の固い声の響きに、心を裂かれそうだった。

「桃子は、そいつのことが好きなのか?」

単刀直入に核心に触れるのが、雅人の話し方だ。
だからこそ余計に、論理立っている彼に対して桃子は対峙できなかった。
「……多分」
そう口に出してみて、すぐに桃子は違和感を感じてしまう。
(私は、柚琉のことが……)

「多分、…って…何だよ」
雅人は持っていたタバコを銀色の灰皿に潰した。
動揺していた。
新しいタバコを掴もうと手を伸ばすが、その手を止めて指先を握った。

しばらくお互いに言葉が出なかった。
普段は耳慣れないアジアの音楽が、やけに耳についた。
だんだんと店内に人が増えていて、楽しげな雑音の中で二人の沈黙が余計に気まずい。
先に口を開いたのは、雅人だった。

「……どんなやつ?…付き合いは長いのか?」
「……」
迷ったが、桃子は静かに答えた。
「…学生……。出会ってから、半月も経ってない…」
「……桃子」
あきれたように雅人は桃子を見る。
そんな雅人の態度に、彼のプライドの一片を桃子は垣間見た。
(自分でもおかしいと思う、…でも…だけど…)
そのまま、柚琉のことには触れずに雅人とのプロポーズに対して返事をすれば良かったのかもしれない。
それでも桃子は言わずにはいられなかった。
今まで雅人のことが理解しきれずにいた。
同じ様に、彼にも自分のことを理解してもらえていないと思っていた。
そんな状況のまま、うやむやに別れていくのはどうしても嫌だったのだ。

「私…」

桃子は思い切って、雅人をまっすぐ見た。

「もっと会いたかった……もっと、あなたの側にいたかった」
手が震えてきたのが分かった。
言わずにはいられなかった。

先ほどの桃子の告白よりも更に、雅人は驚いた顔になる。
「桃子…」
「だけど、そうじゃなかった……ずっと…願ったとおりにはならなくて」
「…………」

この場所だけ、時間の流れが変わっているようだった。
二人以外の景色が、桃子にはモノクロのように感じられた。
雅人は言葉を詰らせる。
桃子は泣き出す前のような目で、口元だけ笑みをうかべた。

「だめだよ……。私、ついていけない」
「…………」
「雅人との未来って、全然見えてこないよ…」

「…………」

長い沈黙になる。
ほんのわずか、雅人の視線が腕時計に移る。
たった一瞬、ほんの数ミリの動きに桃子はまた悲しくなってくる。
彼の中の優先順位を、そんな仕草でも感じてしまう。

固まった時の中、それが合図のように桃子は口を開いた。
「もう、…行かなくちゃね?」
「…………」
「せっかく、プロポーズしてくれたのに……ごめんね」
「……桃子」
立ち上がろうとする桃子の手を、雅人は取った。

「これからやり直すことはできないのか?」

「雅人……」
こんな風に、強く手を握っていて欲しかった。
雅人からの自分への想いを今更ながらに感じれば感じるほど、辛くなってくる。
「気持ちが………」
本当にこれが最後になるかもしれないと急に思い、桃子は涙が出そうになる。
「なかなか会えなくて、いつからか、…もう、……気持ちまで、雅人と距離を置いてた…」
「桃子……」
「もう、行こう」
桃子が一歩踏み出ると、雅人の手から力が抜けた。



『ねえ、ウソでしょ?悪いところは直すからーー』
その夜は何度も若菜からメールが来た。
メールだけではなく、電話も何度もかかってきた。
柚琉は若菜に別れを切り出した。
突然で、若菜はそれを受けとめきれないでいた。
閉じた柚琉の携帯が、またすぐに震える。

(オレも、バカだよな……)

携帯電話を離し、すぐに携帯型ゲーム機を手にしてスイッチを入れた。
ベッドの上に寝転がり、イヤフォンはせずにそのままゲームをスタートさせる。
(若菜と別れたって…)
静か過ぎる部屋に、カチャカチャと操作音が鳴った。
(桃ちゃんと付き合えるわけじゃねえのに……)
桃子のことを考えると胸が痛かった。
それでも、考えずにはいられない自分が可笑しいと思う。
(今頃、……彼氏と二人で婚約パーティでもしてるかもしれねえのに…)

桃子を想ったまま、パワーのある若菜と付き合い続けるのは辛かった。
自分が言い出さなければ、きっといつか問い詰められるのがオチだ。
(若菜……)
何通も来ているメールへ返信しようかと、一瞬思う。
(今更言う事ねえしな…)
彼女と別れたことを後悔している気持ちも少しは あった。
だが桃子のことがなくても別れていたかも知れないとも思う。
「ごめんな、若菜…」
彼女の好きなところだって、沢山あった。

柚琉はひたすらゲームを続けた。
暗闇の中、画面の光だけを追い続けた。



朝になれば、また会社へと出勤する。
昨日と何も変わりなく、時間が流れていく。
(今日で、雅人はこの場所からいなくなる…)
パソコンを前に月締めの事務処理をしながら、桃子はふと手を止めた。

昨晩、雅人のことを思い泣いた。
プロポーズしてくれるぐらいだったのだから、彼なりに自分に真剣になってくれていたのだろう。
それでも彼の自分へ対する情熱は、付き合っている間桃子はあまり感じることができなかった。
(他のことが考えられなくなるぐらいに、…愛されたかった)
すれ違いが、一つに戻ることは考えられなかった。
雅人と自分は、違うと思った。
そんな価値観の違いは、やはり決定的だったのだ。

(柚琉はどうしているのかな……)

押し倒されて、あんな風に拒否して…きっと彼のプライドも傷ついたに違いない。
(気まずいよね…やっぱり)
柚琉と話がしたかった。
(だけど、…何を話すっていうの……)
自分が雅人と別れたと言っても、柚琉に彼女がいるということには変わりはない。
(第一、私のこと…彼が好きなわけじゃないし)
「はあ……」
柚琉といると、勘違いしてしまいそうになる。
彼に好かれているんじゃないかと。


(会いたい……すごく、会いたいのに…)

雅人にここ(会社)で会うことができるチャンスは、もう今日しかないかもしれないというのに。
桃子は柚琉に会いたかった。
明るい笑顔に、あの光に、触れたかった。

 

ラブで抱きしめよう
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