秘密のメガネ君。

☆☆ 5 ☆☆

   

女の子とまともに喋ったことのないボクにとって、中学の時の彼女の優しさは強烈に印象的だった。
「大丈夫…?先生が来るまでここにいるからね」
貧血で倒れたボクに付き添って、彼女はしばらくそばにいてくれた。
時折目が合うと、ボクを安心させようと彼女は少し微笑んだ。
小さな顔に、キラキラと潤んだ瞳。

(何て可愛いんだろう……)
ベッドに横になりながらフラフラの頭で、ボクは彼女をチラチラ見た。

(こんな可愛い子、同じ学年にいたんだ……)


ボクはそれからずっと、彼女の姿を目で追って学生生活を過ごしたと言っても過言ではない。
中学の時の榎森さんはまだ幼くて、髪も黒いままでショートカットが伸びたようなスタイルをしていた。
高校に入ってからは、すごく女っぽくなって、そしてすごくキレイになった。
不毛な想いを振り切りたくて、忘れようと思ったことも何度かある。
それでも忘れられなかった。
ずっとずっと、気になって仕方がなかった。
好きという気持ちは、自分の理屈でコントロールできるものではないということをボクは思い知る。
どうしようもないんだ……。

何の輝きもない毎日の中、――― 榎森さんは、ボクの光だった。
話し掛けたくてたまらなかったけれど、随分派手になった榎森さんがボクのことを相手にしてくれるはずもなく、ボクの想いは自分の中でひたすらに悶々として、鬱積されていった。
とうとうクラスさえ一緒になれないまま、高校3年になってしまう。
彼女を全く見ることができない夏休みを過ごし、このまま卒業して一生会うこともなくなるのかと思うと、もうボクは いてもたってもいられなくなってきた。

思い切って告白をして、情けないけど1度だけ会ってもらう約束をして、
そしてその後も榎森さんはボクと二人で会ってくれた。
それすら信じられなくて、本当に夢を見ているみたいだった。

それだけでボクは完全に舞い上がっていたのに……


「ああ……」

今日の昼間、榎森さんの部屋に行った。
なんだか異常に興奮して緊張して、部屋に入ってからのことはうろ覚えだった。
本当に、白日夢でも見ていたような気がする。
「ボクの……」
両方の手のひらを顔の前で広げてみる。
(ボクのこの手の中に、………榎森さんが、いた……)
「はあ……」
溜息が出て、心臓がバクバクしてくる。
(裸の、榎森さんが………)

「う、うああああ!」

思い出すだけで、手が震えてきた。
顔を両手でゴシゴシとこする。
手で触れた自分の唇の感触で、榎森さんとのキスが甦ってくる。
(キスだけだって有り得ないのに……、今日ボクは……)
夢中で全然覚えていない。
だけど確かに、榎森さんはボクの腕の中にいて、そして裸で身を任せていた。
信じられなくて実感がなくて、そしてあまりの衝撃で記憶も飛んでいて……
だけどボクが榎森さんとそういう関係になったというのは事実で。
「ああああ……!」
体の奥がムズムズともどかしくて、現実に頭が全くついていかず、ボクはただ自分のベッドの上でもがきまわった。



(あっ!!)

月曜の昼休み、トイレに行こうと出た廊下の先、友達と話している榎森さんの姿を見つけた。
「……………」
ただでさえ彼女の姿を見るとドキドキするというのに、あんな事があったからもうボクはどうしていいか分からない。
踏み出してしまった足を戻すわけにもいかず、ボクは榎森さんたちのいる方へと歩いた。

「あっ、藤木じゃん」
友達の方が先にボクを発見して声を出す。
「あっ…」
榎森さんがボクを見た。
「…………」
ボクは言葉も出せず、目をそらすと早足でその場を歩き去った。
「なんだよー、藤木、超真っ赤じゃん!笑える!」
背中で彼女の友達が大声を出して笑っている。
「………ええっ??……ちょっと、美由まで真っ赤?なんでなんで??」
その言葉を聞いて、ボクはまた、もっともっとドキドキしてしまった。



『ああ……藤木……?』
榎森さんは毎日ボクに電話してくれるようになった。
無愛想なその声も、ボクの耳にはくすぐったくて可愛くてたまらなかった。
榎森さんは本当に可愛い人だと思う。
ぶっきらぼうな態度の裏側にいつも優しさを感じた。
それがふと表立って出てきたとき、ボクには彼女が眩しいぐらい輝いて見えた。

フワフワとして信じられない気持ちのままだったが、日が経つにつれてボクは榎森さんと付き合ってるんだなと感じてきた。
あんなにも憧れで、ひたすらに遠かった榎森さんとの距離。
その道程を彼女の方から歩み寄ってくれていた。
ボクは本当に嬉しくて嬉しくて、毎朝毎日毎晩、榎森さんのことばかり考えてしまう。


その週末、3週連続で塾をサボってしまっているボクは、今日こそ何があっても夕方からは塾へ行かなくてはいけなかった。
だからいつもよりも早く榎森さんと会った。
それも最初から彼女の部屋で。

ドキドキがあまりにも激しかった。

あまりの緊張で、わきの下を汗が流れていくのが分かった。
ボクは前みたいにベッドに座り、そのすぐ横にちょこんと榎森さんが座っていた。
「…………」
「…………」
相変わらず何を話していいいのか検討もつかず、ボクはただ汗をダラダラかいた。
体中の隙間から、下心が溢れてきて今にも榎森さんに襲い掛かってしまいそうだった。
ボクは煩悩を懸命に理性で押さえつける。
油断していると目の前がぐるぐるしてきて、貧血で倒れてしまうんじゃないかと思った。

「…ねえ、藤木」
「なななな、何ですか?」
「あたしのこと、……好き?」
榎森さんのその問いかけにボクは体が弾み、その拍子に少し彼女から離れた。
「す……好きに決まってるじゃないですか!」
緊張しすぎて手が震えそうになるのをボクは堪えながら、両手の拳をギュっと握った。
近くにいる彼女に手を伸ばしたくてたまらなかった。
ガマンするには近すぎる距離だった。
「じゃあさ、……お願い聞いてくれる?」
少し上目がちな瞳が、女の子っぽくてすごく可愛い。
栗色のツヤツヤした髪が肩にかかっている。
ボクは好きで好きでたまらない。
「何でしょう……?」
彼女のお願いなら何だって聞ける。

「やっぱり、敬語やめてよ……」
「えっ……」

何だって聞けるけれど、それに関してはボクはかなり自信がない。
「わ……分かりました」
「既に全然分かってないじゃん」
榎森さんは両頬を膨らます。
(か、可愛い……)
ボクはとうとうガマンしていた手を伸ばしてしまう。
「ぷっ」
両頬を手でギュっと抑えると、榎森さんの口がタコみたいにニュっとなる。
「もう〜〜〜、何すんのよ……」
口を尖らせてそう言う彼女は、全然怒っていない。
ボクはそんな榎森さんを見て笑ってしまう。

こういう関係、ボクはずっと憧れてた。
体が繋がるのと同じぐらい、こんな時間がボクの夢だった。

ニコニコした榎森さんがボクを真直ぐに見つめてくる。
「ねえ、美由って呼んでよ……。光成」
「…………」

(光成……)

今、榎森さんが呼んだそのままの声で、ボクは心の中でその音をまた響かせた。
自分の名前、ただの符号。
それだけのはずなのに、彼女の口から出るその言葉はボクの心の芯を潤ませる。
ボクの胸は感動で一杯だ。
おそるおそる彼女の名前を口に出してみる。

「美由……………さん」

「“さん”〜〜? “さん”って〜〜?」
「えっと……、す、少しずつ……。だって、榎…美由さんはボクのすごい憧れで…」
「まあ、いいけど……」
榎森さんは諦めたように言った。

ニコっとする彼女の表情はすごく優しい。
ボクはドキドキして好きでたまらなくて、犬が緊張をほぐすみたいに思わず首をブルンと振った。
「……どうしたの?」
あからさまにさっきから態度の固いボクに、榎森さんは気付いているみたいだった。
「なんだかちょっとずつ私から離れてるし」
ハっと見ると、ボクは先ほどよりも更に彼女から離れていた。
「………だって……」
ボクは少し腰を浮かせて、キチンとベッドの縁に座りなおした。
「その………、そんな事ばっかり考えてるヤツだと思われたくなくて…」
「ええ?」
一瞬彼女は意味がわからなかったようで、暫くしてから頷いた。
「あー…、そういう事ね…」
今度は榎森さんが恥ずかしそうにしている。

「す、…すいません…」
「あのさ〜……」
榎森さんは顔を赤らめた。
皆には軽く見られがちだけど、彼女が本当はマジメだってこともボクは知ってた。

「いいんだよ……」
榎森さんはボクを見ずに言う。
「………」
ボクは彼女が眩しくてたまらない。


「………好き、だからさ……」

そう言ってボクの肩にちょんと頭を寄せてきた。
「美由、さん……」
ボクは彼女の背中に腕を回した。
指先が震える。
だけどボクは彼女に触れた。

こちらを見上げた榎森さんの表情に、ボクは吸い込まれそうになる。



――――― 彼女は、ぼくの光だ。

そして、全てだ。

 

ラブで抱きしめよう
著作権は柚子熊にあります。全ての無断転載を固く禁じます。
Copyrightc 2005-2017YUZUKUMA all rights reserved.
アクセスカウンター