友達のままでいたいよ

●● 2 ありえない夜 ●●

   

柔らかな温もりが、とっても気持ちがいい。
「んん……」
薄っすらと目を開ける。
(肌………)
タバコの匂いがする。
一瞬、謙ちゃんかと思う。だけど彼とは先日別れたばかりだ。
これは……夢?
ゆっくりと視線を上げていく。

「えっ………」

(ゆ、祐介?!)

私は慌てて起き上がった。
夢じゃない。

「うそ………えええ……」
目の前に眠っている祐介は、裸だ。
そして……私は……。

―――― 全裸だった。

(えええええっ、どういうことよ?)
慌てて周りを見渡す。
薄暗い部屋。……ここはどう見てもどう考えても、ラブホテルの一室。
…それも、もの凄く趣味の悪いホテル。
(なんで祐介とこんなとこに???)
全裸の私。
確か昨晩、祐介と一緒に飲んだ。そこまでは覚えてる。
その後は………?
頭が混乱して、何がなんだか分からなかった。
だけど下半身のこの汚れた感じは、どう考えてもセックスした後の体だった。
(祐介と、……しちゃったの???)
信じられなかった。
だけど、目の前には確かに裸の祐介がいる。
「……う、……うそでしょう……」
思わず布団を引っ張ってベッドに座ったまま後ずさりする。
「う……」
布団が動いて、祐介の目が開いた。

「…………」
思いっきり眠そうな祐介。
「…………」
私はかける言葉が浮かばない。

祐介は私を見ると、ハっとして起き上がった。
「亜美………!」
「………」
私は肩まで布団を引っ張った。
目の前にいるのは確かに祐介で、私は裸で…。
(うそぉ………夢じゃないの?)
全然、夢じゃない。これはどう見ても現実。

「祐介………どういうこと???」

私は軽くパニックになる。
「亜美……、全然覚えてないの?」
祐介は半分起き上がった姿勢で、頭を掻いた。
「お、…覚えてない。全く……」
布団を握り締める手が冷たくなる。
この状況に緊張して、頭が痛くなりそう。
ううん、実際痛かった。…多分二日酔いなんだ。

「やっぱ、覚えてないか……そりゃそうだよな」
祐介は困った顔で言った。
私だって、もっと困るよ。
「…や、……祐介………私としちゃったの?」
もう単刀直入に聞くしかなかった。

祐介は私を見た。
その目には、彼との付き合いの中で見たことのないような、悲しみを感じた。
「しちゃったよ………」
目をそらした祐介は、体を完全に起こして前を向いた。
「…………し、しちゃった…って…えぇ…」
やっぱり、しちゃったんだ。
だけど私は全く覚えてない。
もしかして、酔ってる私を……祐介が無理矢理??
祐介は、そんな事する人だった??

「ウソでしょう………どうして…?」

私は泣けてきそうになる。
祐介は私にとって、信頼できる男友達だ。
よく女友達からは「男の親友なんて、有り得ないでしょ」って言われてた。
だけど「そんなことないの、彼は特別なの」って笑い返していたのに。
祐介は特別な男だったのに……。

「……事実を言うけどさ」
おもむろに口を開いた祐介は冷静だった。
「……」
私は黙って彼の話を聞くことにする。

「亜美、…昨日の亜美はさ……」
そこで祐介は黙ってしまう。
私たちはラブホテルのベッドの上、裸のまま離れて座っていた。 
沈黙を続ける祐介に、待ちきれずに私は言った。
「………何……?私が、何…?」

「一言で言うと………とにかく、ひどかった……」

「ひどかった……?」
どうひどかったんだろう。ひどく酔ってたってこと?大暴れしてたってこと?
「オレに、……すごい勢いで迫ってきて…」
「…私が……?」
信じられなかった。そんなこと、私が…?
「断るとか拒むとか、……そんな隙もなくて」
「…………」
ウソでしょう?…そんなのウソだよ。祐介がきっと……
「………ウソだと思うだろうけど、…オレがお前にヤられちゃったって状況で」
「…………そんなの、信じられない」
祐介の言ってることはおかしいよ、って思った。
だけど、そう話す彼は落ち込んでる感じで………。
「…信じられないだろうな……オレだって信じられないよ」
「信じられないよ……男の人が、拒めないなんて」
私は本当にそう思って言った。
セックスなんて、男の人が主導しなければできないはずだ。

「……………はあ……」
祐介は重たいため息をついた。
その様子は、ウソを言ってるとは思えない。
彼は自分の髪に手をやって、ぐしゃっと頭を掻く。
「確かにお前としたのは事実だよ。……悪かった、けど……」
「………」
状況が全く飲み込めてなかったけれど、一つ確かなのは祐介がすごく困っているってこと。
それから、……やっぱり彼は悲しそうに見えた。
「祐介……」
私が声を掛けると、彼はまっすぐ私を見て言った。
「お前が昨日オレにしたこと、詳細に言おうか?」
「………」

昨日、私が彼にしたこと…?
「私、何したの……?」
「はあ……」
祐介はまたため息をつく。
そして意を決したように顔を上げると、話し出した。
「まずお前が路上で、したいしたい大騒ぎし始めて」
「ウソっ!」
私は思わず叫んだ。祐介は無視して続けた。
「そんでお前はオレの静止も聞かずに、ラブホテルにずんずん入っていって」
「……ウソ…」
愕然とする。
私がそんなこと?
「部屋に入ると、すぐにお前はオレを押し倒して、キスしてきて…
油断してるオレのズボンをあっという間に脱がして、その時お前はもう…」
「ちょ、ちょっと待って!」
私は慌てて祐介の言葉を止めた。

「もう、…いい、………」

多分、私は真っ赤になっていると思う。
目の前には裸の上半身を見せた祐介がいる。
頭がぐちゃぐちゃで、現実感がなくって、だけど冷静に考えてみると今私は祐介の前で全裸で…セックスしてしまったのは明白な事実で…。

祐介と、セックスした………

だけど私はそれを全く覚えていない。
それどころか、何だか大変な醜態を見せたらしい。
とにかく覚えていないだけに、…恐ろしかった。

「………祐介…とりあえず、…ここから出よう?」


冷静になってくるとラブホテルに裸で二人っきりでいるのが耐えられなかった。
祐介がシャワーを浴びている間に私は服を着たけれど、自分の体に残る生々しい感じに改めて愕然とした。
太腿の付け根の方まで、濡れた跡があった。
(本当に、しちゃったんだ…それも、祐介と…)
それなのに、私は記憶が全くなかった。
だけどどんな風にしたのかを改めて聞く気にもなれないし、とても聞けそうになかった。


私たちはホテルを出て、朝ご飯を食べようと喫茶店に入った。

レトロな雰囲気の店内は黒でまとめられていた。
窓際にはアンティーク風のランプがあって、夜の雰囲気はとても良さそう。
今は平日の朝だから、お客はサラリーマンが多かった。
男女カップルなのは私たちだけ。
コーヒーとサンドイッチを前に、お互いに黙々と食事を始めた。

「…………」
「…………」
全く会話が弾まなかった。
「祐介……私、まだ信じられないんだけど……」
正面に座った祐介を見ながら、私は切り出した。
「……オレも、昨日のことは夢だったような気がするよ」
彼もすごく困ってるのが分かる。
(祐介と、しちゃったんだ……)
エッチしちゃったということもショックだった。
それ以上に、その事を全く覚えていないということがショックだった。

……大事なことなのに。
その事を欠片も覚えていないなんて。

「……私、自分のしたこと…全然思い出せない…」
「…そうだろうな…、あんだけ普段の人格と違ってたんだから…」
祐介が窓の外に目をやる。
彼の睫毛は長くてビッシリと生えていて、二重の目はとてもパッチリしている。
王子様みたいだ、と私はいつも思っていた。
普段の祐介が、女の子に人気があるのは知っていた。
だから祐介の側にいる私が女の子にやっかまれる事もよくあった。
それでも私は彼には恋愛感情を全く感じなかった。
なぜかといえば、祐介は私の好みじゃないからだ。私にとって、彼の顔はちょっと濃かった。
もっとあっさりとしたタイプが好きだった。例えば二宮君、みたいな。

「……ごめんなさい……」

何をしたか分からなかったけど、してはいけないことをしてしまったのは分かる。
後悔しようにも、その記憶自体がゴッソリなかった。
……祐介を傷つけた、ってことは確かだ。
大好きな、友達なのに。

「…………オレがもっと毅然とできてたら…」
祐介が机の上のライターをいじる。
「…しないでも、済んだかも……」
ライターをギュっと握って、タバコの上に置き直した。
「………でも、やっぱ無理か……あの状況じゃ……」
「…………」
私は一体何をしたんだろう?
すっごく恥ずかしくなってくる。
昨晩、私は祐介の前で裸になって……祐介と一つになってしまったんだ。
それを彼は鮮明に覚えていて、私は全く覚えていない。
「祐介、お願い…」
「……何?」
祐介は箱からタバコを一本取り出した。
それを机にトントンと叩く。
私は手を膝に置いて、両爪を重ね合わせていた。

「…昨日のこと、…なかったことにして」

祐介は一瞬驚いたような顔をした。
「…あ、……ああ…」
「ごめん、……だって……私…全然覚えてないんだもん……」
都合のいいことかも知れないけど、こう言うしかなかった。
「これからも、……祐介とはいい友達でいたいし」
「…………」
祐介がタバコを持つ腕を伸ばした。

「それは、……オレもそう思う」
「………」
私は祐介を見た。
客観的に観察してみると、彼はまあまあいい男だと思う。
だけど私の目に映る祐介は、…確かに男なんだけど、恋愛対象じゃ、なかった。
ましてや、性的関係になるような対象でもない。
だからこんな風になって、今朝はまともに顔を見ることもできなかった。
「祐介……唇の端…」
「ん?」
「切れてる」
祐介の唇の端の方、赤く滲んだ薄い傷があった。
「…ああ、……昨日お前に噛まれた」
「うそ……」
(本当に?)
…私は昨晩、一体彼に何をしたんだろう??


「ごめんなさい、本当に……マジでごめん……」

「もういいよ、もう、この件については、言いっこなしって事で」
祐介がタバコに火を点ける。
手に持つライターは、私がお義理でプレゼントした銀色のジッポーだ。
窓の外を見ながら、祐介はゆっくりと青い息を吐いた。
「しあさって、……合コン、忘れんなよ。お前が言い出したんだから」
「あっ……、そうだったね…」
謙ちゃんと別れて、ヤケになって私から合コンをゴリ押ししたんだった。
今更だけど、祐介とこんなになって気が重くなる。
「ホントごめん……祐介」

その日別れるまで、私は何度も祐介に謝った。


家に帰ると、すぐにシャワーを浴びた。
湯船で自分の全身を撫でてみる。
(昨晩、……祐介と…)
この体で。
だけど全然…全く、一つも、覚えていない。
(ああ……)
私、ホントに何しちゃったんだろう。
(相手が祐介で、まだ良かったかも)
なんて、変に前向きに考えてみる。
もしも、見知らぬ人を街中で誘ってたりしてたら…記憶がないだけにそんな事だって有り得る。
「はあ……」
自分がすっごく情けなくなる。
(酔ってこんな風になることなんて、ないのに…)
私、どうしちゃったんだろう……。
今朝見てしまった、祐介の肌の色を思い出す。
私は確かに彼の温もりに包まれていた。
気が動転してしまって、すっかり忘れていたけれど。

祐介は、私と友達のままでいてくれるんだろうか。
“なかったこと”になんて、できるんだろうか。


3日後、私のために合コンが開催された。
普通の居酒屋で待ち合わせて、祐介も私も大学の友達を二人ずつ連れて来た。
「……どうも」
私は祐介の顔を見るなり、変な挨拶をしてしまう。
「ああ」
彼は一瞬ぎこちない笑顔を私に向けると、連れて来た友達を紹介する。
女友達二人はそれに応えるように自分達で挨拶を始めた。
祐介は小声で私に言った。
「……あんまり飲むなよ」
「分かってる……」

男の子たちは、二人とも悪くなかった。
というより、かなり良かったと思う。
それなのに私は、心ここにあらずの状態だった。
せっかく私のためにという口実で開催された合コンなのに。

「ねえ、亜美の友達…祐介君、私かなり好みなんだけど」
「私も結構好きー」
トイレで化粧を直しながら、今日の手ごたえを言い合っていた。
なぜか祐介が一番人気になってる。
まあ、ちょっとは予想できた展開ではあったんだけど。
「祐介君、彼女いないんだよね?」
美緒がネイルアートをバッチリした爪を見ながら私に言った。
「いないみたいだよ」
私は口紅のパレットを閉じて答える。
「仲良さそうなのに、なんで亜美が付き合ってないの?」
鏡越しに祥子が聞いてきた。
「うーん、『友達』って感じで……どうも今ひとつ…」
私は言いながら、先日エッチしたくせに、と心の中で苦笑してしまう。
「でもさー、他の男の子もけっこういい感じじゃない?」
黒い薄手のカーディガンを羽織りながら、祥子はバッグを肩にかけた。
「うんうん、それは言える」
最近染めすぎて派手な髪色になり過ぎたと嘆いている美緒も、頷いた。

男女共に互いに好感触で、当然のように二次会に行く事になってしまう。

カラオケは、盛り上った。
祐介も彼の友人たちも、ノリがすごく良くってそれに乗せられてしまった。
先日の失態も一瞬忘れるぐらい、私も楽しくなる。
そんなに飲んでいるつもりはなかったけれど、ノリでそこそこに飲んでしまったと思う。
気がつくと、いい時間になっていた。

「ねえ、終電大丈夫?」
「急がないと間に合わなくなっちゃう!」
「ヤバイヤバイ、早く出ようよ!」
「リモコンどこやった?」
「美緒ちゃん路線一緒だよね、送るよ」
「この携帯誰のー?」
「急ごう急ごう…」

バタバタと会計を済まして、私たちは店を出た。

カラオケ店では、私は普段の自分と何も変わりなかった。
しっかりと話もしていたし、ちゃんとした態度だったと思う。
それなのに ―――――。



……そこで、私の記憶は唐突に途切れた。

 

ラブで抱きしめよう
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