ぼくらのキスは眼鏡があたる

12 8月

   
水着なんて着るのも買うのも何年ぶりだろう……。
私の最近の夏の行動の中に、『泳ぐ』なんてパターンは今までなかった。
何だか気が重いようなワクワクするような…そしてすごく恥ずかしい気持ちで、私は杉下くんとの待ち合わせ場所に向かった。
先日、千草に付き合ってもらって買ってきた水着。
(……あぁ、やっぱり恥ずかしいな…)

駅で杉下くんは私を見つけると、すぐにニッコリしてくれる。
その笑顔はホントにキラキラで、遠くにいる女の子の集団が彼を見て何か噂をしているのが見えた。
「ホントにプールで良かった?」
杉下くんは言った。
「うん、…プールがいい」
私は答える。
海は、何となく怖かった。
神奈川の海は水が茶色い気がしたし それにすごくナンパなイメージがあって、『泳ぎに行こう』って言われて私は『プールならいいよ』って返事をしたんだ。
杉下くんはすっごくニコニコしてる。
私の手を取ると、足早に目的地へと向かう。
外は日差しが眩しかった。


「…………」

プールサイドで私の水着姿を見ると、杉下くんは黙った。
(あーやっぱり似合わないよね…恥ずかしい……)
私は一刻も早く逃げたくて、すぐにでも水に入りたくなってくる。
ここは広くて、屋外と屋内と両方に何種類ものプールがあった。
今日は天気がすごく良かったから屋内は比較的空いていた。
私と杉下くんは、女子と男子が更衣室から出て混ざる屋内の通路で待ち合わせていた。

彼の水着は少し柄が入った紺色で、膝上の半パンタイプだ。
なんだか杉下くんっぽくって、似合ってる。
裸の上半身は意外にも筋肉質だった。
(カッコいいなぁ、杉下くん…)
私はあらためて感心した。
当の彼本人はまだ私をボーっと見てた。
あんまり杉下くんが黙っているから、私は口を開いた。
「あの、……海都…?」
最近、名前で呼ぶのにも違和感がやっとなくなってきた。
私は、杉下くんが自分のことを『海都』って呼ばれることに、何だかすごいこだわりを感じているような気がしてた。
だから恥ずかしいんだけど、『海都』ってできるだけ呼ぼうと思ってる。

「あっ……ああ…」

杉下くんは我に返って、すごく困った顔をした。
彼は時々私を見てそんな表情をする。
私はその度になんだか少し不安になってしまう。

「あの…」
何て言っていいのか分からなくて、でもこんな風に通路で二人で立ってるのも変で…。
「行こうか…」
そう言ってやっと杉下くんが一歩、歩き出す。
プールサイドから、彼は足を入れてプールの水を触った。
「あ、ここの水あったかい」
「ホント?」
私はしゃがんで、手を伸ばして水に触れる。
「ホントだね」
振り返って見上げた杉下くんは、やっぱりちょっと困ってる。
「ここ、入ってみる?」
そして杉下くんはすぐにプールに入った。


その後は屋外に行ったりまた屋内のプールに入ったり、ちょこちょこ移動を繰り返しながら、私は久しぶりのプールを楽しんだ。
ここへ来て二時間も経っていなかったと思う。
杉下くんが唐突に行った。

「あのさ、……帰ろうか…」

「……えっ…」

(なんで、こんな早く…?)
私はそう思ったけど、私が口を開くよりプールから上がる杉下くんの方が素早かった。
「じゃ、受付カウンターで待ち合わせしよう」
杉下くんはそう言って、スタスタと男子更衣室の方へ向かってしまった。
(……杉下くん、あんなに楽しみにしてたっぽかったのに…)
かなり腑に落ちなかったけど、それでも仕方なく私は着替えてドライヤーで濡れた髪を乾かした。
更衣室から出ると、杉下くんは既に出口のソファーに座って待っていた。
「ごめん、時間かかっちゃったかな……」
私はおそるおそる言った。
「ううん、何か飲む?」
杉下くんはいつものように優しい笑顔だった。
私はその顔を見てホっとする。
「うん」
「じゃ、出て……喫茶店でも行こう」
杉下くんが手を伸ばして私の手を握る。
彼が手を取ってくれることにも慣れてきた。
そして私は、それをとても嬉しく思う。

喫茶店で私は温かい飲み物を頼んだ。
杉下くんはコーラを頼んで、結構一気飲みっぽい感じであっという間に飲んでしまう。
「早く、上がったね……」
私はとうとう言った。
時間的にはこんな感じで上がるのが普通なのかな?とも考えたけど、私には経験がないから分かりようがなかった。
「うん……ごめんね」
杉下くんは本当に申し訳無さそうに言った。
そして、また困った顔をした。
今日は何度もこんな表情をしてる。
「あたしの水着姿……やっぱり変だった…?」
気になってたことを思い切って聞いてみる。
「えっ、…全然!全然!!…なんか余りにも想像以上で……」
「……想像って…」
思わず私は言ってしまった。
杉下くんは笑った。
「なんか、…雛乃って青系のワンピースの水着って感じがしたからさ…」
「………」
そういえば千草にも同じことを言われたんだった。
『ワンピースだと、あまりにも雛乃のイメージすぎるからそれは避けよう!』
そう言われて、結局オレンジ色のセパレートタイプを買った。
「まさか、ビキニとは思ってなかった……」
そこでまた杉下くんは困った顔になる。
「……じゃ、やっぱり似合ってなかったんだ…」
わたし的にはかなり恥ずかしかったけど、千草があまりにも絶賛してくれたから勢いでそれを選んでしまった。
「いや、…めっちゃ似合ってた!……なんだかいつもと余りにもイメージが違って、…でも今日の感じもすごく可愛かったよ!」
杉下くんが顔を紅潮させて言った。
私は、髪も今日はいつもより高い位置でまとめていた。
鏡の中の水着姿の私は、我ながら普段よりもずっと活動的に見えたような気がした。
そんな まるで自分じゃないみたいなさっきの自分自身を思い出して、何だか急に恥ずかしくなる。
私は喫茶店の白いソファーにもたれて、腕を伸ばしてため息をついた。


今日の二人はぎこちない。

会話もそんなに弾まないまま、私が飲み物を飲み終わると同時に喫茶店を出た。
歩きながら、杉下くんが重そうに口を開いた。
「……雛乃……」
「なに…?」
杉下くんの様子が深刻で、私は思わず心配して彼を見上げる。
「……」
今日の彼の様子は変だ。
「……?」
「あのさ……」
「うん」
私は言葉の続きを待った。
触れてる杉下くんの手の平が、いつもより汗ばんでいる気がした。

「……エッチしたい、って言ったら……やっぱダメかな…」

「………」

唐突過ぎて、返す言葉が浮かばない。
「………」
杉下くんが私を見た。
「……き、……今日?」
私はヘンな声になる。

「……やっぱ…ダメだよね……。ごめんな、変なこと言って…」

杉下くんは静かな声で言って、そして私の手をギュっと握る。
今気付いたけど、暑いのに彼の手は冷たかった。
駅まで向かう人の行き交う道で、こんな話をしてる私たち。
「……杉下くん……」
言ってしまって、苗字で呼んでしまったことに気付く。
「ごめん…気にしないでな」
送ってもらって、明日の約束をして別れる。
部屋について時計を見たら、まだ3時だった。

その日の夜、千草から携帯に電話があった。
『どうだった?杉下くんの反応はー?』
「うーん……。何て言うか…」
実際私は杉下くんの本心ってよく分からなかった。
もしかしたら、エッチできない私にちょっと怒ってるのかもとも思ってた。
『雛乃、あさって昼間時間ない?』
「あさって?」
『うん、塾、夕方からなんだけど、…それまでちょっと会って喋れないかなって思って』
あさってはまだ杉下くんと約束はしていない。
「大丈夫だけど」
『じゃ、その時に詳しい話は聞くね』

電話を切った後、ふと考える。
千草は、野上くんとどうなんだろう……。
どんな風に付き合ってるんだろ……。
私は確かに杉下くんのことが好きで、そして彼に好かれてるなって感じる。
だけど、私たちはどこかぎこちない。
その理由は……なんとなく分かり始めてたんだけど。


次の日、昼間から杉下くんとカラオケボックスに行った。
カラオケボックスに来るのは何度目かで、杉下くんがかなり歌がうまいことを私は知ってる。
実際には、私たちはほとんど歌わないでお茶したりおしゃべりしたり、他に…

「んん……」

個室。
さっき杉下くんに眼鏡を外された。
そして今、私は彼にキスされてる。
キスされるのは好き。
だけど、このドキドキ感には全然慣れない。
「あ……」
私が口を開いた瞬間に、自然に彼の舌が入ってくる。
そして上の歯の裏のあたりを舐められた。
(………!)
私は首筋がビクンとする。
(やだ……この感じ……)
ドキドキが全身を巡る。
触れ合う唇と彼が触る私の頬。
触られてるのはそこだけなのに、足の先まで、…心臓。
流れる空気でさえ、私の感覚に触る。
体の芯がムズムズしてくる。
逃げ出したくなるぐらい、何だか恥ずかしい。
キスしてるだけで、こんな風になっちゃう自分に。
ショーツの中は、きっと大変なことになってる。

少し唇が離れて、薄く目を開けると杉下くんと目が合う。
熱っぽい目。色っぽい表情。
こんな顔でキスされてるのかと思うと、私はますますドキドキしてくる。
(どうしよう……)
何だか泣きそうな気分になる。
また唇が触れる。

(このまま………)

流されてしまっても、いい気がしてくる。
流されたいという欲望が生まれているのに、私は目を反らしてる。

「はあ………」

私は大きなため息をついてしまった。
ちょっと抱きしめられた。
すぐに離れて、二人で普通にソファーに座りなおす。
しばらく、沈黙。

「昨日は早い時間に帰って、ごめん」
杉下くんがアイスコーヒーを手に取りながら言った。
机の上には全く手をつけてない分厚い本とリモコン。
「ううん…」
私は首を振った。
キスの余韻で杉下くんが全体的に色っぽく見えたけど、昨日よりはずっとあっさりした様子だった。
「ねえ、海都……」
「なに?」

「エッチするのって、どんな感じなんだろ……」

つい思ってることを、そのまんま言ってしまった。

「うーん……」
杉下くんは一瞬ちょっとビックリしてたけど、マジメに考えてるみたいだった。
ふと、私の右手を取る。
そして杉下くんは両手で優しく握り締めた。
「今、どんな感じ…?」
彼が言った。
「……嬉しくって……ドキドキする…」
私は素直に答えた。
杉下くんは私の答えに笑顔になる。
「こんな感じがさ……」

私を見る彼の目は優しい。
学校で、誰かにこんな表情をするのを見たことがない。
誰も知らない、私だけが知ってる杉下くんの顔。

「裸で……全身でこんな感じになる、って感じ…?」

「………」
そんな感じになったら、…私気絶しちゃうかも…。
杉下くんはニコっと笑って、私の手をもっと引き寄せると指先にキスした。

ぼうっとする。
二人きりの空間で彼と過ごしてると、日常の生活とは全く違う世界になる。
「海都……」
彼の名前をつぶやく。
いつのまにか…杉下くんのことが、すごく好きだって思う。
その想いが大きくなればなるほど、私はその気持ちを持て余してしまう。




「で、杉下くんはどんな反応だった?」
千草とは水着の買い物以来。
近くの街に出て、二人でお昼ごはんを食べてブラブラして、今はお茶してるところだった。
ビルの2階にあるこの喫茶店は、下に行き交う人の姿がよく見えた。
「杉下くんは……なんか微妙な反応してたよ」
ホントにそう思ってたから、私はそのまま言った。
窓の外、歩く人はホントに暑そうだ。
最近、ずっと晴れの日が続いてる。
今年はいつも以上に夏を感じるのは、多分気候のせいだけじゃないことは分かってたけど。
「微妙って……全然わかんないよ」
「だって私もよく分からないもん」
私は困って言った。
千草は笑う。
最近短くした髪型が似合ってた。
「でもさぁ、あの水着、雛乃すごい可愛かったよ〜。杉下くん多分、嬉しすぎたんじゃないの?」
「そうかなぁ……」
よく分からなかった。
最近二人の間に流れる絡みつくみたいに甘ったるい空気。
それなのに距離を保とうとして、ギクシャクしてること…。
やっぱり私のせいなのかもしれない。

「千草、野上くんとはどうなの?」
「うん?会ってるよ?」
ケーキの横についてるアイスを食べながら、千草は答えた。
私はちょっと身を乗り出す。
「…やっぱもうエッチとかって…」
「ブ」
ふき出しそうになって、千草は慌てて口を手で抑えた。
一口水を飲んで息を吐く。
「…まさか雛乃から、そんな言葉が出るなんて思わなかった」
「だって……」
平然と聞いた自分が今更恥ずかしくなる。
「えへへへへ〜〜」
千草がニヤニヤ笑った。
その反応は……。
「そっか………」
私は一人取り残された気がして、なんだかガッカリしてため息をついた。
「杉下くんは、手が早そうだもんね」
スプーンを置いて、千草が言う。

「えっ、…私たち、まだそういう事ないんだけど」
全くないって言ったら違うと思ったけど、実際『まだ』だから…。
「そうなの?……実はとっくにそうかと思ってたよ」
「そんなことないよ」
私は困った。
「だって雛乃、最近どんどんキレイになってる感じするよ?」
「そんなこともないよ……」
私は更に困って、話を千草に振る。
「そうかぁ、千草と野上くんは………あーあ…」
「『あーあ』って……」
今度は千草が苦笑する。


夕方になって、塾へ行く千草と別れた。
『メールして』って杉下くんが言ってたから、私はすぐに彼へメールをした。
送信後、電話がかかってくる。
『駅で待ってて、15分ぐらいで行くから』
「うん。じゃまた後で」
(携帯って便利だなぁ……)
電話を見ながらしみじみ思う。
杉下くんとは毎日会ってる。
会える時間が短くても、必ず約束して会った。
今、急に杉下くんと会えない日があったら、多分私はものすごく寂しくなると思う。
杉下くんは、もう私にとって彼氏なんだなって実感する。

“雛乃は、考え過ぎてるんじゃないの?”
“エッチって、そんな悪いことじゃないと思うよ”

今日の千草の言葉を思い出す。

吹き抜けの2階の通路で、改札口を見下ろして考える。
昨日の、杉下くんのキス。
彼に触った感触。
想像しただけですごいドキドキしてくる。
彼をこうして待ってる間、もうすぐ来るのに早く会いたいなって思う。
携帯を手にした杉下くんの姿が、ホームから上がってくる階段のところに見えた。
私は電話をカバンから出しながら下へ降りる。

改札口で彼に声をかける。
杉下くんは昨日会ったときよりも日焼けしてた。
「あっ、ああ」
私に気付かなかったみたいで、急に呼び止められた杉下くんはビックリする。
「なんか、黒くなったね」
私は言った。
「うん、さっきまで稜二とか谷口らと遊んでた」
「途中で帰って良かったの?」
「ああ、全然。稜二カップルも同じ時間に別れたし」
そう言って私をじろじろ見た。
「すっげーノド渇いた。とりあえずどっか入ろう」
早足で歩き出す杉下くん。
私は手を引っ張られてついていく。

「雛乃、今日雰囲気が違う」
駅の通路を歩きながら、杉下くんは私をチラチラ見て言った。
「そうかな?」
「うん。さっき一瞬誰だかわかんなかった」
今日の私は、髪の毛を結わかないでベージュの帽子を被ってた。
白のシフォンっぽいダブダブの長いノースリーブに、下はベージュの膝丈パンツ、足元はサンダルだった。
ホワっとした服装が、私は好き。
なんとなく今日の服には髪の毛を結ばない方がいいような気がして、帽子にしたんだった。
「なんか、雛乃って色々だね」
いつものように笑いかけてくれる。
そんな杉下くんだって、ちょっと日焼けしただけでぐっと男っぽいのに。
 
喫茶店でお互いの今日の話をした。
杉下くんが買い物したいからって言って、飲み物を飲むと早々に店を出た。

洋服を見てる杉下くんを、いつもより少し離れた位置で見る。
やっぱり、カッコいいし可愛い。
絶対どう見ても、すごいモテそう。
鏡を見て、私って地味だよなぁって思う。
(いいのかな…私で…)
時々思うけど、こうして客観的に彼を見ると余計に思う。
(私も、もっと明るい服装とかした方がいいのかな…)
隣で服を見てるカップルに目をやると、女の子は茶パツで髪も巻いてて、スカートもすごく短かいのをはいてた。
あれが『明るい』っていうんだったら、私は絶対にムリだ。
それに、そういうタイプって今ひとつ杉下くんには似合わない感じ。
(まあいいや……)
結局、適当なところで気分が落ち着く。


「髪の毛下ろしてるのも、すごく可愛いよ」
送ってくれる帰り道、杉下くんが言った。
「帽子とってるのも、見ていい?」
「えー、ヘンな癖ついてるかもよ?」
別にもったいぶる理由もないから、私は自分で帽子を取った。

杉下くんはニコニコの笑顔で、私に言う。
「わー、もう雛乃ヤバイって」
「やばい…?」
変かなって思って、私は急に恥ずかしくなってくる。
「うん、すごい可愛い。なんかもうすごい……」
彼に肩を抱き寄せられた。
こうして距離が縮まると、ドキドキして…やっぱり嬉しい。

…… 私も杉下くんに触りたい。


「じゃあ、また明日」
家の近くで杉下くんが私の手を離す。
彼は笑顔で私を見て、見送りの態勢に入る。
住宅街の歩道。私は歩き出してから、杉下くんに振り返る。

「あっ…」
「ん?」
『何?』って顔して私を見る彼。
「あのね……」
私は改めて杉下くんに近付く。
彼は私の言葉の続きを待ってる。
私は下を見たまま、小声で言った。


「あのね、今度……エッチする…」



顔を上げて杉下くんを見ると、呆然としてた。
私は顔面から火が出そうになる。
「それじゃっ!」
ほとんど走って、私は家に入った。

自分の部屋に入って、大急ぎで後ろ手にドアを閉めた。

心臓がバクバクしてる……。
どうしよう。
なんか、大変なこと言っちゃった……。
 
 

ラブで抱きしめよう
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