ぼくらのキスは眼鏡があたる

8 親友

   

「稜二、…てめー、……ふざけんなよ」

病院に着いて、まず杉下くんが言ったのはこの一言だった。


休日の空いた病院。
待合場所のベンチに、未原さんと末永くんが座っていた。
「未原も、…なんだよ…。あの電話」

杉下くんは怒ってた。

末永くんは涼しい顔で未原さんの横で普通に座ってた。
未原さんは泣いた顔で、私たちを見上げた。
「ごめん、…だって……だって、最初に稜二のバイク見ちゃったんだもん…」
涙声で言う未原さんの膝を、末永くんが叩く。
「わりーな。海都。…オレ、……顔と手、擦っただけ。
玲衣がパニくったせいで、…病院まで来させて」
末永くんは立ち上がって、私たちにすり傷を見せた。

彼は私を見た。
末永くんの私服は大人っぽくて、高校生じゃないみたいだった。
「ごめんな、デート中だったのに」
そしていつものニヤニヤ笑いをした。
「こんにちわ…」
場違いな挨拶を、私は今更ながらに末永くんと未原さんにした。
未原さんはチラっと私を見て、すぐに目を反らしてしまう。
泣いた顔を見られるのがイヤみたいだった。
いつもは冷静に見える未原さんが、こんなに動揺するなんて本当に珍しい姿だなと私は思った。
末永くんは、座ったままの未原さんの頭をくしゃっと撫でた。
その目は優しかった。


つい先日のことだ。
私は末永くんに引きとめられて、「海都のこと怒るなよ」って声を掛けられた。
「怒ってない」って私が言うと、彼はすごくいい人って感じの笑顔になって、そして去っていった。
末永くんは普段コワモテだったから、そんな顔をして人を見るっていうのが意外だった。


「で、…大丈夫なのかよ」
杉下くんがムスっとしながら言う。
「おお…バイクはトラックの下敷きになったけど、……オレはほとんど無傷」
「………バイク、ぐっちゃぐちゃだったじゃん…
絶対死んだと思ったよ…稜二…」
また涙ぐんだ未原さんが末永くんを睨んだ。
同じ様な目で、杉下くんも末永くんを見る。

「末永稜二さん」

診察室の方から、名前を呼ばれる。
「一応まだ検査とかあるから、…ごめんな、玲衣が大騒ぎして」
「ごめん、海都……。森川さんも」
そこで初めて未原さんは私を真っ直ぐに見た。
「これから警察にも行かないといけないし…。
わざわざ来てもらって悪いけど……またな」
そう言って末永くんは未原さんを立ち上がらせると、二人で診察室へ入って行った。


私たち二人が残された。


日曜日の午後、総合病院は入院見舞いの人ぐらいしかいない。
「行こうか……」
杉下くんはそう言うと、何かが抜けたみたいに私の前を歩いた。
私は慌ててその後を追う。
携帯を取ってからここに来るまで杉下くんは顔面蒼白で、病院の名前を言うのが精一杯だった。それと、末永くんの名前と、「事故」の一言と。
杉下くんは他には全く喋らなかった。
握り締めた手が、震えていた。
私は状況が全く飲み込めないまま、ただ尋常じゃない事じゃないことは察知して、慌ててタクシーを拾って、この病院まで向かってきた。
そしてすぐに末永くんたちを見つけたんだ。


病院の出口を出た。
ずっと杉下くんは何も言わない。
「良かったね……末永くん、何にもなくて」
病院を出てすぐに、散歩ができるような小さな公園がある。
その入り口を私は横目で見ていた。
「………杉下くん?」
私は、少し前を歩く彼を見た。

「…………?」

杉下くんは下を向いていた。
そして、大粒の涙を零していた。
「す、杉下くん……!」
杉下くんは黙ったまま、私に顔を向けないようにしていた。
何かが切れたみたいに、ボトボトと涙が落ちてる。
「だ、大丈夫…?」
私は慌てた。
横の公園に入った。
杉下くんを引っ張って入ると、少し行ったところに日陰になったベンチがあった。
私はそこに杉下くんと座った。
というか、彼を座らせたって言った方が合ってる。

私はどうしていいのか分からなくて、カバンからハンカチを出した。
「これ……」
杉下くんの手のところまで持っていくと、彼はそれを受け取る。
「ごめん」
下を向いたままの彼は、いつも元気な杉下くんのイメージとは全然違ってた。

「稜二に何かあったら…どうしようかと思ってたから…」
震えながら、小さい声で彼は言った。


涙が止まらない杉下くんを見ていると、ガマンしてたんだろうなって思って…
そして彼にとっての末永くんの存在が痛いぐらい切なく伝わってきて…
なんだか私までつられて涙が出そうになってくる。
公園の緑の中、近くにいるんだろう…セミの声がうるさかった。
外は暑くて、公園を散歩しようって人はいないみたい。
誰も入ってこない。
杉下くんが泣いている。
私まで切なくなってくる。


私はどうしたらいいのか分からなくて、ただ黙って彼の隣にいただけだった。


「はぁ…」
暫くするとだいぶ落ち着いてきたみたいで、杉下くんは大きなため息をついた。

「オレ……すっげカッコ悪いな」

ものすごい鼻声で彼が言った。
「…ティッシュいる?」
「……ゔん」
私は彼にティッシュも渡した。
彼が鼻をかむ。
「はぁー…」
彼がまたため息をつく。
「やっぱ、カッコ悪…」
杉下くんは頭を抱える。
「ううん、カッコ悪くなんてないよ」
ホントに私の目には、杉下くんがすごくカッコ良く見えた。
人のことを思って男泣きしちゃうなんて、やろうたってできるもんじゃない。
杉下くんって、いいなぁ…って…、さっきからなんだかドキドキしてた。
「…カッコ良くはないだろ…」
彼は落ち込んだ様子で、私の方を見ない。
杉下くんが落ち込むとこじゃないのに。
私は思わず彼の左手に自分の両手を重ねてしまう。


「カッコいいよ、杉下くんは!私、好きだよっ!」


(あっ)

言った後で、自分でも何を言ってるんだろうって思った。
多分、……私の顔、…すごい赤くなってると思う。
いくら元気付けようと思ったって、「好き」ってのは…。
自分で自分がすごく恥ずかしくなってくる。
おまけに握ってしまった手も、もう固まって引っ込みがつかない。

「森川さん……」

杉下くんがビックリした顔で、私を見た。
未原さんからの携帯電話をとった後、初めて私の方を見たと思う。
彼の目は真っ赤で、たくさん泣いたことが鼻とか頬とか、色んなところから分かった。
「あの、…だから…杉下くんが末永くんをすごい思ってるの、…伝わってきたし…泣くのは恥ずかしいことじゃないし…、それに、…そういう親友がいるのって、…すごい大事なことだと思うし……」
私はありったけ、今思ってることを口に出した。



「だし、…その、…………………んんっ……」



無意識に目を閉じてた……。
杉下くんの唇が、…私の唇に重なってる…。



(うそ……)


目が開けられない。
唇の感触が、…やけに柔らかくて…。

(うそでしょう……?)

杉下くんが息を呑む音が聞こえた。
そしてまた私の唇に触れてくる…。
角度を変えて、…また触れる………
あ、…唇、…舐められた……?

そしてまた重なる………




また重なる………



また…



(……ちょ、ちょっと……長くない…?)

だけど抵抗できなかった。
私は杉下くんにされるがまま、長いキスを受けた。
――― 初めてのキス。
なのに、…こんなにたっぷりされてる…。


「はぁ……」
やっと唇を離されて、私は思わず大きくため息をついてしまった。
なんか、泣きそうになってくる。

「森川さん」
私は目を開けた。
杉下くんは目を真っ赤にしたまま、それでも優しい眼差しで私を見ていた。
「ちゃんと、付き合おう………ボクと」
頬に触れられた。
それだけで反射的にビクンとなってしまう。
ちょっと彼の目が笑う。
奥にある、彼の…人としての優しさを今日は見ちゃった気がした。

そして、私は杉下くんのことが好きだ。


私は答えた。

「じゃあ、そうする」

杉下くんはそれを聞くと、本当に華やかな笑顔で笑った。
「じゃあ、そうしよう」
さっきまであんなに泣いてたくせに、もうすっごい笑ってる。
「……」
私は何だか恥ずかしくなってきて、黙ってしまう。

杉下くんは笑いながら、私の耳を触った。
「耳まで、赤い…」
そう言われると、余計赤くなっちゃうのに。
「森川さん」
「……」
耳を触った指が、自然に頬にすべる。
もう片方の手まで、私の顔へ伸びた。

「大好きだよ…」


私はまたキスされた。
その後も、何度も……。



まだ明るかったけど、もう6時になろうとしてて、…私はすっかりフラフラになって家路に向かった。
杉下くんは家まで送ってくれた。

「じゃあ、今度チワワ見せてな」
杉下くんの顔はよく見るとまだ泣いた跡があったけれど、まるでそんなことはなかったみたいに晴れ晴れとした顔をしていた。
私はずーっと、恥ずかしいばっかりだった。

 

ラブで抱きしめよう
著作権は柚子熊にあります。全ての無断転載を固く禁じます。
Copyrightc 2005-2017YUZUKUMA all rights reserved.
アクセスカウンター