「冬唯く〜ん♪」
「浩紀(ひろき)、お前ホントにやめろ」
月曜の朝から、教室に入るなりつばさの真似をして近づいてくる浩紀を、冬唯は一蹴した。
「ははは、片倉、珍しく梅ちゃんとは仲良さそうじゃん」
そう言う浩紀は髪を薄い茶色に染めていて、いかにも軽そうな外見をしていた。
冬唯の友人たちは基本的に派手だ。
浩紀と冬唯は教室の後ろの方から、自分の席で友人と話しているつばさを見た。
「まあな、付き合ってみたら思ってた以上に可愛かったし」
冬唯はサラっと答える。
「お〜、お前にしては素直じゃん」
意外という様子で、浩紀は続けた。
「それに片倉のくせに…梅ちゃんに対しては優しくない?」
「え?オレっていつも優しくない?」
「どこがだよ」
浩紀は本気で顔をしかめる。
そんな彼を、冬唯は鼻で笑った。
教室での冬唯の態度は変わらなかった。
あまりにもあっさりとキスされて、つばさはファーストキスの実感が湧かない。
(なんか…すごく付き合ってるっぽい!)
もちろん『付き合っている』のだから、普通の恋人同士だったら、キスなんて当たり前の事なのだろう。
(でも、付き合う?って言われてちょうど一週間で…そんなものなのかな…?)
世の中の恋人たちの事情が、つばさには全く分からない。
かと言って、友人たちに相談するにしても、冬唯とも同じクラスなので何だか生々しくて嫌だった。
放課後も、冬唯はつばさと一緒に学校を出る。
まるでこれまでずっと付き合っていたように、当たり前のように、自然な流れだった。
(冬唯くんには慣れてきたけど…)
いつも温かい彼の手を、握る自分の手が汗ばんできて、つばさは恥ずかしくなってくる。
(先週より全然、ドキドキしてきちゃう)
つばさが見上げて目が合うと、冬唯は目の端を緩ませる。
(そういう感じが、なんだかすごく…)
胸がジワっと熱くなってくる。
そして動悸が早まる。
自分の中に何かが芽生えているのを感じた。
でもつばさは、その存在をまだ認められない。
つばさの家までの帰り道、人通りが途切れたところで、また冬唯にキスされた。
それは次の日もそうで、また次の日もそうだった。
そんな風に放課後一緒に帰る行動の必須事項の一つのように、冬唯はつばさにキスした。
あっという間に一週間が過ぎて、つばさの気持ちが追い付かないまま、週末になる。
『日曜日、どうしようか。
とりあえず駅で待ち合わせしよう。考えとくから』
土曜日の冬唯からのメールは、こうだった。
いつも迷わずに行動する彼にすっかり予定の事は任せて、つばさは服装の事ばかり気になってしまう。
(先週会った時は、そこまで気を遣わなかったのにな…)
冬唯と付き合って半月が経とうとしている。
2週間ちょっと前、塾で彼氏が欲しいと言っていた自分からは、全く想像ができないこの状態。
冬唯の唇の感触は、理屈ではなくて直接的につばさの気持ちへ入って来る。
それはつばさの感覚を研ぎ澄まし、体を熱くさせる。
(この感じって…)
今まで味わった事の無い体の変化。
そのドキドキに呑まれるように、気持ちまで得体の知れない何かに流されてしまう。
(『好き』…なのかな)
あんなに『恋』がしたかったのに、いざ自分の中にそれを感じてしまうと、自覚するのが怖い。
こんなにあっという間に、こんな気持ちになってしまう自分自身が信じられなかった。
(それも、相手があの片倉冬唯…)
側にいると、彼の良さはよく分かった。
多くの女の子が夢中になっているように、恋に縁が無かったはずの自分自身まで彼を好きになってしまうなんて、何だか悔しい。
(冬唯くんって、やっぱりスゴイんだ…)
自分の中の恋を認めたくないのは、いかにもというモテ男子に、こんな自分が滑落させられたからだ。
教室の中で、無意識に彼を意識している。
ふと気づくと、彼の事を考えていた。
(これって、やっぱり…)
「はあ…」
ため息が出てしまう。
「好き、なんだろうな…」
明日着て行く服をハンガーに掛けて、つばさはベッドに入った。
「オレんち、来る?」
日曜日、冬唯が告げたその日の行先は意外なものだった。
「と、冬唯くんち?」
(お家に誘われるなんて、すごく気を許してもらっているような気がする!)
それがつばさの最初の気持ちだった。
冬唯の私生活の様子にも、とても興味があった。
いつもどこか掴みどころがなくて、本音で何を考えているのかが分からない。
そんな彼の部屋を見てみたかった。
「いいの?親御さんとか…」
「大丈夫、今日うち誰もいないから」
「そっか」
つばさは家の人に会うという緊張が無いという事に、素直にホっとする。
話しながらも、既に冬唯の足は彼の自宅へ向かっていた。
誰もいない『彼氏』の家に行くという意味を、まだつばさは全く分かっていなかった。
駅から徒歩15分。
閑静な住宅街の中に冬唯の家はあった。
冬唯はドアの鍵を開けて、つばさを玄関へ通した。
「広いねー、冬唯くんち!」
つばさは玄関から続く廊下、そして幾つかあるドアなどをグルっと見まわした。
「昔は家族が多かったからね」
「昔?」
言った後で、もしかしたら聞いちゃいけない事だったのかもと、つばさはハラハラした。
「うん。お婆ちゃんが亡くなって、お爺ちゃんは老人専用マンションみたいなとこに引っ越しちゃったし、 兄と弟は親父の転勤について行っちゃったし」
「そうなの?って言うか、冬唯くん3人兄弟なんだ!」
「そうだよ」
冬唯は頷いた。
「へ〜、きっと皆イケメンなんだろうね〜」
彼の家の家族事情を、つばさはこの時初めて聞いた。
靴を脱いで、可愛らしいスリッパを冬唯に出される。
「あ、ありがとう」
「こっちリビングだけど、オレの部屋行こう」
冬唯の後に続いて、つばさも階段を上った。
築年数は経っているが、家の手入れが行き届いているのは分かる。上品な雰囲気が漂う家の中は、きっと冬唯の母の趣味なんだろうとつばさは思った。
「えー、部屋も広い!」
「元々弟と一緒の部屋だったし。ここにベッドが2つあって、弟の机とか荷物もあった時は、ぎゅうぎゅうだったけどな」
それでも8畳以上ありそうな室内を、つばさは素直に羨ましいと思った。
勉強用にしては広すぎる机の端に置いてあるパソコンのディスプレイは大きく、小さなテレビモニターぐらいある。
「座るとこないから、もう1個イス持って来るから待ってて」
冬唯が部屋に戻ってくるまでの間、つばさは彼の部屋を観察した。
(冬唯くんって、こんなお家に住んでたんだ…おぼっちゃんじゃん…)
何となく品のある彼のふるまいも、納得できた。
冬唯は持ってきた簡易イスに座り、つばさを自分の勉強イスに座らせた。
「男の子っぽい部屋だけど、すごく片付いてるね」
「ああ、オレ片付け魔だから」
「そうなんだ〜」
つばさは自分の散らかった部屋を思い出し、恥ずかしくなる。
(散らかし屋なの、バレないようにしないと…)
ごまかすように、つばさは冬唯に笑顔を向ける。
冬唯と目が合って、2人の距離が近い事に改めて気づき、ドキドキしてくる。
「冬唯くんは、じゃあ今はお母さんと2人暮らしなの?」
「うん、って言ってもまだ2カ月経ってないけどね。
去年の終わり頃に親父の転勤が決まってさ。こっちに戻ってくるか分からないって言うから、家族で関西に行くって事になって。ちょうど、弟が1個下で、兄貴が2個上で。
だから兄貴と弟は関西の学校受験して、4月からもうそっち行っちゃってる。母親が渋々俺とこっちいるけど、結構関西に行ってる事も多くてさ」
「えっと…もしかして冬唯くんもいずれ関西に行っちゃうの?」
冬唯の家族事情に頭がついていかず、つばさは不安になってくる。
「いや、高校まではこっちにいるよ。でももうお爺ちゃんたちもいないし、オレが卒業したらこの家は売るって。オレが現役でこっちの大学に受かったら、オレだけこっちで一人暮らしさせてくれるって約束になってるんだけど、もし浪人したら関西に行く事になるな」
「えっ?…そうなの?!」
思わずつばさは立ち上がりかけてしまう。
「だから、現役で合格するために、今勉強してんの」
「そっか…、冬唯くんすごい真面目にやってるもんね」
冬唯がよく勉強しているのは、そういう事情があったんだとつばさは思う。
そして高校までは同じ学校にいられるというのを聞いて、少し安心した。
「オレが転校したら、寂しいって思った?」
冬唯がいつものように、ニヤニヤしてつばさの顔を覗き込む。
「
いや…、えっと…、うん、寂しい」
つばさは恥ずかしかったが、ここで否定するのも変だと思い、素直にそう答えた。
(でも高校卒業まで、冬唯くんと私、多分付き合ってないんだろうなあ…)
そんな風に想像して、本当に寂しくなってきた。
「…えっ」
急に冬唯の手が頬に触れて、つばさはビクンとなる。
「………」
顔を上げた時には、もう目の前には冬唯の顔があった。
すぐに唇が重なる。
(あ…)
冬唯の舌が、つばさの唇を割ってくる。
いつも学校帰りにされる、これまでにしていたような触れるだけのキスではなかった。
「あっ」
つい声を出して口を開けてしまうと、さらに冬唯のキスが深くなる。
(えっ…えっ…)
いつの間にか、冬唯の手がつばさの腰に回っていた。
深いキスに全ての気を取られているうちに、しっかりと彼に抱擁されていた。
自分の舌に、彼の舌が触れている。
(うわっ……やっ…)
あまりにリアルなその感触。
「はあっ…はぁっ…」
唇が離れると、つばさは息が上がる。
無意識に呼吸を止めていたのだ。
座っているのに、体がガクガクする。
思わず冬唯の二の腕を両手で掴んでいた。
「えっと、あの…!」
この短時間で、汗びっしょりだった。
改めて、目の前にいるのは男の子なんだという事を、つばさは実感した。
ドキドキして、普通に座っていられない。
逃げ出したくなる気持ちとは裏腹に、冬唯の腕を掴むつばさの手は固まって動かせなかった。
冬唯の目は、これまでにつばさの前で見せた事のない色っぽい表情を湛え、まっすぐに向かってくる。
「かわいいね、つばさ」
「えっ…、えっと…、ううん、別に、か、か…かわいくないよ」
彼から自分へ発せられる強いフェロモンに、つばさはクラクラしてくる。
冬唯が瞬きするのと共に、キレイなまつ毛から何かが香ってきそうだ。
(すごい…、やばい…ダメだ、この雰囲気…)
どうしていいか分からないつばさが挙動不審になりかけたその時、冬唯は立ち上がった。
彼もつばさの両方の腕を、下から支えている。
「おいで」
「えっ…」
(どこに…)
声にならない状態で、つばさは冬唯に促されるまま立ち上がる。
そしてベッドに座らされた。
「かわいいよ。つばさは。すっごいオレ好み」
「なんで…?だ、だ、だって、わ…私なんか普通じゃん」
「そうかな?…オレ、すごいつばさの事好きだけど」
(『好き』……??)
冬唯の口から出た、破壊的なその一言に、つばさの中で何かが崩壊する。
その途端に全身に血流が巡り、耳まで真っ赤になってしまう。
(『すごい』とも言ってた…??)
変なスイッチが入って、涙が出そうになる。
「いいわその反応。やっぱ、スゲーかわいい」
「かっ……」
『かわいい?』なのか『からかってる?』なのか、つばさは言葉に詰まってしまう。
「つばさってさ、…キスしたのオレが初めて?」
目の前15センチぐらいの距離で、冬唯が囁いてくる。
「そうだよ!だって誰とも付き合った事が無いって、知ってるでしょ」
(も〜ヤダ、近いし、恥ずかしいよ…)
つばさが下を向いていると、冬唯が両手で頬に触れてくる。
「ほっぺ、真っ赤。熱い」
「そりゃそうだよ。な、慣れてないもん。こういうの、全部」
頬に触れる彼の手が、気になって仕方がない。
「そうか。でもオレだって慣れてるわけじゃないよ」
「ウソ」
見上げたつばさの表情が、冬唯からは拗ねている様に見えるた。
冬唯は軽くキスし、すぐに唇を離す。
頬に触れていた右手をつばさの首の後ろへ回すと、自分の方へ引き寄せる。
やっと聞き取れるぐらいの小さい声で、冬唯はつばさの耳元で言った。
「ねえ、つばさの『初めて』、全部オレにちょうだい」
(え……)
つばさが返事をするよりも先に、
冬唯はゆっくりと唇を重ねた。
2017/9/15