次の日の昼休み、珍しく冬唯はつばさを誘った。
2人が教室を出て行くのを、今日子と涼香は笑顔で見送った。
中庭のベンチ。
そこは日陰になっていて昼食をとるのには穴場なのに、職員室が近いので、生徒の姿はほとんどない。
冬唯とつばさは2人でそこへ腰をかけた。
2人に間に流れる空気は、昨日のまま、ぎこちなかった。
(何だろう、昼休み一緒にいるなんて、初めてだし…)
誘われて嬉しい気持ちもあったが、冬唯に何か言われそうでつばさはドキドキしていた。
2人の座る後ろは職員室のある廊下だったが、その間に植栽があるので、この位置からは教師が行き来しているのは見えない。
目の前には花壇があって、その奥にはこちら側と同じように植栽が植わっている。
さらに奥は運動部が時々使っているコンクリートのスペースがあったが、日差しが強いのでそこには誰もいなかった。
昼食を食べ終え落ち着いた時、冬唯は切りだした。
「2週間付き合ってみてさ」
「…!」
(何、何の話…?)
昨日から、冬唯の態度に何か違和感を感じていた。
何を言われるのか、つばさは緊張してドキドキしてくる。
「彼氏・彼女〜って感じで過ごせてたけど」
「うん」
「このまま……まだオレと付き合う?」
「えっ…」
つばさは冬唯を見た。
冬唯はどこか冷たい感じだったが、いつもの優しい雰囲気は崩れていない。
「一昨日、…オレんとこ来て、多分つばさは雰囲気に流されちゃっただろ?」
「…………」
その通りかも知れないと思った。
見透かされている気がして、つばさは恥ずかしくなってくる。
始まりがいい加減だったから、ずっとそのままでは続かないだろうと、いつかお互いの意思を確認しなければいけない時が来るんだろうなと思っていた。
それがこんなに早いタイミングで来るなんて。
「いいのかなと思って。こんな感じでオレとこのまま付き合ってさ。オレこんなだし」
「と、…冬唯くんは」
つばさは手を握りしめる。
「私の事……、この2週間一緒にいて、冬唯くんはどう…思った…?」
いきなり核心を突いたと思った。
「お、質問に質問返し?」
冬唯は薄く笑った。
その笑顔が、つばさには何だか意地悪に見えた。
「………」
「………」
ほんの数秒間、お互いがお互いの言葉を待った。
つばさは何て言っていいのか分からず、困惑する。
『付き合いたいか?』なんて、
付き合いたいに決まっている。
よく分からないうちに始まったこの交際だって、気付けばつばさにとって大事なものになっていた。
「オレ、好きな子じゃなかったら、あんな事しないよ」
そう言った冬唯の声が優しくて、つばさは泣けてきそうになる。
(好きな子…)
それって自分の事と思っていいんだろうかと、ちゃんと言われているのに疑心暗鬼になる。
冬唯はいつも掴みどころが無くて、彼の本心はよく分からない。
「初めてだったのに半ば強引にしたのは悪かったと思うけど、オレは……」
冬唯はそこで言葉を濁す。
しばらく黙っていた。
座っている姿勢を少し変えて、冬唯はまた話し出す。
「あんなに恋愛したいって言ってたけどさ、つばさはオレの事、ちゃんと好きになった?」
(ちゃんと……好き…?)
つばさは胸がギュっとなった。
冬唯の事ばかり考えて、一緒にいるとドキドキする。
そして何よりも、付き合い始めた頃と大きく違うのは、冬唯に感じるこの大きな不安感だ。
彼がどこかへ行ってしまって、自分との関係が変わってしまいそうな気がする。それは付き合ったきっかけと同じぐらい、簡単に起こってしまいそうだった。
「手、出しといてから言うなんて、オレもあれだけど」
(冬唯くんは、どうして…)
男の子だから、簡単に女の子を抱けてしまうのか。
でも自分だって、あの時抵抗するという選択肢は全く考えなかった。
確かに流されたが、自然な流れのような気もした。
「……す…好きだ、って、この間、言ったじゃん」
つばさは声を絞り出した。
「言ったっけ?」
冬唯はとぼけて言う。
冬唯とあんな風になる直前、彼はハッキリつばさに聞いてきたはずだ。
「じゃ、このまま…付き合おうか」
そう言ってつばさを見る冬唯の笑顔は、これまでと変わらない。
つばさはホっとして、肩の力が抜けた。
「うん……よ、よろしく…」
(変なの…)
このベンチに座った時から、ガチガチに緊張していたのだと、今更ながらに思う。
「でさ、オレ。この2週間、つばさの事を最優先にしてたんだけど」
「……」
「結構予定があったり、やりたい事があったりしてさ。あと、やっぱ平日男友達と遊べる時は遊んだりとかしたいじゃん」
「うん」
(そう言えば、今まで毎日一緒にいてくれたっけ…)
付き合う事になってから、冬唯とは毎日一緒に帰っていた。
「つばさも友達と一緒に帰って、遊んだりしたいだろ?」
「うん…まあそれは」
今日子たちに話したい事はあったが、学校では全然話せなかったし、携帯で長文語りするのも嫌で、ずっとモヤモヤした状態だった。
「この前も言ったけど、オレ受験現役で受からないとこっちにいられないから、結構マジで勉強しないといけないし」
「そうだよね…」
彼の家に行った時、彼の家族の事情なども聞いた。
体が繋がった事よりも、冬唯が素直に色々な話をしてくれた事の方が、つばさは嬉しかった。
「毎日一緒に帰るのは難しいから、一緒に帰る日決めよう」
「…うん」
「休みの日も、お互いの都合のいい時に会おうよ」
「うん」
残りの休み時間、冬唯の同じクラスの友達の事等、他愛もない話をした。
学校で話す2人は、普通に同じクラスの同級生という感じだ。
あまりにも普通過ぎて、冬唯にとって日曜日にあった事は大した事じゃないのかも知れないと、つばさは思う。
実際心の準備ができていなさ過ぎて、現実に起こった事なのに、つばさ自体も実感がない。
それでも冬唯の存在が自分の中で全く変わってしまうぐらい、つばさにとっては大きな出来事だった。
「久しぶりだね〜!つばさと一緒に寄り道するの」
久しぶりという事で、スイーツ食べ放題の店に3人で来ていた。
しばらく並んだが、おしゃべりをしていたらあっという間だった。
「ホント、久しぶり…」
女友達と一緒にいると、冬唯といる時に無意識に緊張していた事が分かる。
女同士だと、気持ちがだいぶ楽だ。
おまけにこんなに女子っぽいお店に来るのも久しぶりだった。
「ずっと片倉と一緒にいたもんね。仲良さそうだったじゃん」
涼香は痩せているのに、お皿に小さなケーキを7個も乗せてきた。
「でもやっぱり片倉はカッコいいよね。あんな男子の側にいたらめっちゃ目の保養になりそう〜」
今日はダイエットを休みにすると言った今日子も、それなりにスイーツを取って来ている。
「整っててスゴイなあと思うけど…。顔の良さは結構慣れちゃうよ」
つばさは言った。それは本心だった。
「うわ、余裕!」
「元々、片倉が同じクラスだったっていうのも、つばさは分かってなかったもんね。あんな有名人なのに」
「で、どうなの?片倉と付き合ってみて」
興味津々といった様子で、2人がつばさを見てくる。
「どう…って…。って言うか、…なんか、…ちょっと好きになっちゃったかも知れない」
ずっと相談したかったのに、恥ずかしくて言えなかった。
それに、今は冬唯と関係を持ってしまったので、余計に恥ずかしい。
「さすが片倉!」
初めてのつばさの恋バナに、今日子は楽しそうだ。
「あ〜あ〜、恋愛未経験のつばさまで、簡単に陥落しちゃったか」
そんな風に涼子に改めて言われると、つばさ自身も自分に対して何だか悔しい気持ちになってくる。
「まあ、あの片倉に本気で口説かれたら、落ちない女子はいないよね。あ〜羨ましい」
「あんたは先輩がいるじゃん」
涼香が睨むと、今日子は笑って返す。
「いいじゃん、あんまり会えないんだし。近くのイケメンぐらい眺めさせてよ」
「別に、冬唯くんの顔がどうこうとかじゃなくて、イケメンだからっていうのは関係無くて…そもそも冬唯くんの外見なんて全然興味無かったし」
つばさはムキになって言ってしまう。
その他大勢の女子と自分は違うと言いたいのに、結果、同じ事で、そんな風に言っても何も意味が無いことは分かっている。
それでも。
(片倉に本気で口説かれたら、落ちない女子はいない…)
今日子の言葉が、つばさの心に引っ掛かる。
結局、自分もその他大勢の女の子と一緒なのだ。
(でも、冬唯くんの事を好きになるイコール、皆と価値観が一緒っていう感覚も変)
彼が皆の憧れの対象だから好きだとか、彼と付き合ったら優越感があるとか、少なくともそんな事はなかった。
2人でいる時の冬唯は、結構普通の男子高校生だ。
『合コンで彼氏探すぐらいなら、とりあえず彼氏彼女ごっこでもいいから、初カレ気分味わってもいいんじゃない』
付き合う時に、冬唯にそんな様な事を言われた事を急に思い出す。
(彼氏彼女ごっこ…初カレ気分…)
皆が冬唯に抱く気持ちと、自分が冬唯の事を好きな気持ちの違いは、もしかしたら大差無いのかも知れない。
自分は違うと思いたいのに、彼が皆の憧れの対象である彼だという事実は変わらない。
(ああ、もう、何なんだろう…)
またモヤモヤしてくる。
自分の経験と比較しようと思っても、恋愛をした事が無いので分からない。
冬唯の事を好きだという気持ちは本当で、しかしそれがどんな想いなのかが、掴めない。
(恋愛に対する憧れを、冬唯くんに重ねてる…?)
もしかしたらそうなのかも知れない。
でも認めたくない。
そしてもう、彼への気持ちは『憧れ』という括りから大きく外れている。
ゆっくり考えた方がいいのかも知れないと思った。
付き合いだしてから、今までの関係が急展開過ぎて、恋愛初心者のつばさはついていけなかった。
「つばさと恋愛の話ができるようになっただけでも、すごい進歩だよね。でもこう言ったら何だけど、あんまりのめり込むと辛いかもね」
涼香が心配そうに言う。今日子も頷く。
「そうだよね〜、だってあんなモテ男がマジ彼だなんて、私だったら超心配。まあ、付きあえてラッキーだとは思うけどね。ちょっとだけでも、あいつと付きあってみたい子なんて、いっぱいいるだろうし」
「う〜ん…」
心配する発想は全然無かったが、涼香の『辛いかも』という言葉は少し刺さる。
「片倉って、これまで彼女のローテーションが早かったみたいだし」
「それ、言ってたよね」
歴代の彼女が全然続かなかったという話を、先日したばかりだった。
「まさかつばさがこんなに簡単に、男子を好きになっちゃうとは。やっぱりと言うか、恐るべしと言うか、片倉」
改めて今日子が言った。
「まあ、ホントにあんまりのめり込まない様にね。手が早いって噂も聞くし、こんなピュアなつばさがヤリ捨てなんてされたら辛すぎるよ」
涼香は本気でつばさを心配していた。
「はは…」
(もう、ヤっちゃったなんて…とても言えません)
つばさは困って、笑顔を作るしかなかった。
それからは週に一度、木曜日に冬唯と2人で帰る約束をした。
それ以外の日は、別々にお互いの友人と過ごしたり、冬唯は塾へ直接行って勉強をしたりしていた。
土日も忙しい彼とは、なかなか都合が合わない。
付きあってからずっと毎日会っていたのに、彼と会える頻度がぐっと下がってしまった。
会わない日がほとんど。
そして6月はあっという間に過ぎて行く。
帰宅の時間になっても、外はまだまだ明るい。
一緒に帰る日の冬唯は、必ずつばさを家まで送ってくれる。
「じゃあ、また夜帰ったらLINEするよ」
「うん。じゃ、塾頑張ってね」
「ああ」
冬唯がつばさへ手を伸ばす。
頬の辺りを触られ、一瞬ビクンとしてしまう。
キスを期待してしまった。
「まつ毛、ついてた」
指先を重ねあわせ、冬唯はそれを目の前で捨てた。
つばさの期待を見抜いているかのように、少し意地悪な笑顔になる。
「じゃーまた」
カバンを肩にかけ直すと、もう一度笑顔になって、そして冬唯は歩き出す。
「じゃあね」
つばさは彼の背中につぶやく。
(恥ずかしい…)
まつ毛を取るために、わざわざあんなに顔を近づけるだろうか。
(まるで、キスするみたいに…)
最近、冬唯はつばさに対して、ちょこちょこ思わせぶりな態度をとる。
(絶対わざとだと思う…)
それでも実際には何もしてこなくて、あんなに毎日していたキスも、初めてエッチをしたあの日以来、一度もしていなかった。
(からかわれてるのかな…)
それでも一緒にいる時の冬唯の態度は、とても優しい。
付きあい始めた頃の様にずっとそばにいられたなら、もしかしたら全然不安なんて無いのかも知れない。
しかし今は会う時間が貴重で、同じ教室にいるのに会話すらできない日もある。
冬唯の事情は分かっていたから、会いたいと言うのは自分のわがままになるような気がして、言えなかった。
(のめり込まないように、か…)
処女を失った様に、気持ち的にも彼と付き合う前の自分には、もう戻れない事は分かっていた。
『のめり込むと、辛いかも』
涼香の言葉が小さなトゲのように刺さり、彼に会えない時間に比例して、つばさの胸はチクチク痛んだ。
2017/9/22