意地悪な彼はホンモノじゃない

9 初めての夏

   

今日子と一緒に始めたカフェのアルバイトは、夏休みに入ると猛烈に忙しくなった。
8月の始めに出た派手な夏のメニューがSNSで拡散されて、午後には待ちの行列が途切れないほどだった。

「あ〜、疲れたよ…」
帰りに、今日子とつばさは近くのファミレスに寄る。
そこでバイトの時給の1時間分ぐらいのお金は使ってしまうのだが、それはそれで別に良かった。
「ちょっと、混み過ぎだよね…、バイトあと2人ぐらいいてもいいんじゃない?」
つばさは大きなため息をついた。
客席に余裕が出始めるのはつばさたちが帰る少し前くらいからで、仕事をしているほとんどの時間はずっとバタバタしていた。
「ねえ、……徳田さん、良くない?」
今日子がニヤニヤしながら言った。
徳田さんというのは、バイト先の大学生男子で、いかにもカフェでバイトをしそうな雰囲気イケメンだった。
「今日子は年上好きだね」
「そうだね〜、うん。でもさ、徳田さん彼女いるって言ってた」
「そうなんだ」
「だけどさ、好きな先輩でもいないと、こんな辛いバイト乗りきれないって」
「はは…」
つばさは苦笑いを返した。

確かに8月の忙しさは酷く、店長はすぐに夏の間だけ時給に幾らかプラスすると提案した。
店長の判断はてきめんで、バイトの高校生たちのモチベーションは上がった。


「で、片倉は何やってんの?」
「あっちもバイトで忙しいみたい。繁忙期要員だしね」
冬唯とは一応連絡は取っていた。
向こうもかなり忙しいらしく、時々短い電話をするぐらいで、ほとんどは携帯のメッセージで済ませていた。
「相変わらず付き合ってるっぽさが無いよね。つばさたち」
「うーん、そうかな?」
そもそも付き合うというのが、どういう事をするのかがよく分からない。
「初カレがいるのに、この放置って酷くないー?」
「でも、向こうの予定は私と付き合う前から決まっていたみたいだし」
「う〜ん、でもさ…」
今日子はブツブツ言っていたが、冬唯の予定についてはつばさは納得していた。


つばさにとって、冬唯と過ごす時間は非日常だった。
彼との時間は楽しみにしているイベントに似ていて、 だからしばらく会えない日が続いても、つばさは割と平気でいられた。

(今、何してるんだろう…)

それでも意識の裏側で、いつも彼の事を考えていた。
そんな風に誰かを思うのは初めてで、やっぱり彼の事を好きになってしまったんだと思う。
初めて感じる、異性への感情。
その度合も種類も、つばさにはよく分からない。
しかし自分にとって、彼が特別な人なのは分かる。

(会いたいなあ…)

素直に、会いたいと思った。
それでもそれを言葉で彼に伝えるのは難しい。
勝ち負けとかではなくて、そんな事を彼に言っていいのだろうかと思う。
彼に、

―― 会ってもらっている気がした。
―― 付き合ってもらっている気がした。

この関係に優劣があるとしたら、きっと彼が上だと、つばさは思う。
唐突に彼に持たされたこの気持ちの固まりは重さを増して、渡されたままのそれを1人で持つには重くなり始めていた。

いつも意識の裏側にいる彼の存在を、できるだけ意識しないように、考えないようにするしか、今のつばさにできる事はなかった。
彼は遠くにいて、すぐに会えない。
でも近くにいたとしても、きっと会えない。

(面倒くさいな、こんな気持ち…)

恋愛をしている女の子、皆がこんな気持ちなんだろうか。
だとしたら、「コイバナ」ばかりしている女子の気持ちは、今のつばさには共感できた。



それでも日々のバタバタのおかげで、あっという間に時間が過ぎて行く。
バイトの仲間とも仲良くなり、時々一緒に出掛けたりする事もあった。
「そう言えば、もうすぐつばさの誕生日だよね」
「へえ何日なの?」
同じ高校2年のアルバイト、文哉が話に入ってくる。
「16日」
つばさは答える。

「15〜17まで店休みじゃん、暇だったらどっか行ってつばさの誕生会やろうよ」
文哉がニコニコ言う。
彼はムードメーカーで、彼も徳田と同じようにカフェのバイトが似合う。ただ徳田と違うのは、彼はどちらかと言うと中性的なキャラクターだ。
「いいね!徳田先輩とか、来るかな?」
今日子も楽しそうに言う。
「うん、じゃあ…」
「決まり!どこ行こう?オレも考えとく!」

(誕生会かあ……)
そんな大々的なイベントをするのは子供の頃以来で、つばさはちょっと嬉しくなる。
話はとんとん拍子に進み、つばさの誕生会は皆にお膳立てされていった。




長野の夏は都会よりも涼しいとはいえ、お盆の頃はこちらも負けずに日中は夏らしい猛烈な暑さだった。

「浩紀!来たよ〜〜!」
万結が鈴乃を押しのけて、浩紀の方へと走り寄る。
冬唯の叔父が経営する食堂は、地元の野菜中心としたビュッフェを売りにしていて、観光ガイドにも載っているその店は、夏休みの間、観光客で非常に繁盛していた。

友人の喜多浩紀、古里川駿は10日からバイトに合流していた。
お盆には、冬唯のクラスメートでもあり、浩紀の彼女でもある万結、そしてそれに付きあう形で鈴乃の2人が観光で遊びに来る事になっていた。
実際に観光というのは口実で、単に万結が浩紀に会いに来ているだけなのだが、ついでに超繁忙期の食堂を手伝いをする約束で、それを彼女たちは旅行資金の足しにした。

「ありがとうね〜、忙しいところ手伝ってくれて。電車賃出してあげられなくて悪いけど」
冬唯の叔父が、彼女たちに挨拶をするために来た。
長くバイトを手伝う浩紀や駿たちには、電車賃が出ている。
宿泊は広い叔父の家に全員が寝泊まりしていた。
万結と鈴乃は叔父の知り合いである、近くの民宿を格安で貸してもらう事になっている。
「こちらこそ、お世話になります」
鈴乃と万結はきちんと叔父へ挨拶を返す。

「めちゃくちゃ繁盛してるみたいだね」
まだ店の開店前だった。
鈴乃が冬唯と駿に言う。
「ちょっと引くぜ。お前たちは飲み物とビュッフェの補充要員だから。あと、終わった食器をとにかく洗い場まで運んで」
「は〜い」
女子2人はのんきに答えたが、現実には後で地獄を見た。
お盆休みの店は、猛烈な混雑だった。


夜、女子2人はそのまま冬唯たちの泊まっている叔父の家で、夕食をとるために残る。
男3人でいたところに人数が増えた事もあって、彼らは久しぶりに盛り上がった。

冬唯はそこを抜け、木で作られたバルコニーへと、1人で出た。
夜になると急に風が冷たくなり、空気も静かになる。
そこが東京と違うところだ。

冬唯はスマホを出し、画面に呼び出したつばさの名前を押す。



つばさは、昼から始まった誕生会の続きで、カラオケに来ていた。
結局メンバーは、今日子と文哉、他のアルバイトの男子1人女子1人と、全員高校生の5人になった。
今日子が狙っている徳田の帰省を始め、年上組は皆予定があり不参加だった。
それでも誕生日を聞いた大学生たちから、事前にプレゼントを受け取ってしまい、つばさは申し訳ない気分になった。
文哉の歌が始まったところで、机の上に置いていたつばさの携帯が震えているのに今日子が気付く。
画面の名前を見て、つばさをたたく。
「片倉からじゃん」
「あ」
つばさもそれに気づく。
「電話してくる…」
今日子に声をかけて、静かに部屋を出た。
受付のところへ行ってもまだうるさくて、つばさは外に出る。
冷房の効いた建物から出ると、昼の熱気がまだムっと足元から上がってくる。

つばさは冬唯への番号へと、電話を折り返した。
冬唯に、自分の誕生日の事は言っていなかった。
言うきっかけが無かったという事もあるし、今更わざわざ言うのも、何か欲しがっているみたいでもう言い出せなくなっていた。
呼び出し音が鳴ると、すぐに冬唯が出た。

「電話、してくれてありがと」
つばさはすぐにそう言った。
先日は珍しくつばさから電話をしていた。
実はその時に誕生日の事も言おうかと思ったが、結局言いそびれてしまったのだ。
『今さ、桑平と牧野がこっち来てて』
「昨日、言ってたよね」

(桑平さんと牧野さんか…)
クラスでも冬唯たちと仲良くしている姿を思い出す。
(いいな…)
自分も冬唯の顔が見たいと、つばさは思う。
叔父の家で浩紀たちと盛り上がっている話を、しばらく冬唯から聞いた。
『つばさは今、何してんの?』
「今ね…、バイトの子たちとカラオケ」
誕生日の事を言おうかと一瞬躊躇していると、冬唯がすぐに言葉を続けた。
『もしかして男子とかもいんの?』
「いるよー、でも他にも女子がいるし」
『合コンじゃないよね?』
「違うよ〜!」
冬唯の意外な反応に、つばさは思わず笑ってしまう。

『ふーん、バイト休みなのに、会っちゃうほど仲いいんだな』

少しムっとした冬唯の口調。
自分の誕生日の事を言えば良かったと、電話を切った後でつばさは思った。
(自分こそ、他の女の子と楽しそうにしてるじゃん…)
恋愛経験の少ないつばさには、冬唯が自分の行動にヤキモチを焼いているような発想は起きなかった。
向こうで楽しそうにしているであろう冬唯の事を思うと、何となくモヤモヤしてくる。

『明日、夜。つばさから電話してくれる?』
「うん。分かった」

それでも冬唯と繋がっていられる事は、素直に嬉しかった。
(やっぱり、会いたいな……)


次の夜、初めて冬唯とテレビ電話をした。
久しぶりに彼の顔が見られて、つばさは嬉しくてたまらなかった。

月末に冬唯が帰って来たら、会う約束をした。
カレンダーを見て、つばさはふと気づく。
(付き合って、3カ月か…)
毎日のように何かしら連絡をしているので、冬唯は自分にとって特別な人だという気持ちはあった。
しかし『恋人』と言うとどうもピンとこない。
(エッチも、しちゃったんだよね…)
確かに体を触られて、そういうことをしたという記憶はある。
それでもそんな行為はあの日だけで、その後の2人の関係は普通の友達のようだった。

(3カ月かあ…)

冬唯は女の子と付き合っても、3カ月くらいしか持たないと噂されていたのを思い出す。
(もう3カ月になっちゃうんだよね…)
全然会っていないこの8月。
(よく分からないな…)
冬唯がどんなつもりで自分と付き合っているのか、つばさには未だに謎だ。
体目当てで、そしてその期待に自分が応えられなかったのなら、あの日で終わっていてもおかしくないと思う。
それでも細々と続いているこの関係。

(冬唯くんの事はよく分からないけど…)

彼の帰って来る日が待ち遠しかった。
直接顔を見て、話したい。
こんな風に思うのは彼だけで、やはり冬唯の事が好きなんだとつばさは思った。

 
 

ラブで抱きしめよう
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