奇跡の青

10・キス

   
『―――― 待てるか……』

って言われたら、頷くしかないじゃん。
あの敦志の言葉を、もう何度も何度も心の中で繰り返した。
1日が経ち、1週間が過ぎ、10日も過ぎた頃にはあれはホントに幻聴なんじゃないかって気がしてくる。
(でも、言われたよね…)
別に、付き合おうとか、好きだとか、言われたわけじゃない。
だけど……待つしかないんだよね…。

先が何も見えないっていう状況じゃないだけ、マシだと思った。
あのまま、フェードアウトしてしまうより、ずっとずっとマシだ。
(だけどさ……)
何か言葉を掛けてほしいなぁって思う。
敦志の姿さえほとんど見かけないまま、毎日が過ぎてる。

急に呼び出されたりしても大丈夫なように、結局私は亜由美に誘われたバイトも受けられないでいた。毎日まっすぐに家に帰って、すぐ取れるところに置いた携帯電話をいつも睨んでいた。トイレに行く時まで持っていった。

(電話、しちゃおうかなぁ…)

『待つ』という事が、自分の性分に全然合っていないというのを実感した。
(もう……)
「はあ…」
ため息が出てくる。

授業中もいつもにも増してボーっとしていた。
(宇野、と、別れるのかな…)
敦志の性格からして、まさか二股掛けるなんて想像できなかった。
(そんな事できたら大したヤツだよ…)
それはあり得ないと思った。
いつかの放課後に、私に話しかけてきた宇野の事を思い出す。
急に敦志の彼女に詰め寄られて、私自身も相当あせったけど、あの時の宇野も切羽詰った感じがした。
(『別れない』とか、ゴネてんのかな…)
それは十分にあると思う。
(敦志ってああいうタイプが好きだったんだな…)
改めて宇野の様子を思い出して、私はゲンナリしてくる。
だって私とは違いすぎる。

(もしか……)
『やっぱ果凛とは付き合えない』
とか敦志に言われても、全然おかしくないと思った。
それどころか時間が経つにつれて、ダメ元だったけどやっぱりダメだったかとか思うようになってきてた。

「果凛、バイトどうする?」
休み時間、亜由美が私の席のところまで来て言った。
「うーん、…どうしようかな」
「…まだカレからは何も?」
亜由美が小声になる。
「うん…」
何だか改めて凹んでくる。
「今月いっぱい、まだ募集してるんだってさ」
亜由美は先にバイトを始めていた。
カフェのバイトで、週に2、3日程度でローテーションする。
「…もう、敦志に聞いてみようかなぁ」
自分自身の予定が決められない事も、私のモヤモヤ度を上げていた。
「聞いたら?聞いてみなよ」
亜由美が好奇心一杯って感じで目を輝かせる。
逆の立場だったら私もそうなんだろうなって思って、苦笑してしまった。
「うん……マジでそうしようかな」

そんな風に思ってる時に限って、廊下で久しぶりに敦志を見かけた。
「………」
(連絡しろよ…)と心の中で思ったけど、それ以上に偶然すれ違える事がちょっと嬉しくなる。
私に気づいて、ちょっと反応を返す敦志。
そんな彼を見ると、やっぱりどうにか言いたくなってくる。

煮え切らないというか、連絡がないというか、
そんな敦志との状態に私のモヤモヤはピークに達しそうだった。
(もうダメならダメって、言ってもらった方がいいかも)
私が生殺しみたいな状態になっているの、きっと敦志は全然分かってないに違いない。

今日こそ連絡しようと思って、私は早い時間にお風呂に入った。
髪の毛を乾かしたら、敦志に電話しよう。
そう思いながらドライヤーを動かしたけど、なんだかこの期に及んで度胸がなくて、私はちんたら自分の髪をいじっていた。
(はあ………)

観念して携帯に手を伸ばしかけたとき、おもむろに呼び出し音が鳴った。
私はめちゃくちゃビックリして、一瞬マジで腰が浮いてしまった。
誰かに見られたら、ギャグみたいだったと思う。
携帯を見て、またビックリしてしまう。
敦志からだ。

「もしもしっ……」

私は慌てて携帯を開く。
『あ、もしもし……』
いつも以上に低くて愛想のない、久しぶりの敦志の声。
こんなヤツを好きになったのかと思うと、一瞬だけど自分にゲンナリした。
「……」
色々と言いたい事があった。
だけど、何を言っていいのか全然分からなくなる。
そもそも『待つ』立場なんだから、ここで敦志の言葉を待っていてもいいんじゃないかと思う。
私は黙って敦志が何か言い出すのを待つことにした。
それにしても心臓がバクバクする。
『…果凛』
「なっ、何…?」
敦志の声があまりに暗いから、私の中でやっぱダメなのかとガッカリ感が広がっていく。
(ああ、もうその先は言わないで……)
何も言われてないのに、泣きたい気分になってくる。
敦志は私を凹ませるののプロだと思う。

『電話すんの…遅くなってごめん』
「…あ、あぁ…ううん…」
心の中では、遅いよ、って思った。
何を言われるのかと思って、私はすごくドキドキしてくる。
思わず喉の奥が鳴った。

『彼女と別れたよ』

「え……」
そうであって欲しいと、『待て』と言われたし多分そうなるんじゃないかと、自分の中の楽観的な部分がずっと思っていたのに、実際に敦志にそう言われるとピンと来なかった。
あの日の、敦志の事がタップリ好きだって感じの宇野の姿が目に浮かぶ。

(……彼女と、別れたんだ…)

変なんだけど、まるで自分が別れを告げられたような軽いショックを受けた。
(そうなんだ……)
最近知った敦志の優しい部分。
だけどこれまで私が知っている敦志は意地悪でなんだか冷たい人だった。
彼女と別れた時の敦志は、どんな態度だったんだろう。
何だか手放しに喜びきれない自分がいた。

会いたい………

さっきまでピークに達しそうだったモヤモヤが、自分の中で突き抜ける。
「い、今、…家?」
『そうだけど』
「……あ、あたし、これからそっち行くから」
私は立ち上がって思わず言っていた。
『えっ???今から?????』
明らかに困惑する敦志の声。
「いいじゃん近いんだし。電話だとなんかね……それじゃっ」
敦志の返事も待たないで、私は電話を切った。
急いで着替えて、ダッシュで家を出た。


「………」
敦志は家の前で待ってた。
「…久しぶり…」
私は言った。
スウェットの下にジャージの上を着てる敦志はいかにも運動系って感じだった。
今夜は眼鏡をかけていないから余計にそう見えた。
「……しょうがねぇなぁ…」
敦志は唇に人差し指を当てると、そっと玄関のドアを開いた。
「黙って入れよ」
小声で私にそう言う。
「……」
私の脱いだ靴を敦志は黙って持って、静かに私の前を歩き出した。
私は敦志に付いて神妙に廊下を歩く。
廊下の向こうではテレビの音が大きく聞こえた。
急な階段を上がる。
(ああ、懐かしいな…)
すっかり忘れてたけど、敦志の家ってこんな感じだったっけ。
敦志はそっと自分の部屋のドアを開けた。
(部屋、変わってないんだな…)
私はそう思いながら、そっと敦志に続いて部屋に入った。

敦志はドアの鍵を閉める。
「あっ、鍵なんて付けてるんだ!」
私はそれを見て思わず言ってしまった。
「ばか!」
敦志は私を見て、シーっと指で合図する。
「…ごめん」
私は小さな声で言った。

それでも久しぶりの敦志の部屋の中が気になる。
私はジロジロと周りを見回してしまった。
「あんまり見るな」
敦志も小さい声で言う。
「だってさ…」
部屋は散らかってた。
着替えた服とか何着か端のほうに寄せてあったり、雑誌が無造作に積み重なったりしてた。
海外のサッカー選手らしきポスターも飾ってある。
男の部屋!って感じ。
チラっと敦志を見ると、バツの悪そうな顔をしてる。
「………」
私は口元に手を当てて、敦志を見上げた。
思わず笑ってしまう。
なんだかおかしいのと、すっごく嬉しいのとで。

敦志も私を見ると、釣られて笑顔になる。
私はそんな顔を見てすごくほっとしてしまう。
「敦志……」
自分が思考よりも行動派だってのは、前々から分かってたことだけど…。
私は思わず敦志に抱きついてしまった。

静かに入ってきたこの部屋で、普通の声で会話すらできないこの状態。
いやでも至近距離になってしまう。
って、そうじゃなくて、…私、敦志に抱きついてるのか。
背中に手を回した感じの敦志の大きさに、改めて私は彼に男を感じてしまう。
「………」
敦志の腕が、私の肩に触れる。
私は顔をあげた。

「…………」


うそみたい。
自然にキスしてる。


(やだぁ…)
想像してたのよりずっと、敦志はキスが上手かった。
私の唇にやわらかく押し付けられる敦志の唇。
「……」
少し息をついて、また触れ合う。
なんか、いい匂いするし…。
こんなに優しくキスしてくるなんて…。
(敦志……)
部屋の真ん中で立ち尽くしたまま、私たちは唇を重ねあった。

「!」

隣の部屋からドアの音が聞こえて、二人してビクっとしてしまう。
「……剛志?」
唇を離して、私は小声で言った。
「あぁ……」
ツヨシっていうのは敦志の兄だ。
今までの甘い雰囲気が、一瞬にして緊張に変わる。

「…………」

敦志は黙って、ベッドの端に座った。
私も部屋の真ん中で立ってるのは変だから、流れで敦志の隣に座る。
壁の薄そうな隣の部屋から、音楽が漏れてくる。
エルレガーデンの新譜。私も欲しいヤツだ。
「……」
私は敦志に聞きたいことがあったはずなのに、隣の剛志が気になって話し出せない。
沈黙を破れないのは敦志も同じみたいだった。
「…あのさ…」
それでも私は敦志に顔を向けた。
「…ああ…」
敦志は私を見つめると小さく頷く。
(何に、頷いてるの?)
私はそう思ったけれど、私を見る敦志の目がすごく優しい感じがして…それでいてなんだか甘くて…。

自然に目を閉じてしまう。

遮られた視界に、私の頬に敦志の手が触れる。

(ああ………)
心の中でため息が漏れる。
(なんか、嬉しすぎる……)


私たちはひたすらにキスし合った。


敦志とこんな風になるなんて、本当に意外だった。
10時を過ぎると、敦志は私を家まで送ってくれた。
「…じゃあ、またね」
家の前だから、やっぱり私も小声になってしまう。
「ああ」
敦志は私の肩をポンと叩くと、その手で髪をなでてくれた。
私は外灯に照らされた背の高い敦志の後ろ姿を見送った。

(ヤバい…すごい好きだ…)

今日の今日まであきらめかけていた失望感みたいなものが、自分の中で全部消えた。
その代わり、『敦志が好きだ』って足の先から頭のてっぺんまでギュウギュウに何かに満たされてしまった気がする。

興奮したまま、自分のベッドに入る。
結局、…何も話ができなかった。
(まあ、いいや…)
敦志の唇の感触を思い出そうとして、私は自分の唇に指で触れた。
今夜何度も交わしたキスは、子どもの頃とは全く違ってた。

(あぁ……)

眠れないと思っていたのに、気が付くと朝になっていた。
昨日とは確実に違う1日が始まる予感で、胸が一杯だった。
 

ラブで抱きしめよう
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