奇跡の青 |
9・決断(敦志視点) |
日曜日、オレは奈那子を呼び出した。 色々考えては来たものの、結局うまい言葉は見つからないままだった。 「話って、悪い話…?」 今日の奈那子は顔色が悪い。 もともと色が白いのに、今日は蒼白な感じすらした。 まだ半袖を着ていられるほど、10月にしては妙に暑い日だった。 それでもオレ達の周りの空気は決して暖かいものではなく、オレはイヤな汗をかいていた。 行く当ても特になく、街をゆっくりと歩いた。 大きな遊歩道の途中のベンチに、オレ達は腰を下ろした。 遠くには家族連れやカップルたちが楽しそうに歩いている姿が目に入る。 オレ達のこの雰囲気は場違いだった。 「あのさ、奈那子……」 今日会ったときからオレはろくに喋っていなかった。 どういう風に切り出していいのか、ずっと迷ったままだった。 「………」 奈那子もオレと同じように黙っていた。 オレの中では、今日という日は来るべくして来たような気がしていた。 「…もう別れよう…」 オレは重い口を開いた。 沈黙が続く。 奈那子は暫く黙ったままだった。 オレは顔を上げる。 奈那子も顔を上げて、オレを見た。 「どうして…」 「………」 彼女の問いかけに、オレは一瞬答えを見失う。 (どうして、って…) 「…オレは…」 オレは人に気を使えない男だと思った。 思いやりとか、そういうのと程遠い人間だと感じる。 「……もう、…お前と付き合えないと思う」 「…………」 一瞬でオレ達の周りの空気が凍り付いていくような気がした。 奈那子は何も言わなかった。 確かに仲の良かった時期もあったと思う。 それでも実際にはそれは一瞬のことで、オレは常に自分自身の生活を変えることもなく、自分中心の日々を過ごしていた。奈那子が想ってくれる以上の想いを、オレは持てないまま、時間とともに気持ちが引いてしまっていた。 「はあ……」 奈那子が無意識か、ため息をついた。 オレは彼女を直視できなかった。 これ以上説明とか、言い訳とか、オレは全然考え付かない。 果凛が気になる、っていう事は一つ事実としてあった。 そしてきっとそうでなくても、奈那子とはいずれ別れていただろうという予感もあった。 「ごめんな……」 そう言うのが精一杯だった。 少し考えたが、オレはゆっくりと腰を上げた。 奈那子が後を追うように、慌てて立ち上がる。 「ねえっ……」 「……?」 オレは振り返った。すがるような目で、奈那子がオレを見る。 奈那子は伸ばしかけた手を止め、ぐっと握り締めた。 「ねえ、教えて……駒井沢くんは…私のこと、キライになったの?」 彼女の声が潤む。 「……いや…」 オレはゆっくり言った。 確かに奈那子の事を嫌いになったわけじゃない。 オレは言葉を続けた。 「好きだった時も、あったよ…」 奈那子は下を向いて、顔を手でおさえた。 (…………) これ以上間が持ちそうになくて、最後の最後で居心地の悪さをやっぱりオレは感じてしまう。 「それじゃ……」 オレは奈那子に背を向けて、歩き出した。 帰りの電車内で、奈那子のメールを着信した。 『学校で会っても、普通にいつもどおりでいようね』 (………) 彼女にものすごく悪いことをしたような気がした。 少なくとも傷つけたのは確かだ。 奈那子に告白されて、安易に交際を始めてしまったのはオレだ。 (……) 奈那子から来たメールに返信すらできないでいた。 (ヘコむよなあ…) オレは今更ながらに自己嫌悪に襲われる。 何ヶ月か前から感じていた、彼女に対する違和感。 それをうやむやにして引っ張ってきて、適当に流していこうとした。 果凛のことがなかったら、もしかしたらあえて奈那子に別れを切り出していなかったかもしれない。 (いや、どうかな…) 正直、オレは少し無理していた。 それを賢い奈那子は察していたと思う。 (はあ……) オレは奈那子のことを思うと、気分が沈んだ。自分勝手なもんだ。 避けようとすれば、おかしなタイミングで回ってくる。 「あ、おはよう…」 月曜の朝、教室に入るなり奈那子と鉢合わせた。 「…うっス…」 一応挨拶を返す。 奈那子はオレから慌てて目を逸らすと、友達の方へ急ぎ足で去っていった。 「昨日、代表戦見ただろ?」 オレもすぐに他の男友達から声を掛けられる。 「おぉ、見た見た。あの交代はないよな」 他愛もない話で、すぐに盛り上がっていく。 何事もなかったかのように、今日が始まる。 教室で、奈那子が視野に入ってしまうのは仕方がなかった。 背中越しに彼女を見ても、ピリピリした雰囲気を感じてしまうのはオレの気のせいか。 付き合ってたクラスメートと別れる気まずさを、オレは痛感する。 オレはひどい男かもしれない。 冷たかったかもしれない。 それでも、心の半分でどこか仕方がないと割り切っている自分もいた。 とりあえず朝も夕も、部活動に専念した。 体を動かしていると夢中になれる。 色々な煩わしい事からも解放されるような気がした。 奈那子の事は、もうどうにもならないと分かっていた。 彼女との付き合いでオレの中に残されたのは、罪悪感ばかりだった。 そんな気分もあって、何となくすぐには果凛と連絡を取る気になれなかった。 先日、手に触れたあいつの髪の感触。 ベッドの中で、果凛に触れた右手を見つめて思い出す。 『敦志と、…付き合いたい』 そう言った時のあいつの表情が浮かぶ。 子どもの頃、オレは果凛の事をすごく気に入っていた。 あいつがそばにいないと、どうも落ち着かなかった。 果凛自身もオレに懐っこくって、オレ達は自然に一緒にいられた。 小学校に上がってから急にお互いに同性の友達が増えて、気が付くとあいつとの距離は広がってた。そうなるとその距離はなかなか縮まらなくて、それどころか時間の経過とともにどんどんと離れていった。 “オレの知らない果凛”がなんだか気に入らなくて、果凛に対してだんだんといい印象を持たなくなってたんだ。 それでも今の果凛はオレの勝手な想像よりもずっと普通のヤツで、…それどころか実際にはイヤでも異性だということを意識させられてしまう。 果凛に抱きつかれた感覚。 (………) 驚いたせいもあるが、奈那子を抱いた時以上に心臓がバクバクした。 (果凛……) すぐ近くにいるであろうあいつの事を考えながら、オレはうつらうつらし始めた。 今日も連絡できなかった。 (オレ、『待て』って言ってたよな…) 果凛と会話もしない日々が続くと、あの日のことが本当に現実だったんだろうかと思ってしまう。それでも奈那子との関係が相当気まずかったから、確かにあったことなんだと変なところで実感した。 「お…」 授業の合間の休み時間。 偶然に廊下の向こうの方から果凛が歩いてくる。 あいつもすぐに気が付いたみたいで、チラっとオレを見た。 肩より少し下で巻いた髪は、窓からの光を浴びてキラキラしていた。 遠くから見ても、果凛は目立っていた。 制服でみんなと同じ服装をしているのに、何だかあいつには明るいオーラがある。 すれ違うとき、果凛はオレをしっかり見て笑顔になる。 言葉は交わさなかったが、果凛の明るさの一部がオレに入ってきたような気がした。 (果凛と、付き合ってみたい……) 今までのあいつのことを、あんまり知らなかったから余計にそう思ってしまう。 子どもの頃、『あっちゃん、あっちゃん』とオレの傍にいつもいたあの果凛と、また一緒にいられるかもしれないと思うと、何だかワクワクしてくる。 (オレも、あいつと…もっともっと話してみたい…) 自分からこうしてみたいという気持ちが、オレの内から起こってきたのは自分自身でも意外だった。 果凛に会いたいと、素直に思う。 色々と自分の中で考えるよりも、それはずっとマシな決断に感じた。 その日の夜、オレは自分の部屋から果凛に電話をかけた。 |
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