「…お前、果凛に何かしたのか?」
奈那子はしばらく黙っていた。
オレはひたすら彼女の言葉をひたすら待っていると、やっと重い口を開く。
『駒井沢くん、…一緒に通学してたんでしょう?』
「ああ…、だけどあいつがケガして、たまたまオレの家と近かったってだけだぜ?」
『………』
「………」
実際オレにはまったく悪気はなかった。
『…だけ、じゃないよ…』
奈那子の消え入りそうな声が、それでもハッキリとオレの耳に届いた。
結局、果凛と何があったのかは最後まで奈那子はオレに言わなかった。
それでも、何か言ったということは分かった。
それについて、彼女も否定しなかった。
(………)
いつからか、オレの方から奈那子を避けてた。
いや、“いつからか”っていうのは……ホントは分かってた。
今年の初め頃、奈那子から告白されてなんとなく付き合いはじめて、…そして夏休み前ぐらいに初めてあいつを抱いたんだった。
オレは奈那子がもちろん嫌いじゃなかったし、お互い求めた結果そうなったのだから、その事に対して後悔はなかった。
それでも、セックスを境にして、奈那子が変わったと思うのは気のせいなんかじゃなかった。
付き合いだした頃の奈那子は、さっぱりしたいい奴って感じだった。
結ばれてしまってからは、それまで感じなかったベッタリとした雰囲気になってしまった。
オレは、そんな奈那子に対してちょっと引いてしまったんだと思う。
体を重ねるのはもちろんの事、普通にデートするのも避けるようになってしまった。
オレが避ければ避けるほど奈那子との溝は深まって、そして彼女がオレを束縛しようとする姿勢はより強くなっていった。
悪い方へ悪い方へ流れていく感じだった。
(果凛………)
一人で帰れるから、と言った日の果凛を思い出す。
考え出すと、気になって仕方がなくなってくる。
……奈那子との関係は、もう潮時なのかもしれない。
そんな内輪のことに、果凛を巻き込んでしまった気がして、オレは急に責任を感じてくる。
そもそも、奈那子と向き合えないオレが悪いんだ。
次の日の朝、教室で奈那子と目が合う。
昨晩の電話のせいか、やっぱり気まずい空気が流れる。
そんな気配も教室のざわめきに消されて、オレは彼女から目を逸らした。
やっぱりこのままの関係でいる、っていうのはオレにとっては無理があった。
放課後、廊下で果凛の後姿を見かけた。
(…………)
あいつと話さない日が、続いていた。
帰り道、ケガをしたあいつに偶然出くわさなければ、ずっと話をしないままの関係だったんだろう。
幼馴染で、そして縁遠くなっていた果凛は、いつからかもっと近い距離の存在になってて、オレの頭の片隅に今はチラチラと姿を見せている。
オレの気にすることじゃないのかも知れない。
それでも、奈那子と何があったのかが気になる。
オレは果凛にメールした。
「お疲れー…」
果凛の家に寄ると、あいつは既に私服に着替えていた。
相変わらず変に薄着の重ね着で、毎度のように目のやり場に困る。
「悪いな、急に」
「ううん…全然ヒマしてたし」
オレはかつてはよく知っていた果凛の家に上がりこむ。
なんとなく懐かしいこの家。
果凛の存在を除いては。
オレの斜め前に座る果凛。
やっぱり随分変わってしまったと思う。
とにかく、女フェロモンっていうのを感じさせるヤツだ。
冷静になってしまうと、果凛と二人っきりで家にいる事は、オレをソワソワさせた。
一息つくと、オレは早速切り出した。
「あのさぁ、…宇野って子に」
オレは果凛を見た。
「何か言われただろ?」
果凛は半分ため息をついて、ちょっとムっとする。
「……それはそうだけど」
奈那子が何を言ったのかは分からなかったけれど、果凛の気分を十分に害させたのは察する事ができた。
だけどあの日の果凛は怒っているというよりも、ひどく落ち込んでるって感じだった。
「………」
オレはなんて言っていいのか分からなくなる。
元々、ケガした果凛を送ってやるって言ったのはオレだ。
パっと見には分かりにくいけれど、果凛はその間随分オレに気を使っていてくれた。
コイツが意外と気ー使いで結構イイヤツだってこと、オレは分かっていた。
「…ごめんな」
今日はそれを言いに来ただけだったのかも知れないと、口に出してから思う。
そして、…ただ久しぶりに果凛の顔が見たかっただけだ。
(………)
オレは自分の中の気持ちに、戸惑った。
「…なんの『ごめん』?」
果凛がまっすぐオレを見て言った。
「…宇野さん、何か言ってたの?」
確かに漠然とし過ぎていて、自分でも果凛に何が言いたいのか整理できていないままここへ来てしまった。
奈那子から、何も聞き出せてないというのに。
…だから余計に、奈那子の果凛への行動がオレをザワザワさせていた。
「……いや、何も…。だけど、おまえに何も言ってないって態度じゃなかった」
正直オレは困って、やっとそれだけ言った。
(オレは何のためにわざわざこんな事を言いに来たんだろう)
今更になって、自分の行動が変だなと思った。
果凛は怪訝な顔をしていた。
(そりゃあ、そうだろう……)
来てしまって迷惑だったなと、つくづく反省する。
「…ごめん、何か気になって……急に来て悪かった」
オレは立ち上がった。
「帰るの…?」
「ああ」
オレは玄関へ向かった。
(ホント、一体何をしに来たんだろうな、わざわざ…)
「お茶、ゴチ」
なんだかどうしようもなく間が悪くて、オレは急ぎ足になる。
「あ、…敦志っ」
「?」
急に大きな声で呼び止められて、オレは立ち止まった。
果凛はなんだか泣きそうな顔をしていて、オレはそんな姿に尚更どうしていいか分からなくなる。
(果凛……?)
オレは無意識に、一歩果凛に踏み出していた。
果凛の方は、更にオレに歩み寄ってくる。
「敦志っ……」
一瞬で、果凛はオレの目の前にいた。
いや、目の前…っていうんじゃない。
オレの胸に顔をうずめていた。
「果凛……?」
家に二人きりでいたから、あまり考えないように感じないように意識していた感覚が、急に体を巡る。
心拍数が急激に上がっていく。
果凛のやわらかい髪が、オレのあごに触る。
「敦志……」
オレは果凛から少し体を引いた。
顔を上げた果凛と、まともに目が合う。
(やっぱり、絶対可愛いよな…こいつ…)
こんな状況で、オレはそんなことを考えてしまう。
「もっとしゃべりたい…」
「………」
客観的に見ようが見まいが、主観的にどう見ても果凛は可愛いと思う。
オレはその可愛さを、見ないように見ないようにしてきた。
「敦志と、…付き合いたい」
(……マジで…?)
オレに触れている果凛の感触が、オレの気持ちを押し流していくような気がした。
一瞬にして、自分の頭の中の果凛の存在が膨らんでしまう。
迷いとか、奈那子のこととか……一気に消えて、オレの気持ちの中は果凛で一杯になってしまう。
「………」
「………」
(何なんだよ、この感じ…)
頭の中は混沌としていた。だけど…。
オレは果凛を見た。
手が自然に伸びてた。
「果凛」
「……」
顔を上げた果凛を見て、オレは確信に近い感情を持った。
「………待てるか?」
黙ってオレを見返してくる果凛の目は潤んでいて、やっぱりすごく可愛いと思う。
(コイツと付き合えたら……)
急にそんな風に考えてしまう自分に驚いてしまう。
オレは果凛の頭をぽんぽんと叩いた。
「…あ、…うん」
果凛はビックリしたままで、小さく頷いた。
その顔が子供の頃の面影を思い出させて、オレはなんだか懐かしくて、妙に愛しい気持ちになる。
果凛を、誰にも渡したくない ―――
初めて感じる独占欲に、我ながら驚いてしまう。
気持ちの方向性がハッキリしてしまった以上、オレのしなければならない事は既に明確だった。