奇跡の青

8・選択

   
敦志と一緒に登校しなくなってから、やっぱり予想したとおりに彼とは顔を合わせることがなくなってしまった。
時々、遠目で離れたところにいる敦志を見かけるだけ。
(こんな風にして……)
一緒に通学してたあの数日間が次第に現実じゃないような気になって、そしてどんどん元の距離まで戻ってしまうのかもしれない。
(さびしいな…)
会えないっていうのに、毎日会っていた時よりも時間が経つにつれて、余計に好きになってしまってる気がした。
 
あの日、敦志の彼女に言われた言葉は私を大いに落ち込ませた。

帰りに敦志が私に気をつかってくれたのはすごく嬉しかったけど、その喜びみたいなものは一瞬のことで、こうして敦志と接触しない毎日の中では彼女の言葉だけが私の中に残った。
――― “駒井沢くんが初めてなの”―――


「はぁ…」
ため息が出てくる。
(自然消滅…?)
付き合ってもいないのに、それじゃあおかしいか。
(だけど、フェードアウトには変わらないか…)
時折、私を優しい目で見てくれるようになった敦志。
あの顔を思い出すと、すごく胸が痛い。
きっと彼女の前ではあんな表情を見せて、…そして…。
「あーあっ、もう!」
「何よ、急に」

亜由美がびっくりして私を見た。
「ああ、ごめん。自分の世界に入ってた」
私は手に持っていたコーヒーを飲んだ。
スターバックスのフレーバーコーヒーは、大体が甘すぎる。
「ぐえ」
底の方まで飲んでしまって、私は思わずテーブルにカップを戻した。
「幼馴染クンと離れてから、果凛ずっと機嫌悪いね」
「えっ……もしかして感じ悪かった?」
「別に、感じは悪くないけど」
亜由美はちょっと同情の色を見せて私を見た。
「はーあ、なんか面白いことないかな…」
本気で私は言った。
「果凛、一緒にバイトしない?週に2日くらいで」
「バイトかぁー。それもいいかもねー」
少しは気分転換になるかも、と私は思った。
ふと手元を見たそのとき、自分の携帯がメールを着信してるのに気づいた。

「あっ!」

敦志からメールが来ていた。
私はビックリして、慌てて携帯を開く。
『今日、部活終わったらお前んとこ寄っていいか?』
私は時計を見た。もう5時半だった。
「敦志から、メールが来てた!」
「うそ、鳴ってたの全然気がつかなかったよ」
亜由美が私の携帯を見ながら言う。
「マナーにしっぱなしだった。…やばい、これから来るって!」

(何の用だろ……)
そう思いながらも、私は浮き足立ってた。
「ごめん!帰らなくちゃ!」
亜由美を急かして、私は慌てて店を出た。


6時過ぎに、敦志はうちに来た。
ちょっとぶりなのに、ずいぶん久しぶりな気がする。
敦志は片手で眼鏡を上げながら、靴を脱いで入ってくる。
「悪いな、急に」
「ううん…全然ヒマしてたし」
相当あせって帰ってきたんだけど、とりあえず何事もなかったように振舞っているつもりで私は答えた。
「大変だね、部活」
私は言った。
「あぁ…、でも10月から冬時間で早く上がるから」
「そっか……」
敦志のその言葉を聞いて、もうすぐ10月なんだなって気がつく。
制服も衣替えだなって、私はそんなことがまず頭に浮かんだ。

敦志が麦茶をゴクゴク飲むから、私はボトルごと彼の目の前に置いた。
「あ、サンキュー」
実際にこうして敦志が家にいても、不思議と違和感がなかった。
ボトルを取って、敦志は自分のコップに注ぎ足す。
そんな動作も当たり前みたいで、もう何年もこうしてうちにいる人みたいな感じだ。
私は不思議とほっとして、そしてその反面、不安でドキドしていた。
(多分誰よりも安心できて…誰よりも一緒にいて緊張する…)
何気ない敦志の仕草でさえも、目を離すことができなかった。
自分の中にある彼への気持ちを、痛いぐらいに感じる。

「あのさぁ、…宇野って子に」

唐突に敦志の口から彼女の名前が出る。
それだけで泣きたくなるぐらいイヤな気分になってくる。
「何か言われただろ?」
敦志が私を見た。
「……それはそうだけど」
私はちょっと困ったけど、そのまま答えた。

「………」
下を向いて、敦志は黙り込む。

私はあの日のことを思い出して、さらに気分が沈んだ。
わざわざ、うちにまで寄ってこんなことを敦志は私に言いに来たんだろうか。
気持ちの奥がチクチク痛い。
ガマンしてた気持ちが、下手したら溢れてきそうで怖かった。

「…ごめんな」

やっと言った敦志の言葉が私の胸に刺さる。

敦志は膝の前の方で組んでいた両手を離して、眼鏡を上げた。
私は指先が震えそうになっていた自分に気がついてびっくりした。
「…なんの『ごめん』?」
私は敦志を見て言った。
(どうして敦志が私にごめん?)
(彼女がなんて言ったか、敦志は知ってるの?)
(そうだとしても、どうして敦志が私に謝るの?)
私は続けて言った。
「…宇野さん、何か言ってたの?」
私の言葉を受けて、敦志は眉間に皺をよせた。
「……いや、何も…。だけど、おまえに何も言ってないって態度じゃなかった」
「………」

(私の方が困惑するよ…)
なんだか煮え切らない敦志の態度。
正直言って、私に何が言いたくて敦志がここへ来たのかが分からなかった。
宇野にも言ったけど、内輪のことなら私になんて言わないで欲しい。
私は敦志のことが好きで、そんなことを言われても辛いだけなのに。

「…ごめん、何か気になって……急に来て悪かった」
おもむろに敦志が立ち上がる。
「帰るの…?」
私はつられて立ち上がって、無意識にそう言ってた。
「ああ」
敦志は右手でソファーの下に置いてあったカバンを持った。
既に足はリビングの入り口に向かってる。
「お茶、ゴチ」
そう言いながらスタスタと玄関へ歩いて行ってしまう。
私はせっかくの久しぶりの敦志との時間を急に切られて、そしてまた二人で会話できることなんて今度はいつあるのか分からないっていう現実に、軽くパニくってくる。

「あ、…敦志っ」

「?」
玄関口で、靴を履く前に立ち止まった敦志は私の方に振り返った。
数秒の間に、頭がフル回転する。
(今までみたいに、好きになった子に彼女がいるから黙ったままであきらめるのか…)
(もうひとつのパターンとして、とりあえず告白して玉砕するか……)
――― どっちにしてもダメなのは分かってた。
100%無理って、バカだって、分かってるけど…それでも、敦志のことを好きな気持ちは抑えられない。
敦志のことは、私の中で『好き』以上に特別な気がした。
だから、怖い。
何を言っていいのか、分からない。
それでも黙ってあきらめられるわけなんてなかった。
今の私に選択肢なんて、どっちにしてもないんだ…。

「敦志っ……」

言葉より、体が…

私は思わず敦志に抱きついてしまっていた。
気がついたら、胸に飛び込んでた。



「果凛……?」

めったに私の名前を呼ばない彼にそう言われて、私はそれだけでなんだか涙が出そうになる。
「敦志……」
顔を上げるのが恥ずかしかった。
なんだか、自分の全てがダメだ。
「もっとしゃべりたい…」
それでも敦志を見て、何とかそれだけ言った。
敦志は本当に驚いた顔をしてた。
彼を近くで見てしまうと、どうしようもなく好きだって想いがこみ上げてくる。
(すっごい、好き……)
通学のときに感じてた、敦志の匂い。
今、間近に感じる。
そんな感覚がまた、私の気持ちを押し上げてしまう。

「敦志と、…付き合いたい」

言ってもどうにもならないのは分かっていたけど、言わなかったらひたすら後悔しそうだと思った。
ドキドキを通り越して、私は必死になってた。

「…………」
敦志は何も言わないまま、すごく困った顔をした。
その表情を見て、私は一気に切なくなってしまう。
(ああ……もう…、バカだなぁ…)
彼女がいるの、分かってるのに。
困らせるだけなのも、分かってたのに。

「………」
「………」

私たちは、そのまま玄関口で立ち止まっていた。
私は敦志の胸に手をあてたまま、固まっていた。
「果凛」
敦志の声で、ハっと我に返る。
手が…、敦志の手が私の頭を確かに撫でた。
「……」
私は敦志を見た。


「………待てるか?」

(え…?)
意味が分からなくて、私はじっと敦志の目を見た。
その目は、すっごく優しい気がした。

(あ…)
敦志が私の頭を今度は軽く叩く。
その手はまるで子供をあやすみたいだった。
「…あ、…うん」
私は半分言わされたみたいになったけど、慌てて頷いた。

「それじゃあ、またな」

敦志はあっさりそう言って私から体を離すと、背を向けて靴を履いてさっさと出て行ってしまった。
私は玄関口に残されて、しばらく立ち尽くしたままだった。

 
(『待てるか』…って、言ったよね…)
頭がぼぅっとなって、自分が勝手に抱いた妄想なんじゃないかって気がしてくる。
だけど、確かに髪に敦志の手の感触を思い出せる。

(……ど、…どういう意味…?)

…よく分からなかった。
ただ、告白して一瞬にして振られた、ってわけではなさそうなのは分かる。
だけど、敦志の気持ちとか、考えてることとか、…まったく分からない。

冷静になると急にドキドキしてくる。
どういうことなんだろう……。
「……………」
とにかく敦志に言われたように、私は『待つ』しかなかった。
 

ラブで抱きしめよう
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