奇跡の青

7・普段通り(敦志視点)

   
今日の帰りの果凛は、おかしかった。
いつものあいつなら、自分のペースでドカドカしゃべってくる。
それが一緒にいる間中、ほとんど無言だった。
(…気持ちわりぃ……)
果凛は何だか落ち込んでるっぽい雰囲気だった。
オレまで胸元がモヤモヤしてくる。

「…もう、一人で通えるから」

「……そうか」


普段の学校生活で、果凛とオレとの接点はほとんどないといってもいい。
多分、明日からはまた会話を交わすこともなくなるんだろう。
「………」
あまりにいつもと違いすぎる果凛。
オレはだんだん気になってきて、こんな風に喋らなくなったら、このままずっと気になったままなんじゃないかと思った。

「おい、……待てよ」
オレは声をかけた。
あんまりオレと目を合わせようとしてこない果凛の様子に、もしかしたらオレが何かしてしまったのかという気がしてた。
果凛は振り返ってオレを見た。
あんまり認めたくなかったが、コイツはかなり可愛い部類の女だと思う。
少し離れて見ると、改めてそう感じずにはいられなかった。
「………」
果凛はオレを見て、そして周りを見た。
「……濡れちゃうね」
確かに雨は激しくなってた。
気がつけば、傘を打つ雨音もかなり大きかった。
「……」
オレはこの場をどうするべきか迷った。
「……入る?」
果凛はドアを開いた。


「…あのさ…」
オレが口を開きかけたとき、果凛が大声で言った。
「ああっ!待って待って!ちょっと敦志、足ビチョビチョじゃん!」
「…あ、あぁ」
オレは靴を脱ぎかけてて、ズボンの裾も足元も果凛の言うようにグッショリ濡れてたことに、今気がついた。
「タオル、持って来るから。待ってて」
そう言って果凛は家に上がって行った。

しばらくして戻ってくる。
果凛はオレにタオルを渡しながら、言った。
「あーあ、ビショビショになっちゃったね。帰り、オヤジのビーサンでも履いてく?」
「んー…」
確かに、この濡れた靴をもう一度履くのは気持ちが悪かった。
「その時に考える」
オレは答えて、家に上がった。

(なんだよ、結構元気じゃんか…)
心配してたオレがバカに思えてきた。


「ごめん、ちょっと座ってて」
オレは果凛に言われるまま、リビングのソファーに座った。
果凛はオレに麦茶を出すと、部屋のカーテンを閉めてまわる。
「もう、外すごい暗いね」
「……」
確かに窓越しに見る外は、すっかり暗くなってた。
雨の日の独特の、不自然な暗さ。

「はあー……」
果凛はため息をつきながら、斜め横のスツールに座った。
「疲れた……」
そう言いながら、果凛もテーブルの麦茶に手を伸ばした。
(疲れてただけなのかよ…)
オレの中で、更に心配損の気分が高まる。
「あっ!」
果凛がカーテンの方を見て、急に声をあげた。
「なんだよ」
オレまでつられて一瞬ビックリしてしまう。
「今、光ったよ…だいぶ…」
「………マジで」
オレもカーテンの方を見ると、すぐに大きな音が響く。
雨の音が打ち付けるバタバタという音も激しさを増してきた。
「……すっげ雷雨」
「やだー…あたし雷ってすごい苦手!」
果凛がクッションを引っ張って、握り締めた。
「小学校の近くの、木内さんの家…知ってるだろ?」
「うん」
「前に雷で、家のテレビ3台ダメになったらしいぜ」
「うそ、ホント?えーどうしよう?電源切っててもダメ??」
果凛は立ち上がりかける。
「大丈夫だろ、この辺は住宅密集してるし」
「そういうものなの?」
クッションを握り締めて、果凛は座りなおした。
オレは答える。
「分かんね、多分な」
「…適当だなぁ」
果凛はオレを見て笑った。
(やっぱり笑顔の方が断然いい……)
オレはほっとする。

「……で、何だっけ?」
急に真顔になって、果凛は聞いてきた。
「ああ」
そうだ、引き止めたのはオレだったんだ。
さっきまで元気のなかった果凛が普通になってきて、オレが彼女を引きとめた理由がなくなってしまった。
「………なんか、元気なさそうだったし……お前らしくないからちょっと気になっただけ」
間も悪いし、オレはそのまま言葉にして言った。
果凛の顔があからさまに嬉しそうになる。
(単純なヤツ……)
だけどオレの言葉で機嫌がよくなる果凛って、嫌いじゃない。
今度はオレもハッキリ分かるほど、窓の外が光る。
すぐに大きな音が響いた。
「やだー、ちょっと、近くない?今の?バリバリって言ったよ」
「今のは近そうだな」
「……はあ……」
果凛が心配そうに外の方を見た。
「すごい雨だし、落ち着いてから帰ったほうがいいよ。敦志」
「………」
オレも、『今帰れ』って果凛に言われたら、コイツ鬼だなって思う。
激しい雷の音で、果凛は不安そうだった。

さっきの状態を思い出す。
やっぱり、普通じゃなかったよな。

「何もなければ、いいけど」
オレは言った。
「えっ」
オレの言ってる意味が分からないらしく、果凛はキョトンとする。
「いや、帰り……お前やっぱ普通じゃなかったから」
せっかく普通な感じになった果凛に対して、蒸し返すのはどうかと思いながらも気になって言ってしまった。
「ああ……あー…」
果凛の表情が曇る。
「ごめん、…別に言いたくなければいいよ」
オレも無神経かもなと思って、突っ込んでしまったことに後悔する。

「うーん……」

果凛はしばらく考え込んでた。
「………」
オレは黙って様子を覗う。
「あのさ」
果凛が顔をあげた。
「うん」
オレも果凛を見た。
「あったかいものでも、飲む?」
「…ああ…」
(なんだよ…)
オレはガックリした…力が抜けた。

まだ結構雨は激しかった。
それでも少しずつ、雷は遠ざかっているようだった。
果凛がコーヒーを入れて、持って来る。
「あぁ、ありがとな」
「いーえ」
果凛は自然な動作でソファーに座る。
足がだいぶ良くなってる、っていうのは本当みたいだなとオレは思った。
明日からは、もう普段どおりになる。
もうこいつと一緒に学校の行き来をすることはないんだなと、実感してくる。
(………)
目の前の果凛は、足の先から頭のてっぺんまで、「女の子」って感じだった。
幼馴染だけど、オレの知らない女。

「敦志、彼女といつから付き合ってるの?」
唐突に果凛が聞いてくる。
「…?」
オレは戸惑ったが、果凛は真面目に言ってるみたいだった。
「…今年入ったぐらいからだな…」
「ふーん……」
果凛はコーヒーを一口飲んで、言った。

「…ねえ、うまくいってる?」
「んん?」
オレは一瞬固まってしまった。

奈那子とうまくいってる……とは言い切れないと思う。
最近のオレは結構アイツを避けていて、アイツの態度も何だか以前と違っていた。
「果凛、……あいつのこと知ってんの?」
こんなこと聞いてくるなんて、果凛がオレたちのことを知ってるとしか思えなかった。
「えっ……」
果凛はちょっと驚いてオレを見た。そしてゆっくりと答えた。
「…知らない…けど、知ってる…?…知ってるけど……知らない?」
「なんだよそれ」
(なんだ、知ってるのかよ…)
オレはこういう話が苦手で、どう答えていいものか迷った。
果凛はしばらく何も言わずにいた。
オレも黙ったままだったから沈黙が続いた。

「…今日さ、髪、巻いて出たのに」
果凛が自分の毛先を指でもてあそびながら言った。
「雨降ったし、全然分からなくなっちゃった」
そして顔を上げて窓を見た。
その横顔がなんだかすごく儚げで寂しそうで……
二人きりでいるこの部屋の中で、オレは急にザワついた気持ちになってくる。
雨の音もさっきより静かになってきた。



次の日の朝、オレはいつもどおり早い時間に家を出た。
昨日、派手に降ったせいで今日はまさに雲ひとつない晴天だった。
(暑そうだな……)
日差しが強い日の自転車通学は朝でも辛い。

自転車を押しながら、果凛の家の前を通る。
(まさか、待ってないよな…)
そう思いながら玄関口に目をやる。
(………)
勿論、そこにあいつはいなくてオレは何だか自嘲気味にふと笑ってしまった。
あいつの家。
久しぶりに2階を見上げる。
昔と変わってなければ、あそこが果凛の部屋だ。

「…さてと…」
オレは自転車に跨って、ペダルを漕いでいつもの道を一人で走り出した。



オレの毎日は結構体力の消耗が激しくて、部活が終わって帰るとすぐ眠る、といった感じだ。
朝はギリギリまで寝て、また学校へ出かける。その繰り返しだった。
信じられないことに、勉強は学校でしていた。
とても家に帰ってから…なんてことはできなかった。
土日もほとんど部活がらみだったし、たまの休みにはバッタリと1日中眠りたかった。

この行動パターンに他の事を挟む余裕は、全然なかった。
こんなオレにどうして彼女なんているのか、今でも不思議に思う。
しかし奈那子の不満を、さすがに感じずにはいられなかった。
今のオレはどうしても『彼女』優先っていうのは無理だ。どう考えても。
それに、そこまでする情熱が、正直言って自分の中にない。
奈那子に対する想い………。
『縁があった』としか言い様がなかった。
嫌いなわけじゃない。どちらかといえば好みのタイプ。
だけど、それだけだった気がする。
オレを突き動かす何かが、オレの中にはなかった。
それに、女と付き合う……ってそんなもんだろって、オレは思っていた。


『あ、…良かった。起きてた?』

久しぶりに、夜、奈那子から電話がかかってきた。
大抵オレは早い時間に眠ってしまうので、奈那子はメールしてくることが多い。
「もうちょっとで寝るとこだった」
オレはもう着替えていて、自分の部屋ぼーっとテレビを見ていたところだった。
『ごめんごめん…じゃあちょっとだけ』
そう言っている奈那子の遠慮がちな姿が想像できた。

他愛もない会話をした。
奈那子とは同じクラスだから、共通の友人もいる。
だけどクラスの連中にはオレと奈那子が付き合ってることはあんまりバレてない。
『…もう、一人で通学してるんでしょ?』
「えっ?」
奈那子の言葉は意外だった。
意味がわからなくてピンとこなかった。
「…………」
オレが黙ってると、奈那子はちょっと焦った声で言った。
『自転車だと、これから寒くなってくよね…』
不自然に話を反らそうとしているのを感じた。
「………」
ジワジワと果凛のことが頭に浮かんでくる。
「…どういう意味?」
オレは言った。
奈那子に果凛のことは全く言ってなかった。

――― “…もう、一人で通えるから”

そう言った日の果凛。
歩いていても、電車の中でも、どうみてもおかしいと分かるほどに落ち込んだ様子だった。

“…ねえ、うまくいってる?”
“…知らない…けど、知ってる…?…知ってるけど……知らない?”

(…………)
オレは体を起こした。

「…お前、果凛に何かしたのか?」


携帯電話の向こうで、息を呑む音が微かに聞こえた。
 

ラブで抱きしめよう
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