奇跡の青

6・雨

   
朝からの雨はまだずっと降り続いていて、弱まるどころか強くなってきてた。
放課後の教室は気がつくと誰もいなかった。
窓を打つ雨の音だけが響く。

“別に送ってやってもいいけど―――”

敦志がそう言ってくれたから、こんな天気なのに室内で筋トレとかあるらしい彼の部活が終わるのを、私は待っていた。
今朝早起きしすぎて、めちゃくちゃ眠かった。
机につっぷしてウトウトしてて……名前を呼ばれて顔を上げたら、昼間の『彼女』がいた。

「……誰?」

思わず私は彼女を見て言った。
敦志の『彼女』ってことは分かってた。それは確信があった。

「…A組の、宇野だけど…」
宇野、…聞いたことない。
別の中学だったんだろう。
私の仲間とは接点のなさそうな、真面目そうな子。
「…何?」
私は言った。
ダルかった。
このコにこれから何か言われるのも、それから眠かったのに起こされたのも、この状況の全てがダルい。
「駒井沢くんのことなんだけど」
「………」
私は彼女の言葉を待った。
なかなか続きを言わない。
その間に私は彼女を観察してしまった。
細いなぁ、…羨ましい。
髪も全然痛んでないし、色も真っ白。
敦志ってこういうタイプが好きなのか。

しばらく沈黙して、やっと宇野が口を開く。
「どうして一緒に帰ってるの?」
「……」
やっぱり文句を言われるんだろうな、と想像してイヤになってくる。
「…足、怪我しちゃったし、家が近いから」
私は事実をそのまま言った。
一瞬あやまろうかなって思ったけど、別に宇野に敦志と『付き合ってる』宣言されたわけじゃなかったし。
「………」
彼女も私を見た。
そして私の足元に視線を移す。

「…………」

沈黙が続く。
私は彼女の視線を感じた。
あまりに間が悪いし、そもそも私の方から彼女に話なんてない。
こういうような場面って今まで他の子ともあったけど、超苦手。
私は立ち上がった。
「…あ」
宇野が声をあげる。
私はカバンを持って、席から離れようとした。
横に並ぶと、彼女は私より随分背が低い。
彼女の視線を感じながら、私は数歩踏み出した。

「あのっ…!」

彼女の声で私は振り返る。
「……?…」
「あっ……」
宇野はオロオロしてる。
「…なに…?」
私は怪訝な顔だったと思う。
それでも宇野が言いたいことは、ホントは何となく分かってる。
彼女にとって、それが言いにくいことなのも分かってた。

「あ、…歩けるじゃない」
責めるような口調で言い、私を見る彼女。
「…そりゃ、歩けるよ」
私は冷静に言った。
学校に来てるんだから、一人で全く歩けないわけないじゃん。
「じゃ、じゃあ…一緒に帰らないで」
彼女は歩き始めた私に、慌てて言葉を投げる。
「…それ、…自分で直接敦志に言ったらいいじゃん」
その私の一言で、少し彼女の顔色が変わる。
私は立ち止まって彼女を改めて見た。
どうして赤の他人である私に、彼女がそんなことを言うのかが理解できなかった。
『彼女』、だったら、敦志本人に直接言ったらいいのに。

「こ、駒井沢くんと、…あなた、親しいの?」
「だから敦志とは近所なんだって」
『彼女』が「駒井沢くん」で、近所なだけの私が「敦志」なのがおかしいなって思った。
「あなた…ううん、綾崎さんのこと…駒井沢くんから聞いたことなかったから」
「……『宇野』さんは、敦志とどういう関係なの?」
彼女だってことは分かってたけど、直接言ってこないからなんだか私はイライラしてた。

「付き合ってるの」

宇野は今まで弱々しい態度だったのに、そう言った一瞬語気が強くなる。
その顔つきが夏休みに見てた昼ドラの敵役みたいで、ちょっと寒かった。

「……」
(だから、何なのよ…)
的を射ない話に、ホントにイラついてくる。
「…私は別に敦志と特別な仲じゃないし」
自分でも分かってるけど、口に出して虚しくなる。
要するに、私から敦志に『一緒に帰るのはやめよう』って言って欲しいんでしょ、彼女的には。
それを私の口から彼女に言って、適当にこの場を取り繕って去ってしまいたかった。
(しょうがないなあ、もう…)
「あのさ…」
私が口を開きかけたとき、宇野がかぶせてくる。

「わ、わたし…!駒井沢くんが初めてなのっ」

「は?」

(コイツ、何言ってんの?)
全く意図が掴めないその一言に、私は呆然とした。
「…だから、あ、…綾崎さんには……駒井沢くんの前でチョロチョロして欲しくないのっ」
「………」
(意味分かんないんだけど…)
それでも沸々と、自分の中から何か込み上げてくる。
宇野は、マジっぽい。
停止させられた私の思考が、少しずつ回り始める。
一瞬、拳を振り上げそうな衝動にかられたけど、何とか抑えた。

「処女で、…悪かったね」

私はそう言って彼女を睨んでしまった。
宇野は自分の言ったことにやっと気がついたみたいで、ハッとしたみたいだった。
「えっ…と…あの…」
何か言おうとしてる宇野に背を向けて、私は教室を出た。
自分が足を怪我してることなんて、すっかり忘れてずんずん歩いた。


学校内で教室以外に行くところもなくて、私は仕方なく図書室に入る。
一人で勉強するために机が軽く仕切られたスペースに、私は座った。

――― “初めてなの”に、込められてた彼女の気持ち。

それだけ敦志にマジだってこと。
それから、自分(宇野)と私(わたし)は違うんだよっていうこと。

私は派手で、遊び人に見られる。
『初めて』を偉そうに言ってくるなんて、よっぽど私がヤリマンだとでも思ってるに違いなかった。
あの子的には、そんな私に彼氏を誘惑なんてされたくなかったんだろう。
現実には、私は処女だった。
それは、私自身ちょっとしたコンプレックスにもなってた。
処女なのに、ヤリマンに見られる……その事自体、ちょっと辛い。いや、…かなりかも。
何だかすごくバカにされてる気がした。
それに気付いたら、どうしようもなくムカついてきた。

それと…。
…敦志は…あの子とそういう関係なんだっていうことが、大ショック。

(アイツめ…)
私にはいつも偉そうな態度をとってる敦志を想像した。
アイツにそんな色っぽい一面があるっていうこと、考えたくもなかった。
その対象は、私じゃない。

「…はあ……」
すっごいイヤになってくる。
(大体、宇野、超失礼じゃない?)
モヤモヤして怒り爆発しそうになってくる気持ちを抑えたのは、どうしようもなく私を落ち込ませるもう一つの感情だった。
(……全然、そういう関係じゃないのに……)
彼女に無意味に嫉妬されて、当たられた気がする。
人の彼氏と一緒に帰ってたのは悪いけど…、敦志は気にしてなかったし…。
それにしても、あんなこと…言う??
私とは、初対面なのに。

(ダメだなぁ……)
関わらなければ良かったのかも、って一瞬思った。
それでも険悪なままの幼馴染関係が和んだのは、私にとってすごく嬉しいことだった。
そして敦志を好きになってしまった。
「あー……もう」
敦志が全身を触ったであろう『彼女』の姿が頭をよぎる。
今日、私の中に刻み込まれた敦志の笑顔を思い出す。
このまま机にめり込んでいってしまいそうなぐらい、落ち込んできた。


メールで先に帰るって言えばよかったのに、気がついたら先に敦志からメールが来てた。
『部活が早く終わった。今、昇降口にいる』
「……」
落ち込みすぎて、時間の感覚がなくなってた。
私は仕方なく敦志の待つ昇降口へと向かった。
(彼女とは、一緒に帰ったりすることないのかな……)
ふと疑問に思ったけど、今日の私はとてもそれを彼に聞ける気分じゃなかった。


「…待たせたな」
「ううん」
私は敦志の顔が見れなくて、そのまま横を通り過ぎて傘を開いた。
彼も黙って私の横に並んで歩く。
いつもみたいに自転車だったら、たいして話をしなくても不自然じゃないのにって思った。
それでも結構降ってる雨と、傘でできる距離が、二人の無言の状態を緩めてくれて少しマシだった。
敦志の横を歩いてみて、思った以上に落ち込んでる自分に気付く。
(…はあ…)
雨に紛れて、私はため息をついた。

電車の中で会話がなかったのはちょっと辛いものがあった。
「………」
時折、敦志の視線を感じた。
私の視野に入る敦志の指先、…それさえも私の頭の中で『彼女』と繋がってしまって悲しくなる。
(なんか……)
敦志を想って、気持ちがギュッとなる。
余りにも久々すぎる、マジな恋の感覚。


時々敦志が話し掛けてくれたけど、会話は続かなかった。
そのまま、家に着いてしまう。
「……足、大丈夫かよ」
私の家の玄関の前で、敦志が言った。
「うん、全然へーき」
実際、大丈夫だと思った。
足の怪我よりも敦志のことで頭がイッパイで、まだ痛みがあることも忘れていた。
「…なんか、…暗いぞ?」
「えっ…」
私は無意識に顔を上げて敦志を見た。

「…なんかあった?」

私を見る敦志の目は、思ってたよりもずっと優しかった。
(………)
意表をつかれて、油断したら涙が零れそうになる。
「あのさ…」
出そうになる涙を飲み込んで、私は言った。
「?」
そんな目で彼女を見てるのかと思うと、また辛くなってくる。
敦志に優しくされたいけれど、それは裏返しで私の胸を痛めつける。
―――あきらめなきゃって、心の奥の自分の声が聞こえる。
とりあえず明日のこと、ちゃんと言わなきゃ。

「…もう、一人で通えるから」

こんな風に一緒にいられる時間も、もうないかもしれない。
そう思うと、やっぱりたまらなく悲しい。
もっと親しくなりたかったのに。
「……そうか」
がっかりした風でもなく、かといって冷たくもなく、敦志は普通に答えた。
そしてそれは私を更に落ち込ませる。
何か言おうかと思ったけど、全然言葉が浮かばなかった。

「それじゃっ」
私は敦志に背をむけて玄関へ向かう。
彼から離れたかった。
傘を閉じて、玄関の脇に立てかけた。
カバンからキーホルダーのたくさん着いた鍵を出す。
私は鍵を差し込んで、ねじる。
もう片方の手で、ドアノブを回してドアを開く。


「おい、……待てよ」

急に声をかけられて、まだ敦志がそこにいたことに驚いてしまう。
ドアに手をかけたまま、私は振り返った。
 

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