敦志に朝送ってもらうようになってからは、最近ずっと早起きしてた。
だけど、今日はいつも以上に早く目が覚めてしまった。
私は久しぶりに登校前に髪を巻いて、もう家を出るばっかりに準備が整っていた。
こんなに朝早いのに、机に置いてた携帯が鳴る。
「…!」
敦志からの電話だった。
「…はいっ、なにっ?」
なんだか不自然なほどに慌てて出てしまった。
『ああ、…起きてた?』
くぐもった敦志の声。
「うん、起きてるよ…。なに?カゼでもひいちゃった?」
こんな早朝から電話があるなんて、そんな感じの事に違いないだろうと私は思った。
『いや……、家、出ようかと思って外見たら、結構雨降ってきた』
「……雨?」
今日は鏡ばっかり見てて、テレビを全然見てなかった。
それに、窓の外も。
慌てて外に目をやると、よく見ないと分からないぐらい、少しだけどポツポツと雨が降り出してた。
「…ホントだ!」
ケガが治ってしまったら、もう敦志と登校ができないって思ってた。
そしてそんな日も近いのは分かってた。
だけど、“雨”っていうのは全然考えてなかった。
(どうしよう……)
電車で行かなきゃ、ってまず思った。
『どうするよ?』
敦志の方が先に言った。
「どうしよ…。敦志は?」
私はとりあえず敦志に聞いてみる。
『お前一人で行けんの?』
「…う、…う、うん」
頷いてるのか否定してるのか曖昧な言い方で、私は答えた。
まあいつかは一人で行かないといけないと分かってたけど、2分前ぐらいまでそれは想像の中のことで、いきなり現実になるとは思ってなかった。
(一人かぁ……。あの満員電車で…)
いきなりブルーになってくる。
『……早めに、一緒に行ってやろうか?』
「えっ……」
頭の後ろの方から、ぱあっと光が差してくる。
「ぶ、ぶか、部活は…?」
噛んでしまった。
『朝、雨の時は、ないし…。どうする?』
「あ……」
すぐにろれつが回らない私。
『言っとくけど、電車だぜ?分かってんのか?』
「うん……じゃあ、一緒に…」
それから30分後……敦志に言われた時間どおりに家を出ると、すでに敦志は道で待ってた。
敦志の傘を持った立ち姿が、なんだかカッコよく見えてしまった。
(ゴク……)
なに、ノド鳴らしてんの、私。
私も傘を開く。
「おはよう……」
「ああ…」
体育会系なら、ちゃんとおはようって言いなよって思いながら、私は敦志の隣で歩き出した。
「足、大丈夫?」
「うん……多分」
もう平気って、それを認めたらもう送ってもらえないかも知れないって思って…私は曖昧に頷く。
「……」
「……」
さっき家の中から見た時よりも、雨は強くなってた。
それでも私の周りの空気は静かで、口数の少ない敦志と、話すことが思い浮かばない私の、二人の『間』はなんだか居心地が悪かった。
お互い傘をさしてるから、隣にいるのに離れてる。
黙って私のペースで歩いてくれる敦志。
彼はこの沈黙を、何とも思ってないみたいだった。
駅に着いて、久しぶりに定期を出す。
「待ってて」
敦志は切符売り場へ向かった。
私が今まで出てた朝の時間よりは30分ぐらい早くて、それだけなのに改札口から見たホームは随分空いていた。
敦志は戻ってきて、私を目で促す。
私は敦志の後に続いて、改札を通った。
電車の中も、私が通学してる時間よりはダイブ空いてた。
私はドアに背をもたれながら立つ。
電車に乗り込んだとき、敦志は目で空いた席を探してくれたけど、さすがに朝の座席は満席だった。
座席の向こう側に、私たちが行ってた中学の制服を着た男子がいた。
「懐かしいね」
私は言った。
敦志も制服に気がついて、その子の方を見た。
「敦志って、ガクラン似合いそうだよね」
中学の制服、男子は詰襟で女子はセーラー服だった。
「似合いそう、って、3年間着てたし」
窓に肘から手を着いて、外を見ながら敦志は言った。
「………」
私は詰襟を着た敦志を、今の敦志で想像した。
中学時代の敦志は、全然覚えてない。
いつからメガネをかけてたんだっけ?
いつからこんなに背が高くなってた?
今までの敦志と私は本当に無関係だった。
記憶を遡ろうとしても、私の中で彼の姿は全く浮かばなかった。
「あっ」
後ろから人に押される。
あと数駅で着くのに、ちょっとずつ混んでくる。
ギュウギュウってことはなかったけど、敦志との距離がイヤでも縮まってしまう。
(…………)
すっごいドキドキしてた。
傘が敦志に触らないように、手が触れてしまわないように…
絶対に数センチ離れた距離を保って立たなきゃって思う。
だけど急に揺れて、ちょっと肩が敦志に触ってしまう。
「……ご、ごめん…」
顔を上げたらすごい至近距離で。
私は慌てて下を向いた。
すごいドキドキする。
早く、駅に着かないかなって…そればっかり考えて私は汗をかいてきた。
学校に着くまで歩いている間も、ほとんど会話はなかった。
門を入ったけど、まだ早い時間だったから全然人に会わなかった。
「大丈夫だったか?」
靴箱のところで、敦志が言った。
「うん……。何とか」
私は頷いた。
二人で階段をゆっくりと上る。
廊下で別れ際、敦志が言った。
「帰り、一人で帰れそうか?」
「うーん……」
(余裕で帰れそう…)
って思ったけど、それを言葉にできない。
敦志が『一人で帰れるよな?』とか言ってくれれば頷けるのに。
「別に送ってやってもいいけど」
敦志を見ると、全然普通の顔をしてた。
色々考えてる自分が恥ずかしくなる。
それでも敦志の方からそう言ってくれたから、顔に出るぐらい私は嬉しくなってしまった。
「…じゃあ、お願いしてもいいかなぁ……」
「ああ、…じゃあまたな」
敦志は変わらずクールな表情のまま頷いて、続けて言った。
「今朝、久しぶりで結構疲れただろ?」
バレてる。
確かに、私は色んな意味でグッタリ疲れてた。
それは久々の電車通勤だからっていうよりも、ほとんど敦志のせいだ。
「…うんっ」
思わず大きく頷いてしまった。
そんな私を見て、敦志は笑顔を見せた。
私の目の裏側、意識が最高にハッキリとして、イヤでも目についてしまう場所に、
……その笑顔はクッキリと刻み込まれた。
――― やばい、もう、すごい好きかも……
「どうしたの?果凛」
「へ?」
私は我に返る。
昼休み、亜由美に突っ込まれるぐらい、浮かれてたかも。
「なんか気持ち悪い」
「えぇっ?そう?気持ち悪いって、どんなよ?」
私は自分がどんな風になってたかが気になった。
「なにー、果凛、また新しい誰かに惚れたか」
コンビニで買ったサンドイッチを開けながら、横に座ってる玲衣にもいやらしい目で見られる。
「海都は、もういいの?」
玲衣が私に言う。
「ああ、うん。もう忘れてたよ。…そもそもあいつにはもう森川がいるじゃん」
海都のことなんてホントに考えてなくて、私は素で答えた。
「相変わらず立ち直りが早いね」
そう言って玲衣は笑った。
でも私は全然笑えなかった。
忘れてたこと、…急に思い出した。
(あいつだって、彼女いるじゃん…)
昼休みの終わり頃、ドアの方から視線を感じて私は廊下の方を見た。
「………」
廊下に二人の女子が立ってた。
そのうちの一人と、あからさまに変に目が合う。
直感も何も、…確信を持って私はその女がどういう立場の人間かを一瞬で理解した。
授業中、いつも以上に教師の話は耳に入らなかった。
あの、廊下で立っていた子。
ショートカットが伸びたみたいなセミロングで染めてない髪、キリっとした顔立ち…。
真面目そうな雰囲気で、いかにも勉強ができそうだ。
私とは全く違うタイプ。
……あの子、絶対に敦志の彼女だ。
(私を、見にきてたって感じだった…)
敦志と通学してること、…実はあんまり知られてない。
彼の部の子たちにはバレてたけど、朝も夜も部活の子じゃないと会わないような時間だった。
今日の朝だって、同学年の知り合いに見られてたって感じはなかった。
(でも……)
彼女だったら、誰かしらから言われるだろう。
あんたの彼氏、他の女と一緒に帰ってるよ、って…。
あの目、完全に誤解されてると思う。
敦志には朝晩送ってもらってるけれど、決して和気藹々(わきあいあい)っていう雰囲気じゃない。
なんか事務的な感じ。
でも、逆の立場で自分が彼女だったら、やっぱりイヤだな…。
(敦志……)
今朝、私の中にガツンと入ってきた笑顔を思い出す。
あんな顔して、あの子と喋ったりしてるのかな。
(………あーへこむー……)
『彼女』が急に目の前で現実化して、考えないようにしてたことを色々と想像させる。
(……はぁー…)
私と敦志は、そんなに仲がいいわけじゃない。
家が近所で、小さい頃はよく遊んでたってだけ。
だけ……かな…。
小学校に上がってすぐ、私、敦志とキスしたんだよね。
どんなシチュエーションだったかとか、もう全く覚えてない。
それでも確かに、私のファーストキスは敦志だった。
(敦志は、覚えてるかなぁ……)
忘れられてても覚えられてても、大差ないような気はする。
それでも、やっぱり忘れられてたらショック。
(…はあ…)
私の前ではクールな顔ばかり見せる敦志。
机に突っ伏したくなるほど、頭が重くなる。
(今日、一緒に帰るんだっけ…)
彼女に怒られないかな……
かなり心配になりながら、私の重たい午後の時間は過ぎていく。
放課後 ――――
「綾崎さん、ちょっと」
久しぶりに誰かに苗字を『さん』づけされて顔を上げたら、やっぱり『彼女』だった。