奇跡の青

12・2人きり

   
廊下から窓の外を見ていたら、中庭に彼が友達と一緒に歩いてるのを発見した。
高い背、遠くから見ると細身に見える体つき。
(敦志だ…)
付き合ってから、何だか急にいい男になったように私には思える。
多分、贔屓目なんだろうけど。

上を見ないかな、と思ってじっと敦志に念を送っていたら通じたのか、彼は唐突に顔を上げた。
(「敦志〜」)
叫びたい気持ちを抑えて、心の中で名前を呼んでみる。
(……あ)
敦志と確かに目が合ったと思う。
それでも彼は無反応で、そのまま下を向いて行ってしまった。
(見えなかったのかな…)
敦志は目が悪そうだ。多分、ホントに見えてなかったんだと思う。
(なーんだ…)
別に何を期待していたわけでもなかったけど、私は何となくがっかりしながら教室へと戻った。

その日の放課後。
廊下の端にある敦志のいる2年A組の前を通って、階段を下りていこうとした時だ。
「あ」
教室を出てきた敦志とバッタリ会った。
「……」
敦志は私をちらっとだけ見て、特に表情も変えずに無言で友達と行ってしまった。
(ちょっとぉ…)

あまりにも無反応じゃない?
っていうか、むしろちょっと感じ悪い。

私、何かしたっけ?何か言ったっけ?
と考えてみたけど、昨晩メールした時だって特に変わった様子はなかった。
「会いたい」とか、やたら言い過ぎた?
(しつこいとか、思われちゃったのかな…)
気がつかなかった、ってワケないと思う。今度はバッチリ目が合ったし。
「何よ〜……気になるじゃん!」
すっごくモヤモヤしてきて、帰りながら敦志にメールした。

敦志は部活帰りにうちに寄ってくれた。

「オレ、何かした?」
うちに入って開口一番、敦志は全然心当たりがなさそうだった。
「あのさー……学校で会った時、軽くシカトしてなかった?」
私は隣に座って、敦志を見ないまま言った。
「…シカト…?……ああ、あ〜」
敦志は首をひねりながらも、何となく頷いてる。
「なんか感じ悪いんですけど……」
無視、ってのはないと思う。せめてちょっと「よお」とか声かけてくれたらいいのに。
「ごめん」
「………」
私は敦志を見た。
意外にも簡単に謝ってきて、ちょっと驚いた。

「学校で会ってもさ、……ああいう間ってオレ苦手で」
「でもシカトっていうのはどうなのよ…なんか敦志、雰囲気怖いし」
「怖い?」
「なんかね」
「…そう言われても…どうもしようがねえよ」
困った様子で眼鏡を外す敦志。
私はため息をついた。
敦志の性格はなんとなく分かってきたけど、シカトってのは辛い。
「せめてもっと目つきとか優しくしてよ」
「……優しいだろ」
敦志はニヤっと笑って、私を見た。

そしてすぐに真面目な顔に戻る。
「オレ、優しくない?」
「………」
二人の時は、優しいと思う。
敦志がこんな態度で私に接してくれるなんて、実は毎回のように軽く感動してるぐらいだ。
「果凛には優しいと思うけど…」
彼の口から小さな声で出た言葉。
「………」
その台詞がすごく嬉しくて、私は言葉に詰まってしまう。
「二人でいる時は…優しいと思うけどさ……、だから余計に冷たく感じるよ」
敦志にほんの少しでも素っ気無くされただけで、本当は涙が出そうになるぐらい不安だった。
何か敦志のことすごく好きなんだなって実感する。

「………」

付き合ってからそんなに経っていないのに、もう何度目か分からないぐらい触れた唇。
ふと思ったけど、敦志から『好きだ』って言われたことあったっけ…?
私も、『好き』って言ったことあったっけ…?


あっという間に流れていく日々の中。
学校で見かけても、特に言葉を交わさない私たち。
それでも敦志の態度は少しマシになった気がする。
そんな微妙な変化でも嬉しい。
12月になっても私たちの関係はキスどまりだったけど、私はそれで充分満足していた。
なんていっても、処女だし。
私にとってセックスはまだ想像のものだ。


「あっ」

トイレから出たとこで、バッタリ宇野と会った。
声を出したのは、彼女の方だ。
「…………」
別に友達でも何でもないから挨拶もしなかった。
宇野を鏡越しにチラっとだけ見て、私は手を洗ってすぐにその場から出て行った。
そういえば宇野と学校であまり顔を合わせない。
多分彼女の方から避けてたんだなと、今更気付く。
(「あっ」って…)
敦志は宇野と同じクラスで、相当気まずいだろうなと思う。
学校で私に話しかけない敦志の態度って、もしかしたらちょっと宇野のことを気遣ってたのかも知れない。
(あぁ、それはあるな…)
一見すごく冷たい人間に見える敦志だけど、結構優しいとこもあるってのは分かってきた。
真面目な敦志が、ド真面目そうな宇野と付き合ってたっていうの、何となく理解できる。
想像はしたくないけど。

(…想像って言えば…)
『駒井沢くんが初めてなの』
宇野は、そう言ってた。

何度もキスしてくれる敦志。
言葉で表さない分、キスで補充するみたいな行動。
それはそれですごく嬉しくて、普段そっけない彼がとる甘い態度は私をすごくドキドキさせる。
(………)
宇野と、そういう関係だったってことは…敦志は彼女にも何度もキスしたのかもしれない。
(…もう別れてるのに…)
前の彼女のことを気にしても仕方がないのに、敦志の優しさを宇野も知ってるのが辛い。
そしてそれ以上の…私の知らない敦志を、宇野が知ってるのが辛い。
セックスしてたって事は、もうラブラブで相当甘々だったって事なんだろう。
そんな敦志を想像すると、かなりキツイ。

「ねえ、敦志」
敦志は毎日のように、放課後は私の家に寄ってくれた。
母親が帰ってくるまでの2時間弱ぐらいの間、短い間だけど二人でいられるのは嬉しい。
そしてその時間はいつもすぐに過ぎてしまう。
「…うん?」
私が買ってきたミスドーを頬張りながら、敦志はこっちを向いた。
私は思い切って言ってみた。

「……好き」

「えっ……ゔっ!」
一瞬体を反らして、敦志は思い切り咳き込んだ。
「うっ…ゲホッゲホッ…」
口を手で押さえて飲み物に手を伸ばす。
そんな敦志を見ていると私の方がバツが悪くなってくる。
「……ごめん」
私は何となく謝ってしまう。悪いことを言ったわけじゃないのに。
せっかく言葉にしてみたのに。

「はあ…」
落ち着いた敦志が、改めて私を見た。
むせてたせいだけかどうかは分からないけど、ちょっと顔が赤い。
「……唐突だな」
そう言って気まずそうに私から目をそらした。
「………」
そんな反応?って思ったけど、確かに唐突だったかも。敦志、食べてるとこだったし。
「敦志は?」
「………」
やっぱり敦志から『好き』って言われたことってない気がする。
今日学校で宇野に出くわしたせいもあって、何だかモヤっとしてた。
こういうこと、ちゃんと言って欲しい時もある。

「うん」

しばらく間を置いて敦志は頷いた。それも普通に。
「……もっと、ちゃんと言ってよ」
私は彼に体を向けて、ちょっと身を乗り出した。
「…分かるだろう」
私が近付いた分、敦志は体を引いた。
「たまには、言ってよ〜」
敦志が離れた分、私はまた近付いた。
「近いよ、お前」
ソファーの端に追い込まれて、敦志はイヤな顔をした。
そんな顔しなくてもいいじゃん。
「…………」
好きだってせっかく口にして、甘えたくて側に寄ってるのに、…この顔?
ちょっとムカついてくる。

「………」

私は時々、大胆な行動を取ってしまうことがある。
こんな事言う?ってこと言ってしまったり、唐突な行動に出てしまったり…
私は敦志に跨って向かい合って座った。

「何だよ」
敦志の表情がさっきより慌ててる。
私はそれがちょっと楽しい。
「…スカートで、乗ってくるなよ」
それでも私の体に触れようとはしないで、少しでも離れようとソファーの背もたれに体を反らす。
困りながら嫌がる敦志が面白い。

「敦志がちゃんと言ってくれないから」
私は敦志の首に腕を回した。
「…………」
マジな顔になった敦志の視線が、チラっと私の唇に移る。
私はワクワクしてきて、唇を避けて敦志に回した腕をギュっと抱きしめた。

敦志の上に、私は制服のスカートで跨ったまま抱きついた。
体が、今までこれ以上なかったってぐらい密着する。
「おい……果凛…」
私を触ろうとせずに、敦志はただ困った声を出す。
私の頬が彼の耳に触れる。
敦志の制服の匂いがする。
汗が混ざってる匂いなのに、彼なら私は許せる。
「……」
私はもっとギュっと抱きついて、敦志の耳元で言った。
「キスなんて、しないもん」
「………」
敦志の手が、私の肩を掴んだ。
その手に力が入って、私を引き剥がそうとする。
「ダメー……」
私は離れないように、敦志に回した腕をしっかりと掴んだ。

「こういうのやばいって、果凛」
いい加減にしろ、みたいな口調でそう言われて、私は腕の力を緩めた。
「………敦志」
敦志に密着していたら甘えたくてたまらなってきて、それなのに拒絶されてる気がして私はなんだか切なくなってくる。
至近距離で目が合う。
敦志の唇が、私に近付いてくる。
今度は私が体を引いた。

「………」
キスしようとしてた敦志が、機嫌悪そうな顔になる。
私はどうしようか一瞬迷ったけど、この状況で一番スマートで理想的な言葉が頭に浮かんだ。


「敦志、…好き」


微妙だったけど、私には敦志の表情が緩んだのがわかった。
「………」
私も油断して、その隙にキスされてしまう。
(ずるいよ…)
だけどもう抵抗する気にもなれなくて、私も敦志の唇を求めた。

「んんっ…」

声が、出ちゃった。
「あっ…」
そう思ったときに、角度を変えて敦志からキスされる。
深いキス。
この体勢でこのキスは、すごくエロい気がする。

「はあ……」
激しくキスされて、私は思わず息が上がってしまった。
「……」
次の瞬間、苦しいくらいに敦志に抱きしめられる。
「敦志…」
「…バカか、お前」
「………」
私は彼の上に乗ったまま、ギュっとされていた。
小さい声で、敦志が言った。
「…分かってるくせに」
敦志にしては可愛い声を出すなあと私は思った。
私の腕に抱かれてるみたいになってる状態の彼が、愛しくてたまらなくなってくる。
その反面、何が何でも『好き』と言わないってのがちょっと憎たらしい。
「あのさ…」
私は言った。
「……」
敦志は私を抱いていた腕を緩めて、体を離す。
私は彼を見て言った。

「敦志、…勃ってない?」

私のお腹の下の方に、何か固まりが当たってた。
これって、……絶対敦志のだ。
「………っ…」
敦志は今まで見たこともないぐらい真っ赤になってうろたえてた。
「……し、しょうがないだろ…」
「………」
慌てる彼を見てたら、私まで何だか恥ずかしくなってきて何て言ったらいいのか分からなくなる。
「…もう、……降りろよ」
敦志が私の肩を掴んで、完全に体を離した。
「なんで…?乗るの、イヤだった?」
それでも私はまだ彼に乗っていた。
「…バカ、…察しろよ」
私はシブシブ敦志から降りた。

スカートを直して、彼の隣に座り直した。
敦志はコートに手を伸ばす。
「えっ、もう帰るの…?」
「……帰るよ」
そしてコートを引き寄せて立ち上がりかけた。
母が帰ってくるまでにはまだ時間があった。
「帰っちゃうの??」
「……」
コートを持ったまま、敦志は黙ってソファーに座りなおした。
「大体、お前スカート短すぎるって」
私を見ないで敦志が言った。
「…普通だよ」
言われてみれば短いかも、と思いつつ私は答える。
「…はあ…」
敦志はソファーに深くもたれた。
私の横に並んだ足の長さを見て、改めて彼の大きさを感じる。

「ここにいる時ってさ」
コートを持ち直して、ため息をついてから敦志は言葉を続けた。
「…いつも二人きりだろ」

「ああ…」
私は頷いた。そういえばそうだ。
「結構、………」
そこで敦志は黙ってしまう。
私はしばらく待ったけど、待ちきれずに言ってしまう。
「何よ?」
「………」
敦志と目が合う。
ちょっと冷たい感じの目つきが、今更ながらにすごい好みかもって思う。
彼はドアの方を見た。

「イッパイイッパイなんだよ、オレも」

(カワイイとこあるじゃん…)
素直にそう思ってしまった。
サッカー部では部長で、学校では優等生の敦志。
それに私に対してはいつも偉そうにしてるし、学校では他人みたいな態度とるくせに。

「いいのに…」
「あ?」
敦志が怪訝な顔で私を見た。

「いいのに、敦志の好きにしてくれて」

「……………」
私は気付いた。彼は驚いたり照れたりすると、耳が動くんだ。
敦志はハっとすると、コートを握り締めて立ち上がった。
「…悪い、やっぱ帰るわ」
「えー、ちょっとぉ、ちょっと…待ってよ」
私も慌てて腰を上げる。
今度こそ敦志は振り向きもしないで、リビングのドアへ向かって行った。

玄関口でも黙ったまま彼は靴を履いた。
「…何、…もしかして怒った?」
気に障ったのかもと思って、私は焦る。

「………」

敦志は立ち上がると、そのままギュっと私を抱きしめた。

何度もキスしてるのに、彼の方からこんな風に抱きしめてくれることってあんまりなかった。
だからこうされると、私はすっごく嬉しくなる。
ホント、たまらないほどに。
「……敦志…」
敦志は玄関口にいたから、普段は届かない私の顔が敦志の肩に乗る。
私は思わず彼に頬ずりしてしまった。
「果凛…」
私の名前を呼ぶと、敦志は私を抱きしめていた腕を離した。

「あんまり、適当な事言うなよ」
そう言って私の頭を上から撫でた。
敦志にこうされるのは大好きだ。
彼を見るのが何だか恥ずかしい。
私は一瞬下を向いてから、顔を上げてまた敦志を見た。
「……適当じゃないって」

「………」
「………」

「……お前、覚悟しとけよ」

「えっ…」
「じゃあな」
敦志は私の頭をまた軽く撫でた。
私を見て少し笑いながら玄関のドアを開けると、そのまま振り向かずに出て行ってしまった。

(『覚悟しとけ』って……)
そういうことだよね、って思うと今更ながらに赤面してくる。

……どうしよう。
 

ラブで抱きしめよう
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