病院に連れて行ってくれた敦志は、もの凄くしっかり対応してくれた。
私は足が痛くて、敦志に指図されるまま病院内を移動してたけど、痛み止めの注射を打ったり足首をガチガチにテープで固められたりしていくと、だんだんと落ち着いてきた。
「ありがとう、ホント」
会計を待つ間、ひとけのない待合室のベンチに二人で座った。
「……良かったな、折れてなくて」
敦志が会計窓口の方を見たまま言った。
「うん、…でもすごい痛かった……。だいぶ落ち着いてきたけど」
固められて伸ばされた足を、見る。
骨折じゃなくて、重度の捻挫らしい。
治るまでは時間がかかりそうだとのことだった。
(痛かった……)
思わずため息をついてしまう。
ちょっとホっとしたのもある。
「敦志が通りがかってくれて、良かった…」
何回同じことを言ってるんだろう。だけど言わずにはいられなかった。
敦志は、というと、その都度困ったような迷惑そうな表情を浮べていた。
敦志は言葉少なかったけど、私はなぜか普通に喋っていた。
痛み止めを打って、少しハイになってたせいもあったかもしれない。
今隣にいる『敦志』は、もう大人っぽくって子どもの頃の『あっちゃん』じゃない。
だけど何て言うか、かもし出す雰囲気はやっぱり敦志で…何年も会話すらしてないのに、私はなぜかすっかり気が抜けて反応の薄い敦志にベラベラと話し掛けていた。
「綾崎さん」
名前を呼ばれると、何も言わず敦志は窓口へ向かった。
戻ってきた時、私の学生証と診察券を持ってきてくれた。
「お金、ごめん」
私は言った。
「ああ…学生証でツケといた。悪いけど後で自分で払いに来てくれ」
「そう。ありがと」
そんなことできるんだって、改めて感心してしまった。
「…なんか、敦志、しっかりしてるよね」
「……」
相変わらずメガネの向こうは冷たい感じ。
病院から借りた杖を、敦志は無言で私に渡した。
「こんなので歩けるかなぁ」
杖なんて初めて使うから、どうしていいか分からない。
それでもさっき一人で歩いてたのと比べたら、これがあると随分楽だ。
結局あちこち怪我していて、両手も傷の手当てをしてもらった。
体の色々なところにに貼ってあるガーゼとテープが、我ながら痛々しいと思った。
「これじゃあ、学校は無理だなぁ」
私はポロっとつぶやいていた。
これで通学なんて、まあまず無理だ。
駅まで歩く自信もないし、ましてや電車になんて絶対乗れない。
「敦志って、チャリ通なの?」
「ああ」
かなり歩速を緩めて、私に合わせてくれている敦志。
こいつからは今まで全く優しさを感じなかったから、ちょっとしたことで彼がすごく『いい人』に思えてしまう。
「ふーん。体力あるね」
だから通学途中、全く会わなかったんだって納得がいく。
病院を出ると、敦志はまた自転車に乗せてくれる。
「敦志が送ってくれたらなぁ」
図々しくも、思わず口に出してしまう。
「ええ?」
大声で、それも思いっきりイヤそうに敦志は言った。
「…うそうそ。そんなことできるわけないじゃん」
実際、敦志に通学時送ってもらえることなんて、全く考えてなかった。
無理に決まってるし、別に敦志は私の彼氏でもなんでもないし。
「……」
敦志は何も言わずに私の家へと向かった。
家の電気は点いてた。
もう母親が帰ってきてる。
「じゃあな、転ぶなよ」
それだけ言うと敦志はすぐに自転車に乗って行ってしまった。
「…ありがと!」
後姿を追いかけるように、あわてて私は敦志に向かって叫んだ。
「どうしたの?果凛!何その姿!」
母親は私の姿を見ると、ものすごく驚いていた。
とりあえずの事情を説明した。
偶然敦志が通りがかって、病院に連れて行ってくれたことも話した。
結局、通学がブルーで、その週は私は学校をまるまる休んでしまった。
次の週の月曜日の夕方。
チャイムが鳴って、玄関口まで行く。
家の中ではだいぶ歩けるようになっていて、つかまって移動する分にはほとんど困らなくなってた。
それでも週が明けても気がひけて、まだ学校には行っていなかった。
ドアについた小さい丸いガラスの向こう。
覗き込んでビックリした。
そこにいたのは敦志だった。
私はあわててドアを開けた。
「何?何の用?」
驚いたまま、私は言った。
敦志は学校帰りみたいで、制服姿にカバンも持っていた。
やつは私を上から下まで見る。
私は左足だけにサンダルを履いて片足立ちしてた。
腕はまだドアにかけたまま。
「大丈夫かよ」
敦志は私の足を見て言った。
「うん……。だいぶヘーキ。この前はホントにありがとね。マジで助かったし」
腕を壁に着き直して、私は左足だけで一歩下がった。
「……こんなんで立ち話もなんだし…悪いけど入ってもいいか?」
敦志の一言はすごく意外だった。
「ああ、……うん。…はい」
私は思わず微妙な返事を返してしまった。
敦志がうちに上がるなんて、何年ぶりのことなんだろう……
敦志がうちに来たことも驚きだったけど、家に上がってくるっていうのは更にビックリだ。
(いやー、何の用……?)
贔屓目にみても、どう考えても、普段の私と敦志は仲がいいってことはなかった。
どちらかというと、流れる空気は険悪って感じで…。
私はほとんど左足でつかまり歩きしながら、玄関からすぐのリビングへ入った。
「あ、何も構わないでくれよな、勝手に来たし」
敦志は私を追い越していく。
図々しくもヤツはすぐにリビングのソファーに座った。
「このソファー、前無かったよな」
敦志はカバンを自分の横に置いた。
斜め向かいに置いてあるソファーとお揃いのスツールに、私は座る。
やっぱり座ると楽だ。
「3、4年前かなぁ、…前のと買い換えた。親が」
私は敦志に言った。
小さい頃、敦志はよくうちに遊びに来ていた。
そして私も同じぐらい、敦志のうちにも行っていた。
小学校に入るまで、一緒に遊ばなかった日って多分なかったと思う。
私は敦志を見ていると、うちに遊びに来ていた小さな敦志が、突然大人になってタイムスリップしたような…不思議な感じがした。
「この前、お前のとこのおばさん来てさ」
「ああ……」
先週末、母は敦志の家にお礼に行ったんだった。
「先週全然学校行かなかったらしいじゃん?」
敦志は私の顔を見た。
ちゃんと目が合って、なぜか私は唐突に緊張してしまう。
さっきから、私も敦志の顔をきちんと見てなかった。
敦志の短くて黒い髪はやけにサラサラしてて、細い眼鏡も妙に優等生っぽい。
なんか『部長』っぽいな、と私は思った。
「今日も行かなかっただろ?」
「うん…」
(それが?)
と心の中で思わず声が出る。
なんて言うんだろ、敦志ってなんか私に対して威圧感があるんだよね。
同い年で幼馴染のくせに。
「通学しんどいからか?」
ちょっと優しい口調になって、敦志が言った。
「う……」
(まさにその通りなんだけど…)
「うん、まあ…」
なぜか私は口篭もってしまった。
「チャリで送ってやろうか?」
(え………)
一瞬、聞き間違えたのかと思った。
そんなこと、言うキャラじゃない。
(うそぉ…)
「えーー」
思わず否定的な声を出してしまった。
敦志は私のその反応に、気分悪くしたって一発で分かる表情になる。
「あ、…いやー…だってチャリって、…私、結構重いよ?」
私は慌てて言葉を続けた。
「………」
敦志は無言。
「…通学って、結構長くない?しんどいじゃん……悪いよ……」
敦志の唐突な提案に、正直ビビったっていうのもある。
だけど、ホントに悪いなって思う気持ちもあった。
「別にお前乗せるぐらい体力的にしんどくはないと思うけど、……ただ…」
敦志が言う。
「オレの時間にお前が合わせられれば、の話だけどな」
次の日、私は朝5時半に起きた……。
結局なんだか断りにくい雰囲気で、とりあえず敦志に学校まで送ってもらうことになった。
全然知らなかったんだけど、敦志はサッカー部だそうだ。
その朝練習の時間に付き合わされて、私は自宅を6時40分に出るはめになる。
(あー眠いよー…)
いつもは髪を巻いているんだけど、今日はそれもナシ。
早起きしすぎて、逆に何か忘れ物してそうな気がした。
玄関のドアを開ける。
敦志は家の前まで来てくれてた。
「おぉ、起きれたな」
「おはよぅ……」
私は半目で敦志を見ると、彼はTシャツにトレーニングパンツ姿だった。
朝一番から、敦志の自転車の後ろに乗る。
(まだ7時前だよ…??)
こんな早朝に、それも二人乗り。
でも別にラブラブじゃないし。
背中に抱きつく…なんて、するわけがない。
怪我してる方の足を伸ばして、私はサドルの後ろ側にある微妙な部分に掴まってた。
「ごめん、重いよねー」
私は途中の軽い登り坂で、敦志に言った。
「ホント結構重いな」
敦志が自転車を漕ぎながら答える。
「ええ!…やっぱり…!!…私、実は高校入ってから4キロも体重増えて!」
それは本当だった。
ダイエットしないとヤバイって本気で思ってたんだけど、どうもうまくいかないで今日まで来てた。
「マジかよ」
電車で通学すると20分のところ、敦志の自転車だと30分で着いた。
意外にあんまり時間差がない。
(これなら、混んだ電車に乗るよりもいいかも…暑いけど)
学校に着いたら、敦志はすでに汗ぐっしょりだった。
「…帰りも待てるならついでに送るけど?」
自転車を降りた敦志は、持っていたタオルで顔を拭きながら言った。
「……それじゃあ、待つよ」
私は敦志の言葉に甘えることにした。
「じゃ、また放課後にな」
敦志はすぐにグラウンドの方へ行ってしまう。
「あっ、あ…」
せっかく送ってもらってるのに、私はお礼も言えてない。
しばらく行ったところで、敦志が振り返った。
「何だよ」
離れたところから見る、ヤツのTシャツの背中は結構ガタイが良かった。
「ありがと!」
距離があるから、私は大声で言った。
敦志は肩越しにちょっと笑顔を見せたけど、すぐに背を向けて行ってしまった。
ちょっとだけ見せたアイツの笑顔 ―――
そのせいで、私はその日1日中なんだか機嫌が良かった。
(敦志にときめくなんて、私の乾きっぷりもヤバいかも……)
そう思いながらも、久しぶりに敦志と会話ができて嬉しいのは本当だった。