奇跡の青

3・彼女

   
秋の早朝の空気はすっごい爽やか。
流れていく風に、敦志の匂いを感じる。

送ってもらって3日目、そんなことを考えながら敦志の自転車の後ろに乗る。

朝は眠いし、敦志も重たい私を後ろに乗せて頑張ってくれてるから、私たちはあんまり会話もしていない。ぼーっとヤツの後ろで流れる景色を眺めていると、不思議と何だかちょっと幸せな気分になってくる。

「今日も、ありがと」
自転車から降りて、私は言った。
「お前にしては、早起きできてるじゃん」
敦志はカバンを肩にかけて、自転車の向きを直す。
「なによ、お前にしては、…って」
もっと言い返そうとした私を鼻で笑うみたいにして、すぐに敦志は背中を向けて歩き出した。
『お前にしては…』って、敦志は私の何を知ってるんだろう。
ただイメージで言ってるだけっていうのは分かってたけど、つい考えてしまう。
私たちは幼馴染で家も近いけど、お互いの最近のことって何も知らない。
ううん、最近のことだけじゃない。
知ってるのは、本当に小さい頃のことだけ。
あとのことは、お互い何も知らない。

眼鏡の向こう、今までは冷たいだけだった視線が最近は緩い。
細く見えるのに、案外ガッチリしてる背中。
髪の毛から服から、流れてくる敦志の匂い…。


「ごめん、亜由美」
校舎の3階の教室。校庭が見える席で、私たちは座っていた。
「いいよ〜ヒマだし」
亜由美は、敦志の部活が終わるまでの時間を一緒に潰していてくれてる。
買ってきたペットボトルのお茶を、私はほとんど飲み終わりそうだった。
「寄り道しない分、お小遣いが浮くかも」
亜由美は笑った。
「ほんとサンキウー、助かるよー。だって部活終わるまでヒマなんだもん」
キャップを開けて、あとちょっとのお茶を私は飲み干した。
「どれが『彼』だか、目が悪くてあんまりわかんないや」
亜由美が窓の外を見て、目を細める。
(『彼』って……)
別に違うんだけど、と思ったけどあえてそこは突っ込まない。
私もグラウンドを見た。

(あれが、きっと敦志だ……)

亜由美が言うように、サッカー部が練習してる場所は校舎から離れていて見えづらかった。
だけどあの体型。多分敦志だ。
サッカー全然分からないけど、ヤツが運動神経が良さそうっていうのは分かる。
眼鏡をかけてないけど、あれは敦志。

私が怪我をして敦志が通りがかった日から、そんなに日も経ってるわけじゃない。
そんなに会話をしているわけでもない。
だけど今まであまりにも他人だったから、敦志と接触する時間はほんの少しでもすごく重たい気がする。
小さい頃の記憶は、正直言ってもうぼんやりしていてあんまり思い出せない。

それなのに、自分の中で急に近いところに敦志がいるような気がしてる。

理屈ではうまく言えない。
敦志は今の私にとってはすごく新鮮で、…それでいて懐かしい感じがした。


「それじゃバイバイー、果凛」
「亜由美!ホントありがとねー」
ニコニコして手を振って去っていく亜由美に私は言った。
(こんな時間までつき合ってくれて、何ていいヤツなんだ、亜由美)
私は彼女の厚意に感謝しながら、時折振り向く亜由美を見送った。
自転車置き場には、もう敦志が来ていた。
「毎度待たせて悪いな」
敦志が自然に私に手を伸ばす。
「う……ううん、私の方こそ」
伸ばしたヤツの手が掴もうとしているのは、私のカバンだってことは分かってるのに。
なんだかドキドキしてしまった。
敦志が眼鏡をしてないからかも知れない。
私のカバンを手に取ると、淡々と自転車を出そうとする敦志。

「あれ、駒井沢、…女の子と帰るのか?」
敦志の友だちっぽい男子が、通りすがって声をかけてくる。
「あー、怪我してるし近所だから送るだけ」
自転車を押しながら敦志は答えた。
「へー」
男子は私のことをじろじろ見た。
足元に目がいくと、納得したみたいな顔になる。
そして私の顔を改めてじっと見てくる。
「………」
私はなんだか間が悪くて、敦志の後ろに隠れるみたいに下がった。
「じゃあな、船橋」
敦志がそう言って足早になる。
「ああ、またな」
船橋と呼ばれたその子は、やっと自分の自転車の方へ向かった。

ちょっと足早になった敦志の後を、片足をずりながら私は追いかける。
敦志は立ち止まって、私に自転車に乗るように目で合図する。
私は黙って後ろに乗った。


「ねー敦志ー、ちょっとお茶して行こうよ」
半分を過ぎたところで、私は敦志に声をかけた。
「もうすぐだぜ?」
「…すぐじゃないじゃん…。暑いし、敦志もノド乾かない?」
「んー」
敦志は気乗りしない声を出した。
私はホントに暑くて、学校でほとんど一気飲みしたお茶以来何も飲んでなくて、敦志とちょっと喋りたいっていうのもあったし、お尻がやや痛いっていうのもあったし…。
「ちょっと、一杯飲むだけ!」
「なんだよそれ」
敦志は笑って途中のファーストフード店に自転車を止めた。


「奢ろうと思ったのに〜……」
敦志は『席をとっとけ』って言って、私を先に座らせるとさっさと注文を取りに行ってしまった。
せっかく敦志に奢ろうと思ってたのに、逆にヤツに奢らせてしまった。
「せめて自分の分ぐらい払うよ」
私は財布を出しながら言った。
「いいよ、100円だし」
そう言って敦志は受け取らなかった。
敦志は二人分の飲み物と、自分の分のハンバーガーを買ってきていた。
それを見て、渋々立ち寄ったのに食べちゃうんだ、って私は思った。
それを言っちゃうと敦志の機嫌が悪くなりそうだから、私は黙っていた。

向かい合わせに座って、放課後寄り道してる私たち。
チャリで二人乗りで来てるし、客観的にどう見てもカップルだと思う。
違うんだけど。

目の前にいる敦志は眼鏡をかけてなくて、改めて正面から見るとこんな顔してたんだって思う。
(小さい時の面影って、あんまりないな…)
敦志は敦志なのに、ここにいる彼は私の知ってる敦志じゃない。
(不思議……)
知らないうちに、結構彫りが深くなってる。
(随分と男っぽくなっちゃったなぁ……)
私自身だってチャラチャラしてるのに、敦志の異性の部分を見つけるたびに何だかドキドキしてしまう。
特に首、ノドぼとけの出っ張り方があまりに自分の好みすぎて驚く。

「ねー敦志って、彼女いるの?」
ホントに何気なく聞いた。気になってはいたんだけど。

「いるよ」

(あれ?)
あまりにあっさりの答えに、ビックリよりキョトンとしてしまう。
高2だし、彼女ぐらいいても全然おかしいことじゃない。
でもでも、全然想像してなかった。

「い、…いるんだ……」
あからさまに私の態度、引いたと思う。
「……」
そんな私を怪訝な目で見る敦志。
「……そっかぁ、いいなぁみんな…」
素直にそう思って、つい言ってしまう。
(単体なのって、私(と亜由美)ぐらいなのかなぁ……)
そう考えてまたちょっと凹む。

そしてハっとする。

「ねえ、彼女…いるのに一緒に通学なんてしていいの?」

「へ?」
敦志は食べ終わったハンバーガーの紙を丸めてた。
「別に、…構わないけど?」
グチャっとしたそのかたまりを、ヤツは無造作にトレーに置く。
握り締めたその手の甲の骨っぽい感じ、そんなとこも好みかもって私は一瞬思う。
(そうじゃなくて…)
首を振って、私はテーブルに乗せた肘に体重をかける。
「…同じ学校の子じゃないの?」
私は言った。
敦志は私を見る。
「A高だよ」
「……」
私は一瞬言葉に詰まる。
(同じ高校じゃん!)
急に焦ってくる。
「えー……、敦志は気にしなくても、…彼女は気にすると思うよ?」
もしも自分の彼氏が、他の女子と毎日通学してるなんてことしてたら、私なら絶対イヤだ。
「そうかー?…別に普段一緒に通学してるわけじゃないし、時間帯も全然違うし」
淡々と敦志が言う。
「えー、でもさー…」
(私が気ー、使うよ…)

「怪我してる間だけだしな」

敦志が吸ったストローが音を立てる。
私の方に目を向けると、トレーを両手で持って立ち上がった。



私はその夜、ずっと敦志のことを考えてしまった。

彼女がいるのは意外だった。
なんでだろう、…何となく敦志には彼女がいないって思い込んでた。
(願望、だったのかも……)

彼女が同じ学校…。
(誰なんだろう…)
敦志の彼女が誰だか気になって仕方がなかった。
そして、こんな風に通学してるのを彼女は知っているんだろうか。
色々敦志に聞きたかったのに、何にも聞けなかった。
ちょっと、『彼女』がいるっていうのがショックだったのかも。

(絶対、いい気はしないって)
敦志は、ああ言ってたけど、
「女の子と二人通学」…こんなの気にしない女の子なんていないと思った。
特に、私みたいにチャラキャラ。
逆の立場で想像したら、やっぱり絶対イヤ。

急に気が引けてくる。
敦志に送迎してもらってるのが、すごく悪い気がしてきた。

――― 怪我してる間だけだしな ―――

敦志が言った言葉も、何だか胸に刺さった。

確かにそうなんだけど。
私が一人で通学できれば、こんな自転車での行き帰りも終わってしまうんだけど。

(さびしいな……)

なんだかグっと寂しくなってくる。
私は敦志の『彼女』じゃないし。
私には『彼氏』と呼べる人もいないし。
ちょっと前に結構好きだった海都のことを思い出した。
全然脈がなくて、おまけに『彼女』(それもやっぱ森川じゃん)とラブラブだし…あいつ(海都)のことなんていつの間にかすっかり考えなくなってた。
今、考えてるのは……。

(ああ、ダメダメ!)

自分のこと、惚れっぽい体質だと思うときもある。
それでもその惚れっぽさは何だか薄っぺらだった。
いつでもあきらめられるように、無意識に自分自身の中で力加減をセーブしてるとこがあった。
もしも自分の心が入り込んでしまったら、…抜けられなくなってしまったら…そうなることが怖くて。

(……敦志は、ヤバいよ)

本能的に、ダメだって感じた。


ベッドの中から、両足に力を入れて上に持ち上げてみる。
まだちょっと痛い。
それでも何かに直接触らなければ大丈夫だった。
学校でも、足を引きずりながらゆっくりだけど、だいぶ歩けるようになってた。
電車通学は、正直言ってもう私次第かもしれない。
敦志と待ち合わせするぐらいの早い時間帯だったら、まだ電車は空いていたし。

(ヤだなぁ…)

久しぶりに電車に乗ることを考えて、イヤっていうのもあった。
だけど、それ以上に。
一緒に通学しなくなったら、もう敦志との接点はなくなってしまう。
(はあ……)
昔のようにとは言わなくても、もっと喋ったりしたいなって思う。
だけど彼女がいる敦志にまとわりつくのもどうかと思う。
それでも、近付きたいと思う自分がいて。
そして近付かない方がいいと警戒する自分もいて。

(………)

ただ今は、こうして平和な気持ちで一緒に通学できるこんな時が続けばいいのにって思う。
(寝なきゃ……明日も早いし)
少なくとも、明日目が覚めればまた敦志と会える。
あのちょっとした幸福感を想像して、今日の私は目を閉じて眠ることにした。
 

ラブで抱きしめよう
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