君の香り、僕の事情

●● 7 ●●

   

樹生と順平は男2人でカラオケボックスに来ていた。
「なあ、みゆきが茉莉と付き合ったら、オレたち2人で過ごす事が増えるんじゃねえ?」
入力端末をいじりながら、樹生が言った。
「だなー。ま、2人だと女の子に声かけやすいって利点はあるけどな」
順平はマイクの電源部分を指ではじいてカチャカチャと音を立てる。
「オレたち4人のうちで、総一郎しか彼女がいないってのが、そもそもおかしいんだよ」
「樹生だって、ちょっと前までいただろ」
「お前だって」
「まあ、長続きしないんだよな、オレたちはさ」
順平があごの短いヒゲを触って、ため息をついた。

「みゆきは高校入ってから、彼女いるの見た事ないな」
ドリンクバーで入れたコーラを手に取ると、樹生は一気飲みした。
「あいつ、一番モテる癖によ」
順平は合コンするたびに、深雪ばかりモテてしまう事に少し嫉妬心がある。
「まあ、あれだけ茉莉に対して好きだオーラが全開だったら、付き合うのも時間の問題じゃねーの?」
樹生は言った。
「それがよー、つかさにちょっと聞いたんだけど、茉莉がみゆきの事を男として見てるかって言うと、なんか微妙らしいぜ」
「ウソだろ!あの『みゆき』だぜ?」
樹生の驚く顔に、順平はニヤついてしまう。
「だろー?スポーツ少女は分からんね」

「へー。なんか逆にみゆきが気の毒だな。あんなにマジなのに」
ゆるくパーマをかけた髪を、樹生はかきあげる。
「確かになー…。あいつ、今まで女に冷たくし過ぎた罰なんじゃね?」
悪意も無く、順平は笑った。



「もう、寒いね…」
自分の吐く息を見て、茉莉は言った。
「11月だもんな」
今週から深雪はちゃんとコートを着て通学している。
茉莉も深雪も自転車で駅まで行っているので、2人ともしっかりとマフラーをしていた。
今は、茉莉の自転車を深雪が押している。
茉莉の家が見えてきた。

「今日もありがとう、みゆきくん」
「ううん、オレが送りたいだけだし。…じゃ、また明日」
深雪が茉莉に自転車を渡そうとすると、少し手が触れる。
それに反応したのは深雪の方だった。
「あ…、ごめん…」
「ううん!私こそ!」
深雪が本当に申し訳なさそうにするので、茉莉の方が恐縮してしまう。
「ホントにありがとう、みゆきくんも帰り道気をつけて!」
明るい笑顔で、元気に声を出す茉莉。
そんな姿を見ると、深雪はあらためて茉莉は体育会系だなと思う。でもそれも嫌じゃなかった。
「じゃあ」
深雪はポケットに手を入れると、歩き出した。

3〜4歩歩いて振り向くと、まだ茉莉は自転車を持ったまま立っていた。
深雪が少し笑顔を見せると、茉莉は大きく手を振ってくる。
その姿を見て、深雪は笑ってしまう。
(いいなあ、亜麻野さん…ああいう素直なところがいいんだよな…)

帰りの電車で、深雪は考える。
(なんかもう、付き合ってるみたいじゃね…)
つり革をギュっと握りしめた。
(もう、付き合えるんじゃね…)
この前は彼女の部屋まで行けた。
毎日では無いが、茉莉と一緒に帰っている。
ソフト部の子たちも、茉莉と深雪が付き合っているときっと思っているだろう。
教室で茉莉達と昼食をとるようになって、深雪にとっての茉莉の存在が普通の女の子と違うという事は、クラス中の女子、もしかしたら学年中の女子に知られているかも知れない。
(付き合いたいなあ…)
ふと気づくと、深雪の立つ前の席に座っている中学生らしい女子が、深雪の顔をチラチラと見ている。
こういう状況にも、深雪は慣れていた。
(亜麻野さんは、オレの事、どう思ってるだろう)

電車を降り、自分の自転車を駐輪場から引っ張り出す。
ハンドルを握ると、先程茉莉に手が触れた事を思い出した。
(絶対、嫌われてはいないと思うけど…)
マフラーを鼻のところまで上げると、深雪はペダルに乗せた足に力を入れた。



休み時間に廊下で、茉莉はつかさといるところを、2組の石毛桐子に声を掛けられた。
「ああ、石毛っち」
つかさは桐子を見て笑顔を見せる。
桐子はつかさに軽くタッチすると、茉莉をグっと見た。
「色々と有名な茉莉ちゃん♪ で、みゆきくんとは付き合ってるのかな?」
「えっ…?」
唐突に言われて、茉莉は真っ赤になってしまう。
「その反応〜〜。やっぱ付き合ってるんだ!」
ミーハー丸出しで、桐子はニタニタと笑う。
「付き合ってないよ…。友達だよ」
「へー…。まあ、今度改めて色々聞くとして、この前、つかさがみゆきくんってどんな人かって聞いてたじゃん」
「あ、…聞いたっけね」
前過ぎて、つかさも茉莉もすっかり忘れていた。
もう他人に情報収集されなくても、茉莉は深雪の事を直接分かってきたので、既にどうでもよくなっていたのだ。
桐子は周りを見て、深雪や順平たちがいないのを確認する。
「みゆきくんって、カッコいいよね〜……」
「それは分かってるけど、…石毛っち情報として、何か特別な事ってあったの?」
つかさは桐子のミーハーさがちょっと恥ずかしくなって、小声になる。

「とりあえず、みんな知ってる事だけど、みゆきくんって高校入ってからずっと彼女っていないみたいだよ」
そう言いながら桐子は眼鏡の縁をクっと上げた。
「へえ、意外」
つかさは思わず言った。
桐子は続ける。
「あとねー、みゆきくんに告白して玉砕した女どもに直接聞いてみたけど、みゆきくんは女の子にかなり冷たいみたいだね〜。断り方も容赦なくバッサリだって。なんか彼に話しかけるだけでも大変らしいし」
「へえ…意外」
今度は茉莉が言う。
「そりゃー、茉莉ちゃんはみゆきくんに超〜優しくされてるらしいもんね。もう凄い噂だし、凄い嫉妬されてたよ」
「嘘…、ホントに?」
これまで授業以外の時間のほとんどを部活に費やしてきた茉莉は、改めてそう言われて驚いてしまう。
「嫉妬されるのは、それはそうでしょう。でも相手が茉莉ちゃんだから、表立って文句言って来る子がいないだけで」
「そう言えば、みゆきくんが女子と話してるのって、見た事ないかもね」
つかさも言った。
「そうなのかな…?」
茉莉はピンとこなかった。
自分の側にいる深雪以外、クラスが違うので客観的に遠くから深雪を見る機会が無いのだ。

(女子に冷たいんだ…)

茉莉と一緒にいる時の深雪は、すごく優しかった。
一緒にいるつかさにも、優しく話している。
茉莉の中で、深雪が『冷たい』というのが今一つ想像できなかった。
深雪にとって自分が少し特別な存在なのかも知れない事は、さすがに鈍い茉莉でも気が付いていた。
色々な人に騒がれたり、噂されたりしているのも、本当のところはよく分かっていた。
(みゆきくんが、モテてもモテなくても…)
普通に彼が好きだなと、茉莉は思う。
深雪の側にいると、茉莉は自分も優しい気持ちになれた。
それはとても居心地が良かった。



深雪は図書室の、パーテーションで隣と仕切られている席に座り、勉強していた。
来週になれば、12月になってしまう。
結局茉莉とは、部活の無い日に2人で寄り道する事はあったが、休日に一緒に出かける事は出来ないままだった。
(どんな私服なんだろう…)
前に家に寄った時は、茉莉は部屋着のスウェットを着ていた。
(スタイルいいから、めっちゃ服似合いそう)
背の高い茉莉の服装を想像すると、ちょっと大人びた格好の良い姿になる。
そのスタイルと童顔のギャップを勝手に妄想して、深雪は参考書をまとめていた手を止め、ボーっとする。

今日も茉莉と一緒に帰る約束をしていた。
深雪を待たせる事に対して茉莉はひどく気を遣っていたが、深雪にとっては自習せざるを得ないこの状況は、逆にありがたいぐらいだった。
(好きだなあ…亜麻野さん…)
話せば話す程、一緒の時間が増える程、深雪はどんどん茉莉の事が好きになっていた。
茉莉の香りが好きでたまらない様に、彼女に対する好意が溢れてしまうのは、もう生理的にどうしようもない事だと深雪は思う。
理屈じゃない、なんて事では無い。茉莉のどこが好きかと説明しろと言われれば、ちゃんと話せるだろう。
しかしそれ以上に感情を動かすものの正体には、理由なんて無かった。

一緒に帰り、帰った後にも必ずメールか電話をしている。
(これで付き合って無いって、逆に変だろ…)
ただ確認したいと、深雪は思った。
茉莉が、自分の彼女だと、実感したいと深雪は心底願う。
クリスマスが近づいてきた最近、深雪は浮かれた街の様子に少し焦りも感じていた。


「あのさ、ちょっと話せないかな…?」
改札口を出て、ロータリーに出ると深雪は足を止めた。
「?」
茉莉は無邪気な表情で、深雪を覗き込む。
今日はたまたま茉莉は徒歩で駅まで来ていた。
その機会が深雪を後押しする。

バス停の奥、タクシー乗り場の前の屋外のベンチには誰も座っていない。
家路を急ぐ人たちは皆それぞれの路線に並び、少しでも早いバスの到着を願っている。
そんな人たちを遠目で見ながら、タクシー乗り場のベンチの近くまで、茉莉と歩いた。
深雪は一呼吸置くと、ポケットの中の手を握り締める。
自分から誰かに告白をした事が無い事を、唐突に思い出す。

「亜麻野さん、オレの彼女になってよ」

「えっ…」
茉莉は驚いて深雪を見た。
深雪は遠回しな言い方を考えられなくて、結局思っていたままの言葉を口にした。
「えっと…」
茉莉は口ごもっている。
「オレと…付き合ってよ」
念を押すように、深雪は言った。
そこで初めて、茉莉の戸惑っている顔を見た。
それは深雪にとっては意外な反応だった。
普通に、自然に、そしてすぐに受け入れてもらえると思っていたのだ。

「ご、ごめんなさい……」

茉莉は本当に申し訳なさそうに、そして本当に困った様子で深雪から目をそらすとうなだれた。
(うそ、マジかよ……)
自分が振られる事を、1ミリも予想していなかったんだと深雪は思い知る。そして自分の傲慢さが恥ずかしくなってくる。
(ウソだろ…)
目の前の茉莉の様子を見ても、深雪は実感が湧かなかった。
ショックが大き過ぎた。
突然外の寒さを首筋に感じる。
深雪は一瞬震えた。

「…………」
「…………」

深雪は何と答えていいのか分からない。
それは茉莉も同じだった。
しばらく重たい沈黙が続いた。

深雪は左手で口元を触った。
意を決して茉莉を見る。
冬の夜にしてはまだ早い時間、数台のタクシーが客を待つ。
タクシー乗り場には人がおらず、混んだバス乗り場とは対照的だった。
深雪と茉莉の近くには誰も人がいない。

「オレは亜麻野さんが好きだよ」

真っ直ぐ深雪に見つめられると、茉莉はもっとドキドキしてくる。
「だから亜麻野さんの気持ちも教えて欲しい」
「みゆきくん……」
自分に対する想いが伝わって来て、茉莉も切なくなってくる。
「あの、私……」
「………正直に、言ってよ。オレ大丈夫だから」
深雪は折れそうになる心を、なんとか奮い立たせた。
「……うん……」
茉莉がマフラーをギュっと握った。

「……座らない?」
深雪は視線をベンチに向け、茉莉を促す。
「……うん」
ベンチに座る2人の間は、微妙な距離になる。
(正直に言おう……)
茉莉は意を決した。
「…じゃあ、正直に言ってもいい?」
「うん」
深雪の喉がゴクリと鳴る。
振られる心の準備は、何一つ整っていなかった。
ただ行き場の無い想いだけが、茉莉と自分の間の距離を埋める。
その想いが大き過ぎて、自分も茉莉も潰してしまいそうだと思う。

「みゆきくんも分かってると思うけど…」
茉莉は言葉を選び、話し始めた。
「私、…その…ホントに時間が無くて」
「………」
「みゆきくんの事を、自分の時間の1番にはできないんだ…」
「………」
緊張で、外は寒いのに深雪の背中に汗が走る。

「今…男の子と付き合うとかって…正直、ちょっと考えられなくて」
(だけど、みゆきくんが好き)
その言葉を茉莉は飲みこんだ。
深雪と話して、すぐに誘われたあの時以来、未だに彼と出掛ける時間さえ作れていない。
深雪の事が好きな気持ちは確かにあった。
それでも自分の時間の優先順位の1番は、彼では無かった。

「ハア……」

深雪は大きなため息をついた。
その息に、茉莉は深雪に愛想を尽かされたと思い、ビクンとしてしまう。
「オレの事、嫌いじゃないよね…?」
下を向いたまま、深雪は言った。
「嫌いじゃないよ…」
(好きだよ…)
そう思うと、茉莉は泣きたくなった。
思っていたのよりもずっと、深雪の事が好きだったんだと実感する。
女子に人気のある深雪なら、きっとすぐに自分よりもずっと可愛い彼女ができるだろうと茉莉は思う。
深雪はずっと茉莉の都合に合わせてくれていた。そして今日も。
そんな事はしなくても、深雪の思うように交際できる女子を、彼ならば幾らでも選べるだろう。
彼を満足させるような付き合いが自分ではできない事が、茉莉にはよく分かっていた。 曖昧なまま深雪の優しさに甘えて、彼の時間を無駄にさせるのももう限界なのだろう。
自分の側にあった深雪の優しさにもう触れられないだろうと思うと、茉莉は苦しくなる。
もっと一緒にいられたら良かったのにと、思った。
でもそれはもうできない。
涙が出そうだった。


「まつり…」

初めて名前を呼ぶ、深雪のかすれた声。
「……みゆきくん」
タクシー乗り場を見ていた茉莉の視線が、影に遮られる。


深雪は茉莉にキスした。


 

ラブで抱きしめよう
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