ラバーズ(Lovers)

☆☆ 17 ☆☆

   

涙はだいぶおさまってきたけれど、『会いたい』っていう気持ちは全く枯れることがなかった。

一時期、杏菜の似顔絵をパソコンで作ってみようと試みたときもあったけれど、
あまりの自虐性に自分でもちょっと引いてすぐにやめた。
あのアングラアイドルのライブで号泣して以来、そういう類のものに接触するのも今は避けている。
相変わらず杏菜のことで身体中いっぱいなのに、最近は彼女を思い出すようなものを敢えて自分に近づけないようにしていた。
「はああ……」
ガラにもなく西野カナなんて聴いてるこの頃。
ボクは全然立ち直っていなかった。

「さぶ……」

11月に入ると、部屋にいるだけでも寒い。
一人だから余計に寒い。
杏菜と一緒に冬を過ごしたことはないけれど。
というか、杏菜と過ごしたのは夏の間だけだったけれど。

机の上に二つ、携帯電話を並べてみる。
杏菜に渡していた携帯電話は、ほどなく見つかった。
近所の交番に届けてあって、唯一登録してあるボクの携帯へ連絡があったのだ。
元々ボクの名義だったから、すぐに戻ってきた。
「………」
ボクはじっと机の上の携帯を眺めた。

黒い携帯と、ピンクの携帯。

それは彼女と過ごした証みたいだった。
二つの携帯電話どちらも中に、ボクと杏菜の写真が入っている。
杏菜が持っていた携帯の方がたくさん写真があって、ボクはそれを見るとまた泣けてくる。
まるで杏菜がボクの思い出ごと、ボクを置いて行ったみたいな気がした。
(杏菜……)
この部屋には、杏菜を思い出すものが沢山あった。


君のそばには、ボクを思い出すものがあるのか。
君は、ボクを思い出すことがあるのだろうか。


3ヶ月経ってもボクの気持ちは何も変わらない。
どんなに時間が経っても多分このまま変わらなくて、きっとボクは何かの歌みたいに杏菜の思い出だけを胸に生きていくんじゃないかと思う。
先日、電車の中で杏菜によく似た女の子を見かけた。
制服を着ていたから絶対違うのに、ボクはその子を凝視してしまった。
女の子は怪訝な顔をして、車両を変えた。
完全にボクは不審者だ。

オタク系の事も前よりずいぶん興味が薄くなり、やる事もないので真面目に勉強に打ち込もうかと思ったけれど、こんな気持ちで本に向かっても活字が上滑りするだけだった。
辛いから見ないようにしようと思っても、ピンク色の携帯に残った二人の写真を見てしまう。
映像のボクはいつも困っていて、杏菜はいつも嬉しそうだった。
…そんな幸せそうな様子が、またボクの心を締め付けた。


「筧、5番部屋片付けるってさっきお前言ってなかったっけ?」

ロンゲの金髪をバッサリ切った明石は、相変わらずホストみたいだったけれど前よりもずいぶん垢抜けた感じだ。
「あ、ご……ごめん。まだ片付けてなかった」
「オレがやっといたよ。もう、勘弁してくれよなー」
「あ、ありがと……明石くん」
「チッ」
ブツブツ言いながら漫画本を手に去っていく明石。
性格のいい彼女が最近できたらしくて、口は悪かったが以前よりもだいぶ優しくなった。

この店で、ボクが失恋したことを知らない人はいない。
それぐらいボクは目に見えて落ち込んでいて、そして今でも立ち直っていない。
茶化されるかと思ったけれど、不思議なもので人は本気でへこんでいる人間には関わらないようにするらしい。
誰もが壊れ物を扱うみたいに、遠巻きにボクに接してくる。
楽しそうな会話も、ボクが入ると自然に沈んでしまう。
みんなに悪いとは思ったけれど、もともと明るいタイプではないボクにはどうしようもなかった。
先日ネットで見たサッカーの長友みたいに、どこに行っても仲間が作れるタイプはボクの一生の憧れだ。
「はあ……」
受付のカウンターで手を休め、ロビーになっている正面、壁際の丸い机に目をやる。
昔、あの隅っこに杏菜が座っていたことがあった。
だからあの席にはものすごく思い入れがある。
バイト先でも、杏菜の思い出が頭から離れない。

時折、忘れた方がいいのかと思う時がある。
全力で彼女の事を忘れて、何もなかったかのように振舞うんだ。
そんなことを想像しても、それだけはやめておけと心の中のボクが言う。
彼女の事を自分の中から無くしてしまったら、ボクは本当に何も無くなってしまう。
今だってどこへ向かっていいか分からない自分なのに、それ以上に存在意義のない自分になってしまいそうだ。


今日も一日が終わる。
何もない一日。繰り返していくルーチンの一週間。
以前よりもずっと寝つきが悪くなった夜。

これまで真面目に考えたことはなかった。
ボクはこれからどうするのかということ。
田舎から東京に出てきて、幸いこれまで成績が良かったから親や先生の強い勧めで司法試験を受けようとしている。
それだって、こんな精神状態じゃあ合格に何年かかるか、果たして合格できるのかも怪しい。
家だってそんなに裕福ではないから、できるだけ早く合格しないといけないのに。
漫画喫茶でバイトして、漠然と大学に行って……全然社交性のない性格で。
特技をつけようと唯一頑張ろうとしている司法試験だって、もしうまいこと弁護士になったとしても、こんなに気が弱いボクが果たして社会に適応できるのだろうか。
その先に何があるのか不安でたまらない。

「目的が、ないんだよな…」

これまでいかにぼんやりと日々を流してきたかという事に今更気づく。
確かにボクがそこにいたという事実……誰かと関わることでそれは色濃く残る。
一人きりじゃあ、何もないんだ。
それに気付かされた。
全ては杏菜に繋がる。
もう彼女は、ボクのそばにはいないのに。

「じゃあな、明日バイトで授業出ないからヨロシクね」
駅で世羅と別れる。
「うん、じゃあまた」
ボクはバイトに行くまでの時間を喫茶店で潰すのも面倒で、自分の部屋へ一旦帰ることにする。

底がすっかり汚くなったリュックを、電車のドア側の隅に置く。
黙っていると、いつも杏菜のことばかり考えてしまう。
(今頃どうしてるのかな……)
車窓から流れる景色、その視野の中、もしかしたら一瞬でも杏菜の姿が入っているかもしれない。
そんな淡すぎる期待を抱いて、ボクは窓の外をじっと見た。
もし彼女を見つけることができても、走り去る電車の中からじゃ何もできないのに。
それでも良かった。
彼女の姿を一瞬でも見ることができたら……それだけでも、今のボクはきっと満足できる。

命と引き換えにでも、一日だけでも杏菜とすごせるのなら……

ボクは喜んで命を差し出すだろう。
ヒーローぶってるとかじゃなくて、本当に。切望として。
ボクの抱く輝きの全ては、杏菜そのものだった。
もう一度だけでいいから、もう、一瞬だけでもいいから……

(いい加減、ヤバイよなぁ……)

色んな意味で、内に入っていく自分自身がたまに怖くなってくる。
自分の駅について、電車を降りた。
妄想を掻き立てられた空間から、やっと開放される。
部屋まで、汚れたリュックを片方の肩にかけ、黙々と歩く。

いつか杏菜が転びそうになって、ボクが大怪我した階段を登り、家路へと向かう。
毎日毎日、何度も何度もこうして杏菜と過ごした場所をなぞる。
夏の残像は季節が変わっても残り、消えないまま、ただボクを切なくさせた。
だけど、ふと気付く。

(そうだ……)

変わったのは、下ばかり向いて歩くボクが、前を見て進むようになったことだ。
彼女を見つけるため、彼女を見逃さないため、ボクはしっかりと前を向くようになった。
それだけでも随分自分が変化したような気がした。
時折怪しく見えることがあったとしても、今、ボクの背筋は伸びている。
以前よりも遠くを見るようになった。
左肩にかけたリュックの位置を直し、ボクはまた前を見る。

ボクのアパートの2階が見えてくる。
この角を曲がれば、いつも二人で行ったコンビニの並びだ。
彼女がいることを切望して、いつものように角を曲がる。
願望は一瞬にして絶望に変わってしまうのに。
それでも、ボクはまっすぐ前を見た。

「…………」


間違えようのない姿。


髪型が変わっていても、肌を露出した格好でなくても、
その女の子が誰かがすぐに分かる。
どうして彼女だと分かるのか……それは……

―――― 光だ。


「……久しぶり、優哉

 

 

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