ラバーズ(Lovers)

☆☆ 16 ☆☆

   

会いたいと思えば思うほど、会えないような気がする。
会えないと思えば思うほど、会いたくなる。

彼女がいなくなってからのボクの毎日は、これまでのボクの日常がただ続いていくだけだった。
この夏の事は夢みたいで、本当に夢を見ていたんじゃないかと思う時もある。
だけど、確かにボクの中で日々彼女は重みを増す。


――― 杏菜はボクの心の色を変えた。


確実にボクの中は変化した。
あの温かい手触りとか「優哉」とボクを呼んでくれる甘い声とか、彼女と触れた全ての出来事や瞬間が、眩しくてたまらないぐらいボクの中でフラッシュバックする。
それは何度も何度も。


会いたくて、近くをウロウロしてしまう。
彼女と行った全ての場所を、もう何度も何度も訪ねている。
その度にひょっこり杏菜が現れるんじゃないかと淡い期待を持つ。
だけどそれはかなわなくて、家路に着く足どりや心持ちはさらに重たく暗いものになった。

「会いたいよ……」

一人、ベッドで横になって呟く。
ここで彼女と過ごした時間。
初めて抱いた女の子の感触。
甘えられるっていうのが、あんなにも心地いいなんて。
「ホントに、会いたい……」
ボクは女の子みたいに枕をギュっと抱いた。

久しぶりにPCを立ち上げて自分のホームを見たが、何件かメッセージはあるもののさすがに過疎っていた。
あんなに熱中していたチャットの仲間からの訪問も、最近ではほとんどなくなっていた。
ネット上の薄いコミニュケーションなんてこんなもんかと思いつつ、なんだかボクは全てを失ってしまったような気がした。
アニメやフィギアや、それに関する様々な話題にさえ、今はあまり興味が持てなかった。


「筧、また痩せた?」
残暑とはいえまだ暑い9月の終わりだったが、半袖で汗だくの世羅はまるで真夏だ。
「……痩せたかもなぁ」
ボクは手を伸ばして自分の腕を見た。
「………」
「………」
世羅は何か言いたそうにしていたがそれでも言葉が見つからないようで、背負っていたリュックの両肩を掴み、前を向いて背を伸ばした。

「あんまり、落ち込むなよ……」
「ああ…」

ボクは頷いたけれど、この落ち込みを止めるのは無理だと思った。
「オレは羨ましいけどね…、あんな可愛い子とさ、一瞬でも付き合えたなんてさ」
「……」
「ホント、羨ましいよ」
「……んん…」
ボクは曖昧に答えた。
世羅がボクを励まそうとしているっていうのはよく分かる。
ボクだって、逆の立場だったら同じ事を思っただろう。

あんな女の子と付き合えたなんて、ホントに夢みたいだ。

恐らく、これからのボクの人生の中でも二度と有り得ないことだろう。
あんな出会いは、奇跡としか言いようがない。
だけど奇跡はやっぱり非現実的なもので、長くは続かなかった。

「はあ……」

無意識にため息が出てしまう。
見える人が見たなら、きっとボクのオーラは暗く沈んでいるか、消えそうに全然無いかどっちかだ。
「あのさあ…」
世羅がリュックを下ろし、中をゴソゴソしだす。
「星Pッ子にゃん☆のライブチケットゲットしたんだけどさ〜、行かない?」
端がボロボロの黒い財布を開き、中からピンク色のチケットを2枚取り出した。
「ちょっと前に、筧すごくハマってただろ?」
「うん……すごいな、よく入手できたね」
世羅の気遣いが、弱ったボクの胸にグっとくる。
ライブなんて気分じゃなかったけど、彼の善意を断る度胸はボクにはなかった。



久しぶりに電気街へと繰り出した。
以前は暇があってもなくても、この街へ入り浸っていた。
ボクが離れていたのは2ヶ月ちょっとの間だったけれど、風景はあんまり変わっていない。
懐かしさを感じながら、これまでのボクの日常を改めて実感する。
大きなビルが立ち並ぶこの街で、同じ様な臭いのする連中がウロついていた。
ボクはここが落ち着く。
浮くことがなく、景色の一部として存在できるからだ。


誰かのための特別な自分―――

そんなものになれたような気がしていた。
実際は、そんなもんじゃないのに。
やっぱりボクなんて、社会でその他大勢を構成するただの一部に過ぎない。
…杏菜が消えて、ボク自身の意義まで無くなってしまった。
彼女が、ボクの存在に意味をくれた。
彼女だけだったのに………


「うわー、やっぱり混んでるな!」

狭いライブハウスはギュウギュウだった。
ただでさえ暑苦しい連中が、換気の悪い地下の一室に押し込められている。
前列に陣取るやつらが独特の振り付けをするために大きく場所を取っているから、後ろの方のボクたちのあたりは更にキツイ。

「おおお〜〜〜〜!」
アニメっぽいコスプレをした女の子たちが登場すると、場のテンションは一気に上がった。
「今日は来てくれて、ありがとにゃ〜〜ん♪」
ボクらに向かって笑顔で手を振るアイドル達。
隣の世羅は一眼レフを構えて、ステージへと完全に集中していた。

曲が流れ、前列の奴らが派手に盛り上がり始める。

以前のボクなら、生で見るアングラアイドルに世羅と同じ様に地味に興奮していたと思う。
ライブの熱とは逆に、ボクの気持ちはやっぱり冷めていた。
「今日も盛り上がってね〜〜!」
左端で踊る女の子は髪をツインテールにしていて、どことなく杏菜に似ていた。
背も小さくて、体つきも杏菜の面影がある。

「杏菜……」

嫌でも杏菜を思い出してしまう。
杏菜の仕草、ボクを見る目つき、ボクへと伸ばしてくる腕。
何よりも素敵だった、ボクを見て優しく笑うあの笑顔。

「…………っ」

皆の視線がステージへと向かい、ボクを見ている者は誰もいない。
それで良かったと本当に思う。
こんなところで、彼女への想いが溢れて止まらなくなる。

あそこにいるのが杏菜だったら……
今、すぐに隣に来てくれたなら……
だけどもう、彼女には二度と会えないかもしれない……

願望と現実がゴチャゴチャになる。
それでも最後に残るのは、やっぱり杏菜はいないという事実だけだ。



(会いたいよ……会いたい……)

もう一度だけでいいから、
会えるなら、何だってするから……


ステージの大音量と地味な客達の熱狂の中で、ボクはただひとり、泣き続けていた。

 

 

ラブで抱きしめよう
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