ラバーズ(Lovers)

☆☆ 5 ☆☆

   

どう考えても、マズイ。

二人で同じベッドで眠っている限り、昨晩のようなことはまた起こりうるだろうと思った。
ボクといえばもう、……すっかり彼女のことが好きになってた。

そう、ボクは彼女のことが好きだ。
だけど多分、彼女はボクが想うようにボクのことを想ってはいないだろう。
それなのに彼女はボクに昨日、あんなことをした。
そういうことって好きな人としないと、って、ボクは彼女に言ったはずだ。
それなのに、彼女はボクに昨日、あんなことをした。

「……………」

彼女もボクを好きなんだろうか?

それは余りにも楽観的な考え方だ。
ありえない。

彼女は確かにボクの部屋の居候だったし、ボクはそれなりに紳士的にふるまっているような気もする。
だからといって、お礼にあんなことがして欲しいわけじゃない。
いや、してくれたのは嬉しい。
嬉しいんだけど………嬉しいのは体ばっかりな気がする。
なぜか、気持ちはすごく虚しかった。
彼女がボクのことをたいして好きでもないということが、ハッキリと分かっていたからだ。

好きな子が、自分のことを好きでもないのにそういうことをする。
好きな子が、好きでもない相手に、そういうことをする。

なんだかダブルでショックだ。

喜んだのは、本当に体だけだ。



杏菜は携帯を持っていないから、外から連絡がとれない。
ボクは今日はバイトに行かずに、学校帰りにそのままスーパーへ寄った。
スーパーで、ボクは安い布団セットを一組買った。
夏でよかったと思う。
コンパクトに梱包されたそのセットをボクは汗をかきながら抱いて、部屋に帰った。


「あれ、…早かったね」

ベッドに寝転がっていた杏菜はビックリして飛び起きた。
「……ただいま」
昨晩あんなことがあったし、なんとなくバツが悪くてボクは彼女から目をそらして言った。
彼女の周りにあるボクの漫画たちに、目を離した後の意識の中で気づいた。

パソコンのある場所から入り口にかけて置いてある本棚までのスペース。
そこはどんなにゴチャゴチャしているように見えても、ボクなりのルールで趣味のモノたちが置かれた聖域だ。
その聖域から、本が抜かれている。
(マジか…)

改めて彼女を見て、散乱しているボクの大事な本たちに目をやった。
杏菜はすぐに気がついて、言った。
「ああ、ごめん…勝手に読ませてもらってた……」

「……いいよ。好きに読んで…」

それでも日中家を空けているボクは彼女が昼間どんな行動をしていても分からないから、ある程度はあきらめないといけないと思っていた。
それにボクの所蔵本は結構エロ系のものも多くて、本当のところ他人に読まれるのは相当恥ずかしい。
まさに色んな意味での聖域だった。
「なーんか、すごいハマっちゃった……おもしろいね」
彼女は周りにある本を丁寧に順番に並べ重ねていく。
ハマった、という言葉を聞いて、ボクは少し嬉しくなり少し安心した。
こんなの読んでるの、とか思われたら辛い。
それにやっぱり恥ずかしい。
彼女にボクの趣味を見られているなんて、自分の恥部を隠さずに曝け出しているようなものだ。
…今更、遅いけれど。

本に対する件がボクの中で一段落すると、今度は彼女の服装が気になって仕方がなくなる。

ボクのいない部屋で彼女はすっかりリラックスしてた様子で、長めのキャミソールに膝丈のスパッツという姿だった。
それって……まるで下着みたいだ。
じーっと見たら透けて見えちゃうんじゃないかと思う。
ボクの顔を、また汗が伝った。

「何買ってきたの?」

ボクの荷物に彼女はすぐに気付く。
「ああ……ええと、布団」
「布団?」
彼女はきちんと起き上がり、ベッドにちょこんと座りなおした。
部屋が狭いから、離れているつもりでも彼女との距離は結構近い。
ボクは買ってきた布団を隠しようもなく、彼女とボクの間に置いた。
「……やっぱり、べ、べ……別々に寝た方がいいかなと思って」
ボクは下を向いて、布団だけを見つめて言った。
向き合うと、なんだか怖かった。
ボクはやっぱり女の子が苦手だ。

彼女はすぐに言葉を返してこなかった。
「…………」
沈黙は、もっと苦手だ。
だけどこの場を打開する力量は、ボクにはない。

「怒ってるの?」

「え?」
意外な言葉に顔を上げたボクの目に、なんとも悲しげな彼女が映った。

「お、……怒って?」
意味が分からない。
「昨日のこと、怒ってるんでしょう?」
杏菜は悲しそうだったけど、彼女の方こそ怒っているようにも見えた。
(昨日のこと……)
あのことかと思い、ボクはまた恥ずかしくなってくる。
と同時に、反射的に勃起してしまう体が情けない。
「お、お、お、お、怒ってなんて、ないけど……」
気付けばボクは正座していた。
彼女はベッドからボクを見下ろしていて、これじゃあまるでボクが説教されているみたいだ。

「……だって、布団」
「ああ、……これは、その……」
なんだか悪いことをしたような気になっていた。
だけど、今夜彼女と文字通りベッドをともにする勇気もなかった。
それって、またしてくれ、って言っているような感じがして。


「………優哉、……好きな子、いるの?」

「へっ?」
唐突な質問に、思わず素っ頓狂な声が出た。
「や……その、あの……」
彼女なマジメな顔をして、ボクをじっと見ていた。
(えーと、ボクの好きな子は、君なんだけど)
心の中では即答したが、まさかそんなこと言えるわけもなく、ボクはひたすらオロオロした。
「………いるんだ?」
念を押すように彼女が言う。
彼女の眼力は、ボクにはやっぱり怖い。
「あ、…ああ、…まあ………ハイ」
渋々ボクは頷いた。

「そうかぁ……」
彼女はため息をついた。
「………じゃあ、やっぱり、昨日のこと、怒ってるよね……」
「…………」
怒っていなかったけれど、ここで激しく「怒っていない」と否定するのもその事を許容するような気がして、とりあえずボクは曖昧な態度をとった。

沈黙の後、しばらく考えてからボクは口を開いた。
「…君は」
言葉にしてからボクは自分ながらに驚いた。
「何っ?」
杏菜もふいをつかれたようで、体をちょっと引く。

「君は……す、好きな人は、いないの?」

一番聞きたかった核心部分を、ボクはズバリ口にした。
今、聞かなかったら、多分一生聞けないような気がした。

「私…?………………うーん」
杏菜はなぜか部屋をぐるっと見回して、しばらくしてから言った。

「いないかなぁ……」

(そうなのか)
ボクはホっとしたような、ガッカリしたような、複雑な気分になる。
まさか『優哉が好き!』なんて彼女が言うわけがなかったが、それでも心の端っこでバカみたいな期待感があった。
…ホントにバカだ。

「………」
「………」

また言葉に詰る。
「ハア……」
ボクは思わずため息をついてしまった。



「…私、…ここから出て行こうか?」


「ええっ!」
「だって……優哉、好きな人がいるのに……私がここにいたら、…迷惑でしょ?」
「いや、…あの、その…あの…」
(迷惑なんかじゃない)
心の中では、必死に否定した。
それでも好きな人がいると言ってしまった手前、どうしていいものか分からない。
ハッキリと、ここで彼女が好きだと告白する勇気も全くなかった。

「こここ、こ、困るよ!」
ボクは立ち上がった。
「ん?」
今度はベッドに座っている彼女が、ボクを見上げる姿勢になる。
「で、で、出ていくなんて……こ、こ、…困るよ!」
「困るって、……何が困るの?」
杏菜は苦笑した。
そしてわけが分からない様子で、困惑しているみたいだった。

「君がここからいなくなったら………ボクは」

(いなくなったら、ボクは)
何度もその言葉を自分の中で繰り返した。
その先が、出てこない。
さっきからボクの発言は支離滅裂だ。

情けないのと軽いパニックで、涙がにじんできた。

「……迷惑じゃないの?」
優しい声で、杏菜が言った。
ボクはただ、大きく頷いた。
「好きな子が、いるんじゃないの?」
杏菜は立ち上がる。
そしてゆっくりとパソコンの方へと歩いた。
ボクは顔を上げて、彼女の動きを追った。
(好きな子は、…君だ)
念力があればいいのに、とボクは思った。
彼女の顔を見て、心の中で念じるように何度も呟いた。

彼女と視線が合う。
言ってしまおうかと、一瞬思うがすぐにボクの心はひるむ。
彼女の後ろ、フィギアとかビデオとか本などが置かれている自分の聖域に目をやり、そしてまた彼女に視線を戻す。

ここから出て行って欲しくなかった。
この場から彼女がいなくなるなんて、想像もしたくなかった。
例え彼女がどんな人だろうとも、ボクにとって今、彼女はとても大事な女の子で。
………とても好きだった。

「何て言うか……その……あ、あの……」
「…?」

視線をウロウロとさせているボクを、彼女は凝視している。
そしてニッコリ笑った。
「もしかして、優哉の好きな子って………この辺りに、いたりする?」
杏菜は自分の斜め後ろの方をグルっと手で示した。
そこはまさにボクの聖域だった。
「ああ、まあ……あ、……うん…」
彼女の勘違いは大きく外れていなかったし、ある意味正解だった。
この辺り、というか、まさに君なんだけど。

「なぁんだ、そっか……。じゃあ、…ここにいてもいいの?」


「いてよ……」


色々と恥ずかしくて、ボクは小さく言った。
彼女はそれをちゃんと聞き取って、笑顔を返してくれた。
その顔は、すごく可愛かった。


「ありがとー、優哉♪」
彼女はピョンと跳ねて、ギュっと抱きついて来る。
…すごく薄着だっていうのに。
彼女の体の感触が、ボクのTシャツ越しにハッキリと伝わってくる。
ボクは改めて部屋に二人きりだと痛感し、またドキドキしてしまう。
こんな風に抱きつかないでくれと思う反面、ずっとこうしていて欲しいとも思う。
彼女は無邪気にボクに触れてくるのに、ボクから彼女に触れることはできなかった。

「じゃあ、これからも、……よろしくね♪」
力を緩めた彼女が、至近距離でボクの顔を覗き込んできた。
「……う、…うん」
ボクは棒立ちで、完全に『気をつけ』の姿勢だった。

「ねえ、…優哉、あんまり優しいと…」

彼女が目を細める。
笑顔になる時のキラキラが零れてくるようなこの感じが、ボクはとても好きだ。


「好きに、なっちゃうかもよ……?」


目の前から30センチ、彼女が花びらを散らすような笑顔をボクに向けてくる。
彼女は冗談で言っているのかも知れないけれど、ボクは全然可笑しくない。
(本当に、好きになって欲しいよ……)
心の中で、ほとんど懇願した。


一瞬で抱きしめることのできる距離にいるのに、ボクは手を伸ばすこともできない。
まるで天国で子悪魔に拷問されているようだと、ボクは思う。

だけど、
―― 絶対に確かなのは、どんなことがあろうとも彼女がいてくれる限りここは天国だ、ってことだ。

 

ラブで抱きしめよう
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