ボクは杏菜とキスをしている。
突然に彼女の顔が近づいてきたから、思わずボクは目を閉じてしまい、そしてそのまま開けることができなかった。
彼女の唇が離れてもボクは完全に固まったままで、ギュっと閉じたまぶたに入った力をほぐしていくのに何秒もかかってしまった。
そっと開いた視野の中、ボクのすぐ前に彼女がいた。
思考さえも停止したままで、ボクは呆然として杏菜をただ見つめるしかなかった。
彼女の唇が、微かに動く。
「優哉が好きよ……」
(??!!)
どうして彼女がボクにキスをしたのか、
どうして彼女がボクにこんなことを言っているのか、
ボクには全く理解ができない。
「………え、っと………??????」
ボクは体を引いて座りなおし、すぐ横の彼女に顔を戻す。
杏菜の服は胸元が大きく開いていて、思わず視線がそこへ向かってしまいそうになる。
慌てて顔を背けて、また彼女に向き直った。
彼女を見たり自分の部屋を見渡したりを、ボクは何度も繰り返した。
完全に挙動不審だ。
杏菜は可愛らしく笑って、ボクに言った。
「優哉が、好きよ」
その笑顔は本当に可愛すぎた。
(そ、そ、そ、それって、どういう事…??)
ボクはキスをしていた時以上に、心臓がドキドキしていた。
杏菜がボクに、ボクが好きだと言っている。
「…な、な、…なんで、…なんで…?」
こんな反応しかできない自分が情けなかったが、彼女がいないどころか女子ともまともに喋ってこなかった21年間という過去がボクの全てだ。
「なんで、…って……。うーん……」
杏菜はボクから目をそらして、右手を自分のうなじへと持っていく。
「そうだなぁー…」
耳の辺りを少し掻くと、真面目な様子で答えた。
「優しいしー…、一緒にいると落ち着くし…、案外、よく見ると顔とかも嫌いじゃないしー…」
一呼吸置いてから、杏菜は自分の膝の上に手を戻すとボクをまっすぐ見た。
「優哉は……純粋で、綺麗な人だと思うよ」
(綺麗……?)
ボクを表現するのに、なんて似つかわしくない言葉なんだろう。
全然ピンと来なかったけれど、恥ずかしそうにしている杏菜がいつもよりもずっとしおらしくて、そんな彼女を見ているとボクまですごく照れくさくなってくる。
大体、ボクはそんなたいした人間じゃないって。
「……そ、そんな事ないと思うけど……」
小さな声でそう答えるのがボクの精一杯だった。
あまりにも恥ずかしくて、思わずボクは下を向いてしまった。
「優哉は………前に」
「?」
ボクは顔を上げた。
横に並んで床に座っている杏菜は、さっきまではボクに体を向けていたが、今は壁に背を付いて机の方向を見ている。
「優哉は、…好きな人がいる、って言っていたでしょう?」
杏菜はボクを見ずに言った。
そう言えば、ボクは先日そんな宣言をしたんだった。
「………うん」
思い出して、頷いた。
(だって、杏菜が好きだから……)
そう心の中でつぶやく。
「だから、もしかして、私の気持ちは迷惑なんじゃないかなって思ったりしてて……」
「えっ」
思わず、ボクは彼女の横顔を見た。
ドキドキがどんどん大きくなっていく。
「だけど、なんだか……なんだかもう、…優哉はすっごく優しいし…私……」
ボクは杏菜の話を遮れなかった。
彼女の言葉の先が知りたくてたまらない。
「なんだか、……もう、私…限界なんだもん」
「……杏菜」
何がどう『限界』なのか、やっぱりよく分からなかったが、ボクは彼女の名前を呼ばずにはいられなかった。
「優哉」
いまや膝を抱えて座っている杏菜は、ボクを切ない目で見つめてくる。
「…優哉は…?」
「えっ??」
急に話を振られて、ボクはビクンとしてしまう。
彼女はちょっと怒ったような顔になって、唇を尖らせた。
「私、告白してるんですけどー?」
「あっ…」
(ああ、そうか……)
心の中では納得したが、そもそも告白されたことなんて今までただの一度もなかったし、どうしていいのか全く分からない。
(ボクは、……大好きなんだけど…)
杏菜を見ると、ひたすらにボクの言葉を待っている様子だった。
(ああっ、そんなこと、言えない……!)
ボクは頭を振った。
こんなまるで妄想みたいな至福の状況にありながら、うまい態度がとれない自分が情けなかった。
「ええっと……」
気を取り直して彼女へ向き直ると、杏菜はとても不安そうにしていた。
ボクは自分の中にわずかしかない勇気を、なんとか振り絞った。
「ボクは、君だけだよ」
口をついて出たその台詞に自分でもびっくりする。
「優哉……」
杏菜も驚いたようだったが、すぐに笑顔になると続けて言った。
「じゃあ、キスしてよ」
「ええっ……」
今の時点で恥ずかしさマックスまで到達しそうなのに、ボクにそんなことができるのだろうか。
(そ、そんなあ……)
杏菜は至近距離で目を閉じて待っている。
すっごく可愛い。
こんな子とキスできるなんて、本当に夢のようだ。
(でも、現実なんだよなあ…)
今のボクはドキドキが大きくなりすぎて、自分が対応できる状況を完全に越えていた。
(ああ……)
行くしかないのか、とボクは自分を奮起させた。
「…………」
ボクの唇がぎこちなく杏菜の唇に触れると、ドキドキはボクの中で突き抜けて何かが破れていった。
「優哉……」
恥ずかしそうに優しい顔で微笑む杏菜は、今までの表情の中でも最高級に可愛かった。
「……杏菜…」
再び唇が触れると、ボクたちの距離はさっきよりもずっと近付く。
(杏菜……)
自然に手が触れた。
杏菜の手もボクに伸びてくる。
いつの間にか抱きしめあう形になって、ボクらは何度もキスし合った。