「なんだ、ホントに来たのかよ」
ドアを開けた那波は、昨日とは違っていた。
『私服』、まさにその状態。
制服しか見たことがないから、不覚にもちょっとドキっとしてしまった。
中古みたいな黒いGパンに、長袖のTシャツ、それに黒っぽいシルバーのネックレスをしてる。
いつもよりもずっと大人な感じがした。
(って…見とれてる場合じゃなかった)
私は気を取り直す。
「……約束でしょ、明日は来てよね」
「…………」
返事の代わりに、那波はニヤっとする。
いつも人をバカにしたようなこの目つきが、私はキライだ。
「部活のことも、ちゃんと誰かに話した方がいいと思うよ」
「……ヒルに言った?」
「言ってないよ」
「和久井には?」
「頼まれてた封筒渡したとは、言ったけど」
「ふうん……」
他人事のように、那波は曖昧に頷いた。
投げやりな態度に、私はイライラしてくる。
「ちゃんと、自分で話すんだよ?」
そう言った時、マンションの廊下の先に人の気配を感じた。
遠目でもガラが悪いのが分かる男子、……3人。
同じ学校、でもうちのクラスじゃない。
彼らは夏服になったばかりの制服を、だらしなく着崩していた。
「あれー、オレたちお邪魔?」
金髪が、大きな声を出す。
「別に邪魔じゃねーよ」
意外にも普通の笑顔で、那波は答えた。
自分の家のように彼の家へ入っていく那波の仲間たちは私の横を通りがてら、上から下まで私の事を見た。
「うちの学校の子じゃん、何組?」
金髪が、正面から私を見据えた。
(ヤダヤダ…)
寒気がする。私は一歩引いた。
「……とにかく、約束だよ?」
「拓真の新しい彼女ー?珍しいタイプじゃん」
「珍しいだろ?」
那波は否定もしなかった。
金髪と一緒に玄関口から私を見ている。
完全に私をからかっていた。
「ち、違います!」
私はカバンを前に抱え、廊下を小走りに駆けた。
(うわー、やっぱりあんな連中と関わりたくない)
元々、那波とだってほとんど話した事もなかった。
彼は自分とは違う…、実感しながら私は慌てて自宅へ戻った。
「おはようー」
教室では朝の挨拶があちこちで交わされている。
私は誰もいない隣の席を見つめた。
どうせ那波は来ないだろうと思っていた。
だけど少しは…、来るんじゃないかなという気もしていた。
ふざけたヤツだけど、意外と律儀そうに思えたからだ。
本当に何となくだけど。
この学校には朝の自習時間が15分ある。
特に決まりはなくて、その間に席につけばいいという曖昧な時間だ。
1時間目が始まるギリギリに、那波は来た。
半袖のシャツに、規定のネクタイはつけていない。
カバンを引っ掛けた腕を肩から外し、ぐるっと教室を見渡した。
一瞬、みんなが彼に注目する。
時が止まったような0.01秒。
そしてすぐに時間が動き出す。
時々しか来ないせいもあって、彼は来るといつも注目される。
その瞬間は不思議で、那波から空気を変える何かが出ているみたいで。
俗っぽい言い方をすれば「オーラのある」人だった。
いい意味でも、悪い意味でも。
ふてくされた表情のまま乱暴にイスを引き、音を立ててカバンを机に置いた。
そして沈み込むようにイスに座る。
ズボンのポケットに手を入れた。
「…おはよう」
私は声をかけた。
そういえば、彼が学校に来たとき、こうして挨拶してたっけ?全然覚えていない。
「ああ」
無愛想に那波が頷く。
会話はそれだけ。
すぐに授業が始まる。
1限が終わった後、短い休み時間の間も彼はどこかへ行ってしまった。
まさか帰ったんじゃと不安に思ったけれど、2限が始まる時にはまた戻って来た。
2時間目は数学。
カズくんは教室へ入るなり那波の姿に気付いて、隣の私を見て笑顔を浮かべた。
「ゲッ」
那波が小さい声でそう言ったのを私は聞き逃さなかった。
「ねえ、那波」
教室から出て行こうとする那波に、私は思い切って声をかけた。
私達の席は後ろから2列目。
私が窓際で、那波はその横だ。
「明日もちゃんと来なよ」
「お前に指図される義理は、ねーけどな」
「私だって義理なんてないけど……和久井くんとはちゃんと話してよ」
「そういうのが指図、っていうの」
怒った風でもなく、那波はそう言うと私に背をむけて一歩進んでしまう。
「ちょ、……ちょっと待って」
「何?」
「カ…比留川 先生とも話してよ」
この先、色んな事に私が間に入ってゴチャゴチャするのもイヤだった。
「やだよ、あいつうぜーだろ」
「で、でもさ…」
カズくんも可哀想に。
実際生徒たちの間では、普通にカズくんはウザキャラとして定着してた。
「あ、わり。お前親戚だったんだっけ」
嫌味っぽくなく、素直に謝ってるみたいだった。
(私に対して気を使ってるの…?)
思わぬ気配りに少し驚いた。
「親戚…っていうのは、皆には内緒で…」
私は声を下げた。
自然に那波に近づいてしまう。
「まあ、いいけど」
そう言ったヤツの手が、私に伸びた。
「?」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
那波の指が、それも手の甲の方で、私の頬にちょっと触れたのだ。
「お前、肌キレイだな」
「!」
急に体を引いたから、音を立てながら後ろの机にまともに当たってしまった。
「イタッ」
慌てふためく私を見て、那波は笑いながら行ってしまった。
(なんなの……アイツ…)
自分で認めるのもイヤだけど、私は男に免疫がない。
彼氏いない歴、17年だ。
(ムカつくヤツ……)
私と違ってアイツはすごくモテてる。
あのルックスにあの雰囲気じゃ、悔しいけどモテるっていうのはすごく納得できるけど。
本人もその辺り、絶対自覚してる。
思い起こせばあいつの言動からそれがイヤって程伝わってきて、何だか腹が立ってくる。
(気安く触らないでよ…)
…イヤだけど、イヤじゃない。
(あー!違う違う!)
休み時間が終わり、教室へ戻って来た那波は何事もなかったように席についた。
私の方をチラっと見たけれど、特に含んだ表情もなかった。
私はそんな那波を見ないふりして、教科書に目をやった。
(ああ、もうヤだな……)
帰りまで那波と全く喋らなかった。
彼と喋らないっていう状況、今まではそれが当たり前だったのに、今日は変な感じだった。
「じゃあな、若林」
終礼が終わり、帰ろうとカバンに荷物を入れていたら、意外にも那波の方から声をかけてきた。
「あっ…」
思わず立ち上がる。
そしてつい言ってしまう。
「明日も来なさいよ!」
先生みたいな言い方になってしまって、自分でもちょっと恥ずかしかった。
那波は鼻で笑うと、カバンを肩にかけ直した。
「はーいはい、じゃーな」
去っていく那波を見ていたら、廊下ですぐに昨日の仲間たちと合流してた。
(そういえばあの金髪、隣のクラスだったな…)
そんな事をぼんやりと考えながら、私も帰る事にした。
『やったな!花帆』
その日の夜、能天気な文章でカズくんからメールが来た。
とりあえず那波が学校に来たから、カズくんからは先月の私の誕生日祝いってのも兼ねて、お財布を買ってもらおう。
Sブランドのベビーピンクの財布。2万円は高校生には猛烈な出費だ。
メールでカズくんと近々会う約束をした。
「はあ…」
ちょっと肩の荷が下りた気がした。
ベッドに寝転がり、薄いピンク色をした携帯電話を眺める。
ひそかに私はピンク色が好きだ。
それも淡いピンク。
普段の自分からは程遠いところにあるような色。
本当は洋服だって可愛らしいものが着たいけれど、この平凡な顔立ちにはそういうのはちょっと似合わないと思う。
私は、何だか地味。
髪を染めたこともないし、肩まで伸ばした髪は無難すぎるレイヤーだった。
(その他、大勢)
その言葉が自分にはぴったりだった。
優等生でもないのに、バカみたいに生真面目で、ほとんどの男子から敬遠されてるような気がした。
男の子と話したりはするけれど、当たり障りのない日常の会話だけ。
どうやったら男子に女子として好かれたりとか、どうやったらそんな雰囲気になるのか、全然ピンと来なかった。
だから今日、那波が私の頬を触ったのは私の歴史上、大きな事件だった。
かと言ってあいつに好意を寄せるとかそういうのは、全く別の話だ。
馴れ馴れしい男はキライだ。
あんな、いかにも女たらしみたいな雰囲気もイヤだ。
人を見下したみたいに見る目もイヤ。
不良っぽい集団に所属しているのもダメ。
(とにかく、……イヤ)
気付くと、那波の事ばっかり考えてた。
次の日の木曜日、那波は学校に来た。
彼が2日連続で登校するのは久しぶりの事だ。
以前よりも少しだけ会話するようにはなったけれど、彼は相変わらず授業以外の時間は教室から消えてしまう。
カズくんが心配してた部活の事を話そうと思ったのに、なかなかその機会はなかった。
それでも彼が登校するようになって、本心から良かったなと思ったのもつかの間、
金曜日、那波はまた学校へ来なかった。