（何やってるんだろう…）
私は立ち止まり、目を落として自分のスニーカーの端を見つめた。

通学電車の方向が一緒で、途中下車すれば那波の家まで行ける。
そう、思っていただけだったのに、気付けば私は改札を抜けていた。

（行ったって、何を話すわけでもないのに…）


先日、学校の廊下で和久井くんに声をかけられた。
那波と話をした、って言ってた。
和久井くんはバスケ部の次期部長らしく、いかにも学業とスポーツを両立させている、といった感じの爽やかな男子だ。
彼は私に感謝の意を告げると、部活へとダッシュしてしまった。
あいつと何を話したのかって内容までは聞かなかった。
（関係ないしね…）
カズくんの事にしたってそうだ。
私は単なるパシリだ。

（なのに、）

足があいつの家に向かっている。
あいつのマンションは、駅から遠くない。
普通に歩いたら考える間もなくついてしまうので、私はゆっくりと歩を進めた。

（……来る、って言ってたのに）

あいつがちゃんと学校に来る、っていうから、私はわざわざこの前もあいつの部屋まで行ったのだ。
こんな風に三日坊主みたいに、その約束の有効期限がこんなにもすぐに切れてしまうのが腹立たしかった。

バスのロータリーを抜け、小さな商店街に入る。
そしてコンビニが並んだところを行った先、そこがあいつの住むマンションだった。
便利なところだから、仲間の溜まり場になるっていうのもうなずける。
そんな事を考えながら、ぼうっとしてた。

「よーー、ストーカー」

下を向いていたから気付かなかった。
那波が目の前から歩いてくる。

「何？今日は何の用さ？」

那波は黒い膝下丈のパンツに、オレンジのＴシャツを着てた。
商店街の中、際立って派手だ。でも何故か大人っぽく見える。

「元気そうじゃない」
嫌味のつもりで言った。
「おお、元気元気。で、わざわざお前はオレに会いに来てくれたわけ？」
全く悪びれない様子で、妙に明るい笑顔の那波。
「はあ…あのねえ……学校に来る、って約束。こんなにすぐに終わっちゃうの？」
那波の顔を見ていたら、だんだんむかついてきた。
心配してた自分がバカみたい。
（って、心配……？心配じゃないって）
自問自答して思わず私は首を振った。

「ああ、あの約束？もう守ったじゃん。学校にも行ったし、ちゃんと和久井たちとも話したし」
「……２日来ただけじゃない」
改めて口にしてみると、なんとなく私の約束の価値のちっぽけさが染みる。
「行ったじゃん、オレにしては」
那波の口調は軽い。

「今日、何してたの？」
「はあ？」
そこでヤツの目つきがちょっと変わる。
「何か用事でもあったの？ってこと」
「別になんも……。っていうかお前に言われる筋合いねえべ」
那波は目をそらして、めんどくさそうに自分の前髪を触った。
（別に言う筋合いもないんだけど）
私は一息入れて、でも即答してやった。
「あるよ、隣の席だし」

「ああ？」
那波が驚いたような顔で私を見た。
「………」
「………」
一瞬、まともに見詰め合ってしまった。

「なんだそれ？？お前、天然？？？」

那波に爆笑された。
「………」
天然、って言われて、急に恥ずかしくなってくる。
だけど那波が楽しそうに笑うから、まあ天然でもいいかなって気になってきた。

「地味に面白いな、お前」
まだ那波は笑ってる。
（地味に……って何よ）
いちいち言い回しが引っかかった。

那波は駅に向かって歩き出した。
仕方なく、私も並んで歩く。

「分かった分かった、何か知らねえけどお前根性あるよな」
（何が分かった、なのよ…）
私はムスっとして黙っていた。
那波は嫌味のない笑顔になって、言った。
「若林ってどこの駅なの？」

顔を上げると、もう駅だった。
「……Ｍ駅」
「ああ、近いんだな」
那波はちょっと早足になって、改札へと入っていく。
私もなぜか慌てて、ヤツの後について入った。

「お、電車来るぜ」
那波が走るから、私まで走って電車へ駆け込む。
ヤツの言うとおり、私と彼の最寄駅は３駅しか離れていない。
「今まで、電車で会ったことないよな？」
「ないよ。…っていうか、あんたまともな時間に学校来てないでしょ？」
「確かに」
那波は笑う。

（………）
こうして学校の外にいると、那波はよく笑っていた。
学校でだって、仲間たちといるときはいつもこんな感じなのかも知れない。
隣の席にいるのに、教室で見る那波はいつもダルそうな姿だ。
（笑ってる方がずっといい…）
素直にそう思った。

学校に来たらいいのに。
その笑顔を、教室で見せてくれたらいいのに。

私は男子に免疫がない。
冷静になってくると、こうして那波と二人で電車に乗っている事自体、おかしい。
男子と二人になってると気がついたら、急に緊張してきた。
「………これからどこ行くの？」
沈黙に耐えられなくて、思わず聞いてしまう。
「バイト」
「ふうん」
隣の席だし、家まで行った事はあるけれど、私はコイツの事を何も知らない。

「若林はバイトとかしてないの？」
「してないよ…塾行ったりとかしてるし」
「そうか」
こっちをチラっと見て、また視線を外す那波。
こんな仕草に一部の女子が大騒ぎしているみたいだけど、なんとなくそんな気持ちも分かる。
既に私にとって、那波は最高に近づいた男子になっていた。

車内に次の駅を告げるアナウンスが流れる。
あっという間に、駅についてしまう。
「じゃあ、月曜日にね」
「ああ」
那波の声を背に、私は電車を降りる。

ドアが閉まりかけて、私は慌ててまた言った。
「月曜日だよ、分かった？」

電車のガラス越し、
返事をする代わりに那波はニヤニヤして、そして私に軽く手を振った。

離れていく電車を、私は見送った。
那波はそんなに、悪いヤツじゃない。
きっと……多分。



家についても気持ちが落ち着かなくて、なぜかカズくんにメールしてしまった。
もしカズくんとツーショットで出かけて、そんな姿を学校の誰かに目撃されたりなんかしたら、何を言われるか想像するだけで恐ろしかった。
那波と交渉した戦利品は、ネットで購入してもらう事にした。

「はあ……」

那波は『喋りにくい』と『喋りやすい』で大雑把に分けるとしたら、わたし的にはわりと喋りやすい方だ。
（でも、疲れた……）
それにしたって『男子』なわけで。
色んな女の子が騒いでいるように、確かに魅力のある男だと思う。
那波の前にいるときはあまり考えないようにしていたけれど、やっぱり余計な体力を消耗してる。
（男子は、苦手だ……）
しみじみ思う。

（月曜日、学校に来るかな……）

来て欲しいと、思った。
（もし来なかったら、へこみそう…）
軽く“勝負”みたいになっているのが可笑しい。
あいつが学校に来たら、私の勝ち。
（なぁんてね…）
ピンク色の携帯電話を握って、私はベッドに伏せた。



週末、ちょっとドキドキして過ごしてしまった。
月曜の朝は、落ち着かなかった。
（来たらいいな……）
どうしてだか、祈るみたいな気持ちで、私は教室へと向かった。

（ウソ……）

まさに予想外だった。
階段を上がってすぐ、校舎がＬ字になっているので廊下が少し広くなったところがある。
そこに那波が、ヤツの友達と一緒に立って話していた。

那波は私に気付くと、口の端を上げてニヤリとした。
「おはよ……」
私は思わず、しおらしく会釈した。
動悸が激しくなってきて、足早に教室へ向かった。

（ちゃんと、来たじゃん…）

自分の席に座り、ひとまず私はほっとした。
だけどそれ以上なのは、『嬉しい』って気持ち。
（良かった……ちゃんと来てくれたじゃん、それもこんな時間から）
教室の時計を見ると、予鈴が鳴るまではまだかなり時間があった。
（そっか……）
微笑んでしまいそうなのを堪えながら、私は窓の外を見た。

いつもと同じ月曜の朝なのに、なぜか違っていた。
私の目に映る景色が、変わり始めていた。