もっと、いつも

☆☆ 4 ☆☆

   

『意識』っていうのは恐ろしい。
本当につい先日まで、この教室は何ていう事のない日常の一部だったはずだ。
だけど違う。
この席。
そしてこの席の隣の奴。


那波が学校に来るようになって、私は毎日ドキドキしてる。
隣にいるアイツが視野に入らないように、授業中にアイツに意識が向かないように。
だけど私の心の中の自分は、いつもアイツの事ばかり気にしてる。

「おい」
「何よ」

私は無愛想に答える。
前よりもずっと、今の方が会話は増えていた。
喋ってしまえば、どうってことはない。
むしろ私にとっては、喋ってない時間の方が問題なのだ。

「何か書くもの貸してくれよ」
那波も無愛想に言う。
「…忘れたの?」
私は隣の机の上を見た。
ほとんど使われた形跡のない教科書と、全部の授業に共通して出しっぱなしにしてあるノートだけ。

「悪いか」
那波は机に肘をついて、特に私の方を見ない。
(悪いでしょ)
私はそう思ったけど、言わなかった。
「はい」
「んーーだよ、これ、もっとマシなの貸せよ」
頭にキャラクターのついた 派手にデコレーションされたピンク色のシャーペンを持って、那波はイヤな顔をした。
「じゃあ、勝手に選んでよ」
私はペンケースごと那波に渡す。
「……っだよ、お前、ギャルみてーなのばっかりじゃん」
「借りる方が文句言わないでよ」
「なんだよ、これ……」
最後まで文句を言いながらも、那波は私のピンクのシャーペンを手に取った。

(笑える……)
那波がカワイイシャーペンを握っている姿はすごくおかしかった。
だけど、だけど……
(カワイイ……)

ハッ

見とれている場合じゃなかった。
那波に一瞬貸したペンケースを手にとり、私は気持ちを抑える。
(あのシャーペン、宝物にしよう……)
私はこっそり思う。


アイツの事を好きだと自覚してからの私は、ヤツの前ではできるだけ平静を装うようにした。
ただ、側で見ていられればいい。
那波は今は彼女がいないらしいけれど、モテまくってるヤツの事だから、きっとすぐに新しい彼女もできてしまうだろう。
(だけど、いい……)
アイツの隣にいて存在を感じると、ワクワクするようなソワソワするような気持ちになる。
自然とちょっとドキドキしてきちゃうけれど、それもまた良かった。
那波の事を意識しだして、私は今まで人を好きになった事がなかったんだ、って気付いた。

この気持ちを『好き』と呼ぶのなら、今まで色んな男子に抱いてきた好意は無意味に等しい。
…初めての、気持ちなんだ。



「よおー、那波の新しい彼女♪」

背中で言われて、ドキっとして思わず振り向いてしまう。
短い休み時間の間、私は廊下を小走りに急いでいた。
那波に彼女ができたのかと思って、そして彼女がそこにいるのかと思って、私は相当にドキドキした。
振り向いた先には、那波の友達……確か、隣のクラスの水沢。
短い頭を茶色というよりほとんど金髪に染めていて、態度と同じくガタイもデカイ。
水沢は人をバカにしたように薄く笑っていた。

「…………」

もうすぐ授業が始まる。
廊下には私と水沢しかいなかった。

「やめてよ、そういうの」
私は本気でムっとして言った。
自分の中で、今最もナーバスな話題だ。
視線を彼に向ける。
上履きのかかとは踏んでいるし、ズボンもちょっとずり下がっていた。
改めて間近で見るだらしないその姿に、ちょっと引いてしまう。
思わず本気で睨んでしまい、水沢の目つきもちょっと変わった。

「何ムキになってんだよ、………もしかして、お前……那波のこと〜〜」
からかうと言うには悪意のありすぎる目で、水沢は私を見た。

「………最っ低」
本当にやめて欲しい。
水沢が那波に余計な事を言わないでいてくれるのを、心から願った。
なぜか那波は水沢たちといつも一緒にいる。
(なんであんなヤツらと……)
学校の中でも、浮いた存在。
彼らは那波のように不登校なわけではなく、毎日学校に来ていて、それも人の通るような場所にわざわざたむろして大騒ぎしていた。
(はあ……ホントに余計なこと言わないでほしい……)

那波に、私の気持ちがバレるのはイヤだった。
――― だって絶対叶わないから。
叶えるつもりもなかった。
だから、告白するつもりなんて全くない。

那波とはいつも憎たらしい会話ばかりしていたけれど、私の中の彼の存在っていうのはまるで雲の上のように遠いところにあった。
私にとって恋愛そのものが、雲の上。
自分の手が届くようなものじゃ、なかった。



『部活に復活できないか、花帆からも一言聞いてみてくれ。最近仲いいみたいだしさ』

(別に、仲良くないし…)
いとこのカズくん…学校では数学の比留川 通称ヒル、から夜にメールが来た。
あれからカズくんと那波は何度か話をしたらしい。
辞めたい那波に、なんとか繋ぎとめたいカズくん。
(アイツ、そんなに運動神経いいのかな…)
今までの那波がどんなヤツだったか、正直私は全く分からない。
情報を収集しようにも、先日の水沢みたいに変に勘繰られるのがオチだ。

那波が本当はどんなヤツか知らないまま、ただ私の目に映る彼の姿だけを心で追っているだけでもいい。
例え彼の一部しか分からなくても、私は那波のことを好きだと思った。
その恋心は自分だけのもので、誰にも言わず秘密にして、そっと持ち続けていたいと思っていた。

「あっ、待って!」
帰り際 すぐに教室を立ち去ろうとする那波を、私は引き止めた。

「ねえ、………あのさ」
何て言っていいのか分からなかった。
そもそも、バスケ部のことなんて何にも興味がないのだ。
「なんだよ」
「えっと…」
「………」
立ち上がりかけた那波は、私の神妙な様子を見て察したのか、机に座って私の方を真っ直ぐに見た。
ちょっとドキドキしてしまう。

「しつこくって悪いけど……、また比留川 先生から言われて」
「………部活のこと?」
那波はうんざり、といった顔をした。
「比留川 先生は、相当那波のこと気に留めてるんじゃないかな?…じゃなかったら、私にも言わないと思うし」
「あいつにはちゃんと話したけど?」
浅く腰掛けた膝が動く。イライラしているのだ。
「……そうだよね…、比留川 先生には、」
そこで私の言葉を遮って、那波が言った。
「あいつ、女 使って説得しようとするなんてさ、男らしくないよな」
短い髪をかき上げてから、何度も自分のうなじを触る。

心底嫌だ、という表情で那波は独り言のように言う。
「ムカつくよな、だから部員からも信頼されねーんだよ、アイツ。いっつもヘラヘラしててよ」
那波のカズくんへの暴言は続いた。
「おせっかいだっての、大体やり方がセコくね?お前にいちいち伝言したりして。
直接言えねーんなら、言うなっての。すげーー迷惑」
「ちょ、ちょっと……言い過ぎじゃない?」
身内の血が騒ぐ。
さすがに私もムっとしてきた。
(確かにカズくんのやり方はセコイ。だけど、そこまで言うことないんじゃない?)

「心配してるんだって、比留川 先生なりに」
「……心配??これが?……ぶっちゃけウザイだけ」
那波はまだうなじを触ってる。
「2年になって急に学校来なくなって、…みんな心配してたんだよ!」
声が大きくなりそうになるのを堪えた。
「関係ないじゃん、みんなって……お前こそ何言ってんだよ」
「あんな友達と付き合ってるし、那波だったらもっと…」
「あんなって?」

那波がこっちを見た。
氷みたいな目で、すごく怖い。

「それ、どういう意味?」
「…そうじゃなくって…あの…」
那波が怖くて、私はしどろもどろになってしまう。
水沢の事があって、つい出てしまったその一言。
(どうしよう……そうじゃなくて…)
素直に謝ればいいのに、その言葉も思い浮かばない。

「………お前に何がわかんの?」

ただでさえキツイ目つき。
それでも普段の那波は穏やかだったから、あんまりそんな風に思わなかった。
だけど今の彼は、本当に怖い。
そのキツイ目で、思い切り睨まれた。

ガタンッ!

大きな音を立てて、那波は座っていた机から立ち上がる。
その後私の方を全く見ずに、黙って足早に教室を出て行ってしまった。

(ヤバイ……どうしよう、怒らせた…)

イヤな動悸が全身を巡った。
那波が怖かった。
言ってはいけない事を言ってしまった。
水沢たちだって、那波の大切な友達なんだ。

カズくんをボロボロに言われていた事も頭から飛んだ。
(どうしよう……謝らなきゃ……)
自分の発言を後悔した。




那波は来ないかもしれないと思っていた次の日、予想に反してアイツはちゃんと学校に来た。
一言も口をきかず、私の方を見もしなかった。
(怒ってる……)
私も話しかける事ができず、彼の方を見ることさえできなかった。
また、あんな目で見られたらと思うと、思わず気持ちが竦んだ。

固い空気の壁が、私と那波の間にあるみたいだった。
重たくて苦しくて、普段の那波を思い出して泣きたくなってくる。


結局何も言えず、放課後になってしまった。

電車を途中下車する。
(謝らなくちゃ……このままなんて、イヤだ…)
私は意を決して、那波の家に向かった。
  

 

ラブで抱きしめよう
著作権は柚子熊にあります。全ての無断転載を固く禁じます。
Copyrightc 2005-2017YUZUKUMA all rights reserved.
アクセスカウンター