「ヤバイっ!!今、何時??」
目覚ましのアラームはまだ鳴っていない。
時計を見ると、朝の6時。
学校に行く用意をするのには、十分余裕があった。
「えええええ、ウソでしょう…」
あわてて飛び起きて、携帯電話を握りしめる。
那波からの着信が何度もあった。
昨晩、9時過ぎに私が送ったメールの返事は、こうだった。
『バイトが終わったら電話するから』
(電話…)
しつこいようだが、私は男子と付き合ったことがない。
だから、こんなメールだって初めてだし、電話だって初めてだ。
夜に、彼氏から電話がかかってくる、こんなシチュエーション、まるで夢みたいだった。
(どうしよう〜〜、どうしよう〜)
ドキドキして、何も手に付かなくなる。
私は那波からの電話に、万全に備えるために、歯磨きもしてベッドに入り、携帯を握りしめて待っていたのだ。
待っていたんだけど………
気付けば、朝になってた。
那波から、メールも来ていた。
『もう寝たんだろう?遅かったしな。おやすみ。また明日学校でな』
それだけ。
付き合うことになって、アドレスを交換して、『彼氏との電話、初デビュー!』のはずだったのに。
(ああ…)
実際に、那波から来たメールは3通。
1通は昨日学校でもらって私が無視した帰りのお誘い。
2通目は電話するからってだけの1行。
3通目は、あきらめたような口調のおやすみメール。
2通目と3通目の間には、何件もの彼からの着信。それも無視しちゃった。
(ああ…ダメだ。私…)
自分が情けなくなる。
やっとできた彼氏を、自分から逃してしまいそうな気がした。
朝の6時台だっていうのもお構いなしに、私は那波にお詫びのメールを送った。
優しい時はすごく優しいけれど、アイツは機嫌の悪い時も多い。
教室にいて、黙って座っているだけですごくコワイ感じがする時だってある。
(また怒らせちゃったかなぁ…)
一刻も早く那波に謝りたい。直接顔を見て、ちゃんと。
まだ涼しい朝の教室、私は窓を開ける。
学校には、いつもより早く着いてしまった。
ソワソワしながら、那波が来るのを今か今かと待っていたのに、1時間目が始まる時間になってもアイツは来ない。
(まさか、またサボリ…?)
こんなことがきっかけで、アイツがまた学校に来なくなったらどうしようとか、ひたすらにマイナスの発想が頭を駆け巡る。
那波にいつか貸した可愛いシャーペンを握っては、また戻し、じっと見つめた。
そうこうしているうちに、1時間目が始まってしまう。
2時間目の授業も過ぎて中休みが終わるギリギリの時間に、アイツは遅刻してきた。
「お、おはよう…」
私は恐る恐る声をかける。
遅刻してきたくせに、那波の髪はいつもよりまとまっていて、心なしかサッパリして見えた。
チラっと私を見た目は、普段の那波と同じで、キツイ。
「別に寝ちゃっててもいいけどさ」
ムっとした声。
やっぱり怒ってるみたい。
「早朝にメールってなんだよ。あれで起こされて2度寝して起きれなかっただろ」
「…もしかして、それで遅刻??」
「うるせえ」
無造作に立てた前髪を触って、那波は不機嫌な声を出した。
大して会話をする時間もなく、次の授業が始まってしまう。
昨日のことは怒ってなかったみたいなのに、今朝のことで怒ってる。
複雑な気分になったけれど、とりあえず顔が見れて良かった。
しばらくすると、那波が私の方に手を伸ばして、机にグチャっとした紙を置いた。
(何?)
開いてみると、『昼休み始まったらすぐ、現文研の部室に来い』と、書いてあった。
(げんぶんけん?)
ピンとこなかったが、確か現代文学研究部というのがうちの高校にはあった。
と言っても、誰が所属しているのか分からないし、そもそも怪しい生徒たちのたまり場になっているらしいところだ。
横に座っている那波を見ると、相変わらずキツイままの目で念押しするように私をにらんでくる。
(ああ、何だろう)
那波について、私は分からないことばかりだ。
休み時間にはどこで何をしているのか、普段友達とはどんな話をしているのか。
色や食べ物の好みも分からない。
私は自分の右側にいる那波の気配を右半身で思い切り感じながら、那波のことを想像する。
もし今時間が止まってくれたら、今すぐにでも真っ直ぐに彼を見つめたい。
誰にも邪魔されず、那波にも気付かれず、ただ黙って彼を観察したい。
そう考えただけでドキドキしてくる。
昼休みが近づいてきたせいもあったのかも知れない。
「
あれ?花帆、どこ行くの?」
お弁当袋を握りしめて教室のドアへと向かう私に、友達が声をかけてきた。
「あ、ごめん。今日はちょっと用事があって」
「へー?何の?」
大して気持ちも入っていない様子で、他の友人も割って入ってくる。
「説明すると長くて…、急いでるから、また後で!」
不思議そうにしているクラスの友達を振り切り、私は足早に廊下を進んだ。
早く行かないといけないような気がして、実際急いでいたのだ。
(遠いじゃん!現文研!)
一旦校舎から出たプレハブを上る。
文化系の部室が続く2階の、奥の方にそれはあった。
途中、いかにも文化系の人たちとすれ違った。
彼らはこういうところで昼休みを過ごしているのか。新たな発見だ。
「あの〜」
ドアの横にあるプレートを確かめて、恐る恐る私はドアを開けた。
「よお」
携帯をいじっていた手を止め、私を見た那波は、ものすごく普通の様子でそう言った。
狭い部屋に、彼一人。
奥に窓があるけれど、背の高いロッカーで半分が塞がれていた。
なぜかジャージが脱ぎっぱなしで散乱していたり、相当に散らかっている。
恐らく女子部員はいないのだろう。
そもそも、那波たち集団以外、この部屋を使っている人はいないと思う。
「向こうゴチャゴチャしてるから、隣座れば」
「う、うん…」
静かだった。
1階は運動部の部室が続いていて、声が遠くに聞こえる。
このフロアは静かだ。でも、この部屋はもっと静かだ。
「えーと、色々とごめんね」
まずは言っておかないと。
ちゃんと謝らなくてはと思っていたのだ。
「本当にごめん。気付いたら朝で…それで、『あっ』て思って、すぐメールしちゃって」
言い訳も何も思いつかなかった。
私は、昨晩から今朝のことを正直に言った。
「いいよ、別に」
さっきは機嫌が悪そうに見えたのに、今は至って普通だった。
那波はリラックスしていた。
「とりあえず、腹減った」
そして、机に置いていたコンビニの袋から、菓子パン1つとおにぎり3個を出した。
それとペットボトルのお茶。
「学校ではコーラじゃないんだ」
「すぐぬるくなるじゃん」
ガサガサとビニール袋を開けていく那波。
私もお弁当を出した。
「おー!弁当!豪華じゃんー。お母さんに作ってもらってんの?」
「違うよ。 自分で作ってるの」
「へー、すげえな。もしかして、お前ってやればデキル奴?」
「・・・」
私はただ那波をにらんだ。だけど彼は気にしてないみたい。
「すげー、うまそうじゃん。すっげー」
スゲーって、あんまりしつこく繰り返すので、私は言った。
「何よ、・・・食べたいの?そのおにぎりと交換しようか?」
「え、マジで?いいの?」
冗談で言ったつもりだったのに、那波は嬉しそうに答えた。
ほとんど詰めただけのお弁当で恥ずかしかったけど、私は那波と交換した。
「うまいうまい、やっぱり手作りはいいよな」
那波が本当に美味しそうに食べているので、私はホっとする。
(そういえば・・・)
彼の家は両親が離婚しているらしいから、母親がいない。
そのあたりの細かい話は知らないけれど、普段の食事とかってどうしているんだろう。
気になったけれど、聞く勇気が出なかった。
(そうだ・・・)
那波に言っておきたい事があったんだ。
「あ、あのさ・・・き、昨日、寝ちゃって、ホントにゴメン」
「だからいいって、その事はもう」
彼はすごい勢いでお弁当を食べ、もうちょっとで終わりそうだ。
「あー、あ、あのね・・・」
とりあえず、私も食べよう。
那波ほどの早さじゃないけど、無言でも許されそうだから、私も頑張って早く食べた。
「ごちそうさまー。さっき、何か言いかけてなかった?」
食べ終わった那波が、ペットボトルの蓋を握りながら言った。
「ああ・・・あのね・・・」
「うん」
那波の視線を感じる。
私は横にいる那波の方を見れない。
学校なのに二人きり。
彼はすぐ隣にいた。
教室でだって隣だけど、この状況とは全然違う。
急に緊張してくる。
「ひ、・・・引くかもしれないけど、その、あの・・・」
「何」
そう言う那波の方をチラっと見たら、思ってたよりもこっちを凝視してて、私は焦る。
「私、その・・・誰かと付き合うのって初めてで」
「へー、そうなんだ。意外」
(意外?)
ちょっと引っ掛かったけど、私は続けた。
「だから・・・その、色々と慣れてなくって・・・男の子とまともに二人で話した事もほとんどなかったし」
「その割には、オレんとこ来て、言いたい事言ってたじゃん」
「それはー」
顔を上げると、改めて那波との距離の近さを感じる。
「それは、用事があったから・・・。と、とにかく、付き合うってどうしていいか分からなくって」
「いいじゃん、分かんなくっても。オレが教えてやるし」
そう言うと、那波の手が私に伸びてくる。
私は反射的に、イスごと体を引いた。
「なんだよ、逃げんなよ」
「だ、だからっ!あんたにはちょっとした事でも、私にとっては大変な事なの!」
教室での普段の距離ぐらいまで、ジリジリと私は下がった。
「エッチまでしたのに?」
「!!」
改めてそう言われると、本当にしたんだなと思ってくる。
だけど、その時の事がどうしても思い出せない。
脳が、思い出すのを嫌がってる。
「じ、じ、じ、・・・実は私・・・、その事・・・あんまり覚えてないの」
「ウソだろ?…初めてだったのに?」
「・・・」
普通、こんなのって信じられないよね。だけど本当に実感が無かった。
「わ・・・悪いけど、全然覚えてないの」
「何、それ?記憶喪失かよ?」
那波が眉間にしわを寄せる。
「しちゃったのかなっていうのは、何となくだけど。でも、何があったかとかは・・・その、頭が真っ白で」
「…ああ、反応薄かったもんな」
そんな風に具体的に言われると、ホントに死にそうに恥ずかしくなってくる。
「ちょ、ちょっと、お願いだから、もうこの話はしないで」
「何で?」
「恥ずかしいから!」
「ふーん」
「!」
那波が唐突に私の手を握ってきた。
「ちょっと…学校なのに」
私はさっきよりイスを引いて、それと同時に那波の手から逃れる。
「面白いな、お前の反応」
那波は机に肘をついて、ニヤニヤ私を見てる。
「その…私、男の子と付き合った事がないから」
「うん?」
緊張している私とは対照的に、那波はリラックスしてて楽しそうだ。
こんな自分がホントに嫌になってくるけれど、しょうがない。事実は事実だ。
「こうやって2人で話したりとか…、メールとか…電話とかも男子としたことが無くって」
「マジで?」
那波は今日1番のリアクションを見せた。
「だっ…だから…、異常に緊張しちゃうし…今もしてるし…。
色々と、ちょっと…おかしな事しちゃっても…大目に見て欲しいというか」
言葉通り、私はものすごくドキドキしてた。
最近は学校に来ただけでドキドキして、那波が隣に座っている時はもっとドキドキして、2人きりの時は更に更にドキドキしてた。
「えっ…」
那波にキスされた。
あの時以来の、キス。
私は、座っているイスごと床に抜けそうなぐらい、ドキドキが激しくなる。
「………」
「顔、すーげー真っ赤」
そう言いながら那波は私の頬を触る。
息が止まっているのか、逆に激しくなっているのか、よく分からなかった。
自分の体のコントロールができない感じ。
予鈴が鳴る。
その音で、突然我に返った。
「も、戻る…」
それだけ言うと、私は立ち上がって部屋を出た。
廊下に出た、すぐそこに、那波の悪友たちがたむろしていた。
めっちゃ見られてる。
ますます恥ずかしくなった。
ほとんど走って、私は教室まで戻った。
「で、今日はどうしたの?花帆」
教室で、普段ならランチしていた友人たちに声をかけられる。
「えっと…」
私の態度はおかしかったと思う。
「何?何かあった?」
その中でも一番親しくしている智子が心配そうに言った。
「どうしたの?」
絵美香が私の顔を覗き込む。何だか見透かされていそうで怖い。
「は、話すと、長くなりそうだから…」
私が言いかけた時だった。
「はい、忘れ物」
那波が私のお弁当の袋を、机にポンと置いた。
友人たちの視線が一斉に那波に向けられる。
そしてその後に私に返ってくる。
「えっ、何…?なんで?」
絵美香をはじめ、周りの友人たちが驚いて私と那波を見た。