もっと、いつも

★★ 11 ★★

   

若林の事が気になって、次の日は早く目が覚めてしまった。
ゆっくり準備をしても、いつもより余裕がある。
仕方がないからオレは普段より早く家を出た。

あいつはまだ来ていなかった。
そもそも、あいつがどのぐらいの時間に登校しているのかをオレは知らない。
廊下で友人たちと話をしていたが、あいつは通り過ぎなかった。
普段オレが登校する時間を過ぎても、あいつは来なかった。
さすがに心配になってくる。
(大丈夫かよ…そもそもあの後、ちゃんと家に着いたのかよ)
窓の外を見るふりをしながら隣の席を気にしていたら、あいつは始業ギリギリに入って来た。
ダッシュしてきたらしく、オレには目もくれずに自分の席になだれ込む。

「はあ…はあ…」

(マジで走って来たのかよ…)
隣の席で息を切らしてる若林を見てたら、あいつもオレを見た。
オレ、というか、正確にはオレが飲んでるペットボトルに目がいってた。
「もしかして、飲みたい?」
無言で頷く若林に、オレは飲みかけのペットボトルを渡した。
「ありがと」
若林は受け取ると、呼吸を整えながらそれに口をつける。

(なんだよ、普通じゃんか)

オレはちょっと拍子抜けした。
(女ってわかんねえな…)
昨日、若林がオレの部屋を飛び出してから、オレはずっと考えていた。
かなり衝動的だったとは言え、あの時オレは確かに若林にキスしたかった。
さらに衝動的だったが、押し倒してヤレたのはオマケみたいなものだった。
だから余計、オレの中で引っ掛かっている。

昨日の若林は簡単過ぎた。

オレに対する若林からの好意とか、それまで特に感じていたわけじゃない。
普通の、単なる同じクラスの女子で、最近よく話すぐらい。
派手で目立つ女じゃない。まあ、何となく地味な普通の女だ。
彼氏がいそうな雰囲気もない。
突っつけばすぐにムキになるあたり、いかにも男慣れしてないのが分かる。
それに説教くさいし、真面目そうだ。
そんな若林が、簡単にオレみたいな男と、あんな風になるなんて。

実際にオレの下にいた若林は可愛かった。
確かに可愛いと思った。
でもなんだか別人みたいで、昨日あんな事があったっていうのに、隣に座る若林が普通過ぎて、余計に実感が湧かない。

(どういうつもりだったのか…)

若林が何を考えているのか、気になる。
だけど同じ言葉をもし若林から言われたら、オレは何て返すんだろう。

その日は全然しゃべらずに、終わった。
次の日も、挨拶したぐらいで終わった。
考えてみれば、普段からこんな感じだった。
特に気にかけてもいなかった。
何か用事が無い限り、雑談したりするような感じでもなかった。
普段どおりと言えば普段どおりだった。
特にしゃべるわけでもなく、特に目が合うわけでもなく…。

だけど、あの事があったっていうのに、何のリアクションも無いっていうのはどういう事なんだ。
話すきっかけも無いから、オレはふと若林をじっと見てみた。
あいつはオレの視線に気づかないふりをしてるのか、それともマジで全然気が付いてないのか、とにかくオレの方を全く見なかった。
こんなもんと言えば、こんなもんなのかも知れない。
元々、こんな感じだったんだろう。

隣にいるのに、全くオレを意識する素振りを見せない若林に、ちょっとイラっとする時もあった。
まるで無視みたいな若林の態度。オレはいつも隣のこいつを気にしていた。
(やっぱり怒ってるんだろうな…真面目だし)
そんなモヤモヤした自分も嫌だった。
ちゃんと話したいと思った。
携帯番号とかメアドが分かってたら連絡もできるのに、それも知らなかった。
考えてみれば、オレと若林をつなぐものって何も無かった。

きっかけが掴めないまま、何日も過ぎた。
若林にとってのオレが空気みたいになりそうで、あの日の事が完全に無かった事になりそうで、オレは焦ってきた。
若林の事ばかり気になって、そのせいかちゃんと学校にも行くようになっていた。

そうこうしているうちに、夏休みまでカウントダウンできそうになってた。
モヤモヤしているのにもいい加減バカらしさを感じて、オレは若林と話す事にした。
何を話すかなんて、考えてなかったが、とりあえずしゃべり始めればなんとかなるだろうと思った。

若林がどこの駅で降りるかは分かっていた。
オレは学校を早く出て、駅で彼女を待った。

意外にすぐ、若林は来た。
真面目な女で良かったと俺は思う。
歩く若林の後ろに、オレはついていった。

多分160ぐらいの身長に、肩までの適当にレイヤーの入った黒い髪。
細くも太くもない、だけど華奢な感じの体型。
こんな風に近くで眺める事もなくて、オレは若林をしばらく観察してから、声をかけた。

久々の若林は、めちゃくちゃ不機嫌だった。
「何してるの?」
キツイ目でオレをにらむ。
(やっぱ、怒ってるじゃん…)
「はあ…」
オレはため息をグっとこらえた。
「怒ってるんだろ」
そう言ったオレに対し、若林はちょっと驚いていた。

「怒ってないよ」
「ウソだろ」
「怒ってないって」
「だってお前、オレのこと全然無視じゃん」
ガキみたいな言い方になって、オレはちょっと恥ずかしくなる。
若林は一瞬困ったような表情をして、その後はいつものようにムキになったみたいな口調に変わる。
「無視してないよ」
「………」
「ごめん……怒ってないし、無視もしてないよ」
若林はもう不機嫌じゃなくて、普段の、人に気を遣ってる時の雰囲気になってた。

「怒ってないよ、そう思ってたら……ごめん」
オレを見て、なぜか若林は笑ってた。
バカみたいだが、オレは心からホっとした。
あの事が『悪い事』だとしたら、『悪い事』をしたのはオレだ。
若林とそういう関係でも無いのに、衝動でヤったオレは確かに良くはないだろう。
「オレこそ ………………、ごめん」
そう言いながらも、オレはやっぱり自分が悪いとは本気で思えずにいた。
あれは、絶対『悪い事』じゃなかったから。

不思議なもので、本人を目の前にすると、今まで自分の中でモヤモヤしてた気持ちとか、教室の中で隣の席同士で悶々としていた雑念とか、そういう事が飛んだ。
若林の笑顔を見た一瞬で、全部がバカらしい事みたいに思えた。
感覚が、理屈や理由を超える。

若林はオレの事を嫌いじゃない。
オレは若林が好きだ。

オレは若林と手を繋いだ。
「な、何で?」
オレの手の中の、若林の手が固くなる。
「怒った?」
「ええ?えっと…別に、お、怒ってないけど」
そう言う若林が小動物みたいで、可愛い。
(なんだよ、可愛いじゃんか)
やっぱり可愛かったんだなと、なぜか不思議に納得する。
「じゃあ、こんな感じで」
とりあえず、オレは若林と付き合おうと思った。
オレに一方的に決断されてる若林を思うと、面白くなってくる。
「やっぱり、怒った」
若林は唇をとがらせる。
(全然、怒ってないくせによ)
オレはこいつといると楽しかった。


付き合い始めてからの、若林の男慣れしなさ過ぎから来る挙動不審さは、かなり面白かった。
メールとか電話を無視されるという実害もあったが、おおむね新鮮で、そんな若林の失態もオレの中では可愛さに変換されてた。
男と全然付き合った事が無いって言ってたけど、マジか。
口うるさいし、真面目だし、男に敬遠されてしまうっていうのは何となく分かる気もしたが。
でもオレにとって、何もかもが初めてというのはすごく嬉しい事だった。
男なら、いや、女でも、相手が自分以外誰も知らないというのは嬉しいに違いない。

初めて休みの日に出掛ける約束をした。
きっとあいつにとっては『初デート』なんだろうなと思うと、自然とニヤけてくる。
本当はすぐにでもうちに呼んで、押し倒したいが、まあ、若林に付き合う事にする。

「おはよー…」
私服の若林を初めて見た。
意外にも女子っぽい趣味で、普段の制服姿よりもずっと良かった。
制服だと真面目で目立たない感じだが、私服だと普通に可愛い女子高生って感じだった。
予想よりも可愛い彼女を見て、オレのテンションも上がる。

外を少し歩くだけでも暑くて、おまけに天気も超良くて、オレはすぐに汗だくになってしまう。
デート以外で絶対来る事はないであろう、某タワーに入って、オレたちは休む。
冷房がちょうどいい感じに効いていて、ずっとここにいてもいいかもとオレは思う。

「那波ってさ、すごくモテそうなのに、なんで私と付き合おうと思ったの?」
唐突に聞かれた。
「なんでって…」
(何か勢いでヤっちゃったからって言ったら怒るだろうな)
あれは単にキッカケだ。
適当にごまかそうかと思ったが、真面目な若林の真面目な問いかけに、オレも真面目に答える事にした。

「可愛いじゃん?」

「……」

若林はオレをじっと見つめたまま、みるみる赤くなってく。
(大丈夫かよ)
こっちが心配になるぐらいに赤面していって、なのにオレを見てる。
その目はだんだんウルウルしてきて、何と言うか…。
耳まで真っ赤になってる彼女の中に、キラキラした何かを感じて、その瞳に引きこまれそうになる。

「おいおい、おい〜」
オレは我に返って、若林の頬をつついた。
「もおっ」
フルフルと肩を揺らして、泣きそうな若林は一瞬顔をクシャっとさせる。

(やっ……べー)

オレまで一瞬震えそうになる。
今のは犯罪的に可愛かった。
彼女だけを見て、その場で押し倒してヤっちゃいたい衝動にかられた。
こんな所でそんな事をしたら、それこそ犯罪だ。
全くの無意識で、潜在している魅力を全開でぶつけてくる。
(やべーよ…、若林…)
多分、フェロモンってのを可視化できたら、若林の全身からオレに向けて渦みたいなのが向かって来てるんだと思う。
『初デート』というプレッシャーを思い出し、ヤりたい衝動を懸命に堪える。
夏の汗と同じぐらいに体に貼りつく煩悩と戦いつつ、オレはなんとかその日をやり過ごした。


一度、フェロモンに気付いてしまうと、若林のちょっとした仕草にさえ、それを感じてしまう。
教室の中、隣の席で普通にしているだけなのに、ちょっと向けるオレへの視線でさえ今までと違っていた。
それは気のせいじゃなくて、多分、本当に変わっていたんだと思う。
オレの目に映る若林は、確実に変わった。
若林にとってのオレの存在も、以前とは全然違うんだろう。

「メモできる紙とか、何かねえ?」
「ああ、こんなのでいい?」
若林は自分の手帳から1ページを切った。
紙をつまんで破って、オレに伸ばすその手を見ていると、そのまま引っ張って抱きしめたい衝動にかられる。
(ああ、やっべー…)
付き合ってるのに、何でオレこんなに悶々としてるんだ。

「なあ、オレんち寄っていかねー?」
学校から一緒に帰る道で、何気なく提案してみる。
「ええ〜、…ヤだ」
明らかに警戒されてる。
「何でだよ、何もしねーから」
「ええ〜〜〜」
若林が話を適当に流そうとしているのが見え見えだった。
色んな事に慣れていなくて、まだダメだ、みたいな事を前にやんわりと言ってた気もする。


あの時の事を、ほとんど覚えていないという若林。
人形みたいに無反応で、今の彼女から考えると、やっぱりあの時は別人のようだった。
だけどオレはハッキリと覚えている。
だから余計に、妄想じゃなくて実感で、若林を思い出してしまう。
(あ〜〜もう、何なんだよ)
彼女がいるっていうのに、今までに感じた事がない程の衝動を持て余していた。

隣にいるだけなのに、若林は空気の色まで変える。
オレはそれに手を伸ばしたくてたまらない。


「拓真は休みどうすんの?あの彼女とベッタリしてんの?」
さらに髪を明るく染めた龍大が、オレの前を歩く。
「さあな…。まだ分かんねえ」
確かに彼女とは過ごしたい。
だがあのフェロモンに、オレはいつまで耐えられるか。
(上手い事、何とか…)
下心ばかり渦巻く。
若林が純粋な分、自分が猛烈にブラックになった気分だ。
もう、1学期が終わる。
 

 

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