もっと、いつも

★★ 19 ★★

   

突然あいつがうちに寄ってくれて、超意外な事にオレの友達に馴染んで楽しそうにして帰って行った。
そういうのって、まあ、嬉しいんだけど…オレは複雑だった。

「花帆って地味だけど、結構普通に遊んでくれるよな」
買ってきたコンビニの弁当をソファーの横で食べながら、龍大は言った。
「地味って言うな」
オレは不機嫌なのを抑えたかったが、声に出る。
「拓真の彼女と初めてマトモに喋ったけど、オレは結構好き」
鬱陶しかった前髪を切った潤は、1学期の時より爽やかに見える。
透也も相当軽いが、大人しそうに見えて実はコイツが一番女癖が悪いし、モテる。
(好き、とか普通に言うなよ)
こんな事、声に出したら絶対、嫌ってほど冷やかされるのが分かってたから言うのをやめた。

結局あいつは先に帰って、適当に買ってきた夕飯を野郎3人と一緒に食った。

龍大は、あいつの事を『花帆』って呼ぶ。
まあ、龍大はいつも女友達の事を名前で呼び捨ててるし、自分の名前も同じように呼ばせてる。
あいつも、『龍大くん』って呼んでた。
それだけじゃなくて、透也まで『透也くん』だったし、透也の方も『花帆ちゃん』って言ってた。
そうじゃなかったのは、あいつとこれまでそんなに接点の無い潤だけ。

(オレも細かいな…)
『花帆』か…

オレは完全にタイミングを逃してた。
大体、ある程度仲が良くなってから名前で呼ぶとか、イチャつき始めたタイミングで呼ぶとか、そんな感じだと思う。
そもそもあいつとは、色んな順番がおかしかった。
好きだとか付き合いたいとか、そう思う前にオレが押し倒してしまった。
かと言って、それまで仲が良かったかと言うと、そうでも無い。

(言いやすいんだよな、若林って響きが…。長いけど)

だが今日、改めて、
オレの周りが『花帆』って読んでるのに、オレが『若林』って呼ぶカッコ悪さを思い知った。
おまけに、あいつが他の男を名前で呼ぶのが嫌だ。
いや、別に嫌じゃないのだが、オレだけ『那波』って言うのも…。
他の奴らには名前+くん付けで、オレは苗字呼び捨てかよ。
(いやいや、オレ、細かいって…)


風呂から上がって、1人の家でテレビを見ながら考える。
バイトが無い日は、いつもこんな感じだ。
「バカだよな…」
親父は残業なのか付き合いか分からないが、今日も遅いんだろう。
(斜め前の席なんだよな…。あいつ)
オレが窓側だから、教壇を見るだけで自然にあいつの背中が目に入る。
白い腕とか…。
黒い髪を見てるだけで、あいつの匂いまで思い出せる。
(はあー何かオレ、悶々としてるんだよな)
龍大達がいたせいで、今日もエッチできなかった。
明日はバイトがあるし、そんなにゆっくりできる時間はない。
(バっとヤって…)
と、想像しかけて、そういうのって女は多分嫌がるだろうなと思った。
オレ自身、ただ出すだけのエッチなんかしても、ちょっと後悔しそうだ。
(あーあ…土日は親父がいる事が多いしな…)
教室での距離が半端に近すぎて、オレの妄想力だけをレベルアップさせていく。
ベッタリ過ごしてた夏休みとのギャップが激しすぎて、オレは肉体も精神も限界になりそうだった。
「はあ…『花帆』、か…」
(あいつ、花帆って名前だったんだったけ…)
「花帆」
ピンと来ない響き。
教室での若林を想像する。
こんなに学校に行きたいと思うようになるなんて、数か月前には全く考えられなかった。


太陽が作る影が濃い。
学校の廊下側から見える道路は桜並木で、セミの声をまだ響かせていた。
(ただでさえあっちーのに、うるせーな…)
そんな事を考えてた時、意外な奴から声をかけられた。
「那波」
「和久井…」
制服の着方を見ただけで、奴が真面目だっていうのが分かる。
廊下から教室の時計を見ると、昼休みはまだ15分あった。
「昼錬しねーの?部長だろ」

和久井はめちゃくちゃ日焼けしてた。
元々の精悍な顔が、ますます引き締まって見える。
「用件だけ言うよ。小津が怪我して困ってる」
「はあ」
「………9月の試合、お前出てみないか」
和久井の上からの物言いに、オレは思わず笑ってしまう。
「何言ってんだよ、オレ 、辞めるって退部の用紙も出したじゃん」
「オレが持ってる。前に話した時の事も分かってる。お前にこんな事言うつもりじゃなかったんだが…」
そこで和久井はため息をついた。
「こんなとこで言うことじゃないが、オレはまだやっぱりお前に戻って欲しいと思ってるよ」
和久井は、以前のようにオレを責める口調でもなく、淡々としていた。
本音を言っているような気がした。
(なんでだよ…)
オレが入ったところで、正直大して戦力になるわけじゃない。

「和久井はオレを買いかぶり過ぎてる」
「そうか?」
「そうだ」
オレが部活に行かなくなってからも、学校を休みがちになってからも、和久井は結構オレに声をかけてくれてた。
ちょっと前は、本当にどうでも良かったから、そんな和久井の厚意もただ鬱陶しいだけだった。
でも今は、オレも分かる。
結構心配してくれてたんだってこと。

「ぶっちゃけて言うよ。小津が怪我で間に合わない、来週の試合だけ、出てくれよ」
「嫌だよ。部員、他にもいるだろ」
「1年で上手く繋げる奴がいないんだよ」
「無理無理、悪いな。ホント、役立たずでわりー」
オレは教室に戻ろうと、和久井に背を向けた。

「那波」
「なんだよ」

「もう、3年は全員引退したぜ」

和久井がじっとオレを見る。
言おうとしている事は分かってた。


昼休み中に教室に戻るなんて、オレとしては珍しい。
まだ時間のあるから、いないやつの方が多かった。
自分の席へ真っ直ぐ向かい、イスを引いてダラっと座って足を広げる。
校庭ではこのクソ暑い中、まだ野球部が自主練しているのが見えた。

友達と話しながら、若林が席へ戻ってくる。
そのまま、スっとオレの席まで来た。
「那波?」
「んー、何」
窓へ顔を向けたまま、オレは目だけ動かして若林を横目で見た。
オレと視線が合うと、彼女はそのまましゃがんで、オレの机に手を置いて顔をつけた。
予想していなかったその動作に、俺は思わず体を若林へ向け、ただでさえ引いていたイスをもっと下げてしまった。
後ろの机に、ガツンとイスが当たる。
振り返ると、後ろの席のやつはまだ戻っていなかった。
ホっとして若林へ向き直る。

「何かあった…?」
若林の、上目遣いの小声。

「ああ、いや、何でも無い…な、なんで?」
「うーん、何となく、いつもと違う感じがしたから」
「いや、なんもねーよ」
思わず前髪をかきあげて、若林から目をそらした。
「ふーん…今日、バイトあるんだよね?」
若林はまだそのままの位置から、オレをじっと見てる。
「……部屋で待ってるから、バイトまでいろよ」
「………」
すぐに返事が無かった。
(今日も都合が悪いのかよ…)
結構凹みかけたその時、彼女が恥ずかしそうに小さく頷く。
いつもみたいに、白い肌に頬を真っ赤にして、若林は立ち上がって友達の方へ去って行った。

(何だあれ、ヤバイ、かわいい……)

まず上目遣いがヤバかった。
それからあの声も。
2人きりの時でも、ものすごくたまにしかでない、甘えるように話す声を思い出した。
(何だよ、あの、間……)
若林は時々、わざとやってんのかと思うような『間』を作る。
まあ、絶対わざとじゃないんだが、素で猛烈に可愛い瞬間がある。
(何だよ……)
ガラにもなく、ドキドキしてくる。
教室だってのに。

オレは机に突っ伏して、寝た。
さっき和久井に話された事も、若林のせいで飛んだ。



帰りの挨拶が終わると、オレはダッシュで学校を出た。
若林が来るまでに、この汗だくな状態を何とかしたかった。
家についてすぐ、制服を脱いだ。
(あー…、生き返る〜…)
冷房ガンガンの部屋に、熱いシャワーを浴びた体で入る。
Tシャツに短パンで、ミネラルウォーターを一気飲みしていた時に、チャイムが鳴った。
「いらっしゃい」
オレはドアを開けながら、店みたいだなと思う。
「わー、涼しい〜〜。今日は特に暑かったね〜」
若林の前髪も、汗で濡れていた。

「………って、えっ…」
「………」

学校から、いや、もう昨日から、違う、一昨日から。
ずっとキスしたかった。
オレが若林の事が好きなのはもう確かな事で、それを否定するつもりは無いが、それにしたって、何でこんなにキスしたくなるんだろう。

若林が崩れて、背中がドアにドンと当たる。
「大丈夫か」
「………い…いきなり…えーっと、ちょっと…」
彼女の腕を引っ張って、玄関から上げてやる。
「お…おじゃまします…」

リビングに入ると、若林は握りしめていたハンドタオルで、また汗を拭いた。
顔が真っ赤だった。
(すぐ赤くなるのが、いいんだよな…)
今日はしないでおこうと思っていたのに、体の反応は半端なかった。
最近は若林と2人になると、条件反射みたいにそうなってしまう。
教室であんまり若林の事を考え過ぎてもそうなるから、ヤバイ。

「そうだ、昼休み、何かあった?」
2人でソファーに座る。
並んで座ると嫌でも近いから、オレはどうしても意識してしまう。
「お前が可愛かった」
「えっ?ええっ?」
収まりかけた顔が、またみるみる赤く染まっていく。
(面白いよな…)
「いや、そうじゃなくて」
「…え、そうじゃないんだ?」
若林は両手で顔を覆いながら、口をとがらせてオレを見た。
「そうじゃなくて、…まあ、そうだけど」
オレは思わずニヤニヤしてしまう。
「もう、絶対からかってるでしょう」
「ははは、おもしれー」
声を出して笑ってしまった。
いちいち反応が大きくて、若林はホントに面白い。

「私の話はいいけど、何か、早目に教室に戻ってくるのも珍しかったし、ちょっと思いつめた感じだったから…」
「もしかして、心配してくれてた?優しーじゃん」
オレは手を伸ばして、若林の髪を触る。
「し…、心配って言うか。でもいつもちゃんと気にしてるよ!」
「お前が気にしてるのって……、ちゃんと、オレの事だけだよな?」
こいつは基本的におせっかいだ。
普通と違う事があるとすぐ気になって、ついひと言出てしまう、間違ったらウザイタイプの女子。
でもオレはそんなとこも、今は好きだ。
「那波は…、特別だから」

女の子なんだなって思う。
コロコロ変わる表情が面白いし、可愛い。
そんな姿を見て、オレは純粋に楽しいと思うし、同時にたまらない気持にもなる。

やっぱり、キスしてしまう。

不健全なのか、逆に健全なのか。気持ちからなのか、体からなのか。
すごいドキドキしてくる。
心臓の鼓動のペースで、オレの体から衝動が突き上がる。
誰にも邪魔されない部屋で、2人きりなのに。
ガマンしようと思っていた事自体が、急に馬鹿らしく思えてくる。

唇をつけたまま上に顔を傾けると、彼女のあごがオレのあごに当たる。
角度を変えて、キスを続けた。
この衝動を堪えて、こんな状態でバイトに行くのもしんどいとか、冷静に考える。
済ませたいとか、そういうんじゃない。
オレは自分の中から来るゲスい思考と戦う。

「はあっ…」

唇を離したのは、若林の方だった。
肩が大きく上下してた。
息が上がっている。
興奮してるみたいに。
汗ばんだ鎖骨が妙に目につく。

オレの頭はもう8割方、エロい欲求に支配されてた。
「なあ……、ベッド行ってもいい?」
しないつもりでいたのに、オレはさっき一応ベッドをちゃんと直しておいた。
全然行動が伴っていない。
「でも……私、汗いっぱいかいてるし…」
拒否されたら、やめようと思った。
ちゃんと、拒否されたら。
「オレは全然気にしないけど…」
「でも…、那波、何かいい匂いだよ」

(………何だよ)
オレは右手で若林の頬を撫でた。
「それって、どういう意味?」
「わかんない……」
微妙な会話の流れに、オレは目の前でお預けされた犬みたいに、待ちきれなくなる。
「お前はオレとしたいの?」
オレはハッキリと言葉にした。
断られたら、とりあえず今日はあきらめるつもりだった。
別に、彼女とそれだけがしたいわけじゃない。
オレはわずかな理性を奮い立たせる。
「………」
下を向いた若林は、しばらく黙って、言った。

「那波は…私のこと、好き?」

何回か、ちゃんと言ってるのに、時々そう聞かれる。
「何、お前、もしかして不安なの?」
「不安……?」
(また質問返しかよ)
若林の事が好きって事は、オレにしては、あからさまに態度に出てると思うんだけど。
友達からいじられるぐらいに。

オレは彼女の肩を押して、自分から離す。
ふいにできた距離に、彼女が戸惑う。
「那波…」

「花帆」

若林が一瞬、ピクンと反応した。

「おいで」
オレが手を伸ばすと、彼女はオレの胸に入ってくる。
ちゃんと、彼女の方から。
可愛すぎる彼女の、その髪にオレは頬を寄せた。


 

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