那波はバスケ部の試合に出て、その後はもう部活動には参加しなくなった。
それでも彼の中で一区切りついたようで、何か吹っ切れたみたいだ。
この前、教室でバスケ部の子たちと楽しそうに話しているのを見た。教室の中で、普通に笑顔で盛り上がっている那波って、このクラスになってから初めてかも知れない。
いつも居心地が悪そうにしていて、ほとんど教室にいなかった那波。
(うそみたい…)
あいつが普通にしているだけなのに、私まですごく嬉しくなってくる。
普通に学校に来て、普通に教室にいて、普通に友達と話している。
ただそれだけの事なのに。
「ねえ、那波って明るくなったよね」
私の前の席から、智子が言う。
「そうだよね、私も
そう思ってたとこ」
教室の隅で、バスケ部含む男子数名と話をしている那波を私たちは見た。
「やっぱり、花帆のおかげかなあ」
「違うよ〜…、バスケ部に一瞬でも復帰したからじゃない?」
部活に出てから、絶対に那波の雰囲気が変わった気はする。
その間、部活帰りに毎日のようにうちに来ていたせいもあって、彼はいつも礼儀正しい健康的な高校生っていう感じにふるまっていた。
(もしかしたらそのせいもあるのかな…)
もしそれが少しでもあるのなら、うちの母の積極性もグッジョブだったのかも知れない。
勿論、彼の変化はそれが原因じゃない事は分かってる。
今まで那波は人を避けて、近寄り難い雰囲気を自分からあえて出していたような気がする。
だけどそれがかなり無くなってきた。
(カズくんが言ってた、部活に出てた頃の昔の那波って、こんな感じだったのかも…)
私は1年の時の那波を知らない。
(ああ…、見たかった…)
油断して、後ろにいる那波をつい凝視してしまった。
目が合うと、ほんの少しだけ表情を崩してくれる。
もう、ホントに少しだけど、私には分かる。
そしてそれがすごく嬉しい。
「帰ろうぜ」
放課後、斜め後ろの席からすぐ那波が声をかけてくれる。
まだみんながいる教室。
前の席の智子が、ちょっとニヤけて私の方を見た。
恥ずかしかったけど躊躇する間も無く、さっさと那波は教室を出て行ってしまった。
今日はもう、廊下から一緒だ。
私たちが付き合っている事は同じ学年のほとんどの子が知っていたけれど、ツーショットで廊下を歩くとなると、また別だ。
部活を再開してから、那波はちょっと髪型が変わって前よりもナチュラルになっている。
夏休みによく一緒にいた那波は、自分の家ではよくシャワーを浴びていてその後そのままでいる事も多かったし、髪が自然になったと言われても、私から見るとあんまり違和感は無かった。
けれど、その髪型の女子ウケがすごく良いっていうウワサは聞いていた。
女子たちの視線は、先を歩く那波から、私へと移る。
カッコいい男子を見る目つきと、フツーの私を見る目と、全然違う。いきなりの落差。
(しかし女の子は露骨だなあ…)
那波と一緒にいるとよく思うけれど、ホントに那波は女子の注目を集める男だと思う。
だけど私も最近は、それにもだいぶ慣れてきた。
「ちょっと今日寄りたいとこあるんだけど、いい?」
「うん、大丈夫」
私は頷いた。
「別にネットでもいいんだけど、ちょっと実物確認したくて」
珍しい那波からの誘いで、私たちは少し都会の駅まで電車で行く。
電車の中から既に那波は私と手を繋いでくれていた。
(う、嬉しい…)
最近は親も学校でも公認って感じで、那波の行動に迷いが無い。
それがすごく『彼女』っぽくて、変だけどエッチする事以上に実感して感激してしまう。
学校でのちょっとした私への目線とか、態度とかにも。
同じクラスで本当に良かったと思う。
那波は洋服が好きだ。
女の私よりもずっと色々とこだわりがあるし、実際私よりもはるかにお洒落だ。
彼が見に来たのはTシャツで、私から見れば違いがあまり分からないシャツを、那波は手に取ってじっと比較してた。
男の子の洋服って全然興味が無かったけれど、真剣に色々とチェックしてる那波を見ているのが純粋に楽しかった。
「あー、喉渇いたし、どっか寄るか何か買うか?」
「うーん、ちょっと休憩しよ」
「お前に付き合ってもらっちゃったもんな…。じゃあどっか寄ろうか」
「うん。その前にトイレ行ってもいい?」
メンズのショップが多いこのフロアなら、女子トイレは空いてそうだな何て思いながら、私は化粧室へ向かった。
「えー、花帆じゃん!」
トイレで奈々央ちゃんとバッタリ会った。
いつ見てもすごくカワイイ。
「奈々央ちゃん!!すごい偶然だね!」
「花帆もここに来たりするんだー?」
「今日はたまたま拓真に付き合って来て…」
まだ言いなれない名前を、あえて呼んでみる。
学校ではやっぱり『那波』になってしまうから。
「たくま…?」
奈々央ちゃんの横で化粧をしてた女の子が、そう言ってこちらに反応する。
その子は眉間にしわを寄せて、私をじっと見た。
長い黒い髪、それを軽くフワっとさせている彼女は、奈々央ちゃんと同じく上級お洒落女子。
……なんでだろう、不思議。
直感ですぐに察知する。
「奈々央。もしかして、この子って…」
私の目の奥まで見てくるような眼力で、彼女は私を凝視してくる。
「拓真の彼女だよ」
奈々央ちゃんが困った顔で答える。
「そうなんだ。へ〜…。S高なんだ、いいね」
さっきよりは目つきは緩んで、私に話しかけてくる。
だけど性格はキツそう。
私はどう返事をしていいのか分からない。
だって絶対この子、那波の元カノだ。
「どうも…」
結局私はそんな事しか言えなかった。
(この子と付き合ってたんだ……)
出会ってしまった衝撃よりも、興味の方が勝ってしまう。
予想してたけど、すっごい可愛い。
もっとケバい感じの子なのかと思っていた。
髪が黒いのがまず意外だった。
小さくて、華奢。
(足、細いよ〜〜)
それに奈々央ちゃんに負けないぐらいの睫毛の持ち主。
「花帆、トイレ行くんだよね?」
奈々央ちゃんが言ってくれた。
「あ、そうだった。うん」
「じゃあ、またね。連絡するから〜」
ニコニコしながら彼女の背を押して、奈々央ちゃんは去ってくれた。
(ありがとう奈々央ちゃん…)
個室に入って気付く。
外に出たら、那波と会っちゃうよね…。
手を洗いながら、色々な事が頭をめぐる。
(まだ彼女、いるかな…)
と言ってここで粘っても、トイレが長すぎると何か気まずい。
私は仕方なく化粧室から出た。
通路で待っていたのは那波だけだった。
「奈々央ちゃんと会わなかった?」
何も言わないのも不自然な気がして、私は聞いた。
「会ったよ、さっき」
「偶然だよね〜」
「なんか龍大のプレゼント買うとか言ってた。あいつもよくこの辺で服買ってるから」
「そうなんだ、どこ行こう?」
「オレ喉渇いて死にそう。やっぱ自販機で買っていい?」
那波は自販機で私の分と自分の分のペットボトルを買って、ソファーが置いてあるフロアの奥へ行った。
平日の夕方でビル全体が空いていて、そのスペースの周りには誰もいなかった。
「アクエリアスじゃん。コーラじゃないんだ」
私は那波が手に持っているペットボトルを見て言った。
「ホントだ。無意識。オレ、部活やってちょっと体育会系っぽくなってんな」
那波は笑うと、一気にボトルの半分を飲んだ。
「喫茶店とか、量が足りねーんだよ。無駄に高いし」
「そうだね」
私は言った。彼は2本目を飲みそうな勢いだった。
「……さっき奈々央ちゃんと一緒にいたの、那波の彼女でしょう?」
やっぱり気になって言ってしまった。
別に言わなくてもいいのに。
「お前なあ」
那波にほっぺたを掴まれる。
「何、痛いよ」
「オレの『彼女』はお前だろ。あれは……元カノだけど」
「ああ…」
私の事を『彼女』と言う部分と、あの子が『元カノ』という部分、どっちにも納得して私は頷いた。
那波が手を離す。
ちょっとマジでほっぺたが痛かった。
「ちょっとだけ声かけられた」
「へえ?何て?」
「うーん、S高が羨ましいみたいな感じの事を言ってたような気がする…忘れちゃった」
「忘れてんのかよ」
「でも別に、私は拓真の元カノです〜みたいな事は言ってなかったよ」
「奈々央が言ってた?」
そう言えばあの子が那波の元カノって事は、自分で勝手に察しただけだ。
「前に拓真の元カノが友達だよって言ってたから、あの子がそうかなって思っただけ」
「何だよ、もしかして女の感?こえーな」
「そうだね、ははっ」
那波が本当に嫌な顔をしたから、私は笑ってしまう。
さっき会った女の子を思い出す。
可愛かった。すごく。
あの子なら、那波の隣にいて歩いている姿もすごく様になると思う。
もしああいう子が那波のタイプだとしたら、私と付き合ってるのは謎過ぎる。
そもそも那波と付き合っている事自体が、だいぶ慣れてきたとは言え奇跡過ぎて、嫉妬という感情が不思議と湧いてこない。
ここでこうやって自然に2人でいる事ですら、未だに現実じゃないみたいで、そう思うと何だかフワフワしてくる。
「ねえ、拓真…」
「は」
私から名前を呼ばれる事にまだ慣れてなくて、時々反射的に那波は変な反応をする。
那波のくせに、そんな態度をとるなんてちょっと可愛すぎる。
何か分からないけど、この場に誰もいなかったし…。
分からないけどすごくしたくて、私は那波にキスした。
「うっ……!」
唇を押さえて那波は体を引いた。
「えっ、…やだ、ごめん」
那波の反応を見て、衝動的にキスしてしまった自分がすごく恥ずかしくなってくる。
「………」
黙られると、余計恥ずかしい。
「………」
「……お前、そういう不意打ちはやべーよ」
「ご、ご…ごめん」
自分からしておいて、首の裏まで熱くなるぐらい、多分今真っ赤になってると思う。
「いや、謝んなくていいから……もっとして」
那波に抱き寄せられる。
前髪を上げられて、おでこにキスされた。
(うわー…、もう、ドキドキが止まらない…)
苦しいぐらいギュっとされて、おでこに那波の唇がずっと当たってる。
ドキドキと一緒に、『好き』が体中を駆け巡る。
今まで自分の事ばかりで分からなかったけれど、那波もドキドキしてるのが分かった。
(那波もドキドキしてくれるんだ…)
それが本当に本当に、すごく嬉しくてたまらなかった。