夢色

14 雪

   
木曜日の夜9時、予備校が終わってあたしは帰り支度をしてた。
高1の時から同じクラスだった紗枝は、英語だけあたしと一緒の教室だった。
「麗佳、かえろ」
「うん」
カバンの中で携帯が光ってるのが見えた。
『着信  彰士』
先生だ…。
あたしは田崎のメアドを、彼の名前で登録していた。
勿論、彰士(しょうじ)なんて、呼んだことない。
あたしは慌てて携帯を開く。
『今週土曜日、予備校何時に終わる?』
って書いてあった。

(会える…)

そう思ったら、ホントに嬉しくなってきた。
それも、あさって。
こういう突然って、嬉しすぎる。

「何?麗佳すっごい嬉しそうなんだけど?」
「え?…そうかな?」
って言いながら、すごい笑顔になってたと思う。

「麗佳って、結構顔に出るタイプだよね」
紗枝が言う。

「えぇ…?ホントに?」
自分では普段は普通にしてるつもりだから、紗枝のその言葉は意外だった。
「うん、なーんか分かるよ。っていうか、分かりやすいかもね」
「マジ?機嫌悪いときとかも?」
「あぁ、ちょっと分かるね。でも嬉しいときの方が分かるかな」
「そう?そうかな??」
紗枝はマフラーを巻きながら答える。
「たまにさぁ、学校でもすっごい機嫌いい日あるじゃん」
「えー…」
そうかも。
多分それって先生とちょっと目があったとか、そういうレベルで嬉しい日だ。
「とりあえず、良かったね」
紗枝が笑う。
「うん、…ははは」
何かもう笑うしかないって感じだったけど、
深く追求されなかったし、まいいか。

あたしはすぐに田崎に返信した。
先生からは珍しくその日の夜にメールが返ってきて、今週の土曜日会えることになった。
こういうのって、超嬉しい。

予備校の裏手にあるファミレスの駐車場で、待ち合わせした。
土曜は5時で授業が終わる。
だけど、9時から行ってるから、あたしは結構フラフラ状態だった。
「お疲れ」
あたしが助手席に乗り込むと、先生はキーを廻した。
「ホントに疲れちゃった…」
「よしよし」

田崎が右手を伸ばしてあたしの頭を叩く。
うわ。こんなことする?
絶対最近の先生は昔と違う。
やっぱり好かれてるって、思ってもいいのかな。
だめかな…。

先生の横顔。
ちょっと前に会ったばっかりだけど、少し痩せた気がする。
「先生、ちょっと痩せた?」
田崎はウインカーを左に出す。
「痩せたかもな。最近忙しいから」
ハンドルを廻す手。
やっぱりこの手が好きだなって思う。
その髪の黒さも好き。茶髪とかじゃないのが、彼には似合ってる。  

あたしたちは、うちへ向かう途中の普通の定食屋さんに入った。
「ここ、おでん美味しいらしいよ」
「ホント?じゃああたしもそれにする」
時間が早いせいか、お客さんはそんなにいなかった。
メニューを戻す彼の左手の時計が見える。
ZENITHって書いてある。なんか高級そう。
「おでんって、関西で関東炊きって言うの知ってる?」
田崎が言う。
「知らない〜。関西なんて中学の修学旅行でしか行ったことないよ」
「友だちが何人か関西出身なんだ」
もちろん先生の交友関係をあたしは知らない。
「先生の友だちってどんな感じなのかな?」
すぐに定食が運ばれてくる。
手作り和食って感じでホントに美味しそうだった。
「普通だよ。多分。大体結婚してるな。子どもいるヤツも多いし」
「ふーん」

結婚かぁ…。

高校生のあたしには、まだまだ遠い先のことって感じがする。
大体恋愛だってまだまだこれからなのに。
先生は今までたくさん恋愛してきたんだろうな。
なんで結婚してないんだろ。
もう34歳なのに。
あたしとこんな関係になってる間、彼女ってホントにいなかったんだろうか。


まだ早い時間だったけど、先生は家まで送ってくれた。
「じゃあ、勉強頑張れよ。梶野なら大丈夫だと思うよ」
めっちゃ先生らしい発言だなあと思いながら、あたしは笑って頷く。
「わかんないとこあったら、先生に聞いてもいい?」
「…オレが分かればな」
「だって先生じゃん。分かるでしょ〜」
「大学受験なんて、もう何年前だよ」
田崎はちょっと困って言った。
あたしは車から降りる。

「じゃあ、またね。先生」
「じゃあな。マジで頑張れよ」

あたしは田崎の車が走り去るのを見送る。
今日はキスもしなかった。
ずっと人目があったし、当然といえば当然なんだけど。
会えたのはすごく嬉しかったけど、
その反面、何もなかったことがすごく虚しくなってしまう。
彼とキスしたい。
やっぱり抱きしめてほしい。
抱きしめられても他人のような気がするのに、何もなければもっと距離を感じてしまう。
あんなに会いたいと思っていても、会えばもっともっとって欲求が大きくなってしまう。
(はぁ…とりあえず受験ガンバロ。まじで)



相変わらずの日々が続いた。
あたしには何も関係ないクリスマスが終わって、冬休みになって、お正月が過ぎて…休みはずっと予備校に行ってた。
1月に入って、センター試験も一応受けた。
この2年ぐらい、悶々としていた気持ちを勉強に向けてただけあって自分でも結構できたと思う。
田崎とも会いたかったけど、実際のところあたし自身も結構忙しかった。
彼もあたしのそういう状況、もちろん分かってたと思う。
前と変わったところと言えば、先生の方からもちゃんとメールくれるようになった。
あたしは先生のことがずっと凄い好きだったけど、3年になってからゆっくり会ったのって、2回しかない。
好きだって言葉で聞いたのも、エッチのときのあの1回だけだ。

(結構根性あるよなぁ、あたしも…)

受験が終わったら、会えるんだろうか。
担任持ってるのって、やっぱり3月まで忙しいんだろうか。
しょうがないから少しだけでも希望をもって、とにかく受験は乗り切ろうかなと思った。



2月に入って、あたしは何校か私学を受験した。
理系が主だったけど、英文系も何となく受けてみたりした。
色々受けたから、どこかは受かるだろうな、という気はしてたけどやっぱり結果が出るまでは不安だ。

2月の教室は、いない人が多くて閑散としてた。
休みにしたらいいのに、と真剣に思ったけど、そしたら先生の顔が見れなくなっちゃうか。
20日も過ぎると、だいぶ落ち着いてきて頭数が揃ってくる。
涼子は専門学校が決まってるから、すっごい気楽そうだった。
変わらずに彼氏とはラブラブみたいだったし。
時々太郎くんと話した。
太郎くんは予備校のことについて熱心に聞いてきた。
2年になったら通いたいって言ってた。
部活もやってるのに大変だなぁって思ったけど、男子はそんなものなのかな。

HRの前の短い休み時間。
女子って何だか知らないけど、一緒にトイレに行く。
何故かあたしもそうで、涼子とトイレを出て廊下を歩いていた。
少し前を隣のクラスのさくらが歩いてた。
大きな花束を持ってる。
「さくら〜、何その花。めっちゃキレ〜」
あたしは後ろから話し掛けた。
「すごいっしょ。こんな花束貰いたいよねぇ」
さくらは1年のときは真っ黒に日焼けしてて、超コギャル風だったのに
今はすっかり落ち着いてる。
「誰にあげるの?」
涼子がさくらに聞く。

「田崎」

さくらが答えた。
「え!なんでなんで??」
あたしは大きな声で言ってたと思う。
さくらは言う。

「今日で学校辞めるんだよ。田崎」

「……な、…なんで??」
あたしは動揺した。
「なんか〜、お父さんが倒れたとか言って、急に家に帰らないといけないんだって。
倒れたのはちょっと前で、田崎はホントはもっと早く辞めたかったみたいだけど、一応受験が落ち着くまでって言って、で今日までって」

――― 急な話に、頭が真っ白になる。

そんなこと、全然聞いてない。
実家で忙しい、みたいなことは前から言ってたけど。
今日で辞めるなんて、そんなこと、……全然知らなかった。

「麗佳?」
さくらがあたしに言う。
涼子もあたしを見てる。
「どうしたの?」
血の気が引くっていうの、こういう事なんだなって思った。
何だかショックすぎて、気分悪くなってくる。
「ごめん何か急に気分ワル…」
あたしは涼子の手を握って、自分の教室へ戻った。
さくらは怪訝な顔をしてた。涼子も。
「麗佳、…大丈夫?」
涼子はあたしを席まで連れて行ってくれた。
「すっごい顔色悪いよ。麗佳」
「うん…」
あたしは何て言っていいのか分からなくて、
その場を取り繕う事もできなかった。
HRの時間が来て、うちの担任が教室に入ってくる。
涼子はあたしの肩を叩くと、自分の席に戻っていった。


田崎が辞めてしまうのもびっくりしたけど、
あたしに何も言ってくれなかったのもショックだった。
実家に帰るってことは、静岡に帰るって事で…
……もしかしたら、もう会えないんじゃないの…

こんなに近くにいたのに、全然会えなかった。
なのに、何も言わずに離れていかれて、…会えるわけないじゃん。

もう、会えない……?


今まで、きっともっとラブラブになれるかもしれないって思って何とか受験だって乗り切った。
この先、もしかしたらちゃんと付き合ったりできるかも知れないって思って、何とか頑張ってこれたのに。

放課後、あたしは田崎の車が停めてある駐車場で彼を待った。
さすがに学校では話せない。
もう最後だし話しても良かったんだけど、あたしが取り乱してしまいそうだったし。

まさか、会えなくなったりしないよね…
こんな急に…
あたしに、ちゃんと話してくれるよね…
これから、どうなっちゃうんだろ…

色んな考えがグルグル回った。

手袋をしているのに、指の先が冷たくなってた。
夢中で考えすぎて、どれぐらい待っていたのか時間の感覚がなかった。
2月はまだ日が短くて、夕方になるとあっという間に暗くなってしまう。
駐車場の明かりが点いた。
結構待ってる事に気付いて、あたしはもう帰ろうかなって思った。
そのとき、遠くから田崎の姿が見えた。
田崎は他の教師と一緒で、荷物を持って歩いていた。
あたしは立ちすくむ。
とっさに他の車の陰に隠れてしまう。

田崎の声が近付く。
「小林先生、この前言ってた日本酒のお店行きましょうよ」
「飲むなら、車、どうする?」
「一旦置いて行っていいですか?うち駅前なんで、すぐ電車乗れますし」
「んじゃ、そうしましょう。…それにしても田崎くんはいい車乗ってるねぇ」
「でももう10年近いですよ。実家帰るから結構距離走ってますし…。
今年の車検はちょっと考えますわ」
笑う声がする。
教師同士だったらあんな感じで喋るんだ。
あたしは出て行くきっかけを逃す。

…先生の車のドアが閉まる重い音がする。
エンジンの音が聞こえる。
あたしは立ち上がった。


「せんせ…」

小声で言ってた。
車はもう駐車場の出口を出ようとしていた。
あたしは小走りになる。
暗くて見えなかったけど、
バックミラー越しに先生があたしに気付いた気がした。
だけど行ってしまう。
あたしは追いかけられない。
すぐに車は見えなくなる。


気がつくと、凄く寒かった。
雪が降り始めていた。



あたしは風邪を引いて、その後3日学校を休んで土日も家で寝てた。
田崎があたしに何か言ってくれるんじゃないかと思って携帯をしょっちゅう見たけど、彼からの着信はなかった。

あたしは最後の期待を込めて、田崎に長文のメールをした。


黙って辞められてショックだったこと、
大学はちゃんと合格したこと、
本当はこれから付き合いたかったこと、
先生のことがずっと好きで好きでたまらなかったこと、
今だって会いたくて、忘れられるはずなんてないってこと…


今までガマンしてたこと、全部書いたと思う。
あたしは凄い後悔してた。
顔が見れてるうちに、ちゃんとホントは伝えるべきだった。
大好きなこと、言葉にすれば良かったのに。



1日に何度も携帯を見た。
だけど、先生からの返信は、結局来なかった。

 

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