夢色

4 教師

   
「で、この前ね…」
廊下の開いた窓からは初夏の風が入ってくる。
窓枠に寄りかかりながら、テルと、同じクラスのさくらと3人で喋ってた。
「へぇ、そうなんだぁ〜、あの子も見かけによらないなぁー」
そう言いながら何気なく後ろを振り返ったとき、遠くから田崎がこっちに向かって歩いてくるのを見つけた。
あたしは会話どころじゃなくなって、心臓が急にドキドキしてくる。

「だって中学のときなんて、すごいマジメでさ…」
さくらの話す声も耳に入らない。
もう一度振り返って、田崎を確かめたい。
だけど、勇気がなかった。
背中全体で、田崎の気配を感じようとしてた。少しでも。
目の前にいるテルも、周りの景色も、…今のあたしにとっては真っ白なピントの合わない世界。
「テルも同じクラスだったことあるもんねぇ」
さくらの声が遠くなる。

あ…
ふっと通り過ぎる匂い。
微かだけど、あのときもこの匂いがした。
田崎の、匂い。

……甘さとは遠い、大人の男の、匂い。
あたしの目は彼だけを映してた。
無言で通り過ぎる先生。
今まで気にも留めてなかった後姿。
あんな髪だったんだ。
細くて、華奢に見える肩。
だけど案外しっかりした体。

「どうした?」
テルの声で、我に返る。
「え…な、なんでもない。あっついね」
テルは心配そうに私を見つめてた。
二重だけどシャープな印象の目。
テルが女子からモテてるのは知ってる。上級生からも。
「何、見つめあってんのよ」
さくらが間に入ってきた。
「もー教室戻ろう。ここ、日が直接当たるよ」
私はこの場から離れたかった。
廊下に、田崎の気配を探してしまうから。


あれから1週間が過ぎようとしてる。
田崎のメールアドレスは知っていたから、連絡をとろうと思えばとれる。
だけど、何故かそんな気分になれなかった。
ああいうことがあって、何て言ったらいいのか分からなかった。
でも本当はまた会いたかった。

(田崎のこと、好きなの…?)

よく分からない。
テルに対してだって、実際のところ恋愛感情があるのかどうか分からない。
ただ、今は田崎のことをしょっちゅう考えてる自分がいる。
考えてみれば、本気で人を好きになったことなんて、…ないかも知れない。
彼氏だっていたしエッチの経験もあるのに、なんだか自分が大事なところがごっそり抜けてる人間のような気がしてくる。

いつも、何となく…流されてる感じ。


さくらの持ってきた雑誌を他の子たちと見てたら、結構時間が経ってた。
「帰ろう〜。ノド渇いてきちゃった」
外からは部活の子の声が聞こえる。
「あっついのに、すごい根性だよね。体育会系は」
髪の毛を後ろに束ねながら、同じクラスの紗枝が言った。
ホントにその通りだと思った。
教室を出て、階段を下りる。
1階の廊下を挟んで、実験室等がある別棟の廊下がある。
…そこに、私は何度も考えていた彼の姿を見た。

「ちょ、ちょっと、帰ってて、よ、…用事、思い出したから!」

みんなが私をヘンな顔で見る。
自分でも挙動不審だったと思う。
だけどそんなこと気に留める間もなく、
あたしはみんなに背を向けて走り出してた。


田崎は実験室に入っていったみたいだった。
最近、別棟は改築して廊下も扉もやけに真新しい。
教室の前まで走ってきちゃったけど、いざ扉の前に立つと迷ってしまう。

(ま、いっか…)

あたしは思い切って扉を開く。


いない……
あたしは力んでた体が緩んだ。
(でも、ここに入ってきたんだよね)
何故だか扉をちゃんと閉めて、あたしは誰もいない実験室に入っていく。
先週まで、ここだってただの教室の一つだったのに。今は特別。
一歩踏み出すごとに緊張していく自分がおかしい。
「うわ!」
突然の誰かの声に、飛び上がりそうに驚いた。
「えぇっ!」
私も思わず言ってしまった。
田崎が、更に奥の部屋から出てきたのだ。


「何やってんの?先生」

とりあえず場を取り繕おうとして、言ってみる。
田崎は本当にビックリしたみたいで、頭に手をやりながらキョロキョロして眼鏡を直す。
右手で持った鍵の束を上げて、言う。
「鍵当番。…一応この部屋劇薬もあるから」
「ふぅん…」
「って言っても、奥の薬品室はいつも閉まってるんだけどな。一応な」
普通の教室よりも広い実験室の端と端にあたしたちは、いた。
「梶野こそ、何やってるんだよ」
名前を呼ばれたのが、嬉しかった。
こうして普通な感じで学校で話したりすることができたのも、すごく嬉しかった。
あたしは少しずつ田崎との距離を縮めた。
「別に…先生を見かけたから」
あたしの言葉に田崎は表情を変えずに、手元の鍵に視線を落とした。

特に彼は返事をしない。
あたしは更に近づく。
もう教壇を挟む距離まで近づいた。

「先生」
あたしは思い切って言ってみようと思った。
「ねぇ、メールしてもいいかなぁ」
田崎はやっとちょっと微笑んだ。
「いいよ」
目の前にいるのは、田崎先生。
だけどこうして話すと、確かに先週の彼だ。

近くに彼がいて、やっと笑顔が見れて、あたしは嬉しくてドキドキして、…多分顔に出ていたと思う。
それを隠せるほど、あたしは大人じゃなかった。
「放課後も、白衣着てるの?」
話をそらしたくて、そんなことを言ってみた。
本当はもっと違うことが言いたい。
だけど、何て言っていいのか分からない。
「服が汚れるのがイヤだから」
田崎は自分の白衣に視線を落として答えた。
学校では全然容姿に気を使ってなさそうな彼が、そんな事を言うのはおかしかった。

「なあ、梶野」
「え?」

急に名前を呼ばれて、あたしはちょっと警戒する。
その声は、いつもの『先生』のものだったからだ。

「メールくれてもいいし、また会ってもいいと思ってる」

「…うん…」
そんなことを言われて、あたしは嬉しくて驚いてしまう。
田崎は一歩踏み出て、鍵を教壇に置いて言葉を続けた。

「だけどな、この前みたいなこと…オレはお前に強要する気はないからな」
「……」
一瞬彼の言っている意味が分からなかった。

「分かるか?」

分かってないこと、すぐにバレてた。
さすが先生、とか変なことに一瞬感心したけど、それでもよく理解できない。
「先生は、…」
彼はあたしの様子を伺ってる。
田崎が前髪をかきあげると、先日の彼の面影が感じられた。
「あたしとするの、…あんまり良くなかったんだ」


「はぁ…」

田崎はため息をついて、窓の方に目をやった。
「やっぱ、分かってないな」
「ごめん、バカだから、よく分かんないよ。意味わかんない」
ホントに自分がバカな気がして、なんだか情けなくなってきた。
できれば田崎と同等なぐらい頭が良くなりたい。
今のあたしじゃ絶対無理だけど。
田崎は、また一歩近づいた。
「とにかく、連絡してくれたりするのは、別にいいさ…だけどな、……お前をオレの都合のいい性欲の捌け口にしようってつもりはないって事」
「別に…」
やっぱりよく分からないけど、なんだか田崎に自分を拒否されたような気がした。
「別に、いいよ。捌け口にしてくれても」
「あのなぁ…」
田崎は眼鏡を直して、あたしを真っ直ぐ見た。

あたしはちょっとムっとしてたと思う。
そんなあたしの表情に気付いているのかいないのか、田崎は諭すような口調で言った。
「一応、オレは同じ学校の教師なんだから。…まぁ違う学校でも、オレは『教師』」なんだからな」
「分かってるよ。…誰にも言ってないし、これからも言うつもりもないって!」
非難されてるような気持ちになって、怒ってるわけじゃないのに声が大きくなる。

「学校では、…」
田崎が穏やかな口調で言う。
「こんな風に話したりすることもできないと思う」

「……」
あたしは頷く代わりに、黙って下を向いた。

ムキになってるあたしと比べて田崎はやっぱり随分大人に見えたし、自分自身も彼にとって子どもなんだなって思い知らされる。
「あたし…」
やっと顔を上げて自分なりに精一杯落ち着いた声を出す。
「先生を困らせる気なんて、ないから」
なのに、田崎はちょっと困った顔になる。
「でも先生……、すごいよ…あたし、すごい気持ち良かったもん」
思わず言ってしまう。
先生は、やっぱりあたしなんて子どもで全然良くなかったのかもしれない。
あたしは彼の気を引くことを言いたかった。だけど、なんか違う。
田崎は自分の頬をさわってあごをなぞってる。
これ、彼の癖だ。
「大丈夫、学校では普通にしてるよ。…あんまり自信ないけど、頑張る」
自分でも何が言いたいのか支離滅裂だった。
ほんとうは、

できればまた抱いて欲しい。
それからもっと一緒にいてみたい。

もっと違う顔の先生も見てみたい。

そのとき廊下の向こうで、誰かの話し声が近づいてくるのが聞こえた。
田崎は声の方を見て、教壇の上の鍵に手を伸ばす。
更に声が近づいてくる。
田崎はあたしを見た。

彼は私の腕を引いて、薬品室の鍵を開けた。

 

 

ラブで抱きしめよう
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